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妊娠中

〜KANAのお部屋〜

【赤ちゃんができた】
1999年(平成11年)5月
妊娠がわかりました。
結婚から約1年。「子供が欲しい」と思ってからは、数か月。比較的「順調」な妊娠でした。
はじめて「産婦人科」に行ったのが妊娠5w。エコーで「ようやく形が見えるか見えないか」ぐらいの頃でした。
2週間後の診察を指示され、受診した翌々週。
「…?…そろそろ心拍が確認できてもいいころだけどなぁ・・・」と先生。
「大きくなっている」ものの、まだ心拍は確認できず。でも、一方で「つわり」もあったことから、様子を見ることになり、更に2週間後の診察を指示されました。
今思えば、もしかしたら「染色体異常」のため、だったのかもしれません。(あくまで推測です)
そのころから、かなりつわりがひどくなってきた私。

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【切迫流産】
次の診察予定日になる前。10wに入った頃。
その日もつわりで吐き気が止まらなかった私。夕方、嘔吐したとたん、変な感触が・・・
見ると、大量の出血。
「…どうしよう…」
とりあえず駆け込んだ産婦人科医院で「切迫流産」の診断を受けたものの、なんとか赤ちゃんは無事。気になっていた「心拍」もこの日には確認できました。
一晩入院したらなんとか出血もおさまり、帰宅することができました。
どうやら、吐いたときに下腹に力がかかったのがいけなかったようです。
それからというもの、気持ち悪くても「吐く」のが怖くなってしまいました。
その後、14wに入った頃にもう一度出血があったものの、大事には至りませんでした。
でも、なんとなくおなかの張りを感じていました。…今になって思えば、「張っていた」わけではなくそんな気がしていただけだろう、と思うのですが、はじめての妊娠ということもあり、わからないことだらけでした。

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【トリプルマーカー検査】
7月。17wの時。
「トリプルマーカー」といわれる血液検査を受けました。
これは「出生前診断」のひとつで、妊婦の血液検査によって胎児が「ダウン症候群」である可能性の有無を調べるスクリーン検査です。
「ダウン症候群」は一般的には「ダウン症」といわれる染色体異常です。
21番目の染色体に異常がみられるもので、1000人にひとりともいわれ染色体異常の中では比較的頻度が高いものです。
KANAも「染色体異常」を持ちますが、「ダウン症候群」とは異常のある染色体の番号が違います。
そのためでしょうか。私はこの検査では「陰性」でした。
この検査はスクリーン検査ですから、ここで「陽性」と出ても必ず「ダウン症」であるとは限りません。確定診断は「羊水検査」といわれる精密検査で行われます。
この検査で「陰性」だった私は、もちろん精密検査は受けませんでした。
このころの私。「染色体異常が何たるか」「ダウン症がどんな病気なのか」全く知りませんでした。知る必要も感じていませんでした。
検査で「陰性」だったことに安堵し、まさかその我が子が障害児であるなどと思いもしませんでした。

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【胎児異常】
8月。
相変わらずおなかが張る(ような気がしていた)ので、早めに里帰りをしました。
最初の妊娠でもあり、はじめから「里帰り出産」の予定はしていました。
20w。実家近くの総合病院の産婦人科に初診。
このときエコーで診察してくれたN先生は胎児頭部に異常を発見していました。
超音波の映像に影のようなものが映ったそうです。でも、その時は何も言われず、「1週間後にもう一度きてください」とだけ言われました。
もともとおなかの張り(のようなもの)を感じて受診していたため、別に不思議にも思いませんでした。
1週間後、N先生はやっぱり異常を確認。でも、その日もそのまま帰されました。
3日後、病院から電話があり、母とともに病院へ行きました。
そこではじめて異常を知らされ、某大学病院への紹介状をいただきました。
胎児異常の専門家、S教授のいる病院です。
3日後、22wの時、大学病院を受診しました。
先生のお話は難しくてよくわかりませんでした。でも、『脈絡叢嚢胞(みゃくらくそうのうほう)』といわれる水胞だということ、染色体の異常が疑われるということ。
そしてこのまま嚢胞がしぼまなければ、『水頭症』になるかも知れないということ。
『水頭症』という言葉は聞いたことがありました。この言葉を聞いたとき、どう思ったか…今となってははっきりとした記憶がありません。先生のペースに乗せられて、ただ、ハイハイと話を聞いていただけのような気もします。

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【大学病院での検査】
初めて大学病院に行き、午前中診察を受けたその日。
「とりあえずは、羊水検査を受けてください。ちょうど今日は午後から羊水検査の日です」
そういわれて否応もなく、承諾書にサインをしました。考える暇もなかったです。
「羊水検査」
そういう検査があるのは知っていました。胎児の染色体を正確に調べることができる検査です。
保険が効かないため検査にもかなりの費用がかかります。
この検査は子宮に針を刺して羊水を抜くため流産の危険性があり、入院して検査をする病院が多いようです。チビkanaを出産した総合病院では、2泊3日の入院で検査をするということでした。
ですが、この大学病院では日帰り。検査後30分ほど様子を見て、異常がなければ帰宅する、という形でした。
検査の前に、エコーでじっくりと診察してもらうことになりました。
それによると、胎児の大きさは標準。嚢胞以外には気になるところもない。染色体異常の胎児によくみられるような異常も見られない、とのことでした。
午後から羊水をとってもらってこの日は帰宅しましたが、この羊水検査、とっても痛かったです。
検査の結果が出たのは2週間後でした。
9月。24w。
受診した大学病院で、8番の染色体に異常が見つかったこと、でも、これは遺伝性である可能性があること、遺伝性のものであれば、両親に異常が出ていない限り、子供にも異常は出ないということ、という説明を受け、私たち夫婦の染色体を調べることになりました。
この日に受けた超音波検査では、嚢胞はほとん見えないくらいにまで小さくなっていました。
これが、良か否かは経過を観察しなくてはわからないということでした。
私たち夫婦の採血をしてもらって、この日は帰宅しました。
障害のある子を育てていけるのか。赤ちゃんはあきらめたほうがいいのではないか、私は内心納得していなかったんですが、周りのみんなにそういわれて。
あきらめようという結論に達し、はじめに受診した総合病院のN先生に相談しました。
ですが、既に7ヵ月に入っていたため、結局は産むしかないことを改めて確認しただけでした。
夫婦の血液検査の結果が出たのは3週間後。
両親どちらの染色体にも異常は確認できませんでした。つまり、胎児の染色体異常は、突然変異によるものだということです。
もう少し詳しい検査がしたいということで、再度羊水検査を受けることになりました。後から思えば、このときの検査は大学側の研究資料だったのかも知れません。
今度は「検査に協力してください」といわれ、料金も取られませんでした。
染色体別の色分けで結果を出すということで、前回のときよりも多めに羊水をとられました。やっぱり痛かったです。
出産も大学病院でと言われましたが、これに関しては、もう少し考えることにしました。
私は大学病院とは相性が良くなかったので。
10月
再検査から1ヵ月後、出た結果は『8pトリソミー症候群』
これからどうなるかは、「経過を観察しなくてはわからない」ということが、わかっただけでした。
出産は、大学病院ではなく、N先生のいる総合病院ですることに決めました。

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【8pトリソミー症候群】
第8番目の染色体の「短腕」が「部分的に過剰」になる染色体異常です。
『染色体異常』
私も詳しいことを専門的に知っているわけではありません。
ネットなどで検索すれば、専門的なことはいくらでも調べられると思います。
なのでここでは、私の知っていることをなるべく簡潔にまとめてみたいと思います。
ヒトには23対、46本の染色体があります。両親から各対とも1本づつもらい、2本で対になるのが遺伝の法則です。
そのうち1対は『性染色体』といわれ、『XX』なら女性、『XY』なら男性になるのはご存知の方も多いでしょう。
これらの染色体に、何らかの要因で異常が出るのが『染色体異常』です。
染色体異常自体はそれほど珍しいことではありません。ただ、胎児が成長せず、初期流産の原因となることが多いようです。
ですから、染色体異常を持ってなおかつ無事に生まれてくる子供は、わずかです。
我が家のKANAもそういう、選ばれた命を持って生まれてきました。私はそう思っています。
染色体異常には、染色体が過剰になる『トリソミー』と、欠失する『モノソミー』があります。
一般的に、トリソミーよりもモノソミーのほうが障害は重く、また、番号が若いほど染色体に重要な遺伝子が乗っているため障害が重い、と聞いたことがあります。
KANAは『トリソミー』ですが、トリソミーで多いのは、13番、18番、21番らしいです。
このうち、21番のトリソミーが一般に『ダウン症候群』といわれる障害です。1000人に1人といわれ、染色体異常の中では数も多いものです。
トリソミーには、通常2本の染色体が3本になる完全なトリソミーと、KANAのように一部が過剰になるものとがあります。
染色体の写真などを見たことがある方もいらっしゃるでしょう。
真ん中あたりでくびれています。その、長い方が長腕(q)、短い方が短腕(p)です。
8番染色体の短腕部分が部分的に過剰になるのが、KANAの症例です。
大学病院で、検査を受けた時に、病院からもらった資料では、『8pトリソミー』は、過去数十例…とありました。
そこには、遺伝性のものも含むため、KANAのように遺伝性でないものは、かなり珍しいと思います。
同じ『短腕過剰』でも、どこの部分が過剰なのかで、出てくる症状も違うそうです。
資料では、KANAと同じような部分過剰の場合、『中度発達遅滞』『特異顔貌』『心奇形』『腎低形成』など、字だけ並ぶと不安になるような症状が並んでいました。
ただ、これも一例であって、実際どうなるかは個々によって違うのでわからないとは言われました。
実際、今現在のKANAの場合、『発達遅滞』は重度といわれています。しかし、他の内臓疾患は今のところ出ていません。
『特異顔貌』も専門家の目からみればわかるそうですが、素人が見てわかるほど顕著ではありません。
お世話になった療法士の先生は、『9番』の染色体異常の子に似た特徴があるとは言っていました。
でも先生も、『8番』の異常の子ははじめてだということです。
ただ、現在、症状が出ていなくても、この後どうなるかはわからないです。親としては見守っていくだけです

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【その後の妊娠生活】
里帰りしてからというもの、胎児異常が見つかったり何度も検査のため病院に行ったり。
それは確かに大変でしたし、精神的に不安定になったりはしました。
でも、私は本来楽天的なのか、「なるようにしかならない」と思いそれほど深刻に考えこむことはありませんでした。
そのかわり、というのか、私の母が精神的にかなりまいっていたようです。
私の体調は安定しており胎児の発育自体も順調。私は、体重増加に悩むなど普通の妊婦さんと変わらない生活を送ることが出来ました。
暇を持て余した私は、ベビー服をたくさん編んだりしていました。
そして、もうひとつ。
胎児異常がわかったときから、手書きながら「記録」をつけはじめました。
これが、このサイトのもととなっています。

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【出生前診断の是非】
非常に難しい、デリケートな問題だと思います。
今の日本では医師側からは勧めないのが主流です。
出生前診断が、『異常が見つかった時には中絶をする』ということが前提となることが多いため、医師側から勧めると『ダウン症候群』など、『出生前診断でわかる病気をもった胎児は生まれてくる価値がない』ということにつながる、という考え方があります。
私は、中絶できない週数に達してから、出生前診断を受けました。
異常があろうとなかろうと、『産まない選択』は出来ませんでした。
もし、検査をしたのがもっと早い段階であったら…
KANAはこの世には生まれていなかったかもしれません。
健康な、障害のない子を授かりたい、それは親としては当然のことだと思います。
自分のおなかに宿った命が、障害があると、あるかもしれないとわかった時、それでも産み育てる勇気があるかどうか…
もし選択の余地があれば、産まない選択をしたかもしれません。
でも、私は結果的にKANAに関しては出生前診断を受けてよかったと思います。
あらかじめ異常のあることがわかっていたから、私自身も、そしてお医者さんをはじめ、周囲の人々もそれなりの心積もりが出来ました。
生まれたときから念入りに検査をしてもらい、気にかけてもらうことが出来ました。
それは私にとっては、不安いっぱいの中でも心強いものでしたし、KANAにとっても良かったのだろうと思います。
ですが、チビkanaを妊娠した時には出生前診断は受けませんでした。
受けようかと考えはしましたが、色々考えて結局見送りました。
KANAを育てていて、『障害』を理由に中絶する気にはどうしてもなれなかったからです。
障害があっっても、いや、あるからかもしれません、まっすぐで澄んだ瞳を持つKANAを見ていたら、生まれてくる子がどんな障害があろうとも、受け入れていけると思いました。
私は決して出生前診断が悪いとは思いません。
KANAのときに受けたことも、kanaのときに受けなかったことも、どちらも後悔していません。よかったと思っています。
ただ「異常が見つかっても産む」選択をする自由は保障されるべきだと思いますし、「産む選択」をしたときの医療機関をはじめとした周囲のフォローは必要だと思います。
私が、初期の段階で受けた『トリプルマーカー』検査。
私はこの検査では、『陰性』でした。おそらく、KANAは『ダウン症』のような出生頻度の比較的多い障害ではなかったからだと思います。
羊水検査を受けた大学病院では、この血液検査はあまり信用出来ないということも聞きました。
この検査を受けた時は、まだ胎児異常も見つかっておらず、もし、この検査で何か引っかかってきていたら…どうしていただろうかとふと考えました。
考えても結論の出ない問題ではありますが…

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