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保育園の頃

〜KANAのお部屋〜

【入園式前後】
2004年(平成16年)4月。4歳のKANAは保育園に入園することになりました。
障害児でも地元の保育園に入園が出来るのを知ったのは、この1年前のことでした。
3歳からの3年保育は全く考えていなかったので調べもしなかったのですが、入園の1年前、3歳の春に隣の自治体にある療育通園施設のことを保健師さんから聞き、見学に行きました。
結局この施設には通わなかったのですが、このときに保健師さんから3歳から地元の公立保育園で受け入れが出来ることを教えてもらいました。
当時はまだ、療育手帳は申請中で手元になかったのですが、手帳を所持していれば『加配』といってクラス担任とは別にもうひとり先生がクラスに入り、その先生がKANA専任でついてくれることを聞いたのもこのときでした。
3歳の秋(2003年(平成15年))10月にこの地域に就学前障害児の母子通園施設ができました。
ここへの通所も考え見学に行きましたが、毎日の母子通園と聞き、当時1歳前のチビkanaを連れてはとても無理と判断し見送りました。
翌春4月からの保育園との並行通園(週のうち1〜2日だけ通園施設に通い、あとの日は保育園に通うこと)も考えたのですが、やはりチビkanaのこともあり保育園だけで行くことにしました。
週に1度、療育訓練の日だけは、保育園をお休みして病院に通うことにしました。
地元保育園には、冬に入園の申し込みをしました。そのときに療育手帳も提示。入園通知が手元に届いた時はホッとしました。
3月には入園説明会があり出席しました。準備物などの説明もありました。KANAの場合には乳児組用の準備物を参考にしたほうがいいかもしれないなと感じました。
この時に制服・体操服のサイズあわせと申し込みがありました。
見本で置いてあった1番小さいサイズの上着をKANAに着せてみたら、ぶかぶかでした。袖も指先まですっぽりと隠れてしまうほどでした。
それをみていた業者の人に、『それより小さいサイズはないから…』といわれました。
その制服は3歳児から着用するものなのですが、4歳のKANAはかなり小柄でした。
そして入園式の数日前、保育園から連絡があって、担任のO先生、加配のS先生と話し合いの場が設けられました。
家でのKANAの様子、保育園に対する要望…など色々とお話しました。
日常生活で全面的な介助が必要だったKANA…それは今でも変わりないのですが…
何が出来て何が出来ないのか、どのくらいのことなら出来るのか…そういったことをひとつひとつ具体的にお話しました。
給食も刻み食にしてもらうなどの配慮をお願いしました。
全く人見知りしないKANAは、このときもすぐに先生の膝の上にちょこんと乗っていました。
『初対面で泣かれるとどうしようかなと思ってしまうけど、こうやって寄ってきてくれるとやりやすいですね』と
言ってもらいました。
そうして迎えた入園式。特にぐずりも泣きもしなかったKANAは、先生に抱っこはされていましたが教室にすんなりと入っていき、椅子にもきちんと座ることが出来ました。20人ほどのクラスのお友達、3歳の時から入園している子が多かったようで、4歳児からの入園は5人ほどでした。
健常児の子に混じっての集団生活。どうなることかと不安でもあり楽しみでもあり…
1週間ほど慣らし保育がありましたが、KANAは泣きもしませんでした。
毎日お部屋まで送迎していましたが、朝行くと先生に抱っこしてもらって部屋の中に入って行きました。
『KANAちゃん来たよ〜』と先生が声をかけると、『おはよう』とお友達から言ってもらっていたのを思い出します。
なかなかお友達の中に入ることは出来なかったですが、お友達と同じ部屋の中で同じ時間を過ごすことに少しずつでも慣れていってほしいと思いました。

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【保育園生活全般】
KANAの保育園生活、2年間通して加配についてくれたS先生はじめたくさんの先生方、お友達にかわいがってもらいました。
KANAは大人に対しては人見知りは全くなく、初めて会う大人にも平気で抱っこをせがむような子です。
抱っこをしてもらえれば、相手は誰でもいいというようなところもあります。
入園当初から、抱っこさえしてもらえれば、全く泣きもしなかったKANA。私も保育園の先生も拍子抜けしたほどでした。
ただ、小柄とはいえ、KANAをしょっちゅう抱っこしなくてはいけなかった先生は大変だったと思います。2年間ほとんど抱っこされていたような気もします。
若いS先生だからこそ…出来ることでしょう。
大人は誰でも大丈夫だったKANAですが、同年代の子供は本当に苦手でした。
入園当初はちょっと触られただけでも嫌がるほどでした。
4歳児くらいになってくると、特に女の子はだいぶ「おませさん」になってきます。家に小さい妹や弟がいる子も増えてきます。
KANAに対する珍しさもあったのでしょう。KANAの周りにはお友達がたくさん集まって、色々世話を焼いたりしてくれていました。
着替えを手伝ってくれたり、出席帳にシールを貼ってくれたり…
はじめは触れられるどころか、そばに寄られるのもひどく嫌がっていたKANAでしたが、徐々に慣れてきて、年長児になる頃には、お友達と手をつなぐこともかなり平気になってきました。
入園当初はどうなることかと心配しましたが、大きな成長を感じます。
発表会や運動会などでも、お友達と手をつないで出られるように、保育園側でも配慮をしていただきました。
まだまだ、『お友達と一緒に遊ぶ』という段階にまでは行っていませんが、お友達がそばにいることを苦痛とは感じなくなってきたのかなと、思います。
身体的にもかなり小柄で、運動能力も劣っているKANAは、みんなと一緒に行くお散歩や遠足などもなかなか歩くことができませんでした。
もともと、初めて行く場所というのは苦手で、今でも知らない場所では歩くのを嫌がります。
年中児の頃は、お散歩の時も遠足の時も、乳児組で使うバギーを持っていって、それに乗せてもらっていたようです。
先生に抱っこされて帰ってきたことも多々あったようです。
年長児になる頃には、バギーはほとんど必要なくなったようで、ゆっくりながら先生やお友達と手をつないで最後まで歩けることも増えてきました。体力もかなりついてきたのだと思います。
相変わらず初めていく場所は苦手なKANAですが、保育園で皆と一緒に行く時は、初めて行く場所でも比較的平気で、歩くこともするようです。
そのあたりにはKANAなりに何か基準のようなものがあるのかも知れません。
健常児の中で集団生活を送ることで、KANAはたくさんの刺激を受け、大きな成長のきっかけとなったと思います。
この環境はKANAに合っていたのだと思います。
保育園の先生、お友達やお友達の保護者の方、本当に周囲に恵まれています。
送迎の際、正直、私にははっきりと記憶にないお母さんに、「KANAちゃん、おはよう」と声をかけてもらえることも多いです。
多分、お子さんがKANAと同じクラスなんだろうとは思うのですが…
クラスのお友達はお家でどのようにKANAのことをお話していたのか…それは私にも分かりませんが、周りのお友達にとっても、KANAの存在が何らかのいい影響を与えてくれればいいなぁと思いました。

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【運動会】
KANAの通っていた保育園では、運動会は秋にありました。
自治体の運動会も行われる、近くの公園のグラウンドで行われました。
年中時の運動会の日は、曇り空でした。開始時から雨もポツポツするようなお天気でした。
KANAはいつもと違う雰囲気の中、開会式の時から先生に抱っこされていました。
それでも、かけっこは先生と一緒にコースを歩き、お遊戯も手作りのマラカスを持って先生と一緒に頑張りました。
心配していたように、途中から雨がしっかりと降ってきてプログラム変更もありました。
それでも、子供が参加する競技は無事にすべて行われました。
先生にべったりではありましたが、ぐずりはせずに参加できたのでよかったです。
年長児の運動会の予定日も雨が降りそうな天気でした。実際、開始前にはポツポツと雨も落ちていました。
結局1日順延となり、翌日に運動会が行われました。
前日の雨のため、水たまりもありましたが、天気はよかったです。
この年の運動会は先生に抱っこは1度もなく、ゆっくりながら自分で歩いて移動が出来ました。
年長児は、太鼓などの楽器演奏をしながらの行進や、跳び箱などの器械体操もあります。
KANAは楽器は大太鼓を担当し、行進しなくてもいいようにしてもらいました。
器械体操は跳び箱を選択しました。
もちろん飛び越えることはできませんでしたが、上にのぼってそこから降りて…、を何度もやりました。
かけっこは、年長児はリレーです。
第1走者にしてもらったKANAは、みんなの半分の距離でしたがお友達2人に両方から手をつないでもらってひっぱられるようにして歩きました。
最後まで頑張って歩くことができました。
年中時は、ずっと先生と一緒だったのに、年長の時はお友達と一緒に頑張ることも出来たのは大きな成長だったと思います。
保育園の先生方が、色々と考えてくださったのだと思います。
おかげで、KANAの成長ぶりをいくつも目にすることができました。

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【生活発表会】
保育園の生活発表会は2月です。
文化ホールの舞台での発表です。
劇と歌などの発表をします。
ホールの外では絵や作品の展示も行われました。
劇はもちろん『セリフ』があります。
ですが、複数の子供でひとつの役をやる形になっていました。同じ『役』の子供たちが声をそろえてセリフを言います。
なので、KANAのようにしゃべることができない子でも、皆と一緒に舞台に上がることができます。
セリフは他のお友達が言ってくれました。
KANAには先生がずっと付き添ってくれていました。
年長の時はお友達と手をつないだりも自然にできていました。
他のお友達と『同じこと』はもちろんできないですが、先生に手伝ってもらって『同じようなこと』『真似っこ』をして同じ舞台に立つことができました。
KANAはいつもと違う場所で、天井のライトが気になったりしていたようでしたが、ぐずることもなく最後まで頑張ることができました。
展示作品は、絵も作品もKANA自身は何を作ったかの理解はしていなかったでしょうが、『作品らしく』なるように先生やお友達が手を加えてくれたようです。
皆と一緒に展示してもらえたのは嬉しかったです

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【遠足】
保育園の2年間で、遠足に5回行きました。
これは、保育園のバスで少し遠くにまで出かけた遠足の回数です。
年長児の時は、このほかに歩いていける距離のプチ遠足が何度かありました。
年中の春と年長の春は同じ場所に行きました。隣の町にあるフラワーセンターです。
どちらも、寒い日だったのを覚えています。
暖かければ、春の花がいっぱいの園内を十分に楽しめたのでしょうが…
年中の時は、KANAは園バスの初体験。大丈夫かなと心配もしました。
乗り込むときは尻込みしていたようでしたが、先生に抱っこされてバスに乗ったそうです。
着いてからも、歩こうとせず乳児用のバギーに乗せてもらって園内を回ったそうです。
これが1年後、年長のときは、バスの中3人がけの席の真ん中でお友達と3人で乗っている写真があります。
園内でも、このときはすべて歩けたと先生から聞きました。
『去年はずっとバギーに乗っていたのにねぇ』と成長を喜んでもらいました。
保育園で購入した写真を見ても、お友達と一緒であれば、先生が写っていないものが増えてきたのも、年長児になった頃からです。
年中の秋にはアスレチックの遊具のある公園に行きました。
大きなすべり台など、KANAの好きな遊具がたくさんありました。お友達と一緒に楽しんだようです。
年長の秋は芋掘り遠足でした。
雨上がりで少しぬかるみもあったのか…手がかなり汚れるのが気に入らなかったようでした。
もともと、手の感覚が敏感で、汚れるのを極端に嫌っていたKANAでしたが、この頃には多少の汚れなら、それほど嫌がることもなくなっていました。
でも、このときはさすがにKANAの限度を越えていたようです。
先生が泥のついた手で触るのも嫌がったようで、結局手もつながずに、もちろん抱っこをせがむこともなく、自分で歩いたそうです。
結果オーライといったところでしょうか…
卒園前に、もう1度おわかれ遠足がありました。
この日は、プラネタリウムでした。
このときも前日に雨が降り、公園で遊ぶことが出来なくなったため、図書館に行ったそうです。
プラネタリウムは、KANAは初体験でした。暗いところも平気だったようです。
プラネタリウム用の倒れる椅子がかなりのお気に入りでパタパタとしていたらしいです。
家から色々な場所に連れ出してあげるのは、なかなか難しいのですが、保育園からお友達と一緒に遠足に行けたことはKANAにとってもよかったと思っています。
先生方は大変だったと思うのですが…
色々な体験を重ねることで、KANAの興味がどんどん広がっていくことを期待したいと思います。

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【就学に向けて】
保育園を卒園すれば、次は就学です。
就学の問題については、KANAが生まれたときからいずれ直面する問題として、色々考えていました。
年長児になるとそれがどんどん具体的になってきます。
当初、私たちは漠然とではありましたが、学区内の小学校の特殊級(現在では「特別支援学級」といいます)に入れてもらえたらいいなぁと考えていました。
KANAが年長児になった春、地域の養護学校(現在は「特別支援学校」といいます)と、学区の小学校の特殊級の見学に行きました。
私は、『養護学校』というのは、もっと閉鎖的で暗い雰囲気なのだという先入観がありました。
ですが、実際に見学をして、予想以上に明るい雰囲気なのに、まずびっくりしました。
また、地元の小学校との交流も定期的に行われているということを聞きました。
少しですが授業の様子を見学させてもらうこともでき、個々に応じたカリキュラムが組まれているのだなぁと感じました。
養護学校のいいところは、発達レベルに合わせて、学習のカリキュラムをくみ、将来社会に出たときのために『自立』に重点を置いて教育をしてくれるところです。
一方、特殊学級のいいところは、居住地域とのつながりができ、同年代の健常児との交流が密に出来るところです。
環境にはそれぞれ一長一短があり、親の考え方や本人の発達度合いなどによって、どこに重点を置くかで選択が変わってきます。
一般に小学校の特殊級は地域によって、学校によって受け入れ態勢に大きな差があります。
この地域の特殊級は、『障害児』といってももっと程度が軽い子供たちのようでした。
授業内容を見ていると、普通級の授業内容をわかりやすく簡単にしたようなものでした。
他人との意思の疎通が出来ないKANAにとってはかなりレベルが高いものだと感じました。
受け入れ態勢もあまり整っていないようで、親の付添いが必要になったりするということも聞き、これはKANAにとっても養護学校のほうがいいのかもしれないと考えるようになりました。
KANAは健常児と一緒の保育園に通いましたが、KANAの発達段階では周囲の子を『お友達』と認識はしていないと思います。
誰かいるなぁ、位の認識はあるのでしょうが、個々を明確に識別したりは、まだしていないものと思います
もちろん周りのお友達は『KANAちゃん』のことを知ってくれてはいますが…
特殊級に入れれば、同じ学校には今の保育園のお友達がたくさんいます。
でも、今のKANAには、特殊級に入れて健常児との交流をさせることにはあまり大きな意味を感じません。むしろ、同じ発達レベルの子の中に入れる方が、大きな刺激を受けるのではないかと思いました。
秋になって、養護学校で『体験学習会』が開かれました。
KANAも保育園の担任の先生と一緒に参加しました。私も見学させてもらいました。
KANAは初めて行った場所だったにも関わらず、リラックスして非常にご機嫌でした。
KANAにとっては珍しいことです。
KANAのレベルに合ったクラスで体験学習をさせてもらったのですが、この日は粘土細工でした。
KANAにも、少しの手助けで出来るくらいの易しい内容だったため、楽しめたのだと思います。
この日の様子を見て、やっぱり養護学校がいいのかなという思いが更に強くなりました。
その後、教育委員会による「就学教育相談」などを経て、年末には正式に養護学校への入学を決めました。
年が明けて2月には、入学を前提とした入学相談会、半日入学、そして入学説明会などに参加しました。

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【保育園の頃のKANA】
5歳の夏から保育園でも自宅でも、トイレトレーニングを始めました。
チビkanaが2歳半になり、そろそろ始めようかと考えていたので、この機会に1度KANAも頑張ってみようと保育園の先生とも相談した結果です。
ですが、KANAのおむつはずしへの道はまだまだ遠そうです。何とか就学までに取れればいいなあと思っていたのですが機能的に無理がありました。
真夏の間は、洗濯物が増えるのを覚悟の上で、普通の綿パンツでトイレトレーニングをしていました。
でも、KANAは濡れても全く不快感を感じないようです。
間隔も1時間あくかあかないか、といったところでした。
秋になり寒くなると、布おむつとトレーニングパンツ、紙おむつをフル活用して、何とか『濡れる=気持ち悪い』という感覚をわかってもらおうとしました。
あせっても無駄なのは分かっていましたので、いつか取れればいいなぁくらいの軽い気持ちでトレーニングは進めていました。
KANAは、まだ日常生活全般に全介助が必要でした。
着替えや食事もひとりでするのは難しいです。
それでも保育園では、少しづつ自分でやっていたようなのですが、家では甘えもあるのかやってもらえると思っているのか、なかなか出来ませんでした。
年長の秋ごろになって保育園で使う上靴が自分ではけるようになりました。
自分の靴箱の場所も覚えて、靴を入れ替えるということも出来るようになりました。
KANAにとってはまた1歩成長です。
言葉もなかなか出てきません。声もまだほとんど出しません。
言葉に関しては、療育の先生からは、「ああしたい、こうしたい」という欲求が生まれ、それを他人に伝える必要性が出て、初めて出てくるものだといわれました。
KANAの場合は、まだまだその欲求の部分が希薄でした。
でも「しゃべりなさい」と言ってしゃべれるようになるものでもないので、じっくり待つしかありません。
ただ、KANAの考えていることや意思が親の私にも伝わりにくいので困ることはありました。体調の悪いときなど、どこがどう悪いのか、言ってくれればいいなぁと思うことはありました。

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【卒園式を終えた時の思い】
2006年(平成18年)3月、無事に卒園式を迎え2年間の保育園生活が終わりました。
2年前の4月、どうなることかと不安に思いながら、はじめての集団生活に入りました。
健常児のお友達の中での集団生活…
当時のKANAは同年代の子供が本当に苦手でした。大人なら、男女問わず、はじめて会う人でも全く問題なかったのに…
お友達がちょっと触れただけでも、振り払ってしまうなど拒否反応を起こしていました。
2年間、KANAに専任で付いてくださった加配のS先生。はじめのうちはずっと抱っこされていました。
でも、いつもそばにいてくれる大人の存在があったためか、泣くこともせずに毎日通うことが出来ました。
初めての給食も午睡もすんなりと受け入れたKANA。
適応力があるというよりも…『自宅ではない』ということ、『親が近くにいない』ということ…などの理解をしていなかったのではないか…と思うくらいです。かえってこちらが拍子抜けしてしまいました。
先生も…『KANAちゃんはいつ泣くんだろう…』と思ったそうです。
遠足の時もお散歩の時も、いつも乳児用のバギーに乗せてもらっていた年中時の頃。
歩くのもゆっくりで、長い距離も歩けませんでした。
先生に抱っこばかりされていたのではないかと思います。
それでも…なのか、それだから…なのか…KANAの周りにはお友達がたくさんいました。
珍しさもあったのでしょう。女の子の中には、何から何までお世話をしてくれたりした子もいました。
そういった中で…KANAも少しずつ同年代の子供たちの中にいることに慣れていったようです。
1年たって、年長児になった頃。
加配のS先生に継続してついてもらえたためか、教室が変わっても比較的平気だったKANA。
ただ、年長児のお部屋は2階にあって、階段が難関でした。
気が向いたら自分で昇り降りはしましたが、抱っこで移動したことも多々ありました。それは結局卒園まで続きました。
でも、年長児になった頃にはKANAも『自分の先生』『自分のお部屋』の認識は出来ていたようで、年長児になってしばらくの間は、サッサと年中の時の部屋に入って行ってしまったこともありました。
他の先生に抱っこされていても、S先生を見たらそちらに手を伸ばしたりもしました。
お友達との関わりも随分でてきて、手をつないで歩いたり、抱きつかれてもニコニコとしていたりという場面が見られるようにもなりました。
運動会・発表会をはじめとして、色々な面でお友達の手助けを受けながら、KANAはKANAに出来ることをやってきました。
歩く力もついてきて、お友達と同じスピードでは無理でも、ゆっくりながらお散歩も全部歩けるようになってきました。
しゃべることは出来ないKANAですが、ニコニコと無邪気な笑顔は周りの先生やお友達まで笑顔にしてしまう…と先生に言っていただきました。
言葉を発しないKANAだからこそ…なのかもしれません。
卒園式後に聞いた話。
S先生は、KANAが入園した年の春、KANAの保育園に他の園から移ってきたそうです。そして、『障害児を持ってみたい』と希望を出してKANAにつくことになったそうです。
まだ、若い先生です。KANAが何かしらのお手伝いが出来たのなら、うれしいです。
健常児の中で過ごした2年間。KANAが受け取ったものは大きかったです。
そしてKANAが健常児のお友達に何かを教えることが出来たのであれば、普通の保育園に通わせた価値もあったかなぁと思います。
4月からは障害児の集団生活に入るKANA。施設に通園したこともないKANAには全くの初体験です。
また新たな刺激をたくさん受けてくれるものと思います。
KANAを受け入れてくれた保育園とかわいがってくれた先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、同じ歳のお友達だけでなく、年中さんも年少さんも、もっと小さな乳児さんも、『KANAちゃん』を知ってくれて声をかけてくれる子はたくさんいました。
そのためでしょうか、正直、私には記憶のない保護者の方に『KANAちゃんおはよう』と声をかけてもらったこともあります。
皆にかわいがってもらったのだなぁと改めて思います。

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