「ふぅ」
いろいろ詰め込んだボストンバックのジッパーを閉めた。

まったく何もなくなった部屋。
今まで自分が住んでいた部屋。

その何もなくなった部屋を見渡して、あたしはようやくこの地を離れることを認識できたのかもしれない。

「………あ、」

と、
窓につけっぱなしになっていたカーテンが視界に入る。
うっかり忘れていた。こんな大事なものなのに。

あたしはボストンバッグを床に置いたまま窓の傍に歩み寄った。
カーテンに触れてそっと裾を持ち上げて見ると、懐かしい匂いがした気がした。

窓の外には、

赤い夕日に照らされる街と雲の景色が拡がっていた。

「ふぅ………」

なんとなくカーテンをはずすのは止めた。
コレは向こうには持っていけない。
別に持っていけない訳じゃない。持って行きたくないというのが正解だろう。
だってコレはあの子がくれたものだから。あの人の所になんて持っていけるわけがない………。

あたしはカーテンをそのまま閉じて。ボストンバッグを担ぎ上げると玄関に向かって歩き始めた。

もうこの国ともお別れなんだ。
あたしはゆっくりと玄関で履き慣れたスニーカーを履く。
この玄関の扉を開いてしまえば、
もうここに戻ることは無い。

この国を離れるということより。あの子に未練があった。

すっと手を伸ばしてドアノブを掴んで、扉を押し開いた。

「きゃっ、」

でも開こうとを思った扉が何かにぶつかった。
と同時に聞き覚えのある声が聞こえて。

扉が開くと見覚えのある顔が目に入った。

「………こんの?」
「、あ。ごとーさん。あの…えっと、……お見送りに、来ました……。」

あたしの未練。
その子が居た。

雪の華。-きっと何度でも-


自分のマンションから大通りまで、
あたしは紺野と並んで歩いていた。
ただ、少しあたしと紺野の間にある距離が少し、遠く感じた。

「紺野………」
「はい?」
「………怒ってる?」
「……何がですか?」

"あたしがあなたから離れることを………"

「や、何でもない………」

言おうとしたけど止めた。
紺野があたしのために我慢してくれているように見えた。

あたしにはあの人と紺野とどっちが大切なのか。
あたしにはあの人と紺野とどっちが必要なのか。

既にあたしは分からなくなっていた。
だから。

だからあたしは紺野を置いてこの国を離れようとしているんだろう。

さっきまで見えていた夕焼け空も、ゆっくりと雲行きが怪しくなってきている様なそんな気さえした。

――――――――――――――――――――――――――――――
『ねぇ………』
『何?ごっちん』
『どうしても………行っちゃうの?』
『ごっちん………』
『あたし………あたし離れたくないよ。ずっと、ずっといっしょに居たい』
『ごっちん泣かないで。ごっちんの泣く顔だけは見たくないんだ。』
『じゃあ行かないでよ………いっしょに居れないのはヤダよ………』

――――――――――――――――――――――――――――――

大通りまで来たが中々タクシーは通らない。
その間にもゆっくりと空は淀みを増して雲が早く速く流れていく。
あたしと紺野の間にも会話は無くて気まずさだけがあたしたちの周りを埋め尽くしていた。

なんであたしは紺野に話しかけることが出来ないんだろう?
なんであたしはココを離れるんだろう?

なんであたしは―――――。

「あ、後藤さんタクシー来ました」
「、あ。うん」

あたしは紺野の声に気が付いてタクシーを止めようと手を上げた。

タクシーは目の前の道路に止まって後部座席のドアを開けた。
あたしはボストンバックに気を使いながらタクシーに乗り込む。

ボストンバックを奥に置いてバッグの左に自分が座った。
運転手の「閉めますよ」と言う声が聞こえてドアが閉まった。
窓の閉じているドアが閉まって。

あたしから見える紺野にはガラスのフィルタが掛かった。

「どちらまで?」

その瞬間は本当に運転手の声も聞こえていなかったのだろう。

どこか紺野が悲しげな顔をしているような気がして。
でも自分のせいだとは思わなくて。

なぜかその表情に見とれていた。

「どちらまで?」
「え、あ。えっと………」

やっとあたしは運転手の声に気づいて、行き先の空港を告げようとした。

でも、さっきの悲しげな紺野の表情が気にかかって。あたしはもう一度窓のドアの向こうに居る紺野を見た。

「あの、どちらまで行くんですか?」
「すいません。窓開けて貰えますか?」

疑問に大して疑問で返したのは間違いなく可笑しかっただろう。
でもあたしはなぜか紺野に話しかけたかった。

運転手はあきれた様な顔をしていたと思う。でもゆっくりと窓が下がっていった。

「あ、紺野………」
「はい?なんですか?」

窓が開いたことに反応して窓の傍に来る紺野。
でもあたしは紺野に何を言っていいかわからなくて………。

「後藤さん?」
「あ、あのさ。」

―――――なんであたしは―――――。

「空港まで見送りに来ない?」

―――――なんであたしは――――あの人について行こうとしたのだろう?

――――――――――――――――――――――――――――――

紺野が後部座席のあたしの左側に乗り込んでようやくタクシーは空港に向かって走り出した。
けど紺野との会話なんて無くて。
一人で乗るより空気は重かった。

ずっと窓の外を眺めて時間をつぶして。
高速に乗った頃だった。

「後藤さん」
「ん?なに?」

紺野があたしの目を見て。あたしに言う。

「聞きたいことがあるんです」

ドクンと心臓が鳴る。
聞かれるような事。紺野が知りたがってるようなことなんて山ほどあるだろう。
今の今まで聞かれなかったことのほうがおかしい位だ。

「なに?」

―――『ごっちん!』

―――『え?』

―――『ごっちん。迎えに来たよ』

―――『なっち?』

「あの安倍さんという人との事、です………」

――――――――――――――――――――――――――――――

今思い出しても。映画みたいな劇的な出会いをしたわけじゃない。
特に好きになるようなことだって無かった。

いつの間にか。いつもいっしょに居た。
なっちとはただそれだけだった。

あたしが中学生で、なっちが高校生で。
食堂で正面だったのが初めて。
ただなんとなくなっちのことを見ていて。何気ないことを話しかけて。
携帯番号を交換して。メルアドを交換して。

いつの間にか。いつの間にか。


でも別れは劇的だったのかもしれない。
なっちの両親の都合でなっちは日本を離れることになった。

『ねぇ………』
『何?ごっちん』
スーツケースに荷物を詰めているなっちはあたしの呼ぶ声にこたえてこっちを向いた。

『どうしても………行っちゃうの?』
『ごっちん………』
『あたし………あたし離れたくないよ。ずっと、ずっといっしょに居たい』
あたしはなっちに泣きついて。
このまま時間が止まればいいとさえ思った。

『ごっちん泣かないで。ごっちんの泣く顔だけは見たくないんだ。』
『じゃあ行かないでよ………いっしょに居れないのはヤダよ………』
あたしはそのとき。
なっちさえ居れば何も要らないと思っていた。

でも、なっちを止めることはできなくて。
なっちは結局。遠い国へ旅立ってしまった。

――――――――――――――――――――――――――――――

「………あんまり。恋人とかそんな感じじゃなかったのかもしれないね」
「後藤さん……」
「あたしが一人で、なっちを恋人だと思い込んで。でもなっちは離れて行った」

タクシーは高速を降りて。空港までの残りわずかな道を走っていた。

なっちはあたしのことを友達以上恋人未満にしか思っていなかったのかもしれない。
だからあたしから離れていったのかも知れない。

なのに。なのに今さら。

なっちは何で今頃あたしを迎えに来たの?
あたしには紺野がいる。

でも。

なっちと紺野。
どっちが大切なのかわからない。

いつか追いかけても届かなかったなっち。
今自分についてきてくれている紺野。

どちらが大切なのか………。

――――――――――――――――――――――――――――――

街を紺野と歩いていた。
そんな時偶然。あたしの家に向かおうとしていたなっちと再開した。

『ごっちん!』
『え?』
前から歩いてきたなっちにあたしは最初気づかずに居た。
でも名前を呼ばれてその人の方を向くとその人はなっちだった。

『ごっちん。迎えに来たよ』
『なっち?』

『二年前に一人で置いてきてごめん。今度は。向こうでいっしょに暮らそう?』

―――あのときからあたしは自分の感情が良くわからない。

―――あたしには誰が必要なのか。
―――あたしは誰が好きなのか。

―――何も分からないようになっていた。

――――――――――――――――――――――――――――――

「後藤さん?後藤さん着きましたよ」
「。あぁ、うん」

空港に着いたことにやっと気づいてあたしは運転手にお金を払った。
タクシーから降りてふと紺野のほうを見た。
あたしの視線に気づいた紺野と目が合う。
紺野が「なんですか?」とでも言いたげな顔をしていたのであたしは「何でもない」とだけ行って空港の中に進んだ。

「一番大きい電光掲示板か………」
以前連絡を取った時に指定した待ち合わせ場所。
「あ、後藤さんあれじゃないですか?」

紺野が指差したロビーのほぼ端にある電光掲示板。確かに一番大きいような気がする。とりあえずそこへ行ってみた。

「あ。ごっちん!」

その電光掲示板に向かう途中右側の方から声をかけられた。
「なっち……」
「………来てくれたんだね。嬉しい」
「なんで?あたしが来ないとでも思ったの?」
「ん、まぁね。そんなとこ」

二年前別れた時と見た目何も変わっていないなっち。
妙に懐かしい気持ちになった。

「ん?見送り?」
なっちが紺野に気づいて聞いた。
「そーだよ」
「こんにちは。紺野ちゃんだっけ?」
「あ、はい紺野です。こんにちは」

あたしは電光掲示板を見上げ、これから自分が行くべき場所を再確認した。
もう後戻りは出来ない。

ロビーの向こうに見えるゲートをくぐってしまえば。もう戻れない。

「ごっちん?荷物預けたら?」
「ん、いいよ。軽いし手荷物で。」
「そか………じゃあそろそろ行こっか?」
「………行こうか。あ、紺野」

出発しようかというときに紺野に呼びかけた。
あたしはポケットから財布とお金を取り出す。

「はい、帰りのタクシー代」
「えぇっ!そんな、悪いですよ!」
「なんでさ。あたしが勝手に連れてきたも同然なんだから。それに歩きじゃ帰れないでしょ?」
「えっと、それは………そうですけど」
「じゃあバス代でも電車賃でも何でもいいから。ほら」
あたしは紺野の左手にお金を握らせて手を離す。
紺野は仕方なしにそれを受け取った。

「じゃあ。行くね?」
「はい。いってらっしゃい」

紺野に見送られてあたしはすぐに後ろを向いた。
そのせいで。



―――紺野が悲しい顔をしていたなんて気づかなかった。

――――――――――――――――――――――――――――――

「ふぅ………」
持っていた手荷物のボストンバッグを棚に置いてあたしは窓際の椅子に座った。
隣の席にはなっち。その向こうは通路。
なっちの顔をみるとやたらニコニコしている。「なに?」と聞いてみたら「なんかすっごい嬉しくって」となっちは答えた。

「……ふぅ」
バタンと背もたれに体を預けて体の力を抜いた。
……もうすぐ飛行機が出る。あたしは左に首を向けて窓の外に意識を向ける。

―――今頃あの子がどこかでこの飛行機を見てるんだろうな………。

―――本当に。コレでイイのかな?

「なっち、二年前本当はごっちんも連れて行きたかったんだよ?」

急になっちが話し始めた。ニコニコした表情のまま。どこか昔を懐かしむように話した。
「ごっちんに泣きつかれちゃってさ。ごっちんを連れて行ければどれだけ心が楽なんだろうって思った。でも」

天井を見上げていたなっちがあたしのほうに向き直る。
「なっちはあの時本当に大事なことが何なのか分かっていなかったんだ」

―――なっちはあたしのことをどう思っているんだろう?

―――恋人?妹?それとも泣いていたあたしに同情してるだけ?

―――なっちは………何であたしを連れて行こうとするの?

――――――――――――――――――――――――――――――

『『痛っ』』

『あ、すいません!』

『や、こっちもボーっとしてたし。大丈夫?』

『はい、大丈夫で…痛っ』

『大丈夫じゃないじゃん。足腫れてるし。保健室先生居たと思うから見てもらいなよ』

『はい、そうします………、なんですか?』

『おぶって行って上げるよ。あたしにも責任あるし』

『えぇっ!そんな。い、いいですよ。ご迷惑ですし………』

『今さら迷惑でもないよ。ほら』



『あ、後藤さん』

『あ、紺野。どした?』

『あの、友達から遊園地の優待券もらって………あの、その………良かったら一緒にと思いまして、その………』

『ふーん、ごとーを誘ってくれるんだ。ごとーでよければお供しますよ。お姫様』

『ご、ごとーさんっ。そういう呼び方止めてくださいよ』

『あはは。紺野テレてる!かわいー!』

『ごとーさん!からかわないでください!』



『カーテン?』

『はい。自分で作ったんです。後藤さんの誕生日にと思って』

『ありがと。すっごい嬉しい。』

『こ、こちらこそ、喜んでもらえて嬉しいです!』

『んーと、じゃあそこの窓カーテン無いし、そこつけていい?』

『はい!どこでも。』

――――――――――――――――――――――――――――――

「―――――航空をご利用頂きまして、誠にありがとうございます。」

「もう出発の時間?」

「うん。もうすぐだよ。後20分くらいかな」
なっちは腕時計を確認しながら言った。

機内には英語のアナウンスと日本語のアナウンスが交互に流れ機内のイロイロな説明をしているようだ。

もう何も考えないようにしよう。今から何があったとしても。もう後戻りなんて出来ないんだから。
何も考えなければ、何も思うこともない。

―――――後悔する事だって無い………。


「ごっちん、後悔しない?」

ドクン。
また力強く心臓が高鳴った。

「なっちと一緒に行って。ごっちん後悔しない?」
「なんで?」

ドクン。

何であたしが後悔なんてするの?

ドクン。

「紺野ちゃんって子の事。あの子ごっちん見送るときにすごくさびしそうな顔してた。」

ドクン。
紺野の事で?


「あの子。昔のごっちんと同じ。止めたくても止められなかったんだよ」

止めたくても止められなかった?
あの時のあたしと同じ?
寂しくて、辛くて、でも紺野はあたしに何も言わなかったの?

「そして今のごっちんは………」

―――――今のあたしは?―――――



ドクン!







―――――昔のなっちと同じ。―――――



――――――――――――――――――――――――――――――

「はぁ………」

とうとう後藤さんは行ってしまった。
金網の向こうで後藤さんが乗ってる便が飛び立っていった。

なんで自分は後藤さんを止めようとしなかったんだろう。
何故自分は何も言わなかったんだろう。

もうすべてが手遅れ。

携帯も通じなければメールも届かない。
話す手段が何も無い。

止める事も出来ない。

とぼとぼ歩き出して私は空港を後にした。
後藤さんにもらったお金を使ってタクシーに乗ろうとした。

でもなんとなくタクシーには乗る気がしなくて、バスを選んだ。

家に帰る頃には何時ごろになるだろう。

でも今日は遅くなってもかまわない。元々一人暮らしのアパートなんだし。
帰りを待ってくれてる人だっていない。

後藤さんがいなくなってようやく。私は一人なんだと思い知らされた………。

――――――――――――――――――――――――――――――

『後藤さん次何乗りますか?』
『………紺野さぁ〜。さっきから何乗りますか何乗りますかって。紺野が乗りたい奴とかないの?』

『え、でも。後藤さんが乗りたい物でいいかなって』
『じゃああたしが観覧車が良いって言って二人で観覧車乗って中であたしになんかされても言い訳?』
『えぇっ!?』

『じゃあ観覧車行こっか?』

急にニコニコしだした後藤さんに手を引かれる。
『えぇっ!ちょ!ご、ごとーさん!』

あたしが少し大きな声を出すと後藤さんはすぐに立ち止まった。
なぜかニヤニヤしながら私のほうを見て。

『あたし観覧車行こうとは言ったけどなんかするなんて言ってないよ?紺野は何を考えたのかな〜』

う………。遊ばれてる。
自分でも顔が紅潮していくのが分かった。顔が熱い。

『アハハ。冗談だって。なんもしないから観覧車乗ろ』

照れ隠しに顔を下に向けてみるも恥ずかしさなんて消えない。
後藤さんに手を引かれるまま観覧車のほうへ進んでいった。

そのなんとなく乗った観覧車。

ほんの数分後にそんなことになろうなんて思っても見なかった。

『止まった?』
『止まったみたいですね………』

自分たちが一番上に来たところでガクンと音が鳴って観覧車が停止した。

『マジ?』
『マジ………みたいですね』

観覧車が止まる理由って、閉園時間と……車椅子の人が乗るときと、故障したとき?
でもまだ閉園時間じゃないし車椅子の人が乗ってくるならアナウンスが流れるはずだし………。

『マジで〜、まだ時間じゃないじゃーん』
『故障……かなぁ』

一番上で停止しても止まってる景色はあんまり楽しくない。
なんか観覧車入り口には人が溜まり始めてる気がする。



『十分くらい経ったかな』
『余裕で経ちましたね…』
『いつになったら動くんだろ』
『わかりませんね』

十分経っても観覧車停止の時から外の風景はまったく動いていない。

『もーいーや。紺野膝貸して』
『え?えぇっ!?』

後藤さんが急に横になってあたしの膝に頭を乗せる。いわゆる膝枕。

『紺野のヒザきもちー。じゃ、動いたら起こしてね………』
『ちょっ!ごとーさん?』

『………』

『寝ちゃった。』


結構な時間が経ったと思う。時計を確認したくても携帯はジーンズのポケットの中。
でも後藤さんが寝てるから取り出せない。

かなりの時間が経って、
いつの間にか空はドンドン曇り始めていた。
雨が降らなければいいんだけど……。

『あ………』

観覧車の窓から見える白い景色。
大きな白いつぶがふんわりと落ちて行く。

『後藤さん。後藤さん。』

『んぁ?どこここ?』

肩を揺らして起こすと後藤さんは寝ぼけているのかここがどこか分からない様子。
私は立ち上がって後藤さんの手を取る。
『観覧車の中ですよ。それより外見てくださいよ』

『外ぉ?』
後藤さんは前髪をかき上げると私の居る方向とは反対側の外を見る。

『おぉ。雪だぁ』

空から降るぼたん雪。積もりそうなほどに良く降っている。
灯り始めた街の明かりに照らされて輝きを放つ雪。

今までに見たことの無い雪景色。

『きれい………』

二人して窓の前に並んで外を見る。

『ん?こーゆーときは"紺野の方が綺麗だよ"とか言った方が良いの?』

『ごとーさん……今だけは本気にしちゃいますよ』
『あたしは本気のつもりだけどなぁ』

イルミネーションに輝く雪の華。
雪をバックに見つめあう私と後藤さん。
私は後藤さんに手を取られ。ゆっくりと身体が近づく。

停止した観覧車。
降る雪。

『大好きだよ紺野……』

最上階の観覧車で。



―――――私たちは初めてキスをした。―――――



――――――――――――――――――――――――――――――

「―――――客さん、お客さん。もう終点ですよ」
「………え?……」

周りを見ると駅員のような格好をした中年男性が私に声を掛けていた。
バスに揺られていつの間にか眠っていたらしい。

とりあえずバス料金だけを払ってバスを降りた。
外は真っ暗。
空港を出た時間とバスに揺られた時間とを考えると二時間ほど眠っていたみたいで。


知らない場所ではない。
でも歩きでアパートまでは少し遠い。
かと言って後藤さんに貰ったお金を使う気にはなれなかった。
後藤さんに貰った最後の物。それを手放す気はなかった。

タクシーを使えばホンの数分なんだろうけど、あいにく手持ちがあまり無い。
少し時間が掛かるけど歩くことにしよう。30分もあれば帰れるはずだ。

「ふぅ………」

妙に現実感が無い。
バスで眠っていたせいもあるのだろうけれど。
後藤さんが海外へ行ってしまったということを分かってはいるけど、呼べばどこからか出てきそうな気がしてならない。

赤信号。
待つ間にと携帯電話を取り出した。
電話帳機能。かきくけこの行の最後のほう。「後藤さん」と登録されてる番号を呼び出した。
後藤さんが居なくなった。それが夢ならば良いのに。
そんな願いを込めて私はコールボタンを押した。

『この電話は。現在使われておりません』

機械音声がすべて現実であることを私に認識させる。
同時に淡い希望のすべてを否定した。

信号が変わる。事実に呆然とはしなかった。
後藤さんは自分より昔の恋人を選んだ。ただそれだけなのだから。

信号が赤に戻ってしまう前に再び歩き出した。

『あ、名前ね。後藤真希だよ』

『紺野いる〜?』

『こ〜んの〜』

『遊びにいこーよー』

『紺野って好きな子いるの?』

『紺野ってさ〜』

『紺野かわいー』

『こんの〜♪』


思い起こせば後藤さんの思い出ばかり。

街灯の燈の色に頬を伝う熱いものが反射する。
手の甲でいくらぬぐっても。とめどなく涙は流れた。

「ご、と……さん………」

どんなに名前を呼んでも、どんなに泣いても。
後藤さんが私の名前を呼んでくれることは無い。
もう傍に後藤さんは居ないから。

「ごとー、さん………」

『大好きだよ紺野……』

いつか聞いた言葉さえ悲しい。
いつか聞いた言葉さえ寂しい。
二度と聞けない声だからこそ余計。

涙を振り払おうと私は走り出した。
帰って。一人の家にだけれど、もうすべてを忘れたかった。

暖かい布団に包まって、何も考えなければ何も寂しいことなんて無い。
ただ忘れたかった。

記憶なんてあっても。寂しいだけだから………。

そう言い聞かせて走り続けた。
寒いせいで汗はほとんどかかない。
走って走って、ようやく自分の住むアパートが見えた。

「はぁ……はぁ…………はぁ、」

走ってるうちに涙もいくらか乾いた。
もう早く眠ってしまいたい。
何もかも忘れて………。

カンカンと音を立ててアパートの階段をあがる。
いつまで経ってもこの金属音はうるさい。
夜寝ているときでも外からすごく響く。
だから私はあまり夜外へは出ない。ご近所迷惑にすらなりかねないから。

カン、カン。

二階に上がってすぐのところが私の部屋。
階段を上がりながらかばんから鍵を取り出す。





―――――カン!………カン、カン……カンカン。




鍵を落としてしまった。
丁度階段を上りきったところだった。階段をはねて大きな音を立てながら鍵落ちていった。

きっと今の私の立場なら誰でも鍵を落としただろう。
居るはずが無いのに。
なぜかその人はそこに居た。



「こんの……」

私の部屋の前に座っていた人が立ち上がった。
吐く息は白く変わって、私とその人に挟まれた空間に消えていく。

「忘れ物しちゃったから戻ってきちゃったよ。」

私の好きなその笑顔を見せながらそういった。
それは紛れも無く後藤さんだった。

「ごとぉさん………」

「………おいで、」

「ごとーさん!!」

私はまた泣いて、後藤さんに抱きしめてもらった。
涙は流したけど、さっきの涙とはぜんぜん意味が違った。

後藤さんが戻ってきた事が嬉しくて。
抱きしめて貰えることが嬉しくて。
名前を呼んでもらえることが嬉しかった。

「こんの……ずっとあたし考えてたんだ。なっちが戻って来たときから。
 あたしには誰が必要なのか。あたしは本当は誰が好きなのかって、」

「わたしも色々考えました。後藤さんを何で止めなかったのか。何で自分の思いを伝えなかったのか。」

後藤さんは優しく腕を解いて、いつかの時のように私の手を取った。

「コレがあたしの選んだ答え………あたしには紺野が必要だから」

後藤さんとの距離が縮まる。コレもあの時と同じように。

「大好きだよ紺野。」

「私もです。ごとーさん」

私たちは二度と出来ないと思っていたキスをした。

長く、長く、長く………。

曇り始めていた空は、いつかの時と同じ雪の華を降らせ始めていた。
止まっていた観覧車。舞い降りる雪の華。

すべてがあの時と同じ。

いや。

あの時よりも、私も後藤さんも少し。成長した。

きっとこれから何度も後藤さんを抱きしめて。何度も後藤さんに触れて。後藤さんの名前を呼ぶ。

そして私は何度も後藤さんに抱きしめられて。後藤さんに触れられて。後藤さんに名前を呼ばれる。

それは幾度と無く。数えることが出来ないほどに。

きっと私たちはもう離れることはない。

離れたとしてもキットまた元に戻る。

ホンの少し話すことが出来なくなっても。触れることが出来なくなっても。抱きしめることが出来なくなっても。

止まった観覧車だっていつかは動き出す。

そしてまた名を呼んで。触れて。抱きしめる。

数え切れないほど………。

寒空に舞い降りる雪の華のように………。

何度でも。

何度でも………。


END
―――――――――――――――――――――――――

〜epilogue〜

「そして今のごっちんは………昔のなっちと同じ。」

―――――あたしは昔のなっちと同じ?

―――――なっちはあたしを連れて行きたかったって………。

―――――あたしは………紺野と離れたくないの?

―――――あたしは大事なものが何か分かっていない………。

―――――なっちは後悔したの?

―――――あたしを連れて行かなくてなっちは後悔したの?

―――――あの時のあたしは後悔したのかな?

―――――あの時のあたしは今の紺野。

―――――あの時のなっちは今のあたし。

―――――誰も離れたくなかったんだ。

―――――あたしは………紺野と離れたくないよ。―――――




「時間通りに飛ばないもんなんだよね飛行機って………」

「なっち………。」

「………なに?」

「あたし忘れ物しちゃった。」

「忘れ物?」

「うん。すごく大事なもの。それが無くちゃあたし生きていけないかもしれない。」

「そか、分かったよ。戻ってあげな。」

「うん」

あたしはようやく決心が付いた。

棚の上の荷物を引っ張り出して外へ出ようとなっちの前を通って通路にでた。

「ごっちん!」

名前を呼ばれて振り返る。
なっちはやっぱりニコニコしている。

「なっち本当はごっちんをつれて帰る気なんて無かった。紺野ちゃんと二人で歩いてるところ見たら
 『あぁ、もうなっちは要らないんだな』って思った。ケジメだけつけて帰ろうと思った。
 でも、紺野ちゃんが羨ましくてさ。ごっちんの傍にいられる紺野ちゃんが。
 ごっちんと手をつないで歩く紺野ちゃんが羨ましくてさ。ちょっと紺野ちゃんにイジワルした。
 でも、ごっちんはやっぱり紺野ちゃんを選んだ。なっちはごっちんには後悔させたくないし。
 コレでよかったんだよ?だから、―――――」

なっちはニコニコしたまま話していた。
でも、どこか悲しそうで。

でも笑っていた。

「だからごっちんは紺野ちゃんの所に帰ってあげて、二人で幸せにね」

なっちは泣いていたのかも知れない。
あたしはスグに飛行機を降りてしまったから分からないけど。

でも、
なっちはあのときからずっと後藤のことを忘れずにいてくれたんだ。

あたしは紺野を好きになってしまったけど、
きっとなっちにもあたしなんかよりふさわしい人が現れると思う。

今度なっちに手紙を書こう。

「今までありがとう。」

って。

じゃあ………あたしは紺野に会いに行くよ。

泣き虫な後藤のお姫様に。

きっと泣いてると思う。

あの頃のあたしと同じ紺野なら。

きっと泣いてると思う。

だからあたしの胸の中で思う存分泣かせてあげるよ。

悲しい涙を嬉しい涙に変えて………。

END

――――――――――――――――――――――――――――――

あ〜もとやま様お待たせしました(ぇ
色々コンセントレーション保てず長々と引きずってしまいました(マテ

とりあえず紺野ちゃん鍵拾おう(ぇ

最後のepilogueは何故ごっちんが来たのか分からんっぽいから追加(激マテ