『あたしなら構いませんから!!飲んでください!!』
『嫌だよ………もう、早く………人間になりたい………』
『だって!………そのままじゃ後藤さんが死んじゃう!!』
『なんか、あれだね………自分でもびっくりした。………誰かを想って、流せる涙が……あたしにもあったなんて』
『後藤さん、お願いです………』
『あたしは………化け物じゃないよね?………このまま死ぬ事が出来たら………あたしは人間として死ねるよね?』
何年か振りに夢を見た。
あたしと、知らない誰かがいて。
あたしとその子は泣いていた。
その夢の中で話した内容なんかは覚えてないけど、
ただ。
その子の泣き顔だけは、妙に心に焼き付いていた。
その子のバックに写る背景は、
真っ黒い、雲ひとつ無い夜空と明るい月。
下弦の月だった。
A Crescent Moon.-もしもあたしが人間だったら-
世間では8月を真夏と呼ぶ。
人間にとっては穏やかに暮らし辛い季節らしい。
それでもあたしにとってはすごく住みやすい季節。暑いからと言う理由で薄着になり、ターゲットを選びやすくなる。
空を見上げると、輪郭のはっきりとした満月があたしの瞳に届いた。
月明かりが優しくあたしを包み込む。今日は風が強い。雲が流れてきて満月を覆い隠して月明かりが弱くなった。
夜の公園は人が少なかった。この公園はあたしの家の側にある。夜になるとあたしはこの公園にいた。
今日も、ターゲットを選んでいた。
この公園に来てから少し経った。
公園の真ん中のベンチから入り口付近を傍観していると一人の女性が通り過ぎる。
恐らく十代後半か二十代前半。ギリギリか………狙い目だな。
そう感じてあたしはベンチから立ち上がって歩き出した。
すぐに彼女の後ろをついて行く。少し早足で歩いて前を歩く彼女に追いついた。
「あの、すいません」
あたしがそう言葉を発すると目の前の彼女が立ち止まって振り返る。
カラーコンタクトでもはめているのか自然の色なのかは知らないが、少し茶色い瞳には淡い月明かりを光源にあたしの姿を反射させる。
栗色の長い髪、少し離れているたれた眼。それがあたしの姿。見た目は何の変哲も無い人間だ。
「え?なんですか?」
目の前の彼女が発した言葉だ。話しかけられてもあたしは言葉を返さない、意味が無いから。
あたしは、振り返った彼女の首に手を回して抱きついた。
「え?え、あの」
驚いている彼女の首筋に、あたしはゆっくり口付けた。
◇◇◇――――――――――
あたしが唇を離すと目の前の彼女の瞳は虚ろになっていた。
あたしは回していた手をゆっくりと解いた。
その瞬間に彼女はゆっくり地面へと崩れ落ちる。
「ちょっとヤリ過ぎたかな………でも、死にはしないよね」
あたしは唇の辺りに着いた液体を拳でぬぐった。何事も無かったかのようにその場から立ち去る。
長居は無用だった。
普段なら一人をしとめることが出来れば家に帰る。
でもこの頃は違った。
探していた。月明かりの映える雲の晴れている日にはずっと探していた。
夢に出てきた少女。泣き顔しか分からない少女。あたしは、探していた。
◇◇◇――――――――――
「夢が現実になったこと?」
「そー」
同じように夜。淡い月明かりの映える夜。
あたしが縄張りにしているところとは違う公園で。この辺りを縄張りにしている彼女と話をしていた。
彼女の呼び名は美貴。肩に掛かる茶髪と大きな瞳が印象的なあたしの同類だ。
「今まで何度か夢は見た事あるけど、あたしのは全部現実になるんだ。美貴はどうかなぁと思って」
あたしはたまに縄張りを抜けて彼女のいる公園に来る。誰かと話したいときにはココへ来て彼女に話す。
一ヶ月に一回程度だろうけど、面白い人を見つけたときや、ムカツク奴を見つけたとき、季節が変わったときに彼女とは話をしていた。
「美貴の夢も現実になるよ。誰か美味しい人喰べた時とかを夢に見てさー、大体三日以内に現実になるよ」
あたしの質問に美貴はそう答えた。そしてあたしに問う。
「何?なんか美味しそうな人でも夢に見たの?」
美貴はあたしを友達と呼んでくれた。同じ化け物であるあたしを。
だからあたしは美貴に何の隠し事もしない。友達だから。
「泣いてる子を見た。多分、あたしのせいで泣いてる子」
あたしの言葉に美貴は興味を示して眼を輝かせる。
「何ー?ごっちん女の子泣かせるんだー?ひっどいねぇー」
美貴は半分からかう様な口調であたしに言う。冗談だと分かっているからあたしは話を続ける。
「なんかね。………あたしも泣いてたんだよね」
「泣いてたぁ?ごっちんが?」
美貴があたしの顔を覗き込んで聞いてきたのであたしは首を縦に振った。
「ふぅーん。あたし達って泣けるんだね。」
「あ、でも。まだ現実になるって決まったわけじゃないし。」
「何言ってんの、今まで見た夢全部現実になるんだからこれから見る夢も現実になるに決まってるじゃん。」
美貴の言う事は分かる。現実になるという実感もある。
でも、自分が涙を流す事を否定したかった。
あたしは化け物。
涙なんか無い生き物だと思いたかった。
◇◇◇――――――――――
夢を見た日から数日。
満月はうっすら欠けてきている様な気がした。
あたしは自分の縄張りの公園でいつものようにターゲットになる誰かを待ち伏せる。
今日が夢に見た彼女との出会いの日とは思わなかった。
今日の月は夢に見た下弦の月よりも月が欠けていなかったから。
「………いゃあ!止めて下さい!!」
いきなり声が聞こえてきた。
公園の入り口近くの木陰からだ。
あたしの眼は悪いほうではない。どっちかというと良いほうだ。夜でも木陰にいる人の顔が見えるくらい。
声に気が付いてそちらに眼をやって見えたのは、泣き顔じゃなかったけど、夢に見た彼女の困ったような顔だった。
「いいじゃんかよ。送って行くって言ってんだから」
次に聞こえたのはそんな男の声。夏になると変質者が多くなるのか。女の子が肌を露出するせいかな。あたしは思った。
そんな事より彼女の困った顔が眼に焼きついてはなれない。妙な感覚。
夢に出てきた彼女の顔と言い今の顔と言い何故か心に残るような顔。彼女にいったい何があるというのか。
考えても答えが出ないのは分かっている。あたしはいつの間にかその木陰に近づいていた。
「止めてあげれば?彼女嫌がってるよ。」
「ん、なんだお前」
木陰の暗闇にいた男の姿が見える。いかにも軟派な顔した男。いや、こんな木陰で女の子口説いているような奴男じゃないけど。
「こんな人のいないところじゃないと女の子口説けないの?だっさいねぇ」
「………なんだと?」
男の視線から夢の女の子が外れた、あたしは口パクで女の子に「に・げ・て」と伝えた。でも女の子はあたしが何を言いたかったのか伝わらなかった様子。逃げなかった。
「………お前が相手してくれるならこんな女逃がしてもいいんだけど、どう?」
男の気持ちの悪い視線があたしに絡み付いてく。こんな男、気絶させるくらいなら簡単なんだけど、あの子がいる。人に見られてはいけない。
「どうなの?相手してくれんの?」
あたしは彼女の前に回りこんで彼女の視界にあたしの目が映らないようにする。同時に彼女を守る事も出来るはずだ。
………守る?
何であたしが彼女を守らないといけないの?
何か。そんな理由があった?
「どうなんだよ!!」
男の声があたしを思考状態から通常に戻す。
考えても分からない事は分からない。今はこの男をどうにかする事のほうが先決だ。
あたしは頭を切り替えて男にスッと視線をくれてやる。一度『眼』を閉じる。
ゆっくり、瞼を開けて男の目を睨みつけた。
急に男の挙動が変化する。あたしは『眼』で人の目から直接信号を送ることで人を気絶させる事が出来る。
化け物としての、呪われた力だ。
ただこのまま男が倒れれば後ろの子が不審がる。あたしは男に近づいて腹の辺りを殴った。
「がっ」
反射のせいか男が奇声を発する。あたしが身体を引くと男は前に向かって倒れた。
「ふぅー。」
1つため息をつく。
あたしはゆっくり振り返った。
改めて彼女の顔を見る。
クルっとした大きな目。ふっくらした頬。ポニーテールに耳の辺りの髪を下げている。
ファーストインプレッション。イコール可愛い。
その大きな瞳であたしを見つめたまま放心状態になっている彼女はあたしが声を掛けるまであたしを見続けていた。
「大丈夫?」
自然と出た彼女を気遣う言葉だった。
「え?あ、大丈夫です。ありがとうございます、助けてもらって」
あたしの耳には甘い声。まるで心臓を鷲掴みにされたような電撃が体を流れた気がした。
「あ、あの………どうかしました?」
彼女の甘い声が段々とあたしを狂わせる感じがした。
これ以上彼女の声が聞きたくない。妙な感覚だった。
「何でも無い………」
あたしは振り返って彼女から離れるように歩き出した。
彼女が何か言っていたような気がしたけれど、あたしは聞こえない振りをして、公園を出て行った。
次の日。
昨日よりも欠けている下弦の月。
でも夢に見た月よりは未だ欠けている部分が少ない。そんな日。
ここに居ては絶対彼女に会ってしまう事は心のどこかで感じている。でも、あたしは何故かまたこの公園に来ていた。
認めたくは無かったけど。彼女に会いたがっているのかもしれない。
ほら、やっぱり来た。
髪形が昨日と変わっていた。今日は左右で二つにまとめてヘアゴムか何かで縛ってる。可愛いという印象は抜けないけど。
彼女はベンチに座っているあたしに近づいてくると話しかけてきた。
「あの、お隣よろしいですか?」
「……いいよ」
昨日のような甘い声だけど、あたしを狂わせるような感じは無かった。
彼女の座るスペースを空けるようにあたしはベンチの左側に寄った。彼女はあたしの右側に座った。
「あの、昨日はありがとうございました。」
「いいえ、どう致しまして」
あたしはあまり感情のこもらない言葉を返す。何か彼女は普通の人と違う感じがした。別にあたしや美貴と同類のような意味では無いけれど。
「あの、えっと。お名前聞いてもいいですか?」
「………ごとーまき」
名前を隠す理由は無かったので普通に教えた。当然だがこっちだけ言うわけにはいかない。それに彼女の名前も気になっていた。
「アンタは?」
「あ、あたしは紺野です。紺野あさ美です」
コンノアサミ。変わった名前でもないか。
「どんな字?」
「あ、えっと。紺色の『紺』に野原の『野』。と、『あさ』は平仮名で。美しいって書いて『美』です」
紺野あさ美………か。
「あの、ごとーさんの字も聞いていいですか?」
「んぁ、あたしは『後』ろの『藤』に真実の『真』に希望の『希』」
ははは。真なる希望だって。今気付いたけどあたしの親、なんて名前付けたんだよ。こんな化け物に真なる希望か。笑えるよ。すっごい。
「後藤真希さんですか。良い名前ですね。」
心の中で親の事を笑っているあたしに対して彼女は、紺野はそんな事を言った。
「何しにココ来たの?」
なんとなくあたしに会いに来たのではないかと思っていた。自惚れは情けないから一応聞いておきたかった。
「なんとなく………」
彼女ははじめにそう答えた。でも、
「昨日助けてもらって、後藤さんの事カッコいいなぁって思って。次会った時には絶対お礼言おうと思ってて、もしかしたらココに来たら会えるかもと思って来ました。」
「後藤さんに会いたくて来ました」
紺野は言葉を二回に分けて言った。また妙な感覚が身体を支配していく。
いったい何なんだろうこの感覚。彼女の何か声を聞くたびに、身体を何かが通り抜けていく。
その正体が何か全く判らない。
それから数日、彼女が来た日は毎日彼女と話した。
彼女が通っている学校の話や、塾の話、初めてあたしに会ったときも塾の帰りだったそうだ。そんな彼女の話を聞いていた。
でも彼女はあたしの事を詮索する事は無かった。ただ自分のことを話すだけで、あたしには深く入り込んではこなかった。
そう、その日も。同じようにずっと彼女の話を聞いていただけだった。
「じゃあ、あたしそろそろ帰ります。」
いつもと同じぐらいの時間話していた。いつもと同じように帰ると言った紺野。
何故か、あたしは立ち上がって帰ろうとする紺野を引きとめた。
「待って!」
あたしも立ち上がっていた。ほとんど無意識に近かった。
「何ですか?」
紺野が振り返る。相変わらず可愛いという印象は消えない。そのせいだったかも知れない。あたしが自分でも判らない不可解な行動をしたのは。
「え?」
彼女が発した声はあたしが何をするかわからずに驚いたからだと思う。あたしは彼女の頬に手を添えて顔を近づけていた。
「ん、」
あたしが眼を閉じていても彼女は普段から大きな目を見開いていた。
あたしはゆっくり唇を首の辺りに移動させる。
「いやぁ!」
彼女の細い腕があたしを突き飛ばした。
はっきりと聞こえた拒絶の言葉。
その言葉は確実に、あたしの心を揺さぶり、変えた。
あたしの心を動かした。
突き飛ばされた後で考えた。あたしは今紺野に何をした?
今あたしは何をした?
喰べようとしただけならまだ判る。
その前にあたしはいったい何をしたんだ?
紺野に視線を向けると怯えた表情をしていた。
あたしは、人間が嫌がる事をしたの?
突き飛ばされて崩れた姿勢を元に戻してあたしは一歩紺野に近づいた。
あたしが一歩進むと紺野は一歩後ずさる。恐れられてる。紺野に。
あたしは紺野に近づくのをやめた。そして、
「ごめん」
一言誤った。あたしには誤って済む問題かどうかもわかってないけど。
紺野は「あの、いえ」と、曖昧な返事を返して。あたしはその場に残った雰囲気を変えられないままその場所を後にした。
「お、ごっちんじゃん」
「おす」
何日か、あの公園には行かなかった。紺野に会うのが気まずい感じがしたから。
一人で考えても何もわからない。だから、今日は美貴のところに来た。
「ごっちんなんかやつれてない?」
「あ、うん。5日ぐらい人間喰べてない」
「何で?!死んじゃうよ!」
あたしは考えていたんだ。あたしや美貴は普通に人間を喰べているけど、それは良いことなのかどうか。
あたし達は生きるために人間を喰べる。でもあたし達が生きている事に意味はあるのか。それを考えてしまったんだ。
「なんか、この前。多分喰べようとしてただけだと思うんだけど。無意識の内に、あたしその子にキスしてた。美貴はそんな事無い?」
「ん〜。あるよ、なんか他人が恋しかったときとかね。で、何でそれが絶食と関係あるの?」
「………美貴は人間になりたいって思ったこと無い?」
「へ?」
「ホントは、人を喰べるのはいけない事だと思う。だからあたしは拒絶されたと思うんだ。………だから、人間になれたら良いなって思った。」
「もしかしてごっちん、人間が好きになった?」
「………まさか」
「だってそうでしょ。人間になりたい理由なんか人間と一緒に居たいからに決まってるじゃん!それだけ言って違うなんて言わせないよ!」
あたしは、人間と一緒に居たいの?紺野と居たいの?だから人間になりたいの?
「そう、なのかな………」
判っていても理解は出来ない。あたしは所詮化け物。どう足掻いたって人間にはなれやしない。
「でも、美貴も人間になりたいって思ったことあるよ。」
「え?」
「大分前にね。ちょっとだけ思ったことがある、何であたしは人を喰べないと生きていけないんだろうって。
その時に人間だったら人を喰べなくて良いのにって、誰かと一緒に居ることも出来るって思った。」
「………でもあたし達は人間から見れば化け物で、共存することなんか出来ない?」
「そうだよ、多分ね」
あたし達は人間を殺さないように喰べて生きている。そんなことをしなくても良い方法は無いのだろうか?
あたしは紺野に拒絶された。あたしは紺野と生きることはきっと出来ない。
多分。もうすぐあたしの人生は終わりを迎える。
またあの公園にやってきた。
空を見上げると何時か見たような下弦の月。
空は晴れ渡っていて真っ黒の色に染まっている。
今日多分あたしは死ぬ。あの日見た夢を段々と思い出してきた。
あたしは涙を流してしまうんだろうか?紺野はあたしのために涙を流してくれるんだろうか?
もはやどうでも良かったかもしれない。あたしは今日紺野に自分の正体を告白する。
あたしが来なかった日も待っていたのだろうか。
紺野はいつものベンチに座っていた。所定の場所、ベンチの右側に。
「隣良い?」
あたしは紺野に近づいて話しかけた。紺野はあたしに「どうぞ」と返した。
「こないだはごめん」
「………いいえ、あの時はいきなりでびっくりしただけですから………」
あたし達の間には未だに気まずい空気が流れていた。
でももう今となってはどうでも良い。
「あたし、もう会いにこれない。」
「え?何でですか?」
紺野はあたしの顔を覗き込んで聞いてきた。
「あたし、普通の人間じゃないんだ。」
パッと言ってしまえば楽になる。でも中々口からその言葉は出ない。
「あたし、掟に従うのが嫌になったんだ。人を傷つけてまで、もう生きたくないんだ。だから………分からない?あたし前より痩せたの。」
紺野はジト目であたしを見ると「どうしたんですか?!」って聞いてきた。
「人を傷つけることでしか生きられない。逆に言うと人を傷つけなければ死んでしまう。」
あたしは、最後の告白をする。
「あたし、吸血鬼なんだ。」
紺野の表情が驚きに染まる。
見なくてもそれぐらいのことは分かった。
「この前、あたしが紺野の首にキスしようとしたのも、紺野の血を吸おうとしてただけなんだ」
どこか自分でも納得できなかった。あの時本当にあたしは紺野の血を吸おうとしてたのか。でも、事実そうなんだと思う。いくら無意識とはいえ。状況から見ればそうなんだ。
「でも、………この前先に口に………」
「それはあたしにも分からない。ほとんど無意識だったし、それに………」
「嫌です!!」
急に紺野があたしの言葉をさえぎって言った。
「嫌です!後藤さんが居なくっちゃうなんて!あたし、あたし後藤さんの事好きなんです!」
生憎、あたしは多分「好き」という感情は持ち合わせていない。
だからきっと、紺野の気持ちにはこたえられない。
「でも、人の生き血を吸えば、人が傷つく。もう。化け物扱いされるのは嫌だよ………」
「化け物なんかじゃないですよ!後藤さんが化け物だったら、そんな人間を大切にするような事言いません!」
紺野の言いたいことは分かる。でも事実あたしは化け物なんだ。
「そうだ!あたしの血を飲んでください!あたしなら大丈夫ですから!」
あたしにもう血は要らない。もう、紺野が居れば何もいらない。きっと。
「そんなの要らない。その代わりさ………」
「キスさせてくれない?」
あたしは忘れている夢のとおりに事を進めていたのかも知れない。
でも。これはあたしがしたい事をしているんだ。
あたしが聞いても紺野からの許可は下りない。もう時間が無い。月はもうあの場所まで昇っている。
あたしは許可が下りないまま。勝手に紺野の唇にキスをした。
「へへ………紺野遅いよ、答えるのが、待ちくたびれるよ………」
あたしは紺野の顔を見て言った。
それと同時に視界がブレた。自分の身体が地面に落ちるのが分かった。
「ご、後藤さん!!」
紺野の顔がすごく近くにあるのが見えた。
最後だよ。きっと。この場面をきっと夢に見たんだ。
「あたしなら構いませんから!!飲んでください!!」
血なら飲まないよ。だって。今血を飲んだら。あたしは化け物になっちゃうんだ。
この方法で死ねば、人間らしいじゃん。
「嫌だよ………もう、早く………人間になりたい………」
人間になんてなれないのは分かってるけど。せめて、人間らしく死にたい。
「だって!…血を飲まないと!……そのままじゃ後藤さんが死んじゃう!!」
「泣かないでよ紺野。自分で決めたんだ。人間になるって。血を飲めば化け物になる、だから。」
「だって!!後藤さん泣いてるじゃないですか!!」
自分では分からない、涙を流しているかどうかなんて。
でもちゃんと夢のとおりに、あたしは涙を流したんだね。
「なんか、あれだね………自分でもびっくりした。………誰かを想って、流せる涙が……あたしにもあったなんて」
ホントにビックリだよ。最後の瞬間まで泣かないと思っていたけど結局夢のとおりなんだね。
「後藤さん、お願いです………」
「あたしは………化け物じゃないよね?………このまま死ぬ事が出来たら………あたしは人間として死ねるよね?答えてよ紺野………」
あたしの質問に紺野は答えない。お願い。答えてよ。
聞いてから数十秒。紺野は首を縦に振った。
「紺野がうらやましいよ。人間は愛に満ちてるよね。」
あたしは人間になれたんだよね?
もう、良いよね?
もう、疲れたよ………
あたしはゆっくり、眼を閉じた。
誰かを想い、祈りながら………
END
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
午後9時を回った頃。あたしはいつもの公園に向かって走っていた。
塾で昨日出されていたレポートをするのを忘れて居残りさせられてしまったのだ。
だからきっとあの人はいつもの場所で待ちぼうけ。だから出来るだけ急いでいた。
空にはあの頃とは違う、今日は月の見えない日。新月だった。
「こーーんのーー」
「あ、ごと−さん」
あたしが公園に着くといつものように後藤さんが向かえてくれた。
そう、後藤さんは死んでなんていなかった。
今もちゃんとこうして生きている。生きているんだ。
「紺野、今日は何の話してくれんの?」
「えっと、今日はいつもおっちょこちょいな友達の話を。」
別にあたしの血を吸って生きているわけでもない。
後藤さんはあれ以来もちゃんと人の血を吸わないで生きている。
多分、後藤さんは人間になったんだ。
「あはははっ。それはドジだねーー」
「ですよねー?だって、バナナの皮で滑るなんてコントじゃないんですから、」
あたし達の関係も何も変わらない。夜の月の下の公園で何か話していた。
ただ一つ変わったのは。あたしが帰る時に必ず後藤さんがすること。
「ん、………」
Kiss。
こうしてたま〜に話の途中でいきなりしてきてびっくりする事もあったけど。
他に変わった事といえば、後藤さんが人間になった事を証明できるような事。
昨日レポートし忘れたのもこれが原因だ。
「あー、もう明るくなってきたね。」
「あ、ほんとですね」
話に夢中になっていると朝まで話している事とかがたま〜にある。
でも、朝日を浴びても後藤さんは消えたりしない。
それは多分人間になったからなんだ、後藤さんが。
「紺野帰らなくて良いの?学校どうするの?」
「ん〜、………今日は学校休みます。」
こうして、あたしの過ごした奇妙で、切ない物語は、これからもずっと続いていくのだった。
END