2002年、7月の終わり頃。

「それ…………マジですか?」
「……あぁ、マジな話やで」

あたし、後藤真希とつんくさん二人だけの部屋。真っ白な無機質な部屋。
四角い机を挟んで向かい合って硬い椅子に座っていた。

「今から変更はもうないんですか?」
「ないな。もうこの決定は変わらへん」
「そう……ですか」

その“マジな話”を聞いて、あたしはショックを受けていた。

―――――――――
「お、ごっつぁんおかえりー!」

モーニングの楽屋に戻るとやぐっつぁんからの『おかえり』。
あたしはその言葉に返事をした。
「おぅ、ただいま」
きっと今。あたしの顔を見ればあたしは悲しい顔をしていると思う。だから出来るだけそんな感じは出さないように笑顔で言った。

「何の話だったの?マネージャー」
何かの本を読んでいた圭ちゃんが一瞬だけ視線をこっちに向けて聞いてきた。
「ミュージックステーションに出る日が変わったんだって。あ、ごとーの歌の方ね」
つんくさんと話した部屋から帰ってくるまで間に考えていた嘘。
何の話かを聞かれたらこう答えようと思っていた。けれど、それもたった数日しか通じない嘘だけど。

「ふーん。そんな事だったらココで言えばいいのにね」
なっちの鋭い指摘。急な言葉にびっくりして旨い言葉は返せなかった。
「そ、そうだよね」

近いうちにみんな知る事になる。
なっちも、圭織も、やぐっつぁんも、圭ちゃんも、梨華ちゃんも、よっすぃも、あいぼんも、ののも、小川も、新垣も、紺野も、

そして、

「石川さん、そのピアス変ですって!絶対おかしいですよ!」
「何よー高橋ー。チャーミーに似合わないものは無くってよ!」
梨華ちゃんと高橋がなにやら言い合っていた。

あたしの好きな高橋も、その事実を知ってしまう事になる。
あたしも嫌な事実を、変えられない事実を知ってしまう事になる

まだ、このときは大丈夫と思っていた。
再起動はしてなかった。

LOVEマシーン-卒業、別れ-


7月の終わり。
ハロプロライブを終えたあたし達は1つの部屋に集められた。
モーニングだけじゃなくその日のライブに来ていたハロプロメンバー全員が集められた後、つんくさんが遅れて部屋に入ってきた。

ハロプロを新編成する。
そんなつんくさんの言葉から色んなことが伝えられた。あたしだけじゃなくてプッチやタンポポの事とかもいろいろと伝えていた。
まずミニモニやぐっつぁん卒業。タンポポは梨華ちゃん以外のメンバーが総入れ替え。プッチはよっすぃ以外のメンバーが総入れ替え。
そしてあたしと圭ちゃんの卒業。

隣に居た加護はシュンとなっちゃって、前に居た小川は泣いちゃってて、
少し遠くに座っていた高橋は“本当ですか?”とでも聞くように悲しい顔をしていた。
あたしはその顔を見るのが辛くって高橋から視線をそらした。

翌日、マスコミを集めての記者会見が行われた。
みんなはそれぞれハロプロ新生についてのコメントをしていた。そのときの高橋の言葉。

「その、話を聞いたとき………涙が出てきましたよ…っ」
涙声のコメントになってしまった。
あたしは高橋のそんな悲しい顔も、悲しい声も聞きたくなかった。
つんくさんから聞いたときも、何でもいいから理由を付けて断りたかった。
それでも決定された項目が変わらないのは分かっている。でも辛かった。

「一緒に帰りましょ」
その会見が終わった後、その日の仕事はもう無かったので皆帰る準備をしていた。
心を落ち着かせるための数日のオフ。そんなときに彼女はあたしに声をかけてきた。
予想外だった彼女からの誘い。あたしは無言で頷いた。

「おじゃましまーす」
いつもと変わりのない彼女の言葉。
暗い雰囲気にならないように強がっているのが見え見えの作り笑い。
普段と同じように接してくれる彼女の心がすごく痛かった。
もう一緒に居られない事はあの会見の前から分かっていた。

「あれ?真希ちゃん紅茶どっか置いた?」
自分で言った事、『二人でいる時ぐらい敬語やめない?』。
ああ言ってから数日が経って彼女はあたしの事を『真希ちゃん』と呼びタメ口で話せるようになった。
あたしにとっても彼女にとってもこれが普通だった。
あの時は思っていたのに、時間なんていくらでもあるんだからと。
………でも今は時間が無い。あと二ヶ月であたしはモーニングから脱退する。

「ねー真希ちゃん、紅茶知らない?」
「愛はあたしが居なくなっても平気?」
あたしは高橋の聞いた事にも答えず勝手な質問をした。
多分あたしが今聞いたことは自分で聞きたいとも思っていないことだ。
「あたしがモーニングからいなくなっても愛は平気で居られる?」
普通にできない事なんかわかってる。今日の高橋の会見の様子を見ていれば一目瞭然だ。
あたしがモーニングを辞めればあたしと高橋を繋ぐ物は何一つ無くなる。
きっとそうすれば、あたし達が付き合っていると言う事実も無いに等しくなる。
それに再起動の事もある。今別れたほうが傷は一番浅くて済むはずだ。

「別れよう」
やっとあたしの口から言おうと思っていた言葉が出てきた。
つんくさんから言われて数日後に思い立った事だ。
あたしがモーニングを辞めて、付き合っているのかいないのか分からない曖昧な関係を続けるよりもこうした方がずっと良いはず。
『別れた』という事実さえあればきっと高橋もまた誰かと付き合い始める。それなら高橋はあたしとそんな関係を続けるより幸せになれる。

「別れない。って言うかなんでモーニング辞めるの?あたしの居るモーニングよりソロのほうがいいの?」
「あたしはソロのほうがいい。前から、ずっと前からつんくさんにもそう言ってた」
あたしの口からは高橋をあきらめさせるための嘘が出てくる。そんな事言った覚えは無い。
「真希ちゃんあたしのこと好きだって言ったよね?そやったら何で辞めんの?あたしの事好きやったら辞めんといてよ!あたしの事好きやないから辞めるんやろ!!」
高橋は感情が高ぶったせいか独特の訛りを出しながら何処かで聞いたような言葉を言った。
「もう決定した事だよ。テレビにも出てるし。」
あたしは側にあったリモコンからテレビの電源を入れた。いくつかチャンネルを回すとあたしの卒業の部分を喋っているニュース番組があった。
「それに………」
あたしは一番最後に高橋が諦められるような言葉を言う。
自分では言われたくない言葉。つまり自分がそういわれれば諦めがつくと思った言葉。
「それに“高橋”のことは半分遊びだったし」

最後の言葉を言い終えた後高橋の表情が一変する。

パン!!

乾いた音はその部屋に響いてすぐに無音の空間に変わる。
彼女の手が打ったあたしの頬は少し赤くなっていた。

平手打ちをした当の彼女は泣いていた。
そんな事をされてもあたしは微動だにせず彼女に視線を向ける。
「………」
ただ冷たい視線で彼女を見つめていた。

急に彼女は立ち上がった。机の上に合った鞄を持って部屋から飛び出していった。

「いてぇ………」
彼女が去った後。彼女に打たれた左側の頬を押さえた。

何でこんなことになっちゃったんだろう。
いくら考えてもあたしは何もしてないのに。どうしてこんなことになったんだろう?

頬を押さえている手の上を何か熱いものが伝っていった。
彼女と同じようにあたしは涙を流して。ただ呆然としていた。

次の日。あたしはやぐっつぁんの部屋を訪れていた。
「何?話って」
3人分のコーヒーを運んできたやぐっつぁん。
ソファにはあたしが座っていて。あたしの前のソファにはやぐっつぁんの恋人のよっすぃも座っていてやぐっつぁんはコーヒーを置くとよっすぃの隣に座った。
「たいした話じゃないよ。一応あぃ………高橋に変な事いわないように釘刺しとこうと思って」
あたしの言葉に2人の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。
「別れたんだ。あたし達。」
あたしがそういうと2人は固まる。
「ちょっ、どう言う事!?何で別れたんだよ!?」
急にコーヒーの置かれている机にダン!と手を突いて詰寄ってくるやぐっつぁん。
「まさか卒業するから別れたとか言う馬鹿げた話じゃないよね?」
やぐっつぁんとは対照的に冷静に事を判断しようとするよっすぃ。
「関係ないことは無いけど。でもあのままだとあたしは高橋のこと傷つけてたと思うから………」
あたしは一呼吸間を置く。

「みんながつんくさんからハロプロ新生を聞いた5,6日前なんだけど。あたしつんくさんと2人で話してたんだ。
 そん時にあたしが卒業する事聞いた。半分強制的辞める事をね。で、それから2,3日後からなんだけどさ………また、聞こえるんだ」
2人は「何が?」といった様子でこちらを見ていた。あたしは続きを話す。
「また、機械の音が聞こえるんだ。」
そう、あたしの頭の中には、あの時いなくなった機械が再起動し始めていた。
でも、やぐっつぁんは“機械の音”というキーワードを理解できなかったようなので一応説明をする。
「あたしもよっすぃもおかしい時期があったでしょ?そのときに聞こえてた声の事」
補足するように話した。でも、よっすぃは“信じられない”と言った面持ちで下を向いて考え込んでいた。
「ねぇ、よっすぃには無かったの?そんな事」
あたしが聞こうと思っていた事をやぐっつぁんがよっすぃに聞いた。
「分かんない。あたしは機械が止まった後は二度とあの声は聞いてないから。」
あたしは何処かでよっすぃに期待もしていた。
もしかしたらよっすぃなら対処法を知ってるんじゃないかと。でもどうやら無駄だった様だ。
「あたしと高橋の事知ってる人もういないよね?いるんだったら口止めしておいて。高橋の傷抉る様な事言わない様にさ」
最後にそういってあたしは立ち上がる。
「帰るの?」
「うん、ここにいてもしょうがないし。」

「ハロモニは、ごっちんの卒業を認めておりませーん!!!!」
仕事だらけの日常は普通に戻ってきた。
ハロモニやMUSIXであたしの卒業企画が行われ始めていた。

「うち等が頑張れば。ごっつぁんは卒業しないって次の日の新聞に載るから。『卒業辞めた!!』って」
やぐっつぁんもよっすぃも普通に仕事をしている、さすがはプロと言ったところだ。
ただ問題は高橋だ。仕事だと言うのにあたしにちっとも絡んでこない。
別にその方が楽であたし的には良かったけれど、少し心配だった。

そして昼近く、
「じゃあ休憩はいりまーす」
一本目の取りが終わりADの声で昼休憩に入った。

モーニングの楽屋に戻ると13人分のお弁当と13本のお茶缶。
一個ずつとっていつもの自分の場所に行ってお弁当を食べる。
もうあたしの卒業とかの話題は出なくなっていた。やぐっつぁんやよっすぃが違う話題で盛り上げようと頑張っているからだ。

―お腹空いてるんだったら食べれば?―

急に機械の声が聞こえた。うるさい。考え事ぐらいさせろ。それに言われなくても食べるよ。
でもあたしの言葉には返事は返さない。一方的に喋るだけの機械。
今は未だこんな調子。前はもっとおしゃべりだった。でもまだ起動したばかりであまり喋らない。
きっとそのうち五月蠅くなる。でも以前のようにはなりたくなかった。

あたしは早めに弁当を食べ終えて昼休憩の時間も残っていたので局内を散歩していた。
本当言うと楽屋でみんなの輪の中で喋る気分じゃなかったし、高橋と同じ空間にいるのも辛かった。

「あ、ごっちんー」
「んぁ」
正面から来る誰かから名前を呼ばれた。
この頃更に髪を染めて可愛くなったハロプロのアイドル。松浦亜弥。
「あ、まっつー。何でこんなとこいんの?」
「歌撮りですよ歌撮り」
まっつーはまっつー特製の親指人差し指中指のスリーピースを目のところに当ててにっこり笑った。
「ごっちんは何してるの?」
『後藤さんは何してるんですか?』
何度か瞬く。まだ“後藤さん”と呼んでいた頃の高橋がまっつーにダブる。
「ん、あぁ、別に」
頭の中の機械がまた何か喋り始めている。
「大丈夫?ごっちん。調子悪そうだよ?」
何故かあたしに抱きついてきてあたしの方を上目遣いで見つめてくるまっつー。抱きつき魔だっけ?まっつーって。
………またまっつーに高橋の姿がダブる。これは高橋じゃない。多分機械が見せてる幻影だ。

―襲っちゃえばいいじゃん。誰も見てないんだし。すぐ側に女子トイレもある。襲っちゃえよ―
バカ、何言ってんだよ。そんなことしていい訳無いじゃん。まっつーはあたしの事好きでもなんでもないんだ。

「ごっちん顔色悪いよ?本当に大丈夫?」
あたしの顔を心配そうに覗き込む。けれどその気遣いの声もあたしには届かない。

―まっつーは自分の事を好きかどうかなんていってないでしょ?本当は自分のことがすきなんだよ?―
「まっつー………あたしの事好き?」
あたし何聞いてるんだよ。そんな事聞きたくもないのに。

「好きだよぉ」
―好きだって言ってるじゃん。じゃあ襲っちゃってもいいじゃん―
違うよ、今の好きって言うのは恋愛感情じゃなくて友達とか同じハロプロのメンバーとして好きだって言ってるんだよ。
絶対そういう意味じゃないよ。
「それがどうかしたの?ごっちん」
「………なんでも、ないよ」
あたしは抱きついているまっつーの腕を解いて少し離れる。

「あ、ごっちんと亜弥ちゃん」
「ああ、吉澤さーん」
後ろから聞きなれた声がする。この声はよっすぃだ。
「あのぉ、ごっちん何か顔色悪いんですけどー」
「え?」
よっすぃが側までやってきてあたしの顔を覗き込む。でもすぐに視線は外されてまっつーのほうを向くよっすぃ。
「大丈夫だよ、ごっちんちょっと風邪気味なんだ。ほら、ごっちんは楽屋戻って、ほら、亜弥ちゃんも」
よっすぃはまっつーの背中を押して向こうのほうへ歩いて行く。
「えぇ、ちょっと、ごっちん放っといていいの?」
「ダイジョブだって」

あたしは2人が立ち去った後、何とか心を落ち着けようとすぐ側のトイレに入った。
手洗い場の鏡に向かってため息を吐く。
「おかしくなりそう………」
一言呟いた。
幻覚。きっとそんな感じだろう。この声も。そして目の前の鏡に写る自分も。全てが本物ではない。
だって今鏡に写っている自分は自分と違う動きをしているから。

―好きだって言ってるんだから襲っちゃえばよかったのに―
「うるさい。前の高橋のときと同じ状況じゃんか。」
―高橋のときはうまく収まったでしょ?―
「収まってないよ。高橋は今傷ついてる。」
あたしは鏡の中の自分に向かって話しかける。でも鏡の中の自分は、機械の声はあたしの言葉を全て受け答えて返してくる。
―それは自分がフッタからでしょ?それに高橋と別れたなら誰と付き合ってもいいでしょ?高橋に負い目を感じる必要は無いんじゃない?―
「うるさい!!!!」
バリ!と、音を立てて鏡がバラバラになる。自分を写していた鏡は光源をうまく反射できなくなりあたしが何人も映っている。
そして鏡をそうしたあたしの左の拳は血だらけになっていた。
「ごっつぁん、だい………」
『大丈夫?』と続くのだろうか?たぶんよっすぃから話を聞いたんだと思う。やぐっつぁんがあたしのいるトイレに入ってきた。
やぐっつぁんはヒビの入った鏡とあたしの血だらけの手を交互に見つめていた。
「ちょっ!本当に大丈夫ごっつぁん!!」
「ははは………」
本当に何がなんなのかもう理解らなくなってきた。
あたしは膝を折ってやぐっつぁんに縋るように抱きついた。
「もう………オカしくてさ………壊れちゃいそうだよ」
前に機械の音を聞いてるときはこんなでも無かった。機械の声に頼っていたから。
でも機械の声に反発すると、自分の全てが否定されたような感覚に陥る。
自分がドンドン理解できなくなってくる。
「助けて………だれでもいいから、ごとーを助けてよ………」

もうあたしは壊れていたのかもしれない。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


『ごと………真希ちゃん。今度遊園地行き……行かない?』
『んぁ?今度っていつ?』
『次のオフ。水曜日。真希ちゃんも休みでしょ?』
『そうだけど………なんで遊園地?』
『前から行ってみたかったから』

まだ高橋があたしへの敬語に慣れていなくって“真希ちゃん”という呼び方にもなれていない頃。
2人であたしの部屋。
あたしは雑誌を読んでて、高橋はあたしに寄り添うようにテレビを見てたんだけど高橋が急に遊園地に行こうって言い出した。
その時テレビが遊園地特集をやってたせいだろう。
あたしも高橋とはデートらしいデートはしていなかったのでいい機会だと思って遊園地にいく事にした。

『うわー。本当に遊園地だー』
遊園地に着いた高橋の第一声。目深に帽子をかぶっているあたしは隣でそんな高橋を見ていた。
『愛はこういうところ来たこと無いの?』
『ないよー。福井にはそんなとこねぇもん』
あたしの質問に高橋はまた少し訛る。結構慣れてきたんだけどやっぱり可笑しい。
あたしは口角を緩ませながらも高橋に聞く。
『じゃあ、ジェットコースターとかにも乗った事無いわけだ』
『うん』

あたし達はフリーパスを買って遊園地内に進み始めた。
高橋は絶叫系が好きのようでコースター系の物や、タワー型の『ドーン!!』って上がる奴とかそんな奴に乗りたがった。
若さのせいか高橋はすっごい元気で『次あれ!』『次はあれ!』って感じで勝手に進んでいく。
あたしも高橋のようにはしゃぎたいけれど場所が場所だけにばれる様な真似はしたくない。
ココで見つかれば大騒ぎだ。
『真希ちゃん早く!』
『分かった。分かったから手ぇ引っ張んないでよ』
こんな感じで数十分。
それだけの間高橋に引きずられてたらあたしは疲労が溜まってきて、
『高橋。ちょっとペース落とそうよ。あたし疲れちゃったよ』
『えー。だってフリーパスなんだからいっぱい乗らないと損じゃないですか』
『そ、そりゃそうかもしれないけどさ』
疲れ気味のあたしはそばにベンチに座ろうとした。そのとき、
『あ!じゃあ、あれ乗りましょ!』
『へ?』
高橋は近くにあるアトラクションを指差した。
すっごい高くて一周何分掛かるか分からないくらいの観覧車。
あたしもそれなら大丈夫と高橋に手を引かれて観覧車に向かった。

入り口の所で係員の人にフリーパス見せて観覧部屋?に二人で入って外から鍵を掛けてもらった。
あっという間に地面は離れていき観覧車は高いところまで上り始める。
『これ、一周するのにどれぐらい掛かりますかねぇ』
『さぁ、相場とか分からないしね』
『………』
『………』
『何で黙っちゃうの?』
『なんか会話に困るね、ここ』
隣同士で座っていたあたし達は何故か会話が進まない。
なんとなく手持ち無沙汰のあたしは外の風景を見る。観覧車は結構高いところまで来ている。
頂上まであと少しのところまで来ていた。

『もうすぐてっぺんだね』
『あ、ホントだ』
『この一番上って他の部屋からも絶対見えないよね?』
『そうですね』
『それに完全密室だし、ヤラシイ事しても誰からも見られないし逃げられないよね?』
『………なに考えてんですか?』
『や、高橋と何かするには絶好の場所だと思ってさ』
あたしは外の風景から視線を戻して高橋の顔を見た。
うっすらとそのほっぺは赤くなっている気がした。
『大丈夫だよ。こんな所で襲わないし、仮にもアイドルなんだし。』
高橋の表情からフッと力が抜けた気がする。ほっとした表情だ。
『するとすればキスぐらいかな。』

観覧車は頂上だった。
さっき言ったように他からは絶対見えない。
あたしは高橋の頬を引き寄せて何度も何度もキスをした。
角度を変えて、高橋の髪をぐしゃぐしゃにするように貪る様なキスをした。
多分こんなにキスしたのは初めて。
なんとなく、観覧車の頂上って言うのがあたしをそんな行動に走らせた。

あたしが唇を離すと高橋はトロンとした目であたしのほうを見ていた。

そして、

『頂上に着いたらあたしからキスしようとしてたのに、されちゃった。』
そんな事を高橋は呟いていた。あたしはぐしゃぐしゃにしてしまった高橋の髪の毛を手ぐしで元に戻した。

『ねぇ、今度2人で旅行行かない?』
『旅行?』
観覧車が全体の3/4ぐらい回った頃。高橋がそんな話をふってきた。
『あ、今度って言ってもすぐじゃなくて連休がもらえたとき。』
『いいね、新婚旅行代わりだ』
『え、新婚………』
なんか高橋はそういう話には弱いみたいですぐに顔が赤くなる。ホントに茹蛸みたい。
って言ってもホントの茹蛸は紫っぽいけどね。

『って言うかさ、新婚旅行ってことは新婚初夜って事だからなんかあるよね?』
『ま、真希ちゃん!!』
『あはは、冗談冗談。ホント愛って可愛いね』
あたしはフッと外に視線を向けた。
そこで何か違和感に気が付く。
『やばい、多分あたし達が居ることバレテル。』
『え、嘘?』
外の入り口の辺りにはすごい人だかり。
明らかに観覧車の順番を待っているのではない。
『愛、出たら走って、そんで今日は帰ろう』
『う、うん。分かった。』
あたし達の乗った観覧車は入り口について係員の人が鍵を開けた。
あたし達と入れ違いに誰か二人が観覧車に乗った。
向こうの人だかりの中から『真希ちゃーん』とか『愛ちゃーん』とか歓声が聞こえる。
『愛、絶対手離さないでね』
『う、うん』
あたしは高橋の手を強く握った。
『走れ!』
『ウン!』
あたし達は人波掻き分ける様にその人ごみの中を走っていく。
少しファンの子がついてきちゃったみたいだけど何とか振り切ってあたし達は遊園地を後にした。

―――今となっては過去の記憶。
すごい楽しかったあの頃。
でも何の不安も無かったあの頃。
そしてもう戻れないあの頃。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「手、大丈夫?」
「うん、あんまり痛くない」
さっき居たトイレの近くの空き部屋。
やぐっつぁんがどこからかもって来た包帯であたしの左手は応急手当をしてもらった。
痛みもあまり無かった。こんな物。高橋の痛みに比べたら全然痛くない。

「落ち着いた?」
「さっきよりは。もう声も聞こえない。」
あの後すぐに機械の声は聞こえなくなった。だからすぐにあたしは冷静を取り戻していった。
そのせいか、だんだん左手に痛みの感覚が戻ってくる。
少し強く拳を握ると白い包帯に少し血が滲んだ。

「ねぇごっつぁん。不安なんじゃないの?」
ふいにやぐっつぁんに話しかけられた。
「不安?」
「そ、モーニング卒業したら否が応でもモーニングの高橋とは距離が開いちゃうじゃんか。
距離が開くってことはあまり会えなくなるし、会えない間高橋は誰といるかも何してるかも分からない。それが不安だったんじゃないの?」

やぐっつぁんの言ってることは全然間違っていない。確かにあたしは不安だった。
「そりゃ不安だよ。高橋可愛いし、誰にでもすぐ好かれる性格だし、もし高橋が誰かを好きになったらって。すごい不安」
自分の言葉にハッとする。
………そうか。だからあたしは別れたんだ。
フラれる心配が無いように。別れてしまえばフラれる事は無い。
あたしは怖かったんだ。高橋がいなくなってしまうことが。
………でもこれじゃあ一緒。あたしは結局高橋を見失って壊れかけている。
あたしは高橋を見失った恐怖で、また機械を呼び起こしてしまったんだ。

「なんとなく判った………どうすればいいか」
あたしは立ち上がった。今動かなければもう戻れない気がした。
「ご、ごっつぁん?」
あたしは話を聞いてくれたやぐっつぁんを放って一目散に楽屋に戻った。
「高橋いる?」
楽屋を除くも高橋はいない。
「ねぇ、高橋知らない?」
楽屋の隅で本を読んでいた圭ちゃんに高橋の事を聞いてみた。
「スタジオ。コントの撮影だと思うけど。」
「わかった。ありがと圭ちゃん」
行方を聞いてすぐにスタジオに向かった。コント撮影用のスタジオはすぐ側。そのスタジオへ行く途中に廊下でなっちとすれ違う。
「あれ、ごっちん。今日はアヤノコウジフミマロじゃなかった?」
「え?」
なっちの口から聞いて思い出す。
そういえばあたしもコントに出なきゃいけない。しかもフミマロ………。
撮影までもう時間が無い。今からじゃ無理だな。

高橋と話すのは帰りにしよう。
あたしは今高橋と話すのを諦めて着替えに戻った。


「はいOKでーす」
「お疲れ様でしたー」
監督の声がして2本分のコントが撮り終わった。

あたしはすぐに高橋の後を追って話しをしようとした。けど、
「後藤さん。卒業に向けてのコメント撮りたいんで少しいいですか?」
こんなときに撮らなくてもいいのに、と思ったけど仕事だ。仕方が無い。
ADさんに呼ばれてあたしは控え室のような所でコメントを撮ってもらった後にすぐに楽屋に戻った。
けどもう高橋は帰ってしまったようで楽屋にはいなかった。
「はぁ、仕方ないか。」
本はと言えば自分のせいだ。あたしは帰る準備を始めた。

家に帰る前、駅の近くで携帯電話を取り出した。
高橋と話がしたかった。今すぐに話がしたい。今から会えないか。
聞きたかった。ここの所全然聞かない高橋の声。
戻りたかった。あの頃の2人に。遊園地に行ったり。2人で渋谷に出かけたり。
あの頃の関係に戻りたかった。

機械音が何度もコールする。
こんなときだから長く感じるんじゃない。実際に長いんだ。
コール音は無情にも途絶えてしまった。
後から「プー、プー、プー、プー」という単音が届いた。

もう一度電話を掛けた。
しかし今度は電源が切れた事を示すメッセージが流れてきた。

避けられている。絶対に。
もともと『遊びだった』と言ってふったんだ。避けられて当然。
でも苦しかった。
自分でまいた種だけど。
辛かった。

パチ。
部屋の明かりをつけた。
電球が切れかけている。そういえば高橋が言ってた。そろそろ交換しないと、って。
もともと一人暮らしのはずなのにこの部屋が寂しく感じる。
それはきっと高橋がいないせい。
いつの間にか2人でいることに慣れてしまっていたから。一人は悲しく感じる。

いろんなところに高橋のものが置いてある。
ソファの上には高橋専用のクッション。ダブルベッドの上には高橋の枕。
お風呂場には高橋のボディソープとシャンプーとトリートメント、リンス。
洗面所には高橋の歯ブラシ。

こんなにもこんなにも高橋がここに居た証があるのに。高橋はここにはいない。
もう、

戻れないかも知れない。

あたしは疲労感からかベッドに倒れこんだ。
目を瞑って浮かぶのは高橋の笑顔、泣き顔、怒ってる顔。
いつの間にか高橋はあたしの心のウェイトを大きく占めていた。
高橋がいなくなってこんなに悲しいとは思わなかった。
前なら、隣を見ればすぐに高橋の顔があったのに。

もういない。

あたしはいつの間にか眠りに着く。
そして機械のせいか夢を見た。
嫌な夢だ。

『ねぇ、高橋』
『なんですか?』
『話し…あるんだけど』
『聞きたくないです。そんな話。それに………』
『それに?』
『もうあたしあさ美ちゃんと付き合ってるんです。できれば近づかないでください。』
『嘘、でしょ?』
『ホントです』

「うわぁぁあ!!」
急に起き上がる。

目覚めたの自分の家のベッド。
眠り始めてから恐らく1時間と経ってない。
嫌な夢だ。

―その内そうなる。これは自分で蒔いた種でしょ?―
寝起きから頭に響く機械の声。
あたしは必死で頭を振って声を払う。
でもそれは無駄なようで機械の声ははっきり自分の頭に届いてくる。
―もう諦めな。無駄なんだから。―
「うるさい………」
あたしは声に苛立って左の拳を握った。
左手はジンジンとしてきてまた包帯を赤く染めていく。

ガン!!!!
左の拳を強く握ったまま壁に打ち付けた。
壁には拳の形に血の後がついた。
「ホントに。壊れちゃいそうだよ………あぃ………会いたい。」
あたしは離れて初めて。愛の名前を呼んだ。
けれども空を切る言葉は決して愛には届かない。

虚しかった。


次の日からもあたしの電話は高橋には届かなかった。
電源が切れる事は無かったけど、あたしの電話には出てくれなかった。
仕事現場で会ってもそっけないし、2人で話すチャンスも無い。
そんなまま時間はドンドン過ぎていく。

もう、横浜アリーナのリハーサルが始まっていた。




「おいごっつぁん、大丈夫かー?」
「、だいじょぶだよ………」
ライブ会場の控え室から舞台へ向かうために廊下を歩いていた。
あたしの隣にはあたしに付き添うやぐっつぁん。

「まったく、前のときの高橋と一緒じゃんか。夜寝れないって。」
「そのせいで倒れちゃったらお笑いだね。」
あたしにはまだ冗談を言う元気はあった。
でも、いつものような元気は無い。それは前を歩くやぐっつぁんとの距離がドンドン開いていく事からもわかる。

いつの間にかあたしの心の傷は肥大化して行った。
ただ高橋と話せないだけ。それはドンドンあたしの心を蝕んでいく病気のようなものだった。
機械のせいで夢にはあたしを嫌いになる高橋しか見れない。
すぐに目は覚める、中々眠る事ができない。
何時かの高橋と全く同じ状況だった。

夢には高橋を襲おうとするあたし。その悪夢のせいですぐに目が覚めちゃってダンスレッスン中に倒れちゃったんだったよね。
今さらだけどそのツケが自分に回ってきたんだ。
頭はグラグラするし、足取りは重い。
今日のリハだってずっと舞台の上に入れるかどうか判らない。

そんな風に考えていると何故か高橋の顔が脳裏に浮かんだ。
泣き顔じゃない。笑顔でもない。

悲しい顔。

瞬間。
あたしの視界がぐらりと揺れる。
あたしはゆっくり膝を付いて。地面に手を付く。
やぐっつぁんがあたしの側に戻ってきたらしい。
何か声は聞こえるけど何を言ってるのかわからない。

顔を上げるとやぐっつぁんの姿が二重に映る。
自分の吐息さえ聞こえないほど脳がどうかなっている。
急に頭が重くなる。目の前が真っ白になって。立ちくらみを起したようだった。
でも、次の瞬間にはあたしの目の前は真っ暗になっていて、
あたしは意識を失っていた。

自分の倒れる音さえ聞こえなかった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

見慣れない場所で目を覚ます事は分かっていた。
きっと病院か近くの休める場所のどちらか。

目を開けるとやはり見慣れない天井が見えた。
頭が重くてあまり考える気力も無いけど今起き上がったら立ちくらみを起すだろうと思った。
ゆっくり身体を起す。やっぱり立ちくらみを起した。
急に目の前が灰色に近い白色に変わった。
部屋を見渡す前にあたしはまた布団の上に倒れる。
結構重症みたいだ。

『だからなんか顔ぐらい見せていけっての』
『だって、今は会いたくないんです』
『じゃあ何でココに来たんだよ!!』
『いいじゃないですか、放って置いてくださいよ!!』

外の部屋からはなにやら言い争いが聞こえる。どちらも聞いたことのある声だ。
でもあたしはまだ立ち上がれなくて部屋の外には出れない。何を言ってたのかを聞くことも出来ない。

しばらくして声は止んだ。
そして声が止んですぐ今あたしがいる部屋の扉が開いた。

「お、ごっつぁん起きたのか」
外から聞こえた声の片割れ。やぐっつぁんだ。
「うん、あたし何時間ぐらい寝てた?」
「大体10時間かな。今は夜の8時で、そんでここはスタッフさんの仮眠室です」
やぐっつぁんは何か変な口調で喋る。その顔からは苛立ちというかそんな感情が読み取れる。
「なんかあったの?」
あたしは布団からを身を起して聞いた。
「………はぁ。あんたらってホント似た者同士だねー」
やぐっつぁんはため息をついて言葉を濁す。
あたしにはその言葉が何を意味するのか全く分からない。

「さっきまで高橋がいたよ」

やぐっつぁんが言った一言。
重くてうまく働かない頭だけどなんとなくのやぐっつぁんが言った『似たもの同士』の意味が分かった。
あたしも高橋が倒れてしまったときに同じような事をしたから。
見舞いには行ったけど、高橋には直接会わずに帰ったんだ。
そのときの記憶は忘れようとも忘れられない。

「高橋が来てたの?」

あたしの言葉にやぐっつぁんは『Yes』とも『No』とも言葉は言わずにただ頷いた。

「早く仲直りしちゃえよ。見てるこっちがイライラするよホントに」

仲直りはしたい。でも高橋はあたしを避けてる。
話したくとも。話せない。
「無理だよ………」
あたしの口から初めて諦めの言葉が出た。

「何が無理なの?」
「もう、戻れないよ」

きっともう戻れない。楽しく笑っていたあたしと高橋の関係は崩れてしまった。
戻ることはもう出来ない。もう二人して同じことで笑う事は無い。

「戻れるよ」
急にやぐっつぁんが言った。
その言葉はやけに自信に満ちている。
「何でそんな事やぐっつぁんに分かるのさ」
「ごっつぁんはなんで高橋がごっつぁんに会わずに帰ったか分からないの?」
………会いたくないからでしょ。もうあたしになんか愛想尽かしたんだよ、きっと。
「高橋はね。『後藤さんはあたしの事がもう嫌いになったから顔は見せないほうがいいと思う。』って言ったんだよ。意味分かる?」

―嘘だよ、そんなの嘘だ。―
急にまた機械が喋りだす。その口調はあたしの言葉を代弁したような気がする。
「高橋はまだごっつぁんのこと諦められないんだよ?」

―そんなの放っておけばいいよ。今はもうなんでもないんだから。―
更に機械は言葉を続ける。多分、機械が喋る理由が分かった。
あたしが高橋を取り戻して、不安が消え去ったとしたら、また機械は活動を停止する。
だからあたしが不安を抱き続けるように夜毎不安になるような夢を見せるんだ。
つまり、あたしが不安を消せたとしたらまた機械は活動を停止する。って言う事。

「ねぇ、やぐっつぁん。」
「ん、」
「悪いんだけど、楽屋から携帯電話持ってきてくれない?」

あたしのその言葉にやぐっつぁんは説教モードから通常モードに戻る。
やぐっつぁんはすぐに立ち上がって「分かった」って部屋を出て行った。

結構すぐにやぐっつぁんは戻ってきた。モーニングの楽屋のすぐ側にこの部屋はあるらしい。
「はい、」
そういってやぐっつぁんはあたしに携帯電話を渡した。
「ありがと」

メモリーから高橋のナンバーを表示させた。
妙に緊張する。ここ数日つながらなかった電話。
今もつながらないとすればそれは拒絶以外の何物でもない。

怖い。
もし繋がらなかったら………。

目を閉じて浮かぶのは最後に話したときの悲しみに包まれた高橋の顔。
きっと高橋も元に戻りたいと思ってるはずだ。
あたしは自分の気持ちに拍車を掛けて通話ボタンを押した。

プップップという小さな音がした。
プルルルルルと向こうを呼び始める。
何度も何度もコールする。
1分2分3分。長く長くコールした。
でも結局は。
『プー、プー、プー』
という音を立てて電話は切れた、今日も同じ。
希望を光を灯すはずのコールは繋がらなかった。
携帯電話を電源ボタンと共通のHLDボタンを押して通話を切った。

「ごっつぁん?」
「………繋がらなかった。」
あたしのテンションはただの寝起きよりも低くなる。

「高橋と別れた日からずっと、高橋あたし避けてるみたいなんだよね。だから、もう元にも戻れないよ」
諦めの言葉は、あたしとやぐっつぁんしかいない部屋に虚しく響いた。
もう戻れないと知ったあたしの瞳は少しずつ潤み始めていた。
「ご、ごっつぁん………よし、オイラが何とかしてやる!!」
「え?」
急にやぐっつぁんが高い大声で叫んだ。
「二人で話せる場所を作ればいいんだろ?そんな事オイラならちょろいもんよ。このおいらに任せとけ!!」

やぐっつぁんは多分あたしを元気付けようとそんな事を言ったんだと思う。
でもいまのあたしはそんな信用できるかどうか分からない事まで信用したい気分だった。
「お願い………」
あたしは力ない言葉でやぐっつぁんにお願いした。


「………その歌が後藤の卒業と何の関係があるんや?」
「直接は関係ありません。ただ、想いを伝えたい人が居て、ちゃんと心配しないで見ててほしいんです」
急な事だった。
急に思い立った事であたしはリハーサル最後の日、9月18日に事務所に来ているのを知っていたある人をを訪ねていた。
「それで、悔いなくモーニングを卒業できるんか?」
「できます。ちゃんと想いを伝えて、悔いなんか残りません。」
無機質な真っ白い部屋。真っ白な四角い机。向かい合うように置いている真っ白な椅子。
たった二人きりのその部屋であたしはつんく♂さんに頼みたい事があった。
「わかった。振り付けのことはまゆみに頼んどく。音の方は昔の奴で頼むわ。時間はもう無い、あとは自分の好きなようにしたらええ。」
「あの、歌はラストの一つ前がいいんです。」
「ダブルアンコールのすぐ後か?」
「はい」
「………分かった。何とか話しつけてみる。23日だけでええねんな?」
「はい」
最後の返事につんくさんは立ち上がって部屋を出て行った。

「あとはあたしの頑張り様か………」
あたしも部屋を出てリハーサルを行うべく横浜アリーナへ向かった。

「みんなおつかれー」
「おう、おつかれー」
リハの終わった後の楽屋。
時間は六時、終わるには早いほうだ。
でもあたしもやりたいことがあるし丁度よかった。
「ごっつぁんは帰らないの?」
「うん、まだ用事あるし」
最後に残っていたやぐっつぁんが聞いてきた。
「何の用事?」
「へへへ、な・い・しょ。それよりやぐっつぁん。高橋はどうなってるの?」
「高橋?それがさ、おいらがドンだけまだごっつぁんは高橋のことが好きって言っても信用してくれないの。
 本人の口から聞かなきゃ信用できないって、でも本人には会いたくないって言うんだよ、矛盾してるよホントに」
やぐっつぁんは何気なく言ったのだろうけどあたしはショックだった。
“会いたくない”。

その言葉はあたしの無茶をした心をドンドン締め付けていく。

「あ、大丈夫だから!絶対ごっつぁんの卒業までには何とかするから!ね!」
あたしの変化に気付いたのかやぐっつぁんがそんな声を掛けてきた。
「うん、お願い」
急に弱くなったあたしの声だけど、このことはやぐっつぁんにしか任せられない。
とりあえずそのことは考えずに今は“あの事”に打ち込もう。

あたしはそう考えやぐっつぁんを先に帰らせた。
そんでまだアリーナに残ってるはずの夏先生を探した。

「ふぇー。疲れたよー」
自宅にて、浴槽で温かいお湯に浸かりながらあたしの口から独り言が漏れた。
「夏先生気合入りすぎだよ。」
夏先生からの秘密の特訓の項目。自分からつんくさんにお願いした事だけれどまさかこんなに扱かれるとは思っていなかった。
「こりゃ、あたしがモーニング入ったとき以来の厳しさだね」
喋る相手がいるわけでもないのにあたしは何かを呟いていた。

浴槽は一人だと広い、二人だと少し狭い。そんなぐらいの大きさ。
お風呂もよく高橋と二人で『狭ーい!』とか言いながら入ってたんだ。
何故かそんな事を思い出してあたしは記憶の階段を下り始める。

『愛さ、何でそんな胸大きいわけ?』
『ま、真希ちゃんどこ見てんの?!』
『ここだよーん』
『ちょっ、触んないでよ!………あ、ちょっと。くすぐらないでって…あ、あははっ、あはは。ちょ、真希ちゃん!』

付き合いだしてからはよく二人でお風呂に入った。
高橋は毎度毎度恥ずかしがってたけど。

『ほら、髪洗ってあげる。』
『あ、ありがと』
あたしはお風呂に浸かったまま、高橋はお風呂用の腰掛に座ってあたしは高橋の背中を見ながら髪の毛を洗ってあげる。
『結構髪の毛伸びたよね?』
『あ、うん。真希ちゃんも長いから伸ばそうかなーって思って。』
『別にあたしの真似しなくてもいいじゃん』
『一緒がいいの』
『ああ、そうですか』

ピチャン。
蒸気が露になって浴槽の水面に落ちる。
落ちた水滴は波紋となって水面に伝わって消えていく。
ふと、記憶の回廊から抜け出して、意識が戻る。

「楽しかったな、」
別に何があったわけでもないけど、二人ではしゃいでいる時が一番楽しかった。
記憶の中には存在しても今の自分からは一番遠い記憶の1コマ。

「戻って見せるよ、絶対。」
これ以上自分で自分を不安にするのは止める。
自分ぐらい自分の事を信用してあげないと誰がするんだ。
不安になんてならない。
絶対元に戻るから。

あたしは気合を入れる様に両手で自分の頬を少し強く叩いてぼんやりしかけていた意識を元に戻した。



横浜アリーナの公演は21.22.23日。
19.20日はその日の体調を整えるためのオフだ。でもあたしはその日。近くのスタジオのレッスンルームにいた。
今日も夏先生に扱かれていた。

「はーい、じゃあ10分休憩、」
「はい。」

秘密の練習はやっと休憩に入って、あたしは部屋の隅っこにおいてあるタオルとミネラルウォーターを取りに行った。
適当に汗を拭いて水を少しだけ飲む。

後4日。
もうそれだけしか時間が残っていない。やぐっつぁんはうまくやってくれているのだろうか?
高橋とあたしの話す場所を作るって言ってそのままだけど、いったいどうなってるんだろうか?

「おはようございまーす、」
そんなことを考えていたころ。まるで見計らったように現れた。

「ん?おはよう、矢口どうした?今日はオフでしょ?」
夏先生が一言やぐっつぁんに聞く。
「いやぁ、ちょっと後藤に用があって。」
「ふーん、そうか。」
やぐっつぁんは夏先生に挨拶を終えるとあたしの方にやってきた。

「おはよごっつぁん」
「おはよ。やぐっつぁん。何でここにいるのがわかったの?」
「マネージャーさんに聞いた。」
「あ、そうか」
やぐっつぁんはいつもの調子とぜんぜん変わらない。
けれどその瞳には何かの強い意思がはっきり見えた。

「高橋のことだけどさ。」
急に切り出してきた。あたしも長い話は苦手だからちょうどいい。
「うん。何?」
夏先生やほかの人には聞こえないように小声であたしは聞いた。

「あの子、もう限界だよ。心は後藤に会いたがってるのに、後藤に遠慮して、会わないでいる。それが、高橋をきつく締め付けてる。」
高橋を苦しめてる?
またあたしは高橋を苦しめてるの?
「昨日も、矢口と高橋でよっすぃの家に泊まりにいったんだけどさ、ずっと何もついてないテレビ見つめてたりとか、ずっとうわ言呟いてたりとか。
多分、ずっとごっつぁんを、自分のいるべき場所に戻りたいと思ってるんだよ。」

あたしにあのときの記憶が蘇える。
自分のせいで高橋を苦しめて、病院でうなされていた高橋。
結構時間がたっているのに鮮明にあの時の高橋の姿が思い浮かぶ。
…またあたしは苦しめているんだ。
あの時、これ以上高橋とを苦しめるわけには行かないと思って、いつの間にか高橋のことを想っていて。
その時の事が。今じゃ何の意味も無い。

「高橋と二人で話す時間は作って有る。明日の午後10時。みんなライブに備えてアリーナの近くのホテルに集合する。
 部屋割りはチョッと違うけど何とかする。マネージャーさんに頼んで。だからごっつぁんは、」
「高橋に気持ちを伝えればいい。でしょ?」
高橋と話す時間さえあればどうにかなる。
そう思わずに入られなかった。
自分だけならまだしも、高橋も苦しんでいるのならもうどうにかするしかない、どうにかしたい。

絶対に。


高橋を、自分を。


これ以上傷つけない。

「部屋割りはまず507が安倍飯田、509保田石川、510加護辻、521高橋後藤、525矢口吉澤、そんで狭いかもしれないけど612新垣小川紺野。以上」

ホテルのロビーでマネージャーさんが発表した部屋割りを聞いた後やぐっつぁんがこっちに向かってガッツポーズをした。
この部屋割りも多分やぐっつぁんがマネージャーさんに頼んだんだろうな。そう想ってあたしはやぐっつぁんに感謝した。

もうすぐ、もうすぐあたしは愛への想いを伝えるから。
もうすぐ、安心させてあげるから。
だから、待ってて。

ね、愛。


あたしが卒業することが決まってから。
いろいろな想いがこの頭の中を駆け巡ったけど。
やっぱり最後まで残ってる思いは是一つ。

『きっと、あなたのことを愛してる』

是一つだけ、この想いだけできっとあたしたちは救われる。

だってそう感じてからあの機械はちっとも喋らないから。

だからもうすぐ、あなたへの想いを伝えるよ?

「高橋入るよー?」
もうすでにロビーからは高橋の姿はなくなっていて。後を追うようにあたしは521号室へとやってきた。
外から中にいるはずの高橋に一応声をかけて、ドアを開いた。

「遅かったね。」
でもそこに居たのは高橋じゃなかった。
「でも、これはまだ予想範囲内だし、」
「やぐっつぁん?」
そこに居たのはやぐっつぁんで、高橋の影も形も無かった。
それに"予想範囲内"と言う言葉がすごく引っかかった。

「何であたしがここにいるのか聞きたいんでしょ?」
それは気になる。高橋がいるはずの部屋になんでやぐっつぁんがいるのか。
「高橋に部屋代わってくれって言われた。だから部屋代わってあげた、それだけ」

部屋の入り口であたしは立ち尽くす。
それじゃぁ高橋と話せない。
「あっと、ごっつぁん。最後まで話しは聞いてね。」
ネガティブモードに入りかけていたあたしにやぐっつぁんはまるで救いの言葉のような言葉を掛けてくれて、
「今からよっすぃ呼ぶから、だからあたしたちの部屋に行って話してくればいいよ。」
そういってやぐっつぁんは携帯電話を取り出してよっすぃへと電話を掛け始めた。
あぁ、そうか。高橋に部屋を代わってって言われることが予想範囲内だったんだ。それからでも同じ部屋の人を呼び出せば高橋と二人っきりで話せる。

「もしもし、よっすぃ?何?何で涙声なの?まぁいいや。今からごっちん行かせるから部屋出て。」
やぐっつぁんは一言二言言うと早々に電話を切った。

「じゃあ、あたし行くよ」
「あ、待って!!」
部屋を出て行こうとしたあたしにやぐっつぁんが声を掛ける。
あたしが振り向くとやぐっつぁんは一度部屋の奥に引っ込んですぐに戻ってきた。

「これ持って行って。お守り。もしものときになったら開けて?」
やぐっつぁんに渡されたものはとてもお守りには見えないカラフルで小さめの巾着。
「ん、わかった。ありがと」
一応お守りを受け取ってあたしは部屋を出た。
廊下でよっすぃとすれ違って、「がんばれ」って言われた。
がんばるよ、これが自分のためで高橋のためだからきっと。

「ふぅーー。」
一度部屋の前で深呼吸。ちゃんと525号室なことも確認する。
部屋間違えたら赤っ恥だしね。

「ふぅーー。」
二度目の深呼吸。
ここまできた。あと少し。後もう少しで元に戻れる。
もう、不安になんてならない。
絶対元に戻れるから。

コンコン。
「愛。」
扉をノックして名前を呼んだ。
返事は返ってこない。

今はこの部屋の中にいる。それはわかる。さっきまでよっすぃがこの部屋に居て、そのすぐ後に出て行くとは考えられない。
出たくない。でもそれは愛が勘違いをしてるから。
愛はきっとあたしがもう愛のことを好きじゃないと思っている。

あたしは携帯電話を取り出して、愛の携帯番号に電話を掛けた。
『〜〜♪』
案の定部屋の中から愛の携帯電話の音がする。
愛は携帯電話を絶対手放さないから部屋の中に置いておくことは無い。つまり部屋の中には愛がいる。

「愛、話があるんだ。開けてよ」
携帯電話はコールしたまま部屋の中に声を掛ける。
けれども返事は返ってこなくて、携帯電話のコールも途切れた。

急に気落ちする。
一度すれ違った心と心はもう元に戻れないのだろうか?
きっとそんなことは無い。
でも、

あたしと愛を阻む壁は開くことの無い冷たい扉。
扉に手を当てても愛の暖かさはちっとも伝わってこなくて扉に触れた部分からあたしの心を凍りつかせていく。

ふっと、手を下ろして目を閉じた。
"もう、限界かな"
そんな考えが頭をよぎった。

『これ持って行って。お守り。もしものときになったら開けて?』
急にさっき言われた言葉を思い出した。
やぐっつぁんに渡された巾着袋。
もしものとき。きっと今がそうだ。
あたしは迷いもせずにそのお守り袋を開けた。

中からは見た事のある機械。
いつもやぐっつぁんが持ち歩いている携帯電話。
このホテルのものと思われるメモ帳の一ページに「これからなら電話繋がるかも」ってのが一緒に入っていた。
やぐっつぁんはどこまで予想してるんだか。
でも、このお守りはありがたく使わせてもらうよ。

ピッピッピッピ、

番号を入力した後。たった二回のコール。

「もしもし。」
まるでずっと聞いていなかったような愛の声。
なんか鳥肌が立ったような妙な感覚に落ちる。

「もしもし?矢口さん?」
こっちからはまだ何も言葉を発してなくて。愛はまだ電話を掛けたのがやぐっつぁんだと思っている。
「もしもしぃ?」
「…切らないでよ…」

一言目の言葉がこれ、
頼み込むような弱弱しい言葉だったけど、きっと愛にはこのつらさが伝わっているはず、
愛も同じつらさを感じてるはずだから、愛もあたしと"本当"に話したいはずだから。

「聞いてくれるだけでいいから、何も答えなくてもいいから、こうなったのは自分のせいだから。
贅沢を言えば一言だけ答えて欲しいけど、いやだったら答えなくても良いから」

たった何十文字かの言葉だけでも伝えるのが難しい。
こんな息苦しい関係にしてしまったのは自分だけど。それでも元に戻りたい。

「愛のこと………遊びだって言ったけど、うそだから。全部うそだから。
 ……ほんとはずっと、愛と一緒に居たかった。ずっともっと一緒に居たかった。
 あたし馬鹿だから、居なくなって見ないと本当に大切なことが何かもわかってなかったんだ。
 愛があたしのことをもう嫌いになっていたらもう仕方が無いけど、
 答えてくれる?………あたしのこと、まだ…好き?」

自分の中にある想いが伝わってくれれば、機械が壊れてくれれば、不安が消えてくれれば。
それだけできっとあたしたちはあの場所へ還れる。

だから、答えてよ、愛。

「好きだよぉ…………」
返ってきたのは涙声の愛の言葉で、
それは二人が元に戻れることを示す言葉だった。

「真希ちゃんが、好きだよぉ………別れたくないよ………」
その声に、やっぱりあたしが愛と苦しめて居たんだと自覚する。
「ごめんね。何回謝っても謝り足りないけど、無理でも愛にはわかってもらいたかった、ずっと、愛の事が好きだってことは、」

電話の向こうから聞こえてくる彼女の声はどこか少し嬉しそうにも聞こえて、
哀しみの抜けた声にあたしも少し嬉しくなった、

「ドア開けない?」
ドア一枚をはさんですぐそばにいるのに電話で話すのはやっぱりどこかおかしい。
あたしはそう聞いてみたけど、
「開けない………」
と、予想外な言葉が返ってきた。
「真希ちゃんが卒業するまで絶対泣かないって決めたから、今会うと泣いちゃうから、開けない。」

もう泣いてるのに………
電話でも愛が泣いてることぐらいわかるよ?
きっと愛の声を一番知ってるのはあたしだから、愛のことを一番知ってるのはあたしだから、誰も知らない愛を知っているのはあたしだから。

「真希ちゃん、卒業しちゃうんだよね?」
「うん、ずっと一緒に居たかったけど………」
「卒業したって一緒に居られるよ、キット。」
「そう、だね………」

「23日に、真希ちゃんが卒業したら一緒に帰ろう」
「うん、あたしの家に泊まりにおいでよ。掃除しに………」
「えぇ?!真希ちゃんまた部屋散らかしたの?」
「だって部屋掃除するの苦手なんだもん」
「もー、」

仲直りしたばかりなのに、そんな冗談を言って笑い合った。
もう何も心配要らない。

もう元のあたし達だから。

もう何も心配要らない。

――――――――――――――――――――――――――――――――

アンコールが終了して観客席からものすごい「ごっーちん」コールが聞こえる。
Wアンコールは「手を握って歩きたい」だけの予定になっていた。
でも、これはあたしの勝手に希望で一曲増えた。
「手を握って歩きたい」の前に一曲だけ歌わせてもらうんだ。

「卒業だねごっつぁん」
「うん、もう卒業だね。」
二ヶ月前に聞いたのにもうこの時間まで来てしまった。
「そだ、高橋に言っておいてよ。今から高橋への想いの曲を歌うって」
「え?手を握って歩きたいでしょ?何で高橋への想いなの?」
「ま、聞いてればわかるよ。だから伝えておいて?」

舞台裏でやぐっつぁんにそれだけを伝えてスタンバイに入る。
夏先生に扱いてもらったおかげで一人用のダンスもどうにか二日で覚えることができた。

自信は有る。

でも、それ以前に高橋に想いを伝える自信も有る。

「行くか。」

舞台に出る階段のところまで来ると、ゆっくり、音楽がかかり始めた。

『Hey, I'm afraid to ask you for I want to know so much...』

たった最初の二言だけでもきっと、愛への思いは伝えられると思う。

『But, if I open my heart, I feel that would be the end』

愛への想いはずっと絶えない。

『And there is only one thing....』

ずっと想い続ける。

『Still, I will love you more.』

「あ、い、し、て、い、ま、す、I LOVE YOU」

―――――――――――――――――――――――――――――――

『後藤さん、卒業おめでとうございます。
………旅行行く、一緒に旅行いくやく、行く約束。忘れないでくださいね。』
『忘れないよ?』
『後藤さん大好き!』

―――――――――――――――――――――――――――――――

『愛、帰ろ』
『うん、今準備する』
『なんか久しぶりだね、話すの』
『うん、すごい久しぶり。』
『今日は帰って何しようか?』
『あたしお腹すいたから真希ちゃんの料理食べたい』
『ん、いいよー、じゃあその間部屋掃除してね?』
『えー、あれホントだったの?』
『冗談だよ』
『あー、びっくりした。』

『ねぇ愛?』
『ん、何?』

『今日さ、』
『ん、』






『一緒に寝よっか?』















―――ブレイクダウン―――





end