エレキギターの音が流れる
グラサンを掛けたやる気のない司会
そのフォローに大忙しのアシスタント
こうして高視聴率の歌番組は今週も始まった

あたしはゲストとしてその場所にいた
本当は歌番組になんかでなくてもいい
歌を歌いたかっただけだ

この頃いつも歌う前にやる気をなくしてしまう
そして考えるんだ彼女の事を
もういなくなった彼女をあたしはいつまでも思っている

ギターを抱えてマイクスタンドの前に立つ頃にはまたあの記憶に呼び戻されるんだ
なんであたしはここにいるの?
あの幸せな場所と違うこんなところに
なんでいるの?



単調で規則的な機械の音、ガラス越しのあなたの顔
ちゃんと謝りたかった
喧嘩をしたまま別れたくなかった
でもそのほうがあなたは悲しんでしまうかもしれない
そんなの嫌だからこのままお別れするよ

あたしはあなたに会って初めて「生きたい」って思った
あなたに命の大切さを教わって初めて「死にたくない」って思えた

ずっとあなたと一緒に生きたかった

さよなら……市井ちゃん




12月のLOVE SONG〜この詩よ、届け君に〜




2001年春
「は、は、はっくしょん!!……うう、寒ィ」
深夜1時、あたしは家に帰ろうと夜の街を歩いていた
「ちきしょう、矢口がちっともゲーム抜けさせてくれないからすっかり遅くなっちったよ」
まだ春になって間もなく夜は当然のごとく寒い

コートのポケットに手を突っ込んだまま歩いていると今はもうどこにでもあるコンビニが目に入った
「ふぅ、熱いコーヒーでも買お」
そう思ってあたしはコンビニに入った
数分は雑誌を読んで冷えた身体をコンビニの暖房で温める
その後は予定通りコーヒーを買ってコンビニを出た、コンビニの袋は外のゴミ箱にすぐ捨てた

少し振ってからコーヒー缶のプルタブを起こして一気に半分ほど喉に流しこんだ
体の中も温まってきてもう一度帰り道を歩き始める

ちょっと大きな橋の上を通った時、
〜〜〜〜♪
声、歌声が聞えた
「これって、鬼束ちひろの『月光』」

橋の手すりのような所から身を乗りだした
橋の下にはまず川がある
その両岸にはよくストリートパフォーマンスしている人たちがいるところがある
そこには川沿いに5m置きぐらいに花壇、10m置きぐらいにベンチが置いてある
その辺りを見まわしてようやく声の主を発見した
栗色の長い髪、鼻筋の通った端整な顔立ち、難しい歌なのに表情を少しも歪めずに歌っている姿が凄く幻想的に見えた

「I am Gods child この腐敗した世界に堕とされた」
でも……なんて悲しい声……
その姿に見とれているとコーヒー缶を持っている手の力がいつのまにか抜けていて手の中からコーヒー缶が滑り落ちた
カラーン!!
コーヒー缶が約10mほど下に落ちた音が辺りに響く
それに伴い彼女の歌も途切れた

彼女は落ちた缶を見た後、その真上、あたしがいる場所を見上げた
目が合った、あたしはまるでメデューサにでも睨まれた様に動けなくなった
歌声は綺麗で、でもとても悲しくて、それでも彼女の瞳は歌以上に悲しみの色に染められていた
すっと彼女が視線をそらすと、スタスタとどこかへ立ち去って行った
思えば、これが彼女との、後藤真希とのファーストコンタクトだったんだ

12月のLOVE SONG―この詩よ、届け君に―

あたしの名前は市井紗耶香、高2、ただ歌が好きなだけの他に何のとりえもない
「はぁ〜……」
「お、どうしたサヤカ、ため息なんかついちゃって」
そんでこいつが矢口真里、あたしの親友って言えば親友、悪友って言えば悪友
「昨日さー、すっごい歌上手い娘見つけたんだ、でもすぐ逃げられちゃったんだよ」

今は放課後、あたしは屋上で昨日橋の下で見つけた少女のことを矢口に話した
「ふ〜ん、惚れたな、サヤカ」
「うん、あの歌声には惚れたね、つーかまた聞きたい」
あの歌声はすごく神秘的だった、それにあの悲しげな瞳が目に焼きついて離れなかった
もう一度あの子の声を聞きたかった

「しまった、今日オイラ早く帰んなきゃいけないんだった」
「ん、どうかしたの?」
「今日からさオイランちに従妹が居候に来るんだ、だから迎えに行くの」
「ふ〜ん、いとこねぇ」
「どうせよっすぃと一緒に今日も来るでしょゲームやりに、その時にでも紹介するよ、じゃね!」
「うん、またな」
矢口は校内へ戻る階段のほうへ歩いて行った

1人になったあたしはまたあの子の事を考えていた
綺麗な声、幻想的な容姿、そして……悲しい瞳
あたしは異常なくらい彼女の事を考えていた、でもその思考はあたしに向って掛けられた声で中断させられた

「市井さ〜ん」
妙に弱々しい声がさっき矢口が帰っていったほうから聞える、でもその声の主は矢口じゃない
矢口はあたしの事を“サヤカ”って呼ぶし、あたしの頭の中にはもう声とマッチする人物が思い浮かんでいた
「なんだ吉澤か」
話しかけてきたのは吉澤ひとみ、高1、吉澤曰く“矢口さんの弟子っす”だ

「なんだ、じゃないですよ、昨日吉澤の事見捨てて一人で帰ったでしょ」
「なんだよ、あたしが気ぃ使って二人きりにしてあげたんだろ」
そう、吉澤は矢口の事が好きなんだ
でも何時まで経っても矢口に告白しないから
“市井が取っちゃうぞ”とか言っても全然効果なし、見た目と違って根性ないんだ
まぁ昨日1人で帰ったのは、ゲームがつまらなかったからだけど

「嘘ばっかし!自分が負けてばっかりでつまんないから帰ったんでしょ」
「なんだわかってんならいいじゃん」
「市井さん!!!」
「そんな怒んなよ、吉澤に嫌われるとあたしショックで口が軽くなっちゃうぞ」
「ぐ……」
今は吉澤の弱み握ってるから吉澤なんか全然恐くないし
「今日は1人で勝手に帰んないでくださいよ」
吉澤は捨て台詞を吐いて去って行った
「あたしももう帰ろっかな」
あたしは立ち上がると側に置いていたカバンを持って屋上を後にした

屋上に続く階段から校門に向かうには必然的に職員室の前を通るようになっている
その職員室の前を通った時丁度職員室から出てきた先生に呼びとめられた
「サヤカ!」
「あ、裕ちゃんセンセー」
中から出てきたのは中澤裕子、綺麗で面白くて
周りからは今あたしが言ったように“裕ちゃんセンセー”と呼ばれている
ついでに言うと中等部のガキ達からは“ミソジ”と呼ばれている

「確かサヤカは学級委員やったよな?」
「はい、そうです」
「なっち、ちょっと来て」
裕ちゃんセンセーが職員室の中で手招きして“なっち”と呼ぶと職員室の中から誰か見たことない人が出てきた
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
“なっち”と呼ばれた人が挨拶したのでこちらも返す

「この子はな、教員実習生や、明日からウチの担任補助してもらうから」
「あ、安倍なつみです、よろしく」
「こちらこそ、市井紗耶香です」
「あ、後この子の事は“なっち”って呼んだってな、まぁ一応先生やから“なっちセンセー”やな」
それにしても…こんな童顔で先生?…一瞬転校生かと思ったぞ

「ん?サヤカ今帰るところか?」
「はい」
「そうか、引きとめて悪かったな、ほなな」
「はい、さよなら」

ちょっと足止めをくらったが、ようやく家に帰れる
校外に出るとスタスタと家に向かって歩く
20分ほど歩いて、昨日少女を見た橋の上にやってきた
昨日少女がいた場所には3人組のストリートパフォーマーがいてどこかで聞いた事のある音楽で踊っていた
「やっぱいないよなぁ……もう会えないかもなぁ」
その子がいないと分かってあたしはまた歩いて家に帰った

6時ごろ矢口の家でゲームをするためにわざわざ吉澤が迎えにきた
「別に迎えに来る事ないでしょ?」
「いいえ、市井さんなら来ないって事もあり得るので」
あたし達は矢口の家に向かいながら話していた

「そうだ、吉澤聞いた?矢口の家に居候が来るって」
「あぁ、聞きました、って言うか知ってるんですよその子、中学の頃同じクラスだったし
 高校も多分うちの学校に転校してくるって」
「ふーん、そうなんだ」
そうこう話している内に矢口の住んでるマンションについた
矢口の住んでるマンションは結構大きくて矢口は“親に買ってもらった”って言ってた

ピンポーン
呼び鈴を鳴らすとすぐに矢口は出てきた
「ん、今日は二人で来たんだ?まぁ、いいや上がって」
矢口に言われ部屋に上がる
「そうだサヤカはまだ会ってなかったよね、従妹、紹介するよ」
すると矢口は昨日まで空き部屋だった部屋をノックした
「ごっつぁん、ごっつぁん」
矢口が何度か呼ぶと、ゆっくりと扉が開いて中から誰かが出てきた

その人を見てあたしは驚愕した
昨日から目に焼きついて離れない悲しい瞳がそこにあった
そう、あの美しい歌声の少女がその場所にいた








「この子がオイラの従妹、名前は後藤真希。高校一年生、今度あたしらの学校に転校予定」
もう二度と会えないと思っていた彼女の出現であたしは文字通り目が点になっていた

「サヤカ、おい、どうした?」
ん?ちょっと待てよ……
確か矢口放課後に『今日からさオイランちに従妹が居候に来るんだ、だから迎えに行くの』
って、言ってたよな。『迎えに行く』って事は、今日、彼女はこっちに来たって事だよな
「おーい!!サヤカ!!」
「え?ああ、なんでもない。あ、あたし市井、市井紗耶香」

今日こっちに来たなら、昨日の……正確には今日の朝1時ごろにこっちにいる訳ないか……
まさか一日間違えて出てくるわけないし、仮にそうだとしても
一日ホテルに泊まるぐらいのお金は持ってるはずだろうし
一日早くても矢口の家には泊まれるはずだ、
ただ、似ているだけの人だよな……

「えっと、後藤さん?前はどこに住んでたの?」
「後藤でいいよ、前住んでた所はやぐっつぁんの実家」
「あ、ごっつぁんね、今両親と喧嘩してて、ちょっとの間矢口の実家に住んでたんだ」

なんか妙に矢口が慌てている気がしたけど特に聞かなかった

一応聞いてみようかな…昨日橋の下にいたか
“もしかして昨日橋の下で歌ってなかった?”

そう聞こうとした、でも後藤が放った一言でそんな事聞ける雰囲気ではなくなった
「……なんであなたがここにいるの?」
彼女の言葉はあたしの斜め後ろにいる吉澤に向けられていた
彼女はあの冷たい瞳で、吉澤に突き刺すような視線を向けている
「あたし前にも言ったよね?よっすぃの顔なんか見たくもないって」
すると矢口が慌てた様にしゃべりだす
「あの、違うんだよごっつぁん、よっすぃはあたしとサヤカと遊びに来ただけで別にごっつぁんに会いに来たわけじゃ……」
そしてその矢口の言葉をさえぎるよう後藤が言う
「いいよ、よっすぃが出て行かないならあたしが出て行くから」
言い終えると、後藤は玄関で靴をはき外へと出ていった

「何?何がどうなってんの?」
何も事体を飲みこめていないあたしが矢口に尋ねる
「まぁ、こんな所で立ち話もアレだし、中入んなよ」
「え?後藤は?ほっといていいの?」
「心配だけど……夜になったら帰って来るし」
…とりあえずあたし達三人はリビングの椅子に座った

「ごっつぁんね、中2の頃によっすぃと喧嘩したんだ……どっちが悪いとかじゃないんだ
 どっちも悪くない……でも、仲直りはできなかった」
「喧嘩の原因は?」
「ごめん、それは聞かないで、話すの辛いし、それに……ごっつぁんすごい気にしてる事なんだ
 ずっと、あの日から立ち直れないでいるんだ……」
「じゃあ、両親と喧嘩してるっていうのは?ただの親子ケンカで家出なんかしないでしょ?」
「それも……よっすぃとケンカした事と関係あるんだ」
「わかった、これ以上聞かない」

会話が途切れて数十分間の沈黙、こんな時に明るい話も出来なくて
みんな黙りこくっていた……そして
「あたしが悪いんですよ」
吉澤が口を開いた

「なんだよあたしが悪いって?」
「あたしが……友達としてごっちん支えきれなかったから、ごっちん冷たくなっちゃったんだ」
「違うよ、よっすぃは悪くない、それを言うならオイラだって……」
あたしは二人の会話をさえぎって話した
「あのさ、あたし思うんだけど、ケンカしてどっちが悪いとかはないんじゃない?
 原因作ったから悪いとか、エスカレートさせたから悪いとか、そんな事より悪いと思ってるなら
 今からでも仲直りできると思うんだ、
 ほら、あたし内情よく知らないけどさ、けんかして何度か友達なくした事とかあるし
 なんかそういうの見ておけなくて」
前半分はTVの受け売りだったけど、自分にも当てはまる事があってなんとなく大事にしてる言葉なんだ
でも……吉澤には伝わらなくて
「やっぱり私が悪いんですよ」と、言うばかりだった







「なぁ、後藤遅くないか?もう9時だぞ」
気がつけば、もう後藤が出て行ってから3時間が経過していた
「確かに遅いな……ちょっと心配になってきた」
「あ、あたしちょっと探してきます」
「ん、市井も行くよ、矢口は残ってて、で帰ってきたら連絡してよ」
「うん、分かった。見つかったらすぐ電話してね」
「分かってる」







「じゃああたしは繁華街のほう行って来ます」
「分かった、市井はこの辺一帯探してくる」
外に出て約10分、とりあえずあたし達は二手に分かれた
コンビニ、喫茶店、ゲーセン、時間を潰せそうな所は探した
でも後藤は見つからなかった

「どこいんだよ、あいつ」
独り言を呟く、そして思いついた
「もしかしたらあそこかも」
あたしは昨日少女を見た橋の下へと急いだ
昨日見た悲しい瞳の少女、
その少女はそこにはいなかった
代わりにあの瞳とは似ても似つかない後藤らしき人がいた

さっき見た時は悲しい色の瞳をしていたのに、今はまるで別人だった
「後藤先輩、次はこれ歌ってください、ちゃんと譜面も持ってきたんです」
「いいよ、見せて………愛ちゃんさ、なんでこんなに難しい歌ばっかりリクエストするの?」
「後藤先輩って歌上手いから、後藤先輩が歌ったらどういう風に聞えるかなって思って」
「ふぅーん、まぁいいけどね」
笑っていた、昨日ここで見た時も、さっき矢口の家で会った時も
ずっと無表情と言うか、一切笑ってはいなかったのに、今は友達らしき人と歌の話をして笑っていた
あたしは二人がいるところまで降りて行った
「君にも同じ孤独をあげたい、だから、I sing this song for you」
下に降りた頃、丁度後藤が歌い終わった
「歌うまいね」
あたしがそういうと後藤があたしの方に振り向いた
そして彼女があたしを認識した途端、彼女の表情から笑みが消えた
「何しに来たの?」
さっきとは打って変わって無愛想にそう言う
「矢口が心配してたぞ、帰りが遅いって」
「だからってなんであなたが出てくるの?あなたには関係ないでしょ?」
「それはそうだけど」
何か後藤はおかしかった、普通とは少し違う、何か違和感を感じた
抽象的な表現しかできないけど、何かおかしかった
「愛ちゃんごめん、今日はもう歌う気分じゃないや、また今度ね」
「あ、そうですか、じゃあまた明日、さよなら」
「うん、バイバイ」
“愛ちゃん”と呼ばれた少女が帰って行く
恐らく“歌う気分じゃない”=“今日はもう帰って”のような暗黙の了解でもあるのだろう

「やぐっつぁんに迷惑かけるわけに行かないし、今日は帰るよ」
後藤も素直に帰ろうとする、
あたしはその背中に向かって1つ質問をしてみた
「ねぇ、もしかして、昨日もここで歌ってた?」
「……なんでそんな事聞くの?」
「や、昨日ここで見た子に後藤がスッゴイ似てるから」
「人違いでしょ?昨日あたしこっちにいないし」
うそと言うのはすぐに分かった、でも問い詰めはしなかった
特に聞く理由もないし、本当の事を聞いてどうだと言うこともなかった

そして後藤が帰って数分後、「ごっつぁん帰ってきた、ありがと」と言う電話が矢口からかかってきた
思えばこの頃から、あたしの気持ちは後藤に向いていたのかもしれない



後藤編


「いいよ、よっすぃが出て行かないならあたしが出て行くから」
外に飛び出して数10分後。空からは太陽の赤色が抜けて夜の帳も完璧に降りきった
「ふぅ、どこで時間潰そっかな」
中学2年の頃まではこっち側で暮らしてたから、この辺の地理は分かる
でも特にどこへ行こうとは思いつかなかった

〜〜♪
着信メロディ『月光』が鞄の中から響く
あたしは鞄をあさって中に埋まっていた携帯電話を取り出す
「もしもし」
『あ、もしもし、後藤先輩ですか?』
「うん、そうだよ、なにか用?」
『あの、聞いて驚かないでくださいね、実は、高橋も後藤さんと同じ学校の中等部に転校する事になったんですよ』
「はぁ!?マジで?まだ中3でしょ、なんで今転校なんかするの?」
『後藤さんと一緒にいたいんですよはあとはあと』
あたしが今電話している相手は高橋愛、中学3年、あたしが神奈川のやぐっつぁんの実家に住んでいて
神奈川の中学に通っていた頃の後輩
「本気で言ってんの?」
『信じられませんか?』
「転校なんて大きな話し信じる訳無いでしょ?」
『じゃあ、前見てください』
「前?」
言われた通り前を見る……どうやら高橋の言う事は本当らしい
あたしの前方20mくらいの所で高橋が大きく手を振っていた
「もう来てんの?」
『さっき着いたんですよ』
高橋が電話でしゃべりながら歩いて近づいてくる
「電話代もったいない」
そう言ってあたしは笑いながら高橋の頭を小突いた
「『ちょっと無駄な事したかったんですよ』」
電話の受話器と目の前から同じ声がする

あたしは半分あきれていたが、でも半分うれしい気持ちもあった
あたしを追ってここまで来てくれる事を

「高橋がぁ、父さんと母さんにぃ、東京のガッコ行きたいって言うたらぁ『そんなん、高校からでええやろ!』って言われてぇ」
高橋は元々福井に住んでいて、父親の転勤に伴って神奈川に出てきた
福井出身のせいもあって長い話しをするとたまに訛る
「中学から入ればぁ、高校には受験せんでも入れるしぃ、寮もあるよーゆうたらやっとなっとくしてもらえた」
「ん?あの学校寮なんかあったっけ?」
「ありますよぉ、後藤さん自分の行く学校の事調べてないんですかぁ?」
「いや、あたしの場合やぐっつぁんの家があったから、寮の項目見なかったし…」
「ああ、そっかぁ」
何分か高橋としゃべりながら歩いていた
なんか、高橋の訛りトークを聞いてると落ちつくんだよね
「あ、後藤さん、なんか歌ってください」
「え?なんで今?」
「なんか無性に後藤さんの歌聞きたくなちゃって」
「でもこんな所じゃ……待てよ、昨日のあそこなら、ちょっとついてきて」
あたしは昨日来た、あの橋の下へやってきた
「ここならあんまり人来ないし、思いっきり歌えるから」
「じゃあ月光歌ってください、後藤さんの月光スゴイ好きなんです」
「じゃあリクエストにお答えして月光で」
あたしは一度深く深呼吸した









歌い終わると高橋が拍手をした
「やっぱ後藤さんってすごいです」
満面の笑顔でそう言われた、自然とあたしも笑う
「後藤先輩、次はこれ歌ってください、ちゃんと譜面も持ってきたんです」
「いいよ、見せて………愛ちゃんさ、なんでこんなに難しい歌ばっかりリクエストするの?」
出された譜面は宇多田ヒカルの『FOR YOU』だった
「後藤先輩って歌上手いから、後藤先輩が歌ったらどういう風に聞えるかなって思って」
「ふぅーん、まぁいいけどね」
こうして二度目のリクエスト「FOR YOU」も歌いきった、その時
「歌うまいね」
後ろから声がした
そこにいたのはさっきやぐっつぁんの家であった市井という人だった
「何しに来たの?」
大体何しに来たか見当はつく
さっきのよっすぃへの態度の事を聞きに来たか
帰りが遅いあたしを探すのを手伝っているかだ
「矢口が心配してたぞ、帰りが遅いって」
ビンゴ……それにしてもこいつの話し方なんかなれなれしくてむかつく
「だからってなんであなたが出てくるの?あなたには関係ないでしょ?」
「それはそうだけど」
せっかく高橋に会えて気分がよかったのに、またなんかイライラしてきた
「愛ちゃんごめん、今日はもう歌う気分じゃないや、また今度ね」
「あ、そうですか、じゃあまた明日、さよなら」
「うん、バイバイ」
高橋には悪いけど今は本当に歌える気分じゃない、多分こいつのせいで
「やぐっつぁんに迷惑かけるわけに行かないし、今日は帰るよ」
さっきベンチの上においた鞄を持って帰ろうとする、すると再び声を掛けられた
「ねぇ、もしかして、昨日もここで歌ってた?」
……ああ、思い出した、昨日あそこからコーヒー間落とした奴だ
「……なんでそんな事聞くの?」
「や、昨日ここで見た子に後藤がスッゴイ似てるから」
「人違いでしょ?昨日あたしこっちにいないし」
嘘を言って質問をかわした、本当は昨日あたしはここにいた
なんで居たかと言うと、東京に出てくる日にちを一日間違えたからだ
でもそんな事やぐっつぁんに言うのも恥ずかしいから黙ってたんだけど……

ガチャ、今日やぐっつぁんからもらった鍵でドアを開けた
「あ、おかえり、どこ行ってたの?」
「ちょっとその辺り散歩してただけ」
「あんまり一人歩きとかしないでね、今のごっつぁん……」
「分かってる、自分の躰の事は自分が一番わかってる、あんまりしないよ」
あたしが部屋に戻るとやぐっつぁんはどこかへ電話していた様だった
あたしは部屋に戻ると、服も着替えずベッドに倒れこんだ
携帯と鞄を床の上に放って毛布に潜りこんだ
あたは夜が嫌いだ、周りの暗闇に自分が飲みこまれそうになって恐くなる
でも死ぬときは、何も感じずに闇に溶ける様に死ねればいいとも思う

早く……明日が来ないかなぁ……



市井編


次の日、あたしはいつもより早めに学校に向かっていた、
なんであたしがいつもより早めに学校に向かうのか?
“アイツ”に会いたくないからだ、時間をずらしても毎回“アイツ”に出会う
今日ぐらいは普通に学校に行きたい……

「ふぁ〜あ」
通学路を歩きながら大きな欠伸をヒトツ、後藤探しのおかげで昨日はいつもより睡眠時間が少ない
でもそれはそれで昨日後藤の歌が聞けたのだから別にいいんだけど…
今日もあの橋の下…行ってみようかな……
そんなことを考えていると後ろの方から聞きたくもない声が聞こえて来た

「市井さーん!!」
その声に一言反応
「マジかよ……」
バッと後ろを振り向く、その声の主が“アイツ”である事は即座に認識できた
「またマラソンだ……」
あたしは走り出した、“アイツ”に追いつかれないスピードで、
なんのために走るのか?、あいつから逃げる為だ
「待って下さいよ〜!」
「バーカ!追われてるのに『待て!』って言われて待つ奴がいるかよ!」

“アイツ”に初めて会ったのは中3の頃、当時中1だった“アイツ”をカツアゲから助けてあげたのが原因
あの日以来、毎日しつこく追いかけてくる、実はあたしのセカンドキスはこいつに奪られた、
市井がもう少し力無かったらヤラレてたんじゃないかと思うほどだ
ちなみにファーストは裕ちゃんセンセーに奪られた、いや、あん時は泣いたよマジで………
……それにしても市井よく考え事しながら走れるな、自分でびっくりした

全力疾走する事約5分、ようやく学校に着いた、校舎内に逃げ込めばまだ逃げ切れる
できるだけ別れ道の多い高等部の校舎に向かって走る、後ろの方だいたい20mぐらい離れて“アイツ”も追ってくる
校舎内に入ったら、靴を脱いで上靴に履き替える、靴箱に入れてる時間がないから下靴は持ったまま、
靴をキッチリ履くと再び全力疾走、こうやって毎日走る事前提であたしの鞄の中には上靴が入っているんだ
“アイツ”も同じように追うこと前提で鞄の中に上靴を仕込んでいる
校舎の端の方にある階段を二段飛ばしで上っていく
一気に五階まで上がって、今度は反対側の階段へ
この校舎は五階までしかなく、屋上へは昼休みしか開いていないから次は降りるしかない、
……と、見せかけて、階段側にある掃除用具入れのロッカーに隠れる、
ロッカーの扉の隙間から“アイツ”が走って階段を降り行くのが見えた、
でもすぐに出れば気付かれる、ここはもう少し待ってから、

1分

3分

5分

10分


もういいかな…
ロッカーの扉をゆっくり開いて外の様子をうかがう、その時
「おはよ!サヤカ!」
「ゔわ゙〜〜!!」
急に後ろから声を掛けられ大声で驚いた
「な、なんだよ!びっくりさせんなよサヤカ!」
「それはこっちのセリフだっつーの!いきなり声掛けんなよ!」
「あ、もしかしてまた松浦?」
「その通り……今丁度撒いた所」
“アイツ”の名前は、松浦亜弥、現在中3のあたしが最も恐れる人物だ

「とりあえず今のうちに藤本呼んどかないとな……」
ポケットから携帯を取り出して発信履歴から『藤本』の名前を探す
頻繁に掛けるせいで上から5番目以内で大体発見できる

『只今電話に出る事が出来ません、留守番電話サービスセンターに接続します……』
「なんで出ないんだよー、藤本の奴ー!」
「残念でした、今日は美貴たん生徒会に出るから電話切ってるの」
「うわ!どっから出て来たんだよ!」
「市井さーん」
あたしは腕を掴まれて逃げられなくなる前に再び走り出し、さっき走って来た廊下を逆走する
次は同じ手は使えないから素直に階段を降りる
4階…3階…2階…1階と、どんどん階段を降りる
一階に着いて左右を見る
左側には登校してきている生徒達がたくさんいて通りぬけられそうにない、右側に走る
…なんだかんだ言っても松浦は、ホームルームの時間になれば帰っていくんだからそれまで逃げ切ればいいんだ
そう思って速度を速めたその時、
「失礼しました」
職員室から誰かが出てきた、
走っていたせいでその人の事に気付くのが遅れた
「あ…!」
ドン!
気付いたときには既にその人にぶつかっていた

「いててて……あ、すいません」
「何?朝っぱらから?」
憂鬱な表情を浮かべながら立ち上がったのは、他でもない、後藤だった
「あ〜!!市井さん大丈夫ですかぁ〜!」
間の抜けた松浦の声もあたしの耳には入らなかった
後藤の悲しい瞳に、目を奪われていた
あたしはしりもちを着いた状態で、立ち上がった後藤に言われた
「廊下は走らない方がいいんじゃない?市井さん」
その言葉でふっと我に返る
“市井さん”と、松浦のアクセントを真似してそう言われた
確かに廊下を走ってきたあたしも悪いけど、そんな人を小馬鹿したような言い方ってあるかよ……
あたしの考えも後藤がスタスタ立ち去って行くので意味を成さなくなった
あたしはスカートのお尻の部分を払いながら立ちあがる

「市井さん知ってる人ですかぁ?」
「あぁ、昨日ちょっとな」
「ふぅ〜ん、まぁどうでもいいや、捕まえた!市井さん」
あたしは後ろから松浦に抱きしめられた
「う!おい、バカ、離せ!」
「いやですぅー離しませーん」
ぼんやりしていて松浦に追いかけられていた事を忘れていた
「えへへへ、市井さーん」
「本当に離せってマジで!」
あたしが力をいれても松浦の腕は剥がせない
やばい……マジでどうしよう……このままじゃセカンドキスの恐怖が……
その時、天の助けが……
「亜弥ちゃん!!」
怒ったような声が廊下に響く、その声に松浦の腕が少しこわばった
「み、美貴たん?」
松浦が声のした方を振り向く
「人がいない間に何やってんのかな〜亜弥ちゃん?」
「せ、生徒会は?」
「あぁ、あれね、市井さんから電話あったから、絶対亜弥ちゃんの事だと思って抜け出してきたら案の定……」
「ご、ごめんなさい……」
「謝る前にサッサと市井さんから離れて、市井さん迷惑でしょ」
藤本にそう言われさっとあたしから離れる松浦
「ごめんな藤本、生徒会だったんだ?」
「いいの、迷惑かけてるのこっちだから、ホラ行くよ!亜弥ちゃん!」
「いいい痛いって美貴たん!腕そんなに強く握らないでよ!痛いって!」

藤本美貴、あたしと同じ高2、あたしが松浦と出会う前から松浦と付き合ってたらしいんだけど
何故か松浦は藤本だけじゃ飽き足らず、あたしにまで襲いかかる
藤本がもっとしっかりしてくれればあたしは毎朝走らなくて済むんだけど……
キーンコーンカーンコーン
「やべ!もうホームルーム始まる時間じゃん!」
あたしは急いで校舎玄関の方に走って、手に持ったままだった靴を靴箱に放りこむと自分の教室へと急いだ
教室の引き戸を少しだけ開けて中の様子を確認する
どうやらまだ先生は来ていない
中に入って自分の席に着く
「逃げ切れたの?」
「藤本に助けてもらった」
いつもの様に本日の結果を隣の席の矢口が尋ねてきた
「ごっつぁんさ、よっすぃと同じクラスになったらしいんだよね」
「そうなんだ、でも二人ケンカ中でしょ」
「まぁ、学校だから大事にはしないと思うけど……そうだ、さっき松浦に聞いたんだけどさ…」
「さっきっていつ?」
「多分サヤカがロッカーに隠れてるときだと思うけど、あたしが『おはよ』って話し掛けたら『市井さん見ませんでしたぁ?』って聞いてきたし」
「ふぅーん」
「あ、で、松浦が言ってたんだけどさ、なんか松浦のクラスにも転校生が来るらしいんだ」
「転校生の大フィーバーだね……あ、裕ちゃんセンセー来た」
クラスの前側の扉から裕ちゃんセンセーが入ってくる
先生の後ろには昨日あたしだけ紹介された安倍先生も立っていた
「みんなおはよう、早速やけど、紹介するわ、
 今日から約一年、教員実習生としてこのクラスの副担任になる『安倍なつみ』先生や」
裕ちゃんセンセーが言い終えると、安倍先生が教壇に立った
「えっとはじめまして、今日から一応皆さんの副担任になる事になった、安倍なつみです
 担当は数学、みんなからも色々教えてもらう事もあると思います
 教員実習生としては長い一年ほどですがよろしくお願いします」
言い終えてぺこりとお辞儀をする、クラスからは疎らに拍手がわいた
「ねぇ、サヤカ、あの先生すっごい童顔じゃない?オイラ一瞬転校生かと思った」
「ああ、あたしもそう思った」
「じゃあ、自己紹介でもしよか、ほな、そっちの端から名前と特技と自分の好きな子のタイプ」
「センセー、好きな子のタイプって関係あるんですか?」
「うっさい、矢口はだまっとけ、これは裕ちゃんの趣味や」







「…したら〜八百屋さん200円でいいよって、本当は500円なのに200円だよ?それで家帰って料理したら値段どおりの味でさ〜」
キーンコーンカーンコーン
「あ、チャイムなっちゃったべな、じゃあ続きは今日の終わりのホームルームで…って事でいいかな裕ちゃん?」
「ああ、ええで」
このホームルームの時間は、生徒の自己紹介と
なっちセンセーの(本人と裕ちゃんセンセーがそう呼べってうるさいから)地元の北海道の話しで終わった
「ほな今日も頑張って勉強せぇよ」
そう言って二人は教室を出ていった







「で、大根がなまら太くってぇ〜おろしてもおろしても無くなんないの〜」
終わりのホームルームでもなっちセンセーの話しは続いていた
所々笑える所や、心温まる話しはあるのだが……オチがない……
「じゃあこれでなっちの話しはおしまい、みんな長々とごめんねぇ」
このなっちセンセー笑顔にこのクラスの何人かはノックアウトされているはずだ
「えっと裕ちゃんこれで終わっていいの?」
「ええで、今日は特に伝える事もないしな」
「あ、えっと、終わりの号令とか言う人いますか?」
「あ、あたしです」
「じゃあ、サヤカおねがい」
「起立、礼」
「ありがとうございましたー」
「はーい、じゃあさよならー」
一日の授業が終了した
それとほぼ同時に数名の生徒がなっちセンセーの側に駆け寄った
「あの、なっちセンセーって幾つなんですか?」
「料理上手なんですか?」
「どこに住んでるんですか?」
「恋人とかいるんですか?」
「え、あの、えっと、一度に質問しないで……」
なっちセンセーはその生徒達に質問攻めにされていた

「なっちセンセー大人気だねー」
人事の様に矢口が呟いた
確かに人気だ、とても一日目とは思えない、いや、一日目だから人気なのか
「ちょっと、裕ちゃん、助けて……」
「まぁな、先生になったらそういう事もあるやろうから今のうちに慣れとき」
「えー!裕ぢゃーん!」
なっちセンセーが裕ちゃんセンセーに見放された(とはちょっと違うか)
でもまぁ、このクラスはミーハ―な子が多いからすぐ元に戻るとは思うけど……
「矢口帰らないの?」
「え?ああ、帰るけど、今日ごっつぁんと一緒に帰るから」
「そう、じゃあお先!」

後藤か……
人を小馬鹿にしたような態度で、歌が上手くて、“愛ちゃん”以外とは笑わない、そして……

後藤の事を考えながら歩いていると、またあの初めてあった時の悲しい瞳が脳裏に浮かんだ
後藤はなんであんな悲しい目をするんだろう?
矢口が隠している事と何か関係あるんだろうけど、あたしには分からない、謎が多すぎるし謎を解く鍵も少なすぎる
考え事をしながら歩いて、図書室の前を通りかかった時、

ドン!

丁度図書室から出てきた人とぶつかってしまった
「あ、ごめんなさい」
その少女が持っていた数枚の紙がハラハラと床に落ちる
「あ、いや、こっちこそぼーっとしてて」
それにしても今日はよくぶつかる……
あたしは彼女が落とした紙を拾うのを手伝う
この紙……譜面?
「あれ、もしかして昨日……」
彼女に何か言われかけたので彼女の顔を見た
「あ、後藤と一緒にいた子?」
「そうです、高橋愛です」
「あ、あたし市井紗耶香」
名前を名乗ったあとまた譜面を拾う

全て拾い終えて彼女に渡す
「どうしたの?その譜面」
「あ、これですか?図書室の音楽の本からコピーしたんです、後藤先輩に歌ってもらおうと思って」
「ふぅーん、あ、今時間ある?」
「え、ありますけど……」

何故高橋にに聞こうと思ったのか分からない
ただ、後藤が高橋の前でだけ笑うってことで、高橋なら何か知ってるんじゃないかと思った
「あ、ジュースでよかった?」
「はい、すいません、頂きます」
あたしは屋上の自動販売機でジュースを2本買って1本高橋に渡した
「後藤ってさ、いつもあんな感じなの?」
「あんな感じって?」
「なんかこう、人を寄せ付けないって言うか、人を小馬鹿にしたって言うか、誰とも話したくないって感じじゃない?」
「え?市井先輩知らないんですか?」
「ん?何を?」
「あ、いえ、知らなければいいんです、あたしが言う事じゃないし……」
「あぁ、吉澤とケンカした原因のこと?うん、あたしも詳しくは聞いてない」
「吉澤さんって言うんですね、後藤先輩の友達の人の名前」
「それは知らなかったの?」
「後藤先輩は『よっすぃ』って言ってました」
「ああ、そういう風に聞いてたんだ」
「後藤先輩、その吉澤さんとケンカしたことずっと後悔してるんです、後藤先輩言ってました
『あたしの心が弱いから、あたしがちゃんとできないから、
 よっすぃを傷つけちゃったんだ、あたしには悲劇の主人公を演じる資格もないのに』って」

後藤もやっぱり後悔してるんだ、吉澤とケンカしたこと、吉澤と同じように後悔してるんだ
二人は仲直りするべきだよな……

「市井先輩は後藤先輩のこと好きなんですか?」
「はぁ?!」
いきなりの質問に声が裏返る
「好き?……って言うかなんで?」
「後藤先輩の事聞くのは後藤先輩のこと好きだからじゃないかな、って思って」

好き?あたしは後藤のこと好きなのかな?
それとも単なる好奇心から?
実際の所どうなんだろ?

「別に好きじゃないよ、後藤って言うか、あたしが気にしてるのって、後藤と吉澤のケンカのことだよ
 吉澤は大事な親友の大事な弟子だからね」
「そうですか」
「そういえばさ、後藤って高橋と話ししてるときだけは笑うよね?」
「ああ、それはあたしが………………いえ、これもあたしが言う事じゃないです
 あ、そろそろ時間ないんで失礼します」
「あ、ごめんね、時間取らせちゃって」
「いえ、……後藤先輩の歌が聞きたいんだったら、多分今日もあの橋の下に後藤先輩来ると思いますよ」
高橋は意味深な言葉を残して去って行った

今日も来るんだ……あの橋の下、行ってみようかな




アレから数日、あたしは毎日あの橋の下に通った。
後藤は毎日そこに現われて歌を歌っていた
後藤は、高橋がいる時には高橋のリクエストの曲を歌うのだけど、1人でいる時は悲しい歌しか歌わなかった
「弱ってた、この身体から」
あたしは橋の手すり壁に持たれながら今も後藤の歌を聞いている

後藤はものすごく歌が上手い。
高橋のリクエストにはアイドル、シンガーソングライター、バンドにダンスユニットなど、
様々な種類の歌があった
その上バラード、ロック、ジャズィにラップ歌のジャンルも幅広かった
そしてその歌全てを上手く歌い上げていた
でも一番上手いのはあの歌、後藤が歌っている歌であたしが始めて聞いた曲、そして高橋から毎日あったリクエストの曲

鬼束ちひろの『月光』……

後藤は何かに縛られているんだ
高橋が言っていた後藤の事、

『あたしには悲劇の主人公を演じる資格もないのに』

『悲劇の主人公』と言う言葉。あの時、なんかひっかかった
その『悲劇』がきっと後藤を縛り付けているはずなんだ






数日前の昼休み
『よぅ、吉澤』
『あぁ、市井さん』
『後藤は?』
『今どっか行ってるみたいです…って言うかごっちん、教室にいる方が珍しいですけど』
『なんで?アイツ友達いないの?』
『作ろうとしないみたいなんです、"どうせ友達じゃなくなるから"って』

…どうせ友達じゃなくなる…どうしてそんな事がわかるんだ?
ドラマで聞くようなセリフだけど、そんな事やって見なくちゃ分からない






「一人にしないで神様あなたがいるならあたしを遠くへにがしてください―――」

後藤の歌声が止んだ
今日はもう終わりだろうか

あたしは立ち上がって手すりから半分身を乗り出した。後藤は立ったまま静止している
数秒、あたしも後藤も動かずにそのままだったが
急に後藤があたしのほうを見上げた
あたしはびっくりした。後藤の視界内に入っていなかったのに急に自分のほうを向かれると思わない
でもそれ以上に後藤も驚いた表情をしていた

「いつからそこにいたの?」
「え、あぁ、今日は7時くらいからかな……」
「今日は?…アンタ毎日ココにきてたわけ?」
「あ、ああ来てたよ」

後藤はあたしがそういうと嘲笑気味に笑いながら言った「馬鹿じゃないの?」と、
例え嘲笑でも腹は立たなかった、それに、それは後藤が初めて見せてくれた笑顔だった

あたしは橋の端っこから後藤のいる場所まで降りていく
「ちゃんと笑えるんだね」
あたしのその言葉に後藤は「?」って感じの顔をした

「あたしって後藤の悲しい顔しか見たことなかったから」
「普段何も面白くないのに笑える?それに今のはアンタの馬鹿さ加減を笑ったんだよ」


一度笑った後藤は、まるでさっきまでの悲しい表情が嘘の様に普通だった
「じゃあ、市井ちゃんも歌好きなんだ?」
「ああ、まぁね」

あたしの事を“市井ちゃん”と呼び、普通に笑った
多分、今が初めて会ったのなら、あたしは後藤の悲しい瞳になんか気が付かなかったはずだ

「歌は好きだよ、どんなジャンルでも良いし」
「例えばどう言うの?」
「え?……んと、明るい系?」
「こっちが聞いてんのになんで疑問系?」
「いや、特に思い浮かばなくて」
「じゃあなんでもいいから歌ってよ」
「え、何で?」
「あたしの歌は聴いたでしょ?ただ聞きする気ー?お返しするでしょふつー」

そこまで言われたら歌わざるを得ない
何を歌えばいいんだろう?
「暗いのはやめてよ」
「なんだよ、後藤が歌ってたの暗い歌じゃんか」
「あたしが暗い歌うたってたから明るいのにしてって言ってんの」
「……分かったよ」

後藤が数歩先のベンチに座る

明るい歌……明るい歌……

「早く」

後藤からの催促が入る
……よし、アレにしよう

「キュービッククロスって知ってる?」
「知ってるよ、男二人女1人のイマイチ売れてないバンドだよね」
「いまいち売れてないは余計だけど……まぁ、いいや、その1stシングル、うたうよ」

パチパチパチパチ

後藤からの拍手が聞こえる、なんとなく気分が乗ってきた

『人生がもう始まってる、歌詞の挿入』

歌い終わった後の数秒の沈黙、そして
「まぁまぁかな」
後藤の言葉
「なんだよ、まぁまぁって」
「まぁまぁだからまぁまぁ、上手くもないし下手でもないって事だよ」
「なんだよそれ」
「まぁ、いいじゃんいいじゃん」

後藤の笑顔を見てると、怒る気力もうせてくる、

なんだか、ものすごく後藤がイトオシク思えた

「さぁて、なんか歌おっかな」

でもその後藤の瞳をなんだか怖くなってきた
いつか目の前からいなくなるんじゃないかと、この“声”を失うんじゃないかと、恐くなった

「どうかした?市井ちゃん」
「…いや、何でもない」

後藤の表情は笑顔になったけれど、
あの悲しい瞳は変わらぬままだった

「そろそろ帰らなくて大丈夫?矢口が心配するぞ」
「もうちょっとぐらい大丈夫だよ」
「駄目だって、ほら、年上の言う事は聞いとけって」
「何でさー」
「この前の事だってあるし、それにいつもはこのぐらいの時間には帰ってるだろ?」
「そりゃそうだけどさ」
「分かったら、ほら、サッサと帰ろう、矢口を心配させるなよ」

この日はいやがる後藤を無理矢理家へ帰らせた
時間が遅いって言うのは本当だし、帰らせたほうがいいと思った

あたしは、彼女の笑顔を見れただけでよかった
…でも

…………あれは彼女の本当の笑顔なんだろうか?



後藤編


『じゃあ、市井ちゃんも歌好きなんだ?』
何だか、妙に浮かれていた。
会って数日も経たないうちに、こんなにも色々喋っている
勝手に『市井ちゃん』なんて呼んだりして、
多分愛ちゃん以外の人と喋るのが久しぶりで、喋りたいこと全部喋っちゃったんだと思う
だから別れた後は……余計に虚しくなった

「ただいま」
「あ、おかえり、今日もまた愛ちゃんと一緒だったの?」
「うん」
多分やぐっつぁんは、あたしといた人が市井ちゃんだろうと愛ちゃんだろうときっとどっちでもいい
それなら、やぐっつぁんが思っていた方を正解にしておこうと思った
「ごとー、もう寝るから、おやすみ」
「え?ご飯食べないの?」
「いらない」
「薬は?ちゃんと飲まなきゃダメだよ」
「もう飲んだよ」

色々しつこいぐらいに聞いてくるやぐっつぁんを適当にあしらって部屋に戻る

これじゃ駄目だ、本当はこれじゃ駄目なんだ
やぐっつぁんはあたしの躰が心配で言ってくれてるのに、冷たい態度しか取れない
こんな自分が嫌になる

どうしてあたしがこんな目に……あたしは何もしてないのに









『よっすぃ、話があるんだ』

そう言ってあたしは屋上へと続く階段を登って行く
よっすぃもあたしに続いてその階段を登る

『何?』

屋上に着いてあたしにそう聞いてくるよっすぃ
あたしは話しを始めた

『もうあたしに近づかないで』
『え?』
『あたしには友達なんて要らない、家族なんて要らない、何もいらないんだ
 あたしが何かを欲しがれば、きっと“それが”あたしを失って悲しむから』

あたしはたんたんと話していく

『何言ってんの?あたしごっちんと友達辞めるつもりなんてないよ?』
『よっすぃには無くてもあたしにには……あたしはもうよっすぃなんて要らない
 それに、よっすぃも…………あたしが死んだらどうする?』

こんな事を平然と話していたあたしは、もうズレ始めていたのだろう

『…………』

よっすぃはもう何も言わなかった
あたしは最後に一言

『もうよっすぃの顔なんて見たくもない』

…いつよっすぃが帰ったかは知らないがあたしはその場を去った
そして二度と、よっすぃはあたしに会いに来なくなった







「……ぁん、ごっつぁん、そろそろ学校行く時間だよ、」
やぐっつぁんの声で嫌な記憶の夢から抜け出した
「おい、ごっつぁん、学校行かないの?」
「行く……起きるよ」
もう一度眠ってしまいたかったが、また記憶の続きを見てしまいそうだったから眠るのは止めて起きる事にした
「じゃあ顔洗って、すぐ御飯にするから」
やぐっつぁんが部屋を出て行く
起きたばかりで立ち上がる力も出なくてベッドに座りこんだまま背伸びをする
そのままだと眠ってしまいそうで、何か音楽を掛けようとしてベッドから降りてベッドの下からCDケースを引っ張り出す
特に“これを聞こう”とは思わずにケースの中身を物色する

いつもなら絶対掛けないCDケースが今日は何故か目に付いた
『CUBIC CROSS-C:BOX』ほとんど何も考えずにディスクを取り出してコンポにセットした

機械で作ったような音が流れる
キーボードとエレキギターの音が鳴り始めて音がドンドン大きくなる
『――今、裸足で砂踏めば――』
歌詞カードを見てあまり知らないCUBIC CROSSのメンバーを見る『たいせ〜』『吉澤ナオキ』『市井沙耶香』
ボーカルのこの名前が市井ちゃんそっくり、歌声もそっくりだ
『――湾岸の景色、見える場所で――』
昨日は気付かなかったけど市井ちゃん案外歌上手いんだ
多分CUBIC CROSS本人より上手いと思う
『――人生がもう始まってる――』
一番が終了し間奏に入る所でCDを停止させた
やぐっつぁんに呼ばれたからだ

あたしは先に洗面所で顔を洗って
やぐっつぁんのいるリビングに向かった
「座って、もうできてるから」
あたしは椅子についてテーブルの上に乗っている物を見ていく
白御飯、味噌汁、焼き魚、漬物
至ってシンプル、最近まで1人暮らししてました感の出ている物ばかりだった
「いただきます」
「ハイ召しあがれ」






「じゃ、矢口は先学校行くけどちゃんと学校行かなきゃ駄目だよ。あ、後出るときちゃんと鍵閉めてね、じゃあ、いってきます」

やぐっつぁんが出ていって数分後、あたしは御飯を食べ終わって自分の部屋に戻った
クローゼットを開けて中に掛けてあるグレーに近い色のブレザーを取り出して着替える
着替え終わって机の上に散らばった本を時間割通りに鞄に詰めて行く、すると
〜♪
着メロ『月光』が鳴った
「高橋?」
『あ、ちゃんと起きてますかぁ?』
「別に毎朝掛けてこなくても…」
『何言ってんですかぁ、昨日はまだ眠ってたでなぁ…』
「あ゙ー分かったからちゃんと起きてるよ、学校もちゃんと行くし、いいでしょ?」
『いい返事です』
「も〜何様のつもり?」
ふざけた調子で話した
高橋とこっちで会った日から高橋は毎朝電話をしてきた
高橋が学校であたしに会いたくてもあたしが学校にいないと困るとそういう理由で電話を掛けてあたしを学校に行かせる
『もう下で待ってますよ』
「マジ?分かったすぐ降りる」






高橋と学校までの道を一緒に歩いていた
「あたし迎えにこなくても…高橋寮生活でしょ?すぐそばなのにこんな所まで来て…」
「だってこっちまで来れば長い時間一緒にいられるじゃないですかはあとはあと」
「…前から聞きたかったんだけど…その、あたしをスキって言うのは本気でいってんの?」
「半分冗談の半分本気ですよ」
「…はぁ…」
イマイチ高橋が何考えてるか分からないんだよなぁ…
「あ、後藤先輩、今日も歌いに行きます?」
「え…今日はどうしようかな…」

あそこに行くとまた市井ちゃんに会っちゃいそうだし、
でも高橋といる時は会いたくない
高橋はあたしの弱さを知ってる、その高橋の前で市井ちゃんに会うのは何か拒否感のあることだ

「別に歌うのはいいんだけどさ、あの橋の下はちょっと嫌なんだよね」
「え?なんでですか?」
「ちょっとね……」
「………じゃあ、ウチ来ます?」
「え?」
「ウチの寮って以外と防音性高いんですよ、だからちょっとぐらい大きな声で歌っても大丈夫ですよ」
「あたしは別にそれでも良いけど、高橋が良ければ」
「じゃあ、今日学校終わったら教室まで迎えに行きます」
高橋はうれしそうに話していた
それから学校に着くまでは高橋と歌の話をしながら歩いていた

「じゃあ迎えに行きますから勝手に帰らないでくださいよ」
「分かってるよ」
校門の所で高橋と別れた
その後はわき目も振らずに自分の教室へと向かう

ガラララ、
戸を開いて中に入る
一瞬教室のみんながあたしのほうを向くがすぐに視線ははずれる
あたしには誰からの声もかからない
当然だ、転校初日にあたしに話しかけてきた数人にあたしは
『あたしに話しかけるな、うざい』
と、教室中に聞こえる様に言ったのだから

一瞬よっすぃと目が合った、があたしはすぐに視線をはずすと自分の席についた






「この例文を…後藤さん、訳してください」
「ボブは一切嫌われることなく高校生活を送った」
「very good、座ってください」
あたしは英語がスキだ
歌を歌うときに英語の歌詞は少なくないし
日本語では漠然としか歌詞にできなくても、英語ならできる事もある
英語だけじゃなく勉強全般はなんでも好きだ
社会、理科、国語、数学……でも逆に

「じゃあ次の本文を…吉澤さん」
「えっと、分かりません」

よっすぃは勉強が大の苦手、二時間目の社会の時間なんか『四国は九州と…』なんて言ってたぐらいだ
それで社会の先生に『そのまま立ってなさい』って言われてた

「もうちょっと勉強しなさい」
「……はい」







時間はすぎて昼休み、
あたしは昼食を食堂で済ました後、高等部校舎と中等部校舎から隔離された旧校舎の中にいた
「この校舎の中誰もいない」
一言喋ると音が反響して自分の声が聞こえる
「…静か……」
その校舎の中を探索して一つの教室を見つけた
『第4音楽室』
音楽と言う単語に興味を惹かれ戸を開けた
普通の教室の2倍ぐらい天井が高く、中には机も何もなくて、ただピアノ一つだけが置いてあった

ピアノの天面が白くなっていて、フッと息を吹きかけると辺りに埃が舞い上がった
「埃だらけ……」
でも鍵盤の部分とと椅子は誰かが手入れでもしているのか黒さが保たれていて綺麗だった
椅子に座って鍵盤のフタを開く
ピン!
音はちゃんと出るらしい
ドゥン!
低い方の音も出してみる、こちらも問題ない

「ふぅー」
一度大きく深呼吸し両手を鍵盤の上に添える
すると頭の中にパッと音が浮かんだ、『月光』
いつもはアカペラ、声だけで歌っているが、今日はピアノだけを弾いてみる
ピアノの音は一つもずれはなくきちんとチューニングされていた
あたし以外にも出入りしている人がいるのだろうか

あたしがピアノを弾くのに夢中になっていると、教室の扉が開いた
「あのー、誰かいますか?」




市井編





「ふぁーあ」
昼休み、人のあまり来ない図書室にてボイストレーニングの本を読みながら大欠伸
「あー、あー、あ゙ー、うっ、ゴホッゴホッ」
本に書いてある通りに声を出して咽る
誰かが見ていたらかなり間抜けだ
そもそも本が好きでもないあたしがなんで図書室なんかにいるのか?

昼休みが始まって矢口はすぐに「ごっつぁん所行ってくる」とか言って1年の校舎に行っちゃったし
吉澤の所行ってもまた後藤の事で暗くなってそうだからイヤだし
屋上はもうすぐ温かくなる季節には気持ちいい涼しい風が吹くと人気の場所になっちゃって落ちつかない
だから冷房の故障した少し人気の遠退いた図書室にあたしは来ていた

「ふぅ」
適当に読んだボイストレーニングの本も数分でもとあった棚に戻る
ほかに興味を惹く本も見あたらない
あると言えば数ヶ月前の音楽雑誌に載っている譜面程度の物だ
あたしはまた本を探して並びの悪い本の背表紙とにらめっこしてると

ガラララ
人気がないはずの図書室の扉が開いた

「あ、市井先輩」
「ん?あぁ、高橋か」
「見たい本でもあったんですか?」
「いや……ちょっと暇つぶしにと思ったんだけど、見たい本がないんだよね」
「はは、そうですか」
来訪者は高橋
「高橋は?また譜面探し?」
「いえ、今日は調べ物です」
“調べ物”
そう言って高橋は医学書のコーナーに進んでいく
あたしは手に持っていたなんの本か分からない本を置いて高橋のところまで歩いていく
「医学に興味あるんだ?」
「あ、はい。将来医者になりたいんです」
「医者?へぇー、しっかりしてんね。今何年生なの?」
高橋は本を一冊とってパラパラと中身を見ながら話す
「今中学3年生です」
「中3。“アイツ”とは偉い違いだな」
「“アイツ”って誰ですか?」
ぱら見していた本を戻して、今度は違う本を手に取る高橋
「高橋と同じ中3なんだけど将来の事なんか全然考えてないやつの事。松浦って知ってる?」
「あ、知ってます。同じクラスですよ。カワイイですよね」
高橋はぱら見した本を小脇に抱えまた違う本を探し始める
「同じクラスなんだ?そりゃカワイイとは思うけどさ、ちょっとあたしは苦手なんだよね」
普段追い掛け回されていれば苦手にもなる、あたしは心の中で苦笑する

「そう言えば松浦が言ってたけど転校生来たんだって?」
「転校生?」
高橋は本を探していた手を止めてこちらを見る
「いや、伝え聞いた話なんだけど、違うの?」
「あ、それ多分あたしの事ですよ」
「え?」
「あたし1週間前に神奈川の学校から転校してきたんですよ」
「あ、そうなんだ」
「そうなんですよ」
高橋はまた本を選び始め、合計3冊の本を小脇に抱えて、図書委員がいるはずのカウンターへ向かう
勝手にカウンターの内側に入って引出しから黒い「貸出し簿」を取り出して自分の名前と日付と本の名前とコードを書き込む
市井は本のタイトルを見てみた

“新版・脳外科”
“脳における異常”
“脳腫瘍、その判例と対処法”

「なんか脳の本ばっかりだね」
「え、ああ……ちょっと、身体の一部から始めようかなって思って」
「ふぅーん」
「あ、じゃあこれで失礼します」
高橋は足早に図書室を出ていった
「変なの……」

所変わって旧校舎
春休みが明けてからはこっち側には全然来てなかったから随分久しぶりに感じる
あたしはよく音楽室に行っていた
誰もいない、ピアノしかない音楽室。1人になりたいときはよくそこへ行った
弾ける物はピアノしかないけれど
それでも暇つぶしには十分だった

スタスタと第4音楽室に向かって歩いてると

〜♪〜♪〜♪〜♪

空耳のようなピアノの音が聞こえてきた
あのピアノの音だ
でもこっちには誰もいない筈

音楽室に近づいてくると段々音も大きくはっきりしてくる
「誰かいるのか」
まさかこんな昼間から幽霊……って事はないよな?

音楽室の前で一度立ち止まる
「月光……まさかね」
このごろよく聞く『月光』
まさかとは思ったけど本当にいるなんて
ガラララ
音楽室の扉を開けて一歩中に入る
「あのー誰かいますか?」
中にいたのは、紛れもなく後藤だった

「市井ちゃん……」
ピアノの音が止まる
「あ、後藤だったのか、音聞いてもしかしてって思ったけど」
後藤は驚いた表情で「なんでココに来たの?」と聞く
あたしは「いや、よくココに来るんだよ」と、答える
「……そうなんだ」




「I am God`s chaldこの腐敗した世界に堕とされた」
あたしがピアノを弾いて後藤が歌を歌う
あたし達二人で創った初めての歌

「市井ちゃんピアノ上手いね。歌と違って」
歌い終わった後藤が言う
「なんだよ、歌と違ってって」
「歌は下手って事だよ」
「なんだそれ」
冗談と分かってるからいいものの……
でもなんだか後藤に言われても腹は立たなかった

キーンコーンカーンコーン
「あ、チャイム鳴っちった」
まぁ図書館で時間潰した後だったから時間ないのも当然か
「後藤、今日も歌いに行くの?」
「いや、今日はちょっと用事があって」
「そうか……じゃあ市井教室戻るわ」
「あ、ちょっと!」
「ん、なに?」
教室に帰ろうとするあたしをひきとめる後藤
「あ……えっと、あたしね……今オリジナルで曲書いてるんだ…だから、完成したら……聞いてくれる?」
「え?後藤曲書けんの?」
正直驚いた。歌好き、歌が上手いって言うのはすぐ分かったけど、まさか自分で曲書けるなんて
「あの、たいしたものじゃないんだけど……」
「いいよ、完成したら聞かせてよ」

その言葉を最後に、あたしは音楽室を後にした



後藤編


放課後
誰もいなくなった教室であたしは自分の机にうつ伏せて高橋を待ちながらの考え事

なんであたし市井ちゃんに曲の事喋っちゃったんだろう
まだ高橋にも言ってない事なのに

ふと自分の部屋を思い浮かべる
壁に掛かった2本のギター
アコースティックギターとエレキギター。

自分の実家を出た後、やぐっつぁんの家に住み始めてすぐの頃高橋と一緒に買った物だ。
とくに興味があった訳でもないけど、高橋に「一緒に買いません?」って、
そんな事、あんな屈託のない笑顔で言われて断る奴はいない

それからギターの練習をはじめて、上手くコードを抑えられなくて一度投げ出して。
そんで高橋に「後藤先輩がギター弾くところ見たかったのになぁ」って言われてムキになって。
それからまた練習をはじめて、3ヶ月経つ頃には見なくてもスラスラコードチェンジできるようになってた。
その頃ぐらいからだ。高橋があたしに歌のリクエストをするようになったのは。
本当は『この曲弾いてください』だったのが、いつの間にか『この曲歌ってください』になっていた。
ギターを弾く序でに歌っていたはずが歌がメインになっていた。

そして高橋からのリクエストの中に知らない曲があった。
鬼束ちひろの『月光』。
初めてCDで聞いた時には本当に鳥肌が立った。
自分と重なる部分も多くて、その曲がすごく気に入った。

原曲と同じようにピアノを練習し始めたりして、高橋は今でもあたしにリクエストする。
高橋もこの曲が好きなんだ。

随分と昔の記憶が蘇ってくる。
一度考え事をすると意識がドンドン深くまで降りていく。
それもこんな静かな場所なら尚更。
そのせいでまた嫌な記憶が蘇ってくる。

『家を出て行く事ないでしょ?』
『お母さんにもお父さんにもあたしの気持ちなんて分かりっこないのに、分かったような事言わないでよ』
本当の自分の家にいるあたしが大きな鞄に荷物を詰めている。
あたしが家出をしようと荷物をまとめている所だ。
『家を出てどこに行くつもり?行く当てなんかないでしょ?』
『やぐっつぁん所。もうあっちの返事ももらってある。少なくとも。今のこの家にいるよりはマシだよ―――』

「後藤先輩。お待たせしました」
両親とケンカして家を出たときの記憶。
高橋の声がそんな夢からあたしを引きずり出す。
「後藤先輩?」
「ン……あぁ、やっと来た。待ちくたびれたよ」
「すいません、ホームルームが長くて……じゃあ、行きましょうか?」
「あ、うん―――」

学校の隣のマンションのような建物。
男子禁制の学校付属の寮。
あたしは高橋の部屋に案内してもらった。
「どうぞ」
「以外と広いね」
広さは2LDKといった所。
狭い玄関と向こうにキッチンが見え、その向こうには扉が3枚。
2つは普通の部屋でもう一つはユニットバスに通じているらしい
「これまさか1人部屋?」
「まさかぁ、本当はもう一人いるんですけど。高2の恋人がいるらしくって普段はそっちにいるんですよ」
「ふぅーん」
高橋が入った3つ並んだ扉の右側の部屋についていく
「これ高橋の部屋?」
「そうです」
部屋の中には、TV、ビデオ、机、パソコン、ベッド…色んな物が置いてある
そして壁にはあたしとおそろいのギターが2本
「なんかギター全然弾いたあとがないね」
「あ、ばれちゃいました?」
「高橋が一緒に買おうって言ったんだよ?なんであたしばっかりが練習してんのさ?」
「…まぁ、いいじゃないですか。お茶入れてきます」
高橋が部屋を出る。あたしはなんとなく手持ち無沙汰になって壁に掛けてあったアコギを手にとってベッドに腰掛けた
ポロローン。
ギターを一回かき鳴らしてみた。
「なにこれ。全然音ズレてんじゃん」
そのギターの音は普通のE・B・G・D・A・Eとはかけ離れた音を出していた
ギアを巻いて一つづつ音を合わせていく
ポロローン。
「ん、いい感じ」
ガチャ。
「お待たせしました」
音合わせが終わった所で丁度高橋が紅茶を持ってもどって来た
「高橋。これ全然音ずれてたよ」
「え?ずれてました?」
「ずれてたよ」





「出会えた事から全てが始まった 傷つけあう日もあるけれども」
高橋からリクエストの入ったELTの「fragile」。
あたしがギターを始めた頃に初めて弾いた曲を久しぶりに弾いた。

「先輩。次dearest歌ってください。浜崎あゆみの……」
間髪入れずに次のリクエストが入る。
「ちょっと休憩させてよ」
あたしはそう言って紅茶を口に含む。
「……高橋ってさ。恋人とか作らないの?」
「へ?」
ギターも弾かずに何か話題を探そうとして出た言葉。
何気なく聞いたこの発言が、あたしの精神をかき乱すきっかけとなる。
「だってさ、学校終わった後とか、休みの日とか前の学校の時もあたしと一緒だったじゃん?」
「……あたしは作る気ないです。……後藤先輩は?」
“後藤先輩は?”
この言葉。
高橋にはなんの悪気もない。
それでも、情緒不安定なあたしを狂わせるには十分だった。

「…本気で言ってんの?」
あたしの声のトーンはさっきとは違い、かなり下がっている。
「え、本気もなにも。付き合ってる人とかいないのかな?って、」
普通だ。高橋は昔の高橋やあたしと違って普通。
だから、あたしの考えはもう理解してもらえないと思った。

「高橋も普通の人と同じなんだね」
「え?」
「高橋には……あたしの気持ち。理解してもらえてると思ってたのに……所詮治っちゃえばその時の考えなんか忘れちゃうんだよ」
あたしは、精神不安定なまま、自分を殻に閉じ込める言葉を吐く。
「ちょ、そんな事ないですよ!あたしあの時の事覚えてます!じぶんが死にそうになった時の事とか、もう助からないって思った時の事とか、全部憶えてます!」
「嘘だ!でなきゃあたしにそんな事聞く筈ないじゃん!こんな身体で、恋なんかできるわけないのに!憶えてたら―――!」

――視界が揺れる。

――またこの感じ。

「後藤先輩?」

――頭が痛い。

激しい頭痛があたしを襲う。
あたしはあまりの痛さに頭を抑える

「づ……」

痛さのあまり声も出ない。
ギターが手から滑り落ちて床にあたってボゥーンと音が響く

――声が出ない。

――痛い。

――苦しい。

――誰か、助けて。

「先輩!大丈夫ですか?!後藤先輩!」

最後に高橋の声が聞こえて、

ドン!

あたしは気を失って、床に倒れこんだ。




重い瞼を開く。
見た事あるような無いような天井が目に入る。
どうやら病院では無いらしい。

「…つ……」
まだ痛みの抜けきっていない頭を抑えながら身を起こす。
ココはさっきの高橋の部屋。

片付けられてない半分紅茶の入ったカップ。
床に放りっぱなしのギター。
でも高橋の姿は見当たらない。

ベッドから降りて、部屋の入り口のドアに近づく。

扉を開けようとしたら目の前が銀色に染まる。立ちくらみだ
起きたばかりにはよくあることだ。
あたしはふらついて壁にもたれかかって体を支える。

数秒すると立ちくらみもおさまり、目の前の銀色も視界も普通に戻る。
あたしはドアを開く。

部屋の外。キッチンに高橋の姿が見える。
なにやら作っていたようで、机の上には色んな物がのっている。

あたしが部屋を出るとあたしに気がついて高橋が近づいてくる。
「後藤先輩、気が付いたんですか?駄目じゃないですか、勝手に歩いたりして。でも丁度よかったです。座ってください」
あたしは高橋に半分体を支えてもらってリビングの椅子に座る。
リビングのテーブルの上には高橋が作っていた料理が色々並べられている。

「薬飲ませたほうがいいのかなぁーって思って。でもなにか食べないと薬飲めないじゃないですか?
 味は……不味くは無いと思うんで、食べてください」
高橋はあたしの正面の椅子に座って言う。

「ごめん」
あたしは一言謝った。

「なんで謝るんですか?」
高橋はキョトンとした表情であたしのほうを見る。

「さっき。あたしの事分からないとか言って……」
「あぁ、アレの事ですか?気にしてませんよ」
高橋は笑って返してくれた。
「だって自分の時の事とか覚えてるし、誰も信用できなかったりとか、意味無く人のせいにしたかった事とかありましたから、気にしないでください」

高橋の、自然な優しさに触れる。
高橋はこんなにもあたしの事を分かってくれてるのにどうしてあたしは……

「先輩、泣かないでください」
「え?」
気が付くと涙が頬を濡らしていた。
ポタポタと涙が手の甲に落ちる。

「あの……さ」
あたしは涙をぬぐって喋り始める。
「何か…高橋はこんなにもあたしの事を分かってくれてるのに。あたしが普通に話せるのは高橋しかいないのに。
 でもあたしはそんな高橋にさえも素直になれない。……そんな自分が悔しいんだ……」

あたしは普通の人とは違う。だから、自分で何か壁を作っちゃってるんだ。誰にも近づかれない様に。
その壁のせいで、あたしは誰とも話せなくなっているんだ。

ギュッ

いつのまにか後ろに来ていた高橋に抱きしめられる。
「後藤先輩にも。もうすぐ分かってくれる人が現われると思います。
 だから……もう自分を傷つけるのはやめてください」

あたしは後ろから回された高橋の手を握って一言返事をする。
「うん……」

涙も引いてきて、二人でご飯を食べた。
高橋の料理はすごく美味しくてまた作ってもらう約束をした。
その後二人で後片付けをして、続きだったDearestを二人で歌った。
そんでやぐっつぁんに電話をして今日はこっちに泊まる事を伝えた。

「じゃあ、電気消しますよ?」
「うんオッケ」
ちょっと狭かったけど、同じベッドに二人で入った。

「あたしさ、高橋がいなかったら今生きてないと思うんだよね」
「え、何でですか?」
「自分と同じ道を歩いてきた人がいたから、少しは着丈に振舞えたし、安心もできたと思うんだ」
「……そうですか」

「おやすみ」
「おやすみなさい」

――本当に、あたしの事をわかってくれる人は現われるのだろうか?
  こんな自分を傷つける事しかできない、人を救う事などできないあたしを、分かってくれる人はいるのだろうか?




to be continued