よつ葉のクローバー 別冊「足跡」
1999年度  

別冊「足跡」より
  
 みーたんは予定より3週間はやい、平成9年10月20日(長男せいやと同じ誕生日!!)の午前4時33分、体重2118gで生まれました。破水からはじまり、はじめは微弱だった陣痛が突然ものすごい痛みになり分娩台にあがりました。分娩台にあがるとすぐに助産婦さんが「先生を呼んできて」と叫び、私のお腹の上に乗りました。わたしは休み間もなくいきみ続け、なんとか無事みーたんは生まれました。か弱い声で泣いていて、「顔面位」という変わった生まれ方をしたため、顔がうっ血して赤黒かったです。先生と助産婦さんに「時間がたてばきれいになるからね!」と何度となく言われました。今から考えると私のことを気遣ってのことだったのかもしれません。
 私はまだ何の疑問もなく、びっくりするような出産だったなぁ〜と思いながらも、喜びを噛み締めていました。その日の夕方の事です。「小児科の先生からご主人にお話があります」と言われ、不安を感じながら主人と2人で先生の話を聞きに行きました。先生は、「筋緊張が弱く、特にお腹が真綿のようにやわらかく気になります。染色体の異常かもしれませんので、検査をされた方がいいと思います。」と言われあました。頭が真っ白になり何をどう答えたらよいのか、何を聞いたらよいのか、ボーっとしていると帰り際に看護婦さんが「染色体の異常というのはダウン症のことで……」と付け加えてくれました。主人もあまりピンとこず2人でボーっと部屋へ帰りました。部屋に帰って主人と言葉をかわすと次から次へと涙が溢れてきました。次の日も次の日も入院中は泣いてばかりで、まわりの人たちが楽しそうに話しているのを見ているのがとても辛く感じました。
 みーたんは小さかったため、2500gになるまではしばらく入院することになりました。私が退院する時には心雑音があるので心臓の先生にみてもらった結果「心房中隔欠損」で、今すぐどうということはないが経過を見ていかなければいけない事。と、血小板が少なく「一過性骨髄造血症」で急変した場合は、関西医大へ移るかもしれない事が告げられました。また不安が増えましたが、Mはダウン症ではなく「心房中隔欠損」や「一過性骨髄造血症」のため体も小さく、哺乳力も弱いのでは....と思おうとしました。
 1ヶ月後、検査の結果はやっぱりダウン症でした。なぜか冷静で涙も出ませんでした。その後は、どうして家の子が?どうして私だけが?何か私が悪いことしたのか?そんな事ばかり考える日々が続き、これからの私たち家族の未来は真っ暗に感じました。そんな気持ちの中、「よつ葉のクローバー」の人たちに出会ってみんなの元気で前向きな姿を見て、私の気持ちも少しずつ変わってきました。
 これまで、みーたんの笑顔や長男せいやの無邪気な姿に励まされ、家族やまわりの人たちに助けられてきました。これからもまわりの人たちを大切に思いみーたんと家族と共に成長していきたいと思います。



 
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