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 貴族社会から武士社会へ変貌した平安時代後期。その中心的存在が平家でした。保元の乱平治の乱で台頭し、権力の座にのぼりつめた平清盛が愛した神戸。清盛の財政基盤を支えた神戸。平家滅亡の舞台となった神戸。神戸は平家物語の重要なポイントです。

 平清盛は大輪田の泊を大改修し,神戸を歴史の表舞台に引き上げ,福原遷都(行幸という人もありますが神戸ではあくまでも遷都です)を敢行し一時都を神戸に置くなど神戸発展の基礎づくりに多大な貢献がありました。
 源氏に追われ,朝敵といわれ悲劇的な最後をとげた平家。そんな平家や平家物語にゆかりの神戸を探してみました。


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 保元の乱ほうげんのらん
 1155年近衛天皇が亡くなると、後継争いから崇徳上皇派と後白河天皇派が対立、保元元年(1156年)にそれぞれを後ろ盾する藤原摂関家、平氏、源氏の肉親が敵味方に分かれ戦った事件。結果は後白河派が勝利し、崇徳派は、粛清された。
崇徳派=藤原頼長、源為義(義朝の父)、源頼賢(義朝の弟)、源為朝(義朝の弟)、平忠正(清盛の叔父)
後白河派=藤原忠通、源義朝(源頼朝・義経の父)、平清盛、源頼政、信西(藤原通憲)

 平治の乱へいじのらん
 保元の乱後の人事に不満を持っていた藤原信頼、源頼朝等は、平治元年(1159年)、清盛が都を空けた隙にクーデターを起こし、一度は成功するが、詰めが甘かったため清盛等政権派が逆襲、戦いは平家一門対源氏一門の様相を見せ、平家側が大勝利、以後清盛と後白河上皇の結びつきはいっそう強くなり、平家が本格的に政権を握るきっかけとなった事件。