所在地 大阪府富田林市富田林町2−7西方寺境内
祭神 稲荷大明神
與九郎狐(ヨクロウギツネ)
由緒 近在の森に独り住む子狐が寂しく思い翁の姿で西方寺に碁を打ちに現れる。
後に村一番に名人になるも正体がばれ狐が囲碁に興じる事を生意気に思う
村の若者に巣穴の前に罠を仕掛けられ命を落とす。
住職がその事を哀れに思い供養する。後に社を建て鎮守としてここに祀る。
与九郎稲荷私考
祭神を稲荷大明神と記しているのは西方寺の石柱側面に與九郎稲荷大明神と刻まれているからである
与九郎稲荷の扁額に正一位とあり、その事から伏見稲荷大社より勧請されたものと推察され本来は宇迦之御魂大神と記すべきだと思われる
しかしながら付近に由緒書きなどはなく稲荷神についても様々な呼び名(宇迦之御魂神・保食神など)もあることからここでは広義的に稲荷大明神と記させて戴いた
なお伝承・民話の通りならば、西方寺境内に与九郎狐の慰霊のための塚が築かれ
その後西方寺住職と同じ墓に葬られたとある
後世、狐と稲荷信仰を結びつけ稲荷神を勧請したのではないかと類推される
なおこれは蛇足だが狐は稲荷神の眷属であり、稲荷神自体は人の姿をしているそうだ
たまに稲荷神=狐と誤解されている方もいるのでここに記させて戴いた
西方寺境内三十八神社の北に隣りてあり、餘九郎狐の伝説によりて知らる。
その昔源九郎、餘九郎といふ二匹の古き兄弟狐あり。
源九郎は大和郡山に在り、餘九郎はこの三十八神社の森に住み、毎夜人の姿となりて西方寺に入り、住職と談り、又囲碁をなせり。
村の若中共この餘九郎を捕へんと、相謀りて狐羂を作り置きにし、餘九郎之を見てそれと覺り、急ぎ寺に入りてこの事を住職に話し、心寂しく思ひて、死後の供養を頼みたり。
然るに帰途空腹なりし為、浅間しや好物油揚の臭いに引き入れられ、羂にかヽりて命を終えり。
この稲荷はその靈を祀りしものなりと。
因に源九郎は郡山町にて盛大に祀らる。
富田林の民話「碁の上手なきつね」にも上記と同様の話が伝えられている
平成22年2月17日
追記 平成22年5月28日