恐怖心は信仰の欠乏


 心の迷いの中で最も大なる塵埃は「心の不安・恐怖」であります.
(「生命の実相」第39巻・81)

 恐怖心の起る根元は,この世に自分の存在又は幸福を脅かすところの何物かが存在するという信念である.この信念を打ち破らない限りは根本的に恐怖の根元を絶ち切ることはできないのである.
(神と偕に生きる真理365章・334)

 現象は如何に移り易っても,その奥に愛深き神の摂理が,結局必ず一層幸福の世界に吾々を導いて下さるのだと云う根本的な信頼をもたない限り不安は去らないのである.
(新版「幸福を招く365章」・165)

 すべての恐怖は自己の金剛不壊の“神性”に十全の信頼をおくことなく,“神の子”に敵対する何らかの“悪”がこの世に存在すると考える迷妄から生ずるのである.
(女は愛の太陽だ・50)

 世の中で最も不必要なものは恐怖心なのである.恐怖心は不信仰から来る.
(新版「生活と人間の再建」・213)

 恐怖・不安・取越苦労の汚物を清掃除去するのが「信仰」なのである.
(希望を叶える365章・17)

 元来恐怖心は信仰の欠乏から生ずるのであって,過去のことを思いわずらう持越苦労,未来のことを思いわずらう取越苦労及び現在の事に不満足なる感謝欠乏の心によって成り立っているのである.
(新版「生活と人間の再建」・215)

 不安,恐怖,曖昧の念を汝の心の世界より取り除くべし.其処に汝の幸福来らん.
(新版「叡智の断片」・54)

 自己が既に完全なるものだという自覚の欠乏からすべての不安,恐怖,心配等が起って来るのである.
(新版「栄える生活365章」・148)

 あなたは内部に宿る「神性」の権威をもって如何なる災厄も拒否することができ,一切の恐怖を超えて,心を平和に保つことができるのである.あなたの「内部の神性」の自覚が昂まるとき一切の恐怖は消え去るのである.
(新版「栄える生活365章」・235)

 あなたの神性の自覚が深まれば,そこには恐怖なく,災厄なく,失敗なく,行く処として可ならざる無き状態に到達し得るのである.
(新版「栄える生活365章」・236)


   恐怖は劣等感から来る


 恐怖が起るのは,自己のうちに「劣等感」があるからである.劣等感があるのは,神と自己とが隔離されて,自分という小さなものが孤立していると思う習慣的想念があるからである.
(新版「栄える生活365章」・262)

 “神の子”に劣等感などあり得ないのである.自己の無価値感,能力の欠乏感を棄てよ.
(如意自在の生活365章・51)

 誰でも自己の内なるキリストに振向いて,自己の神性を自覚したとき,劣等感が消滅し,何事も常に永遠の勝利者となることができる.
(希望を叶える365章・187)

 劣等感をなくしようと思ったならば,失敗したことを数えるのを止めて,成功したことを数える方がよいのである.
(新版「真理」第8巻・179)

 自分が「変る」ための根本は,人間は神の子であり,本来清浄であり,本来罪なき者であり,本来完全なものであることを知り,心の奥底から劣等感を根絶しなければならないのである.
(新版「栄える生活365章」・24)

 劣等感を去るには,過去の不成績の現象を見るな.そんなものに心を定着するに.過去は過去なり,過ぎ去ったのだ.今,今,外を見ないで内を見るのだ.内にやどる神性・仏性を見るのだ.そして内部の神の子なる実相を,神相観中に一念不動に見つめるのである.
(希望を叶える365章・175)

 他に対して,はずかしいとか,臆病だとかいう性質も,万人共通のものだと判ったときには却って劣等感は消えてしまうのである.
(新選谷口雅春法話集9「人生を前進する」・19)

 諸君ははずかしさや恐怖や臆病の対象となるものほど,それを克服するための挑戦として,わざとそれに挑みかかって,それを克服する事にするがよいのである.
(新選谷口雅春法話集9「人生を前進する」・21)

 増上慢もいけないが,劣等感もよくない.この両者は,現象の自己にひっかかって,「実相の自分」とそれを混同している点において共通しているのだ.
(谷口清超「智慧と愛のメッセージ」・40)

 出来ないことを数えていくと,それは気が沈むから,“これは出来る”と出来る所を数えてごらんなさい.
(谷口清超「解決できない問題はない」・128)


   憎悪は恐怖心から来る


 憎むことは悪いことだから止めよう,怨むことは悪いことだから止めようと努力しても,どうしてもこの憎み怨む心が止まない.これは「憎む心」で憎む心を止めよう止めようと努力しているからです.
(「生命の実相」第12巻・88)

 人を恨んだり憎んだり腹が立ったり悲しんだりするのも,もとを探れば恐怖心からでありまして,自分だけの力で生きている有限な力で生きているのだから,あんなことをされてはこちらの力が減ると思うから起こるのであります.どんな人が自分に損をかけても,自分は無限大の大実在につながっているという大自覚がありさえすれば,人間は損を損と感じない,無限大からいくら差し引いても無限大が残るからであります.
(「生命の実相」第8巻・8−9)

 人を赦すことが出来ない人は,神を信じていると云っても実は信じていないのである.何故なら,神の造りたまえる世界に何か悪があると信じているからである.そして神の自己に与え給うた幸福は,何人も自己から奪い去ることが出来ないと云うことを本当にその人が信じ得るならば,自分に害を与えるかの如く見える人達をも容易に赦すことができるのである.
(新版「幸福を招く365章」・256)


   何ものにも害されない


 恐怖を征服するための第一必要なのは肉体に及び,自分の環境に起る出来事は,悉く自分の想念の反映であるという心の法則を知ることである.第二には人間というものは肉体的存在ではなく,神の自己実現であり,それは金剛不壊なる霊的実在であって,決して如何なる外物にも傷つけられることもなきものであるということを信ずることである.
(新版「生活と人間の再建」・215−216)

 われわれが人に何かいわれて腹を立てたり,くやしがったり,負けまいとがんばってみたり,自尊心にかかわると思って力んだりしますのは,自分自身というものが何か他の働きで損をするように思うからであります.どんなにせられても損のしようのない円満完全な相が自分の相である.自分と神とは一体だから,どんなにしても欠けようがない,傷つきようがない,自分自身があるということがわかると,腹も立たず,相手のいいなり放題になってなんの不安もない,それどころか相手を愛し憐れんでやることから相手の望むところ以上のものをこちらから与えることができるのであります.
(「生命の実相」第2巻・126)

 この恐怖の観念は,自分と神と一体である,自分は大宇宙とともに生きている,たとい外見はいかに見えようとも,あらゆる事物が渾然として自分自身の成長のためにのみ運行しているという根本観念が,心の奥底に植え付けられさえすれば,自然に消滅してしまうべき性質のものである.そもそもかかる悪感情の起こるところの根本原因を調べて見ると,ただ一つ恐怖の感情に還元することができるのである.自分の存在がおびやかされることを恐れるから腹が立つのである.負けるかもしれないと恐れるから,われわれは嫉妬するのである.彼が自分に害を加えるであろうことを恐れるから憎むのである.
(「生命の実相」第7巻・113)

 感情にとらわれるな.激情に支配されるな.感情をわがものとせよ.激情を支配せよ.感情にとらわれる者は未だ真に教養あるたましいの持主ということはできないのである.
(「生命の実相」第7巻・104)

 人から無礼な言葉をかけられたり,無礼な仕打ちを受けたときに,腹を立ててはいけない.侮辱や,無礼を耐え忍ぶのは,本来自分は,そのような外からの侮辱や無礼によって価値が下がったり傷ついたりするような弱い存在ではなく,いかなる侮辱にも迫害にも無礼にも傷つかないところの金剛不壊の“神の子”であるという自信をもっているからでなければならない.
(希望を叶える365章・58)

 私たちが腹が立つのは,自己が害されると思うからである.人をゆるすには,自己が“神の子”であって何人にも害されるよう弱体では決してないということを知ることである.そして,この世界は神の摂理に支配されているのであるから,今,都合が悪いように見えていても,結局は都合がよくなるということを信ずるとき,他から害されるという念がなくなるから,他に対して憤るという必要もなくなるのである.
(新選谷口雅春法話集9「人生を前進する」・102)

 自分がどんな堅い金剛不壊の実相身であるということが悟れると,誰が自分に対して殴って来ても,子供が金剛不壊の仁王様に対して打ちかかって行くようなものであって,腹の立ちようがない.常にわれわれは赤ん坊とすもうをとるつもりでいれば腹が立たないのであります.
(「生命の実相」第12巻・38)

 不滅の実相を自覚することによってのみ,根本的に恐怖が滅するのである.真に「人間・神の子」の真理が自覚されるならば,神の子に相応しからぬ嫉妬,激昂,虚栄,憎悪,復讐,怨恨,不平などのこのましからざる感情は消え去り,ただただ感謝の一念のみが起こってくることになるのである.
(如意自在の生活365章・110)


   害するものはない


 もしあなたがただ善のみを信じ,善のみが存在の力をもち,善以外のものは何ものをも自分に近づくことはできないということを真に知り念ずるならば,たちどころに恐怖心は去るのである.
(新版「生活と人間の再建」・225)

 恐怖・不幸・恐怖・不幸の悪循環を断ち切るためには,恐怖の原因となっているところの常に変易する“無常の世界”を“本来無い”と“心の世界”より消し去って,真に存在する世界は,唯,神の創造り給える完全世界のみであると知らなければならないのである.
(神と偕に生きる真理365章・335)

 人間は“神の子”であり,神は人間の父母であるから,神が人間に不幸をもち来たすことなど絶対にあり得ないと知ることは,これはまた恐怖を無くする根本である.
(神と偕に生きる真理365章・335)


   神とともにある


 不安,焦燥,恐怖が起こってきたときは,不安に思うまい,イライラするまい,焦るまい,恐れるまいと思ってそれを抑圧してもたいていは駄目であります.「不安」を無くするには,「不安を……」とすら考えないで,全然別なる状態に心を集中しなければならないのであります.すなわち,この時こそわれらは,「神を想い,完全を想い」心を旧我から一転せしめて,「神と一つになる自分」を新しく発見するように努めなければならないのであります.
(「生命の実相」第28巻・30)

 われらの心の明朗の極点は「神の無限力」と一体で生きているという自覚であります.
(「生命の実相」第28巻・31)

 あなたが“神の子”として神につながり「神と一体になって行動するのだ」という自覚を得るとき,もう何物をも恐れる必要はなくなるのである.(新版「栄える生活365章」・243)

 神を想うこと,実相の善のみ実在であることを想うこと,完全の実相のみを想うこと,それによって想念は浄まり,一切の恐怖がなくなるのである.「般若心経」に,「顛倒無想を遠離すれば恐怖なし」とある.
(新版「栄える生活365章」・203)

 恐怖心が起っている限り,恐怖は不信の感情の現われであるから,神の救いの波長が合わないのである.だから真の解決は平和な心境によって神に任せることによって得られるのである.
(新版「生活と人間の再建」・224)

 私たちが「愛」の心によって神と波長があうようになるならば,神は「生命」であるから,その生命の生かす力を完全に受けることが出来,「生命」は生きるばかりであるから老病死の恐怖がなくなるのである.
(新版「真理」第10巻・92)

 一切の不安恐怖を克服する道は,われに大いなる神の慈手に抱かれ,その大愛に護られ,その大智慧に導かれているのであるから決して自分は不幸に陥ることはあり得ないし,一時不幸に陥ったかの如き観を呈することがあっても,それは,今,内部の力が養われているのだと云う,自覚を持つなら,前途に対する一切の恐怖不安は克服されてしまうのである.
(希望を叶える365章・23)