山行日 | 2005.4.24 | ![]() |
山域 | 京都北山:京都府:京都市 | |
コース | 小塩東谷登山口(40分)卒塔婆峠(30分)廃村八丁 廃村八丁(50分)品谷峠(20分)品谷山 品谷山(45分)ダンノ峠(25分)四郎五郎峠 四郎五郎峠(30分)廃村八丁(50分)小塩東谷登山口 |
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標高差 | 約440m |
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総歩行時間 | 約5.5h |
廃村八丁 八丁山は明治11年6月最終的に上弓削村と佐々里村との境界が決定する迄 実に600年近い争いの歴史でした。1682年公儀の御留山として立入り禁止になり 明治維新の後、払下げになり争いの結果、上弓削村領となりました。 明治33年には分教場も設けられ8人の児童に教師1人が教鞭を執っていました。 然しそれも、昭和8年の大雪では食料も欠乏し、病人が出ても医者にも掛かれず と、散々な目に遭い次々離村し、結果昭和11年には廃村になりました。 現地案内板より抜粋 《廃村・・・》その名の響きは現代に於いて、いにしえのロマンを感じさせる。 その背景には高度成長期における第一次産業の衰退や、過疎による人口の激変 或は周辺環境の変化等で、やむなく墳墓の地を捨てるなど、もの悲しい物語がある一方で 日本の原風景や、豊かな自然が残っています。それが浪漫を感じさせるのでしょうか? |
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今回は以前から訪ねてみようと思っていた、京都北山の 八丁廃村に群生すると聞くイワウチワと品谷山を共に訪ねて 見ました。篠山市から国道372号線を東へ、八木町を抜け 国道477号線を東進し、周山を通り井戸の集落から北へ 小塩東谷の登山口を目指します。小塩の集落を抜けると 1車線の狭いダートの林道に変わります。更に奥へ進むと |
昨年の台風の影響でしょうか?、斜面の杉の木が数多く倒れ 一部は林道に覆い被さる様に倒れています。ハイルーフ車なら 天井に当たり通れ無いでしょう。更に奥へと進むと左手に 小さな木の橋が架かり、卒塔婆峠への標識が見えます。 此処で車をUターンさせ路肩に駐車します。支度を済ませ 歩き出したのが10時頃でした。橋を渡り小さな沢の右岸へ |
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沢に沿って杉の植林の中をゆるゆる登ります。足元には ミヤマカタバミやタチツボスミレがお出迎え^0^)少し登ると 第四堰堤下から右手に向かい、ロープの張られた急な 斜面を登ります。暫くは植林の中の道を登ると、小さな 水場が現れます、この先杉林から明るい雑木林に代わる 斜面にはお地蔵様が祀られています。此処を過ぎると |
登山道は傾斜を緩め、やがて以外に明るい卒塔婆峠に 到着します。此処から東側を望むと片波山?の向うには 峰床山や皆子山等が見えます。峠には苔むしたブナの 大木、峠の斜面にはお目当てのイワウチワが、所狭しと 咲いています。暫し撮影後、ババ谷を廃村八丁に向け 下ります。少し下で衣懸坂への分岐を右に見送ります。 |
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ババ谷はU字状の谷で、意外な程明るくとても静かです。 この先幾度か朽ちかけた橋を渡ると、登山道に小鹿の亡骸が 横たわっています。やはり冬場の厳しい環境に耐える事が 出来なかったのでしょう。やがてかつて人々が暮らしていた 名残りの朽ちたウインチが放置され、直ぐ先には八丁川の 清々しい清流が現れ、右手に向かうと村の墳墓が現れます。 |
その先少しで廃村八丁に到着です。元分教場の後には 屋根に大きく八丁小屋と書かれた建物が建っています。 向かって左側には八丁温泉、と命名されたドラム缶が・・・ 注意書きを見ると無料ですが全てセルフでと、書かれて います^0^)更に建物の右手を進み、八丁川の清流を渡ると 川原には八丁名水と書かれた、小さな湧き水がありました。 |
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廃村八丁の風景 |
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湧き水で喉を潤し先に進みます。杉林の先には特徴ある 三角形の小屋が見え、左手にはかつて村民を守ったで あろう八幡様が、この辺りにもイワウチワが群生しています。 その先で八丁川の流れを渡ると広場が現れ、既に大勢の 登山者が思い々に寛いでいます。広場の中央には三角錐 の避難小屋らしい建物や、崩壊した土蔵跡が見えます。 |
暫し休憩後、品谷山に向けスモモ谷を登ります。日陰には 未だに雪が少し残っています、品谷山への標識に従い小さな 沢をドンドン詰めて行きます。沢を幾度か渡渉し、朽ちかけた 木の橋を渡り、ガレた斜面を登ると上から4人連れの方達に 出会いましが、後にnetで見知っていたmtenさんのグループ だと分かりました。世間は意外と狭い事を思い知りました^0^) |
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やがて品谷峠に到着し、更に品谷山へ向け尾根道を 登りますが、登山道脇には足の踏み場もない程に イワウチワが群生しています。品谷山山頂にはご夫婦の 方が昼食中でした。山頂は生憎雑木に覆われ展望は 望めません。此処からダンノ峠に向かう道には幾度か 小ピークを越しますが、芦生杉の大木が多く見られます。 |
やがて佐々里峠との分岐に到着し、右手に方向を替え 斜面を下ります。突き当りには真新しい獣除けネットが 張られ、そのネットに沿って降り付いた所がダンノ峠です。 此処は広河原.菅原への分岐で、廃村八丁への入口でも あります。此処を右手廃村八丁へ向かいます。とても明るい 沢沿いの道を数え切れない程何度も沢を渡り、立派なモミ |
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の巨木が現れ、その向うに同大自然科学研究室の建物 その前を通り道なりに進みましたが、刑部谷へ進む予定が 分岐を見逃し、結果四郎五郎峠に、刑部谷への分岐は 同大自然科学研究室の建物少し先だった様です。峠から 杉林の急な斜面をジグザグに下り、四郎五郎谷へ降立ち 更に下流に進みます。左から刑部谷への道と合流します。 |
合流後も暫くは沢を下り、幾度か渡渉すると廃村に残る石垣が 現れ村の中心部だっただろう広場に戻りました。午前中に 比べると、スッカリ登山者の姿は消え静かな廃村に戻って いました。この後は元来た道を戻りますが卒塔婆峠で6-7人の 若者と出会い、下山後には5人の登山者が道を間違えたと 聞き、麓の井戸迄送り届けた後、そのまま帰神しました。 |
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芦生杉 | 芦生杉 | 芦生杉と苔生したブナ |
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今回出逢った花達 | ||
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イワウチワ(イワウメ科) | タチツボスミレ(スミレ科) | アケボノスミレ(スミレ科) |
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ミヤマカタバミ(カタバミ科) | ボタンネコノメソウ(ユキノシタ科) | ヤマエンゴサク(ケシ科) |
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ハシリドコロ(ナス科) | イワナシ(ツツジ科) | ショウジョウバカマ(ユリ科) |
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コチャルメルソウ(ユキノシタ科) | モミジチャルメルソウ(ユキノシタ科) | キンキマメザクラ(バラ科) |