鵜飼はあっけなく

 鵜飼なんて東京にいたらピンと来ない。伝統行事とは言え、鵜がかわいそうな気がするし、なにせ喉を紐で縛られて飲み込めないようにしておいてあゆを獲らせるわけで、ツバメが口でぐちゃぐちゃにした海草を珍味としている中華のツバメの巣よりはイメージ的にはましだが、冷静に考えれば一旦喉まで入っているわけで。

なんて思っていたのに、近くでやっているなら見ておこうと嵐山へ。鵜飼は宇治川でもやっているのだが、嵐山は川岸からみれば“ただ”というので嵐山。嵐山は結構楽しめる。なにせ狭い範囲にいくつもの名刹があるし、すこし上がれば森嘉があったり、渡月橋周辺の風景も気持ちいい。お気に入りの場所のひとつ。

でなわけで、夕方から嵐山へ。車で行けば10分くらいで着いてしまうので、寄り道しながら行ったが、まだ陽が高い。しばらく裏道をぶらぶらするが、嵯峨野方面は裏道も風情があるが、嵐山の町側は普通の町。大して面白みも無かったが、貸家と看板があったときは一瞬住むのもいいかなって考えた。なにせ京都に住んでいるというだけで、東京では羨望の眼差し。「いや〜何度も行っているうちに住んじゃったんだよ、嵐山に」、なんてちょっとイケルかも。でも通勤が大変だから止めよう。なんてくだらないことを考えたりしてもまだ日が暮れない。食事にすることにした。しかし嵐山界隈には僕が興味を引く店が見つからない。何度行っても気が乗らない。唯一気が向くのが鰻屋さんなのだが、高いので一人で入る気にならない。なんてうろつきながら時間つぶしをして、結局散策して探した意味もなく疲れた頃に現れたステーキなんぞに落ち着いてしまった。食事が終わった頃にはだいぶ日も翳ってきたので、鵜飼の行われている場所を確認しに行く。今回はカメラの暗闇対策として三脚まで持ってきている。混雑しない場所で見やすい場所を確保しないと。なんて思いながら歩いているのだが、妙に人が少ない。花火大会とかの雑踏までは行かないとしても、岸には相当の客が集まると思ったら、こりゃいかに?まあ毎日やっているショウだから、地元の人は見に来ないだろうが、それでもなぁ〜とちょっと不安になり、観覧船の受付している小屋の辺りに行くと観光客がわんさかと乗り込んでいる。よしよしと一安心。するとちょっと離れたとこで鵜飼船も泊まって準備中。竹篭から首を持たれて引き出されると、首に紐を掛けられて戻されている。鳴くわけでもなく結構おとなしく巻かれているのだが、なかには足をバタバタさせて逆らう奴もいる。しかしなんとなく悲壮感が無い。暴れ方がやんちゃっぽいのだ。おじさんたちもはいはいって感じで、さっさと紐を縛ってかごに返す。しばらくそんな準備を楽しく眺めてたが、さて場所確保しに行かないと。

場所は渡月橋からしばらく行った上流に茶店があり、そこに石とござの長椅子が用意してある。石は観光用に作られたもの、ござのかかった長椅子は茶店のもの。早めに行かないと石の方はすぐに満席になるはず。僕が行ったときにはまだ一組、しかもござ側のお客様のみ。観覧船も2艘、すでに位置に着いているしここで待つことにする。虫除けスプレーを出して体に吹き付ける。カメラは仰々しいのでまだしまったまま、暮れて行く嵐山を眺めながらのんびりしていたら、カラカラと騒音を撒き散らしながらおばさんが威勢良くやってきて、すかさず石に座った。連れのおばさんたちに「隣はござがあるから金を取られるからこっち」と解説している。ほかの方々は普通だったが、このおばさんだけは異質でなんかせかせかと落ち着きが無い。観覧船が来るたびに、「ほらもう一艘来た、そろそろ始まるよ」「なんだい、いつになったら始まるんだよ」「鵜飼の船はどこだ」「あれがそうか」などとのべつ幕なしにがなっている。途中でとなりのおばさんから「鵜飼の船には屋根が無いから、あれは違う」と言われた瞬間だけちょっとへこんでいたが。

そのうち20艘ほどの船が提灯を照らしながら一列に綺麗に並んだ。すると上流から鵜飼船が鵜を泳がせながら下ってきた。どっと沸きあがる船と岸の観光客の中を、しずしずと川下に。一番川下の船の前あたりで止まると、方向転換。今度は船の下手で鵜がバシャバシャと水しぶきを上げながら、川上に進んできた。そして一気に並んでいる屋形船の前を通過。そのまま川上に消えていった。これで終わり?とあっけにとられる程あっさり。

おかしかったのは、川上に行った鵜飼船。観光客を乗せて一列に並んでいた船が解散したあと、カメラを片付けていると川上から鵜飼船が川下の船着場に下がって行ったのですが、鵜たちが「いや〜ひと仕事終わったね、疲れた疲れた」とでも話すがごとく互いに首振りながら船べりに並んで乗って帰っていったのには、思わず笑った。

京都ふらり