「気をつけて・・って言われてもなぁ」
俺は廊下で遠ざかる英二の後ろ姿を見送った。
何をどう気をつければいいのか?
普段から特に無理をした生活を送っている訳でもないし・・
そもそもその英二の言う「気をつけて」も、英二の夢から始まっている。
それをどうすればいいのか?
数日前の朝の出来事だった。
「おはよう英二。今日は早いじゃないか」
いつもより早く朝練に出てきた英二が思いつめたような真剣な顔で俺に近付いて来た。
「大石。今日俺さ・・大石の頭が卵になる夢を見たんだ」
「えっ・・卵・・?」
いきなり夢の話
真剣な顔で頭が卵と言われても、俺もどう英二に答えていいかわからなくて曖昧に答えた。
「へ・・へぇ・・・それは凄いな」
英二の頭をポンポンと叩いて、ロッカーからタオルを出そうとすると英二が俺の腕を掴んだ。
「大石っ!」
切羽詰まった声で俺を呼ぶ。
俺はその声に意表をつかれるように振り向いた。
「ど・・どうしたんだ?」
英二は拗ねたような、怒ったような眼をして俺を睨んでいた。
「もっと真剣に聞いてよ!大石の事なんだぞ!」
・・・・・って言われてもなぁ。
そう思って英二の眼を見返しても、英二はあくまで真剣だ。
俺は観念したとばかりに英二の方へ向きなおした。
「わかった。聞くよ。俺の頭が卵になったんだよな?それでその後どうなったんだ?」
「うん・・・・・」
英二は少し眉を寄せただけで、俺の質問には答えず俺を見上げている。
いや・・あの・・英二?
俺達は少しの間見つめ合う形になった。
えっと・・・どうすればいいんだ?
俺ちゃんと真面目に聞いたよな?
間違ってないよな?
確か俺の頭が卵になったって・・・そんな話だったよな?
話しださない英二に、俺の顔にも困惑の色が出てしまう。
「英二?」
仕方なく俺はもう一度訪ねる様に、英二の名前を呼んだ。
英二は少し俯くと、俺の胸辺りのユニフォームを両手で掴んだ。
そして改めて俺を見上げる。
「兎に角・・・気をつけてね」
「えっ?」
・・・何を?
と聞きたかった言葉は呑みこんで、俺は英二の眼力に押される様に頷いた。
「ああ。わ・・わかった」
英二は俺の返事に満足したのか、その後は何事もなかったように着替え始めた。
が・・俺はその時点で頭を悩ませていた。
気をつけてって言われても・・・夢の話だよな?
しかも俺の頭が卵になる。そんな夢の話だよな?
それをどう気をつけるのか?
だいたい俺の頭が卵になるなんて・・・そりゃあ形は似ているかもしれない。
だけどそんな現実離れした事が、起る筈もないじゃないか。
冷静に考えればそんな事、誰にでもわかりそうな事だと思うけど・・・
英二は真剣だ。
真剣に俺を心配している。
それが手に取る様にわかるから、夢の話だろ?と突き放すような事も言えなかった。
それにその日以来、英二は俺の顔を見れば思い出したように『気をつけて』と言う。
流石に俺もだんだん心配になってきていた。
「参ったな・・」
頭を掻きながら、ポツリと漏らすと背後から肩を掴まれた。
「そう落ち込む事もない」
「えっ?」
驚いて振り向くと、逆光を背負って乾が立っていた。
相変わらず眼鏡の奥の眼が見えない。
「い・乾!どうしてここに?」
「そろそろ大石が根を上げる頃だと思ってな」
「俺が・・・?」
ノートを片手に眼鏡を直す乾に俺は驚きと関心の眼を向けた。
「・・・って俺が何を悩んでいるのか、わかっているのか!?」
だがそれはほんの数秒の事で、相変わらずのデータぶりに前のめりになった。
テニスの事でデータを取られるのは構わない。
それが乾のスタイルだ。
しかし私生活までこうデータを取られているかと思うと・・・何とも言えない気分になる。
「大石。あれだけ部室で大々的に菊丸と見つめ合って夢の話をしておいて・・
誰も二人の様子に気づいていないと思っているのか?」
「えっ?あぁ〜・・・」
「周りが見えなくなるのも結構だが、部室は2人だけのものではないと理解しておいた方がいい」
・・・・・思いだした。
そうだ・・あの日英二はいつもより早く朝練に現れたが、部室にいたのは俺だけじゃない。
海堂も乾もいた。
「そ・・そうだな。気をつけるよ」
英二の事になると、周りへの気配りというか集中力がかけるのは本当だ。
もう少し気を引き締めなきゃいけないな。
「では本題に戻そう。大石は菊丸の夢の話で悩んでいる。そうだな?」
「ああ。英二が俺の頭が卵になる夢を見たらしくてな。それ以来『気をつけて』ってしきりに言うんだ。
でもどう気をつければいいかわからなくてな」
「うむ。やはりそうか・・」
「何かわかるのか?」
「ああ。夢とはその人の深層心理つまり希望や願望・・または不安などを表す場合がある」
「希望や願望・・それに不安って・・」
「大石は卵と聞いて何か思いつく事はないか?」
「俺の頭の形が似ている・・とかか?」
「いやそうじゃない。卵だけをとりあげて考えてくれ。卵とはどういうものか?」
「卵だけをか・・・ああ。白色をしたのと赤色をしたのがあるな」
「大石・・・それは確かにそうだが、それ以上にもっと単純に思いつく性質があるだろ?」
「性質?そうだな・・・壊れやすいとか・・・?」
「そうだ。卵とは壊れやすい。脆い。そんなイメージがわかないか?」
「確かにそうだな。だけどそれと解決策と何か関係があるのか?」
「ああ。その深層心理さえわかれば答えは簡単だ。
菊丸が心配しているのは大石の頭自体ではなく存在そのものだ」
「俺・・自身?」
「菊丸は何か漠然とした不安を抱えているのではないか?
大石との関係が壊れる・・とかな」
「そんなっ!俺と英二の関係が壊れるなんて事、ある訳ないだろ!?」
俺は乾の言葉に詰め寄った。
そんな訳がない・・・俺と英二の関係が壊れるだなんて・・・
そんな心配を英二がしているだなんて・・・
「落ち着け大石。俺が言っているのは、そういう不安を抱えているという可能性だ」
「それでも・・」
俺は乾の眼を見て俯いた。
そんな可能性はない。と言いたい・・・だが英二が卵の夢を見たのも確かだ。
やはり何か心配事があるのだろうか?
「大石。不安というものは誰しも何処かに持っているものだ。
それが表に出るか出ないかは別としてな」
乾の眼鏡が光る。
俺は小さく息を吐いた。
確かにそれは乾の言う通りかもしれない。
俺の中にも表に出る事はないけど・・漠然とした不安は確かに存在する。
「そうだな。では乾、俺はどうすればいい?」
乾はおもむろにデータノートを広げた。
「うむ。そうだな。まず菊丸が不安に思っているだろう事をあげてみよう。
まずはその右腕だ。大石の怪我により菊丸は大石以外のペアと組む事になった。
これでは菊丸の本来の力が出ない。負担も大きい。黄金ペアの危機だな」
「それは・・確かにそうだな」
そうだ。俺の不注意のせいで英二には辛い思いをさせた。
英二がその事を心の何処かで不安がっていてもおかしくはない。
卵の夢・・・壊れる。
ペアがペアとして存在出来ない不安がそんな夢を見させる・・・あり得る話だな。
俺は掌をぐっと握りこんだ。
この先同じ想いをさせないように、俺ももっと自己管理をしっかりしなきゃな。
もう英二が他の誰かとペアを組まなくてすむように・・
「あと一つは・・・大石。今月既に2度告白されているな」
黄金ペアとして・・・って・・・
「えっ?今なんて・・・?」
心の中で決意を新たにしていると、聞き捨てならない事を乾に言われた気がした。
まっ・まさかそんな超個人的な事を・・・乾が知っている訳ないよな・・・
「2度告白されている・・と言った」
・・・・知っているのか。
俺は顔が赤くなるのを自覚しながら、非難の声をあげた。
「ななななな・・何で乾がそんな事を!?」
「それは愚問だな・・・俺はレギュラーのあらゆるデータを集めている」
乾の口元がニャッと笑った。
怖い・・・不二とはまた違う意味で怖い笑顔だ。
俺は肩を落として乾を見上げた。
「それじゃあ・・まぁそういう事があったとしてだ・・・英二はその事は知らない筈だけど・・」
告白されたと言っても断った話だ。
だから英二にこの話はしていない。
こんな事で英二の笑顔を曇らせたくはないしな。
「なるほどな・・」
乾は一言と言うと、データノートに眼を落とした。
「確かに7月2日・・・
2年の女子に体育館横に呼び出されて告白された事は菊丸も気付いてない。
だが2度目の7月8日 3年1組の女子に会議室に呼び出さた事は気付いているぞ」
「えっ?」
「バレている。という事だ」
そんな・・・
「でも英二は俺に何も・・・」
いつもの英二なら俺に何か嫌みの一つでもありそうなものなのに・・・
「菊丸は現場を見た訳じゃなし、お前からその事実を聞いた訳でもない。
菊丸が知っているのは、あくまで噂の中の真実だ」
「乾・・」
「大石。噂というものは尾びれ背びれがついて回るものだと言っていい。
そんな噂を聞いて、菊丸といえど真実を確かめる事をためらう事もある。
お前が普段と変わらずにいればいるほどな」
噂・・か、そんな噂が回っているなんて気付きもしなかった。
それに尾びれに背びれなんて、想像しただけで怖いな・・・
って、まさか英二・・俺とその子の関係を疑ってる?
いや・・そんな事は・・・俺はちゃんと断ったし・・・でも・・・
だからなのか?だから英二は・・・
「夢を見た・・・?」
「そうだな。根本的な原因が大石の怪我なのか大石が告白された事なのか・・
それ以外にもあるかも知れないが・・そういった複合的な原因が菊丸の不安を呼び
夢を見させるという事はあるだろう」
「そうか・・・」
俺は知らず知らずのうちに英二の心に負担をかけていたんだな。
卵の夢。壊れるという不安。
英二が俺に『気をつけて』と最初に言った時に、気付いてやらなきゃいけなかったのに
相棒でもあり恋人でもある俺が気付かないなんて・・・何をやっているんだ・・・・・
俺は自分の掌を見つめて、強く握りしめた。
いや反省している場合じゃないな。
乾のデータの入手方法とか気になる事はたくさんあるけど、今回はそのデータのおかげでだいたいの話はわかった。
「ありがとう乾。後は俺が何とかするよ」
わかれば後は俺の問題だ。
「そうか。では、なるべく早く手を打った方がいいな」
「ああ。言われなくてもそうするよ」
試合でも私生活でも英二が心配する事なんて何もないんだ。という事をちゃんと伝える。
俺が英二の不安を全て取り除くよ。
「じゃあ乾」
俺は乾に背を向けて顔だけ乾に向けた。
善は急げだ。
昼休みの時間は残り僅かだが、英二のクラスによって今日部活が終わったら、ゆっくり話をしよう。
その事を英二に伝えるんだ。
「ああ。頑張れよ。そしてその結果をまた報告してくれ」
「い・・いやそれはちょっと・・・」
乾のデータで今回はどうにかなりそうだけど、だからと言って報告するのは勘弁してほしい。
手を上げる乾に頭をかきながら苦笑いを返して、逃げる様に俺は3歩踏み出た。
ハハハハハ・・・・
笑いが途切れる頃、乾が焦った顔で俺を呼んだ。
「あっ!おいっ!大石そこは階段だぞっ!!」
「えっ?」
階段?
そう認識した時には、俺の足は宙に浮いていた。
乾の驚く顔、差し述べられる手。
一瞬時が止まったかのように見えたがその手を掴む前に、俺の体は階段下へと落下を始めていた。
「うわぁぁぁ!!!」
廊下に俺の叫び声が響き渡った。
独特な匂い。独特な空間。
昔から怪我をしたといえば、それがどんな状態でもここを訪れるのが大石家の常識だった。
だけど今やその常識は俺を通じて、青学レギュラーに広がって・・・
中学に入ってからは、いつも誰かが世話になっている。そんな感じになっていた。
ただ最近俺は、付き添いという形が多かったのだが・・・
今日のコレで、自分の診察も2カ月連続だ。
「骨にも異常ないようだし。この程度なら一日安静にしていれば大丈夫だろう」
「そうですか」
「階段から落ちたというわりには軽傷ですんで良かったな」
「はい」
カルテに何かを記入して、章高おじさんが優しく微笑んだ。
俺も意外と軽傷ですんだ足に安心して微笑み返す。
「ありがとうございました」
「ああ。大会頑張れよ」
「はい!」
立ちあがって手を差し出すおじさんの手を借りて、俺も右足をかばって立ち上がった。
すると診察室の隅でじっとしていた英二が俺達に近付いてきた。
ゆっくりと俺の横に立つと、肩を差し出す。
おじさんはそんな英二の姿を見て声をかけた。
「菊丸くんも頑張れよ」
「・・はい」
英二はにこりとも笑顔を見せなかった。
それは病院について診察室に入った時点でそうだった訳だが、普段の英二を知っているおじさんはどうしたんだと言わんばかりに何度も俺を見た。
俺は苦笑いだけを繰り返すしかなかった。
不味いなぁ・・・そうとう英二怒っているよな。
夢の話も解決していないのに、この怪我だもんな。
せめていつものように思いをぶつけてくれたのなら、上手く話を切り出せるんだけど・・・
俺は横目で英二を見て、心の中で深いため息を吐いた。
HRが終わって英二が教室に入って来た時、英二は今にも泣きそうな顔をしていた。
静かに全身から怒りのオーラを出してじっと俺を見つめて
「大石帰るぞ」
静かにそう告げた。
いつもの英二からかは想像つかないその態度に、俺の周りにいたクラスメイトも俺達を遠巻きで見ていた。
それもそうだろう普段の英二なら、大声で俺の名前を呼んで入ってくるか・・・
そうじゃなくても英二が入ってきただけで、教室が明るくなった気がするぐらいなのに
英二が静かに殺気立っている。
「英二は部活があるだろ?」
だが俺は、それでもあえて普通に答えた。
わかっていたんだ。
HRが終われば、英二が現れるだろう事。
英二が怒っているだろう事。
あんなに『気をつけて』を連呼せれていてこの怪我だ。
この際英二の深層心理の話を除いても、何をやっているんだという話になる。
だけど今は・・・英二には俺の事よりテニスを優先して欲しかった。
だって情けないじゃないか・・・英二は既に俺の事で心に負担を抱えている。
そう乾と話をしていた矢先にこの有様・・・何が英二の不安を全て取り除くつもりだ。
俺は英二の心を軽くするどころか、また重くしてしまっている。
だからこれ以上英二の足を引っ張りたくない・・・そう思ったんだ。
だけど英二はそんな俺を冷たく見下ろすだけだった。
「病院へ行くんだろ?今日は俺も休む。もうスミレちゃんと手塚には伝えてあるから」
もう決定事項だからな。
そう言わんばかりに、英二は俺の鞄を持ちあげた。
「いいよ英二。病院は一人でいけるから」
「何言ってんの?そんな足で何時間かかると思ってるの?」
「でも俺のせいで練習休むなんて・・・」
「大石。俺達はダブルスなんだぞ?」
俺を見下ろす英二の眼が揺れた。
その眼を見て俺は何も言えなくなった。
そうだ。俺達はダブルスだ。
わかっている。そんな事はわかっているよ。
片方が欠けては、ダブルスは意味を持たない。
それでも英二・・俺は・・・
俺はテーピングで固められた右足を見た。
お前の負担になりたくないんだ。
「大石」
英二が俯く俺に見える様に手を差し出した。
掌に何か載っている。
これは・・・
「自転車の鍵。さっきの休み時間に桃に借りて来た」
俺はそれを凝視したあと、英二を見上げた。
「・・・英二」
「さっきも言っただろ。スミレちゃんも手塚もこの事は知ってる。
桃にも自転車借りたし・・・俺も休んで大石の病院について行く事は決定済みって事」
英二はそう言い終わると、鍵を握りしめポケットに入れた。
そうか・・・そういう事なのか・・・
俺は英二のポケットを見つめて、午後の出来事を思い出していた。
怪我をしたのは昼休みの時間帯だった。
だからホントは5時間目が終わった休み時間に、英二が教室に飛び込んでくると思っていたんだ。
だけど英二はその休み時間には現れなかった。
構えていただけに、どうしてなんだろう?と少し気にはなっていたけど・・・
俺の為に走り回っていたんだな。
「だから早くしろよ。病院行くの遅くなるぞ」
英二が改めて俺に手を差し出す。
俺はその手を見つめた。
限られた時間の中で、走り回る英二。
俺の為に・・・
そう思うと胸が締め付けられるほど切なかった。
俺はもう英二の申し出を断る事は出来なかった。
「ありがとう。英二」
英二の差し出した手を、素直に握って立ち上がった。
それから俺達は殆ど無言で、自転車置き場へと向かった。
桃の自転車を探して見つけると、英二は自転車のかごに鞄を入れてサドルにまたがった。
「大石。乗って」
「ああ」
俺は言われるままに、自転車の後ろに座った。
自転車はゆっくりと動き出して、少しずつ加速を始めた。
だけど英二は相変わらず黙っていた。
それがずっと気になっていた。
どうして英二はいつものように怒りを俺にぶつけてくれないのだろう?
今回の事だって、本当は叫びたくなるほど怒っている筈なのに・・・
やはり夢と関係あるのか?
乾の言う深層心理が重なって、上手く俺に怒りをぶつけられないのか?
気持ちを抑えているという事は、それだけ心に負担がかかっている筈なのに・・
このままじゃ、また卵の夢を見るかもしれない。
俺は少なからず焦り始めていた。
何でもいい。心を閉ざさないで俺に気持ちをぶつけてくれないだろうか?
英二の背中を見ながら、病院に着くまでずっと思っていた。
だけどそれは叶えられないまま、病院について今に至ってしまったんだ。
最後にもう一度章高おじさんに頭をさげると、俺は英二に肩をかりながら病院を出た。
足は思った以上に軽傷だった。
右腕だって・・・次の試合には間に合うだろう。
その事をきちんと英二に話さなきゃな。
廊下を歩いている最中も、そう気持ちは逸るのに結局タイミングがつかめないまま
俺達は桃の自転車にまたがって、俺の家を目指す事になってしまった。
不味い・・・本当に不味い・・・
どんどん俺の家に近付いているのに、何も解決していない。
何処かで自転車を止めて、きちんと話さなきゃ・・・
流れる景色をみながら、俺の気持ちも限界が来ていた。
駄目だ・・・英二が気持ちを抑えている以上、やはり俺から切り出さねば・・・
もう迷っている暇なんてない。
俺は意を決して英二に話しかけた。
「英二。自転車を止めてくれないか?」
英二は少し間をおいて答えた。
「なんで?」
「話があるんだ」
「・・・俺はないけど?」
「大切な話なんだ」
「・・・・・」
英二は俺の言葉に答えない。景色だけがどんどん流れている。
・・・どうやら止まるつもりはないようだな。
俺は英二の背中を見つた。
だけど英二・・・このまま送ってもらう訳にはいかないよ。
だからちょっと荒っぽいけど・・・
俺は英二の背中に無理やり体を押し付けて、後ろから手を伸ばし強制的にブレーキをかけた。
英二が前のめりになって、自転車も止まる。
俺はその隙に自転車から降りた。
「ばっかじゃないの!!何やってんだよっ!!」
今日ずっと気持ちを抑えていた英二が、凄い剣幕で怒る。
俺は英二を真っ直ぐ見つめて答えた。
「こうでもしなきゃ止まってくれなかっただろ?」
「だからってこんな無茶・・また怪我でもしたらどうすんだよっ!?」
「怪我なんてしないよ。ちゃんと手加減もしたし、周りも確認したから」
「そんなの・・何もなかったから言えんだろ!?」
ギリッと上目使いに睨む英二を見て、不謹慎だと思うけど安心する。
やっと英二と向き合う事が出来た。
「英二」
「何だよ?」
思わず噛みしめてしまう。
う〜これだよ。これ。俺達はこうでなくっちゃ・・・
「っていうか・・大石・・笑ってんの?」
「えっ?あ〜いや・・・スマン。笑ってない・・」
そうだ。こんな事で喜んでいる場合じゃない。
ちゃんと話をしなきゃな。
俺は眉間にしわを寄せる英二の肩にそっと手を置いた。
「俺は大丈夫だから」
「はぁっ!?」
「いやだから・・・」
ちょっと唐突過ぎたかな?
ちゃんと順序立てて話をした方が・・・
英二の眉間のしわが更に深くなった。
「何が大丈夫なんだよ!もう既に足怪我しているじゃんか!」
「いやだから・・それは・・・」
「あんなに気をつけてって言ってたのに!」
「それはそうなんだけど・・・」
英二に気持ちをぶつけて貰って、ちゃんと話を・・・そう望んでいたけど・・・
ぶつけすぎじゃないか?
コレじゃあ何も言い返せない。
俺は困り果てて英二を見下ろした。
英二は今まで押さえていた分、怒りが止まらないのか俺を見上げて叫んだ。
「大石は全然っ!俺の事わかってないっ!!」
英二の声が空に溶け込んで、辺りがシーンと静けさに包まれた。
・・・・英二・・・・
そうだ。俺はわかってなかったんだ。
だから英二が変な夢を見て・・・
全ての始まりは、俺が英二の深層心理に気付かなかったせいだ。
俺は英二の肩に乗せていた手に力を入れて、英二を引き寄せた。
だけど英二・・・もうわかったから・・・
ちゃんとわかったから・・・俺に英二の不安を取り除かせてくれないか。
そのまま抱きしめる。
突然の事に英二が暴れた。
「ちょっ・・何すんだよ!大石!」
腕の中でもがく英二を、俺は更に強く抱きしめた。
「英二。いつも気付くのが遅くてごめん。だけど俺、わかったから」
「何がわかったんだよ?」
「夢の話も俺の怪我が関係しているんだろ?」
「えっ?」
英二の動きが止まった。
俺を見上げる。
俺は英二の体を抱きしめる腕を少し揺るめた。
「それなのにまたこんな形で、怪我をして悪かったと思ってる。
だけどこれ以上はもう絶対怪我なんてしないから・・・」
「・・・大石?」
そしてしっかりと英二を見つめた。
「英二は心配しなくていいんだ。俺達は何があってもペアだ」
「ホントに?」
「ああ。関東大会決勝には必ず出るよ。約束する」
「絶対?」
「絶対だ」
英二の顔にみるみる笑顔が広がるのがわかった。
俺はそれが嬉しくて、英二の頬に手を添えた。
「だからもう夢の心配はしなくてもいいぞ」
もう・・・大丈夫だよ英二。
自信を持って伝えた筈が・・英二の反応はいまひとつだった。
「・・・夢?」
英二が首を傾げる。
アレ・・・?
「俺の頭が卵になった夢だよ」
「あ〜・・・・うん」
何だかおかしいな・・?
目線を外した後、歯切れ悪く英二が頷いた。
違うのか?
でもこれが夢の原因だって・・・乾が・・・・
俺は顔を上げて乾を思い出した。
・・・・・あっそうか・・もう一つあったな。
英二の深層心理の・・・原因・・・
思い出して、英二にまた目線を戻そうとしてあるものが目に入った。
今いる場所からそう遠くはない場所に花屋。
花か・・・
そうだな・・ガラじゃないけど・・・英二の不安を取り除く為だ。
俺はゆっくりと両手で英二の体を離した。
「大石?」
「英二。少しだけ待っててくれないか」
英二が俺の腰辺りのシャツを掴む。
「そんな足で、何処行くんだよ?」
「すぐに戻るから」
「俺もついて行くよ」
「いや。ホントにそこだから、ここで待っててくれないか」
俺は俺のシャツを掴む英二の手に、手を添えた。
「大石・・」
「頼むよ」
英二は俺の眼をじっと見て、渋々頷いた。
「・・・わかった」
何かを感じとってくれたのか、英二は俺のシャツから手を離してくれた。
「ありがとう英二。すぐ戻るから」
俺は英二の頭を撫でると、テーピングでガチガチに固められた右足をかばいながら花屋へと向かった。
すぐに戻るから・・・必ず英二の不安を取り除くからな・・・
英二の視線を背中にヒシヒシ感じながらも、俺は無事に店に着く事が出来た。
店先にはたくさんの花
花なんて母の日にカーネーションを買った事しかないからな・・・
目移りしそうな数に戸惑いながらも・・俺は1つの花に眼を留めた。
黄色いひまわりのような花
英二の顔が浮かんだ。
「これ下さい」
俺は花を手にすると、言葉通りすぐに英二の元に戻った。
英二がじっと俺が歩いて来るのを待っている。
「お待たせ」
「大石・・・花なんて買っちゃって、どうしたんだよ?」
英二が俺の手の中にある花を不思議そうに見ている。
「これか?」
俺は英二に花を差し出した。
英二が眼を丸くする。
「何・・・俺・・?」
「そうだよ。英二にプレゼントだ」
「何で?誕生日でもないし・・・貰う理由なんて・・・」
英二が戸惑いながら、花を見ている。
俺はありったけの想いをこめて言った。
「英二。俺は、英二が好きだよ」
「えっ?」
英二が俺を見上げる。
その眼の中に俺が映っていた。
「英二。どんな事があってもこれだけは忘れないでいてくれ
俺は英二だけが・・好きなんだ」
「大石・・・俺も・・俺も大石が好きだよ・・・」
英二がそっと俺から花を受け取る。
俺はそのまま英二にキスしようとして留まった。
「大石?」
「流石に・・・ここでキスは不味いだろ?」
「でも・・・」
英二が不満気に唇を尖らせる。
俺だってホントはこのままここでキスをしたいけど・・・
冷静に周りを見回せば、ここは死角になっているとはいえ路上なんだよ。
いつ誰に見られるかわからないじゃないか。
・・・・って、それはただの建前で・・・
もしキスをしたなら・・・自分を抑える自信がないんだ。
だから・・・
「英二。まだ時間大丈夫だろ?俺の家に上がっていかないか?」
英二に熱い視線を送った。
「うんっ!」
英二はその意味に気付いたのか、頬を赤く染めた。
「ねぇ大石?」
「何だ?」
快適に走る自転車、英二が髪をなびかせながら思い出したように質問してきた。
「何で急に花だったの?」
「それは・・・」
花は咄嗟に思いついただけで・・・・それを言葉に変えるなら想いの表れだろうか?
英二に俺の想いを、ちゃんとわかって欲しい。
通じて欲しい。
そう思って渡した。
「花は俺の想いだよ。英二にはわかってて貰いたいんだ。例え女子が俺に告白しても
俺の気持ちは英二に向いているって事を・・・」
俺は英二の背中に語りかけるように話をした。
これこそが英二の抱えているもう1つ不安だもんな・・
だけど俺の想いとは裏腹に、それまで快適に走っていた自転車がキーッ!というもの凄い音をたてて止まった。
急な出来事に対処出来なかった俺は、英二の背中に押し付けられるように顔をぶつけた。
「英二っ!大丈夫か!?どうしたんだ!?」
何か自転車の前を横切ったのか?
それより英二は・・英二は大丈夫か?
慌てて英二を覗き込むように見上げたら、英二がゆっくりと振り向いた。
「ちょっと待って大石・・・お前、また告られたの?」
「・・えっ?」
「いつの話だよ?最近か?」
「いや・・あの・・・英二・・知っているんじゃ・・・?」
どういう事だ?
乾は確か英二は知ってるって言ったよな?・・・噂がどうのこうの・・・
「知らないよ。俺が知ってるのは、6月の・・・」
って英二・・・知らないのか・・・?
「ちょっ・・ちょっと待ってくれ英二・・・」
じゃあなんだ・・・?
深層心理とか・・・あの話は・・・?
「何だよ・・?」
でっでも・・・・
「卵の夢は・・見たんだよな?」
俺が確認するように英二の眼をみると、英二は眼を細めて俺を睨んだ。
「そうだよ。で、それとこの話、何か関係あるのか?」
「いや・・・・・」
乾〜〜〜〜〜っ!!!
お前のあのデータ・・・一体なんだったんだ!?
信じて行動した俺の今までを返してくれ!
「大石の家に行ったら、じっくりその話を聞かせて貰うかんなっ!」
英二はそう言って前を向くと、自転車を漕ぎ出した。
心なしか先程よりスピードが速くなった気がする。
ハァ・・・
俺の溜息は、風と共に掻き消えた。
最後まで読んで下さってありがとうございますvv
大石の頭が卵になる。という話はモアプリに出てきた話題なのですが
面白そう・・と使ってみたらこんな感じになりました☆
当初予定していた結末とは違うのですが・・楽しんで頂けたら嬉しいです。
そして・・・じゃあ卵の夢は?という話は、近々乾視点でweb拍手に入れたいと思っています。
2010.8.31