夕方の水族館は人も疎らで、俺達が立って見ている場所には誰もいなくて・・・
目の前に広がる大きな水槽の中でゆったりと魚達が泳いでいる姿を二人で独占して眺めていた。
いつもはこの光景がとても好きなのに
今日は何だか切ない
「大石・・・」
聞こえないほど小さく大石の名前を呟くと大石は黙ったまま、俺の手を握ってくれた。
どうしてこんな事になるんだろう・・・
どうして好き同士なのに離れる道を選ぶんだろう・・・
どうして・・・
俺には理解出来ない事ばかり起こって、楽しい筈のホワイトデーも素直に喜べない。
今こうしてる間にも・・・・
不二と手塚は・・・・
おチビと桃は・・・
って考えてしまう。
俺があれこれ頭を悩ませても仕方ないって事はわかってんだけど・・・
ラブラブバレンタインの次の日、学校では耳を疑うような噂が広まっていた。
〈越前リョーマが2年に上がる前にアメリカへ行く。〉
学年を問わず流れた噂は、もちろん俺のクラスにも広まっていて当たり前のようにクラスの奴におチビの事を聞かれた。
「おい!菊丸。越前ってあの越前だろ?凄いなっ!アメリカに行くなんて」
おチビがアメリカ?
何だよそれ?って思いつつ俺は
「何言ってんの?おチビは手塚から直々に青学の柱に選ばれた男だよ。
そんなおチビがアメリカなんかに行くわけないじゃん」
って答えたけど、言いながら急に不安に襲われた。
まさかおチビの奴・・・
心当たりが無い訳じゃない、全国大会の決勝でおチビは天衣無縫の極みを会得して、あの幸村を破って俺達青学を全国優勝に導いた。
今のおチビに敵う相手なんて、全国の中学生の中にはもういないだろうなって・・・
だけど全国大会が終わって俺達が引退した後、おチビは手塚からのバトンを受け取って青学の柱としての役目を果たしていたし
部長になった桃のフォローだっておチビなりにしていたし、だからこのまま青学に残って桃が卒業したらおチビが部長を引き継いでおチビが引退するまで
手塚の様に青学の柱の役目を果たすんだって思ってたんだ。
なのにここに来て・・・この噂
笑って流そうかと思ったけど・・・やっぱ気になる。
流せないよ・・・・だってもし・・・万が一ホントなら・・・・
青学はどうなんだよ?
それに・・・桃だって・・・
せっかく気持ちが通じ合って、恋人同士になれたのに・・・
そんな桃を置いて自分より強い相手を求めてアメリカに行っちゃうのか?
おチビ・・・違うよな?そんな事しないよな?
桃・・・噂は噂だって言ってよ。
俺はどうしてもホントの事を確かめたくなって、お昼休みに桃を呼び出す事にした。
もしおチビが本気でアメリカに行く気なら、恋人の桃に言ってない筈は無い。
それに桃は部長でもあるんだから内緒には出来ない筈だよな。
俺はなるべく人に見られない、聞かれない場所をと考えて部室を選んで桃を呼び出した。
まだ・・・桃来てないみたいだな・・・
休み時間に『話があるからお昼休みに部室に来てよ』って誘った時に部室の鍵は預かっている。
俺はその鍵で、久々に部室の中に入った。
懐かしい場所。いつもと変わらない光景。
ふっと今までの懐かしい思い出が蘇る。
俺は長椅子に腰掛けて、辺りをもう一度見回した。
部屋の片隅に置かれたホワイトボードには今日のメニューが書かれている。
その下にはカゴ一杯のテニスボールが置いてあって・・・並んだロッカー
あのロッカーのネームプレートには、半年前までは俺の名前が書いてあったんだよな・・
その隣は大石で・・・
感傷に浸っていると勢いよくドアが開いて、慌しく桃が部室に入ってきた。
「スンマセン!英二先輩!遅くなりました!」
「わっ!桃っ!ビックリした・・・もっと大人しく入ってこいよ!」
「あっ・・・スンマセン・・・待たせてるって思って、急いで来たもんで・・・」
「まぁ・・いいけどさ」
頭を下げる桃に苦笑する。
桃も俺のそんな顔を見て、頭をかきながら笑った。
「それより・・・英二先輩。話ってなんスか?珍しいっスよね?こんなとこに呼び出してまで話って・・・なんかあったんっスか?」
「なんかあった?じゃないだろ?あったのは桃の方じゃないの?」
「はっ?俺っスか?別に・・・何もないっスけど?」
桃は首を傾げて『はて・・・?』と頭を悩ませている。
だから俺はあれこれとヒントになるような事を言って桃から話してくれるように仕向けてみたんだけど・・・桃はどんどん違う方向に話を持っていく。
「あっ!ひょっとして・・・卒業式の送別会の話っスか?
いけね〜なぁ・・いけね〜よぉ。それなら英二先輩といえども教えないっスよ!」
チッチッチッと指を立てて、見せる桃に小さな溜息が出た。
だから・・・違うって・・・・
どうしよう・・・直球で聞くのは不味いかな?って思ったけど・・・
なかなか本題に辿り着きそうにない桃を見て俺は噂の話をそのまま桃にぶつける事にした。
「桃さ・・・おチビの噂聞いた?」
「噂・・・・?」
聞いてないはずは無い・・・全学年に広まってる噂なんだから・・・
桃はおチビの噂と聞いた途端に、それまで笑顔だった顔を曇もらせた。
俺は一瞬不味かったかな・・・と思ったけど・・ここまで話して止める事なんて出来ない。
「アメリカに行くって話。おチビから聞いてるの?」
「・・・・・・」
桃は俺の言葉に俯いて黙ってたかと思うと、急に顔を上げて、から元気丸出しの作り笑顔をして見せた。
「そっそんな訳ないじゃないですか・・アイツがアメリカ?行く訳ないじゃないっスか
馬鹿げた噂っスよ。英二先輩もそんな噂話に踊らされないで下さいよ。
あっ!それで心配して俺を呼びだしたんスか・・・やんなっちゃうなぁ〜」
「うん。まぁそうなんだけどさ・・・ホントに大丈夫なの?」
桃のあからさまな動揺と必要以上の明るさに、俺も不安な顔を隠せない。
「大丈夫っスよ。なんてったってアイツは今や青学の柱っスから・・・それに・・・」
「それに・・・?」
「アイツの事は・・・俺が一番わかってるんだ・・・」
目線を逸らして搾り出すように言った桃の言葉に俺はそれ以上何も聞けなくなった。
「そっか・・・わかった。じゃあさ何かあったら相談してよ。これでも俺、先輩だしっ!」
なるべく笑顔で桃にそう言うと、桃は安心したように一息ついて顔を緩めた。
「そん時はお願いするっス。じゃあ・・俺はこれで、まだ行くとこあるっスから」
「えっ?あっ・・・そうなんだ。忙しいのにごめん桃。んじゃまたな」
「いえ。じゃあ・・・」
桃は逃げる様に部室を後にした。
俺は大袈裟に手を振って、パタンとドアが閉まったのを確認してからうな垂れた。
まだ行くとこあるって・・・嘘なんだろうな・・・
俺は掌に残された部室の鍵を見て、大きく溜息をついた。
鍵・・・返し忘れちゃった・・・・どうしよ・・・・
今追い駆ければ、桃を捕まえる事も出来るだろうけど・・・
たぶん桃は俺に会いたくないだろうな。
会えば嘘をついて、ここを離れた事がばれるし・・・
それに・・・俺は桃の触れて欲しくない部分に触れてしまったんだろうし・・・
どうしよ・・・
俺は今度は部室の鍵を摘まんで、顔の前でブラブラ揺らして眺めた。
海堂に頼んで、桃に渡してもらおうかな・・・
そう思った時に、静かに部室の戸が開かれた。
俺は一瞬桃が戻ってきたのかな?とドアの方へ身を乗り出して覗き込んだんだけど、
開いたドアから入って来たのは、桃ではなく大石だった。
「英二・・・いるのか・・・?」
キョロキョロと部室の中を確認するように入って来た大石に俺は小さな声で答えた。
「いるよ・・・」
そしてまた机にうな垂れると、俺に気づいた大石が心配そうに近づく。
「どうしたんだ?何かあったのか?」
「まぁ・・・ちょっとね。それより大石はよくここがわかったね。何かあったの?」
「・・・えっ?あぁ・・・教室に行ったら、不二が英二は部室に行ったって言ってたから・・
って・・・俺の事より英二・・・ちょっとって何があったんだ?」
「う〜〜ん・・・」
なんて言えばいいのかな?
おチビの噂が気になって桃を呼び出して、ホントの事が知りたかったんだけど・・・
桃の様子を見ると・・・事の真相は想像以上に深刻で・・・
桃自身計りきれてないって感じだし・・・
ホントの事はやっぱおチビ本人に確認しなきゃわかんないって事なのかな・・・?
でも・・・
「英二・・?」
「あっ・・ごめん。えっとさ・・・」
なかなか話し出さない俺に大石が話を促したけど・・・やっぱ上手く言えない・・・
だって答えはまだわかんないし・・・
それに・・・
「桃の事か?」
「えっ?」
「さっき部室を出て行く姿が見えたから・・・」
なんだ・・・そっか桃が出て行くの見てたのか・・・・・・・・・そうだよな・・・
俺一人で考えてもわかんない。
大石は・・・大石はこの噂どう思ってるんだろう?
「ねぇ大石・・・」
「なんだ?」
「おチビ・・・ホントにアメリカに行っちゃうのかな?」
「・・・・その事か・・・」
「ねぇどう思う?」
「桃は・・・桃は何て言ったんだ?」
「桃はおチビは青学の柱だし・・・行く訳ないって・・・」
「そうか・・・」
「ねぇ大石・・・大石はどう思うか教えてよ」
俺が縋るような目で大石を見ると、大石は黙って俺の横に座った。
「英二・・・これはあくまで俺の考えだから・・・」
「うん」
「越前はアメリカに行くんじゃないかな?」
「・・・・・やっぱり・・・」
俺は机に顔を伏せた。
そうなんだ・・・・
ホントは俺も噂を聞いた時にすでに感じていた・・・
何ていうのかな・・・漠然とした予感
だけどそんな事信じたくなくて・・・
だから桃に確かめて・・・・・けど・・・桃を見てわかったんだ・・・
桃も俺と同じなんだ・・・いやそれ以上に思ってる筈なんだ・・・
火の無い所には煙は立たない。
だから噂が出るだけの何かがおチビに起こっていて・・・・
桃が一番傍で、その予感を感じてた筈なんだ。
越前なら・・・リョーマならアメリカに行くかも知れないって・・・・
だけど桃は今回の噂を『馬鹿げた噂だ』って言ったって事は・・・
信じたくない・・・行かせたくない・・・って事だよな・・・
「大石・・・俺・・・おチビには日本にいてもらいたい」
「英二・・・」
ゆっくり顔を上げると、優しく俺の背中を擦っていた大石の手が止まった。
「俺さ。おチビに今回の話聞いてくる。そんでもしアメリカに行くって言うんなら卒業まで延ばすように言うよ。
だって・・・まだまだ青学にはおチビが必要だし・・・桃だって・・・桃が可哀想だよ・・・」
「英二・・・それは駄目だ」
大石は俺の目を見て、大きく首を横に振った。
「なんでだよ!大石は青学が二人がどうなってもいいっていうの?」
「そういう訳じゃないさ」
「じゃあどういうんだよ!不二や手塚だってそうだけどさ・・・おかしいよ!
何で大切な人の傍にいる事を選ばないんだよ!
なんで離れ離れになる事を選ぶんだよ!そんなの・・・絶対におかしいよ!」
辛い時や悲しい時だって大好きな人が傍にいてくれるからこそ頑張れるじゃん。
嬉しい時や楽しい時だって、大好きな人が傍にいてくれるから喜びだって倍増するんだろ?
大切な人が傍にいない生活なんて、俺には考えられないよ。
不二は・・・不二は俺に笑って『大丈夫だよ・・・僕達は大丈夫』って言うけどさ・・・
ホントは辛い筈なんだ・・・だけどその辛さを見せずに頑張って・・・笑って・・・
俺・・・本音を言えば手塚にだってドイツに行くなって言いたい。
高校卒業するまで日本に居ればいいじゃんって・・・
それなのに、おチビまでアメリカだなんて・・・俺・・嫌だよ。
不二にも桃にも心から笑ってもらいたい。
手塚やおチビだって二人が必要な筈なんだ。
「英二・・・落ち着けよ。英二の言いたい事もわかるけどさ。越前の実力はもう中学レベルじゃないよ。それは英二にだってわかってるだろ?」
「そりゃあ・・・だけどっ!」
「それでもし・・・越前が上を目指す為にアメリカに行きたいと望むなら、そう越前が決めたのなら・・・それを反対する事は出来ないんじゃないか?」
「どうしてだよ!!」
「越前だって青学の事も・・もちろん桃の事だって考えてる筈だよ。それでも行くと決めたのなら
それは俺達が考える以上の辛い決断をしたという事なんじゃないか?」
「そんな・・・」
「英二。兎に角もう少し二人を見守ってあげよう。まだ噂の状態で周りが騒ぐのは良くないよ。
これから桃と越前がちゃんと話し合って、それで本当に助けが必要だと思った時は手を貸せばいい。だけど今はまだ駄目だ」
「大石・・・」
「英二・・・英二が不二と手塚の事を気にかけてるのは知ってるよ。
だから余計に桃と越前の事が気になるんだろうけど、これは二人の問題だから・・・な」
「うん・・・わかった・・・」
大石が俺の頭を優しく撫でてくれる。
俺はそんな大石の肩にもたれて額を乗せた。
「大石・・・俺、桃に悪い事しちゃったな・・・」
「大丈夫だよ英二。桃はちゃんとわかってくれてるよ」
「そっかなぁ〜?」
「あぁ。桃はそんな小さな人間じゃないよ」
「うん。そうだね」
大石の優しさが声が、大石に触れてる場所から直接流れてくる。
だからかな・・・やっぱ離れ離れになるなんてって何処かで納得出来ない俺がいるけど・・・
今はそっと二人を見守ろう。
大石が言うように、今騒いだって仕方が無いもんな・・・
よしっ!そうと決まれば、さっき桃とやり取りした会話はなしって事にして・・・
普通に接して・・・って・・・
そうだ鍵・・・鍵はどうしよう・・・
普通に接するつもりだけど・・・今日はやっぱ気まずいよな・・・?
「あっ!あのさ大石・・・ちょっとお願いがあんだけど・・・」
「お願い?」
「うん。その桃にさ・・・鍵返しておいてよ」
「鍵って?」
「だからぁ部室の鍵・・・返し忘れたの。やっぱ今日は気まずいからさ・・・」
「・・・仕方ないなぁ・・・わかった。俺がさり気無く桃に返しておくよ」
大石は小さく溜息をついて、俺の頭をポンポンと叩いた。
「サンキュー大石っ!やっぱ大石は頼りになるなぁ〜!」
「褒めても何も出ないぞ」
「ホントの事だって!あっそうだ!お礼に今ここでチューしてあげよっか?」
「えっ?いいよ別に・・・」
「いいって!いいって!遠慮するなよ!」
「えっ遠慮って・・別に遠慮なんてしてないって!」
「またまた・・・そう言わずに・・なっ!ん〜〜〜」
「わっ!こら英二っ!」
静かな部室でさっきまで深刻な話をしていたのに、今はただ大石が傍にいてくれる事が嬉しくて
嫌がる大石の首に腕を回して無理矢理チューして俺はニャハハって笑った。
それから約1ヶ月・・・おチビのアメリカ行きは揉めに揉めた・・・
行くのか?行かないのか?色んな人を巻き込んで・・色んな想いが交差して・・・
ホントに見てるのも辛かった。
桃は受け入れられない想いと、受け入れなければという想いの狭間で無理をしてたし
おチビは夢を選ぶのか今を選ぶのかで揺れていた。
最終的におチビは桃に後押しされる様にアメリカ行きを決めたけど、桃はその責任を取るとかで部長を降りて海堂と交代した。
前代未聞の部長交代劇
俺は心配になって、桃の様子を見に行ったんだけど、見に行った俺に桃は
『せっかく先輩達に部長に選んで貰ったのにスンマセンでした・・・
でも俺これしかケジメのつけ方・・思いつかなかったんで・・・』
と頭を下げた。
そしておチビの事を聞くと
『別れる訳じゃないっスから・・・大丈夫っスよ』
って小さく笑って見せた。
今は二人とも落ち着いて穏やかな時間が流れてるみたいだけど、やっぱなんだか切ない。
だって今日のホワイトデーが終わったら、次はもう卒業式。
二人で一緒に過ごせる時間もあと僅かしかない。
残された限りない時間を今日も二人何処かで過ごしているんだろう。
俺の横にはいつも大石がいて、それは今までもこれからも変わらない・・・
それなのに桃とおチビは・・・不二と手塚は・・・
やっぱりどんなに考えても納得いかないけど・・・
俺にはもう見守る事しか出来ないから、桃が言う・・・不二が言う・・・
『大丈夫』って言葉を、それぞれの絆を信じよう
そして俺は・・・力強く握られた大石の手を離さずにいるよ
みんなが揃った時に、変わらずいる俺達を見て安心してもらえる様に
俺は繋がれた大石の手をぎゅっと握り込んで、大石に寄り添った。
「英二。俺達は変わらずにいような」
えっ?
大石も俺と同じ事考えていたの?
驚いて大石を見上げると、大石は何かを決意したような顔をして真っ直ぐ水槽を見つめていた。
俺は大石の横顔を少しだけ眺めて、また寄り添う。
そして同じ様に水槽を見つめて、大石に誓った。
「うん。変わらずにいよう」
俺達は知らず知らずに岐路に立っていて
進む道を選んで行かなきゃいけない時もあるだろう
選ぶ道だって、みんなそれぞれ違って・・・
だけど進んだ先が明るい未来になるように
自分の信じた道を歩いて行きたい
最後まで読んで下さってありがとうございますvv
当初はラブラブホワイトデーを・・・と考えていたんですが・・・
本編の方がね・・・まぁ終了して・・・抜け殻になり・・・
そして今後の話を繋げるために色々設定とかも変えていかなきゃ・・・で悩んで
実は最近まで打ってなかったんですが・・・
何か今後のプロローグ的な感じで書けたらな・・・と思って急遽この話を打ちました。
今後また話は遡って行くと思いますが・・・いつか今日のこの話の先にも進みたいと思います。
なのでこれからも宜しくお願いしますvv
2008.3.14