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自己紹介
かぜ わたる
学生時代は朝日放送の人気番組「ラブアタック」に出演。当時のデイレクターが、現在の松本最高顧問。びわ町青年団長、滋賀県青年団体連合会理事を経て、びわ町の仲間と青年団演劇に取り組む。第20回滋賀青年の船洋上研修の組長として中国・韓国を訪問。その年6月の「天安門事件」に衝撃を受け、演劇人生が変わる。

平成元年 全国青年大会演劇の部 「つもろう」で優秀賞  脚本・演出

   2年 滋賀県人権啓発演劇事業「ららばい」      脚本・演出

   3年     〃      「湖畔 みゆきの夏」  脚本・演出

4年 彦根市人権啓発演劇事業「絆 いざや川の唄」  脚本・演出

6年 舞台研究集団「夢幻塾」を旗揚げ。

9年 第1回滋賀県演劇フェステイバル実行委員長

               「新設・近松心中物語」 脚本・演出

11年 滋賀県人権啓発演劇事業「スパイラル」     演出

13年 岐阜市で初の県外公演「幕末時穴純情傳IZOU」 演出

14年 東京公演「子育て重兵衛 振り向けばいつも雨」 演出

【劇団のこと】

平成6年11月26日の夜、滋賀県米原町の民宿で、米原町から委託を受けたエイズ関連啓発劇の打ち上げがありました。北近江に冬が近づいた、とても寒い夜でした。
その頃は、公演後の打ち上げで美味い酒が飲みたいから芝居をやっていたようなものでした。

青年団事業から行政主体の公募事業と制作基盤は変わっても、舞台への意欲は、そんな程度でした。でも、その夜に事件は起こりました。酒とホーム炬燵で暖をとっての談笑のなか、酒の勢いが後押ししました。そこには、芝居と格闘?しようとする者もいたでしょうし、平凡な生活の刺激、時間潰し程度に考えていた者もいたでしょう。でも、アルコールと群集心理は、時として思考を麻痺させます。その日の未明、舞台研究集団「夢幻塾」が結成されました。

参加者の中に芝居経験者は殆どなく、劇団と名乗ることを憚りました。その日、酔った勢いで入団届にサインして、今でも一緒に劇団をやっている岡山県人もいます。サインだけして、その後は顔を見せなくなった者もいます。翌朝、伊吹の山が冠雪し、その雪は里にもおりました。

それから紆余曲折を経ながら北近江に根を張ります。この間は、劇団員の出入りが凄まじかった時期です。小学生から30代後半まで、30人近い大所帯になったこともあります。

当時の稽古場だった元ホームセンター(びわ町の国道沿い、駐車場有りの物件。所有者の厚意で家賃なし!)で芝居小屋公演もしました。委託事業で県下4会場を、年末から2月にかけて巡ったことも。そして、結成5周年祝賀会の日、滋賀県北部地域=北近江の名を取り入れて改名し、翌年から劇団「北近江夢幻塾」を名乗ります。なお、ホームセンターは、現在はセブンイレブンになっています。稽古行き帰りに利用しています。

現在は、長浜市口分田町の繊維工場の元女子寮に稽古場(兼倉庫)を構え、北近江地域から集まった塾生が活動を行っています。

平成13年11月に岐阜市(JR駅ビル)で初の県外公演、翌年の9月13〜15日には東京公演(千本桜ホール)を実現させました。結果は大赤字で、ベントで稼いだ貯えは使い切りましたが・・学ぶべきものは多々ありました。

 舞台制作のコンセプトは、「美しい日本人」を舞台で再現することで、歴史上の著名人物を描いた作品もあります。最近は、観客から時代劇がメインレパートリー??と思われるぐらい、演技も濃くなっていますが。