今までの軌跡 |
| 高2の正月、お年玉を寄せ集めて、念願のアコースティックギターを買う。バチバチに厳しい私立男子校に行っていた僕(=ヒグチ)は、受験生のこの1年をギターの基礎テクニックに費やした。 晴れて(?)浪人生となり、当時コピっていたフォーク系アーティストがピアノを弾いていたことから、“アイツにできるんだったら、オレにだってできる!”とキーボードを購入。再び受験生のこの1年をピアノの基礎テクニックに費やす。このときから、初めてオリジナルをつくりはじめる。 晴れて第1志望の国公立大に入学し、軽音サークルにでも入ろうと考えるが持ち前の強い自己顕示が邪魔をする。仕方なしに、親友マッチの誕生日を機に、オリジナルを友人らに披露しはじめる自己愛的行為。このとき、ちっこいオッサンのエンドウが僕に触発され音楽をはじめる。彼の潜在能力は高く、切磋琢磨し合ってアルバムをつくったり、ストリートライヴをしたり、ツアーに出かけたり・・・。 同時期、シンセサイザーを購入し打ち込み録音に燃えていたエンドウの高校連れフジモトとのファーストコンタクト。魂はこもってるけど粗野な僕らの音楽性に、彼の技術が響いた。また彼は彼で、生音の大切さを感じギターを購入。周囲が就活へと向かう中、3人のモラトリアムは夜の街へ唄いに行っていた。ただ勢いでリズムを刻むカッティング奏法から、3人はいつしか自分たちをCuttingManiaと呼んでいた。 エンドウは海外留学、フジモトは放浪の旅、ヒグチは大学院浪人とそれぞれの道を歩み出す。エンドウが日本を去り、ヒグチ&フジモトの活動が細々とつづいた。偶然にも休学していたフジモトと同じ大学の院に晴れて入学。毎週金曜の授業後はストリートへと飛び出して行った。2000夏、全国ツアー。冬には初ライヴ。同時期、初ソロライヴ。 心理という自分の道を歩き出し、またフジモトも社会人となり、活動は休止。しかし、2001冬、瀕死の交通事故。心理の先生でもある高橋哲と企画者集団サイコロGを立ち上げ、クリスマスライヴatバートン2002を共同主催。マッチの同僚オノッチにゲスト出演してもらう。 職場を移った後も、同期の歌姫サコを加えサマーライヴatバートン2003、神戸市長田区ストリートライヴ、灘区ふれあい秋まつり、三宮ピースライヴへと出演。 そして、前回ニューイヤーライヴatMaidenVoyage2004を半分バンド形式にて開催。カッティングマニア、円熟期を迎えている・・・か?若干しんどくなってるけど。また適当に更新というか添削します(汗)。 神戸市長田区ストリートライヴイベント(2004/03/04)、ライヴ@SiteKobe(2004/05/15)に出演。SiteKobeは非常に良い箱で、久しぶりにいいライヴでした♪フジモトがめでたく結婚し、不参加。そして元メンバー=エンドウも結婚。CuttingManiaに追い風が吹いている?! |