COLUMN
2006-2007
12/22 讃岐うどん食べ歩き 毎年秋になるとどこからともなく「うどんを食べに讃岐へ行こう」という話題になり、食べ歩きツアーをしている。しかし今年はメンバーの都合が合わず冬になってしまった。12月の寒い季節だからこそほとんど屋外のような場所で食べる「讃岐うどん」はまた格別である。今年は基本に戻って定番かつ王道のチョイスである。 1軒目:「日の出製麺所」は一日1時間しか営業しないという名店。いつも時間帯が合わずパスしていたが、今回はちょうど開店前に付近で道に迷っていたため思い切って行列に並んでみた。さすが農林水産大臣賞受賞したという麺は絶品。しなやかかつ伸びのある麺は小麦の旨さをこれでもかと思い知らされる。これは今まで食したどのうどんよりも圧倒的に旨い! 2軒目:「山越うどん」は「釜卵」で有名な店。釜揚げのうどんに生卵をかけてダシと混ぜ合わせるとカルボナーラ状態になる。一日1500人が訪れるというこの店ももう何度も訪れているが、この日は比較的行列は短めだった。 3軒目:「たむらうどん」は、今年の夏にも立ち寄ったので半年振りである。手打ちの麺は力強い弾力があり、昆布ダシでいただく。自分でゆで加減が調節できるのもセルフ店ならでは。 4軒目:「やまうち」はロケーションがユニークで竹やぶの中にあり、最初訪れたときは何でこんな場所で営業しているのか不思議だったが、何度も訪れるうちにその理由が分かる。それは薪を使って強火でゆでるためであり、独特のコシ、歯ごたえが得られるのである。ゲソ天を載せてイリコのダシも味わう。 5軒目:「てっちゃん」はメニューが豊富でオリジナリティが溢れる店。お腹もいっぱいになってきたのでカレーうどんを食べてみた。力強い弾力のある麺にコクのあるカレーが絡み、最後までおいしく頂く事ができた。 かつては一日かけて7軒以上食べ歩いたこともあったが、おいしく食べられるうちに終了することを覚えた。また来年も行くことになるだろう・・・。 |
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11/25 ガンバ大阪 ホーム最終戦 11月3日に川崎フロンターレを破り、念願のナビスコ杯初優勝を果たしたガンバ大阪のリーグ戦のホーム最終戦を観戦。奇跡の逆転優勝を信じた2万人のサポーターと共にヴィッセル神戸を迎え撃つ。互いに牽制する試合展開のなか、前半40分、安田から二川へ繋がり、中央でバレーが競り、最後は裏で待つ播戸にわたり落ち着いて決めて待望の先制点!後半に入ると神戸が攻勢に出るが無失点に抑え、83分にはバレーがキーパーと1対1の局面を迎えるが決めきれずにロスタイム突入。そして悪夢が・・・。89分、ゴール前のこぼれ球を茂木に押し込まれて結局1-1のドロー決着。 「終わった・・・」何が起こったのか一瞬分からなかったサポーターは呆然。後味の悪いなか、チームキャプテン實好選手が引退を発表。そして最終戦ということでチーム全員でスタジアムを一周するが、イマイチ盛り上がれず・・・。天皇杯、そして来シーズンも応援するから、しっかりしてくれよ!! |
コーナーキックを蹴る遠藤 |
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11/23 シャガール展 奈良県立美術館では、生誕120年を記念した「シャガール展」が行われている。奈良公園の紅葉狩りの途中、ふと立ち寄って観た。1887年に生まれ1985年に亡くなったマルク・シャガールは、間違いなく20世紀最大の画家の一人である。ロシアのヴィテヴスク(現在ベラルーシ共和国)のユダヤ人居住区生まれたユダヤ人で、フランス、アメリカ、メキシコで活躍。パリに出て豊かな色彩感覚を開花させ、詩的で豊かな色彩表現と物語性をたたえた絵画は、世界中の人々に愛され続けている。恋人たち、動物、花束、サーカス、聖書といったモチーフに込められた深い愛情、平和への希望、そして生きる喜びといった表現は、ユダヤ人ゆえに20世紀の歴史に翻弄され続けた生涯から生み出されたものである。 シャガールの絵画は今までに何度も観る機会があった。このような絵画はできれば静かに心ゆくまでじっくり鑑賞したい。数年前に行った長野県の白馬にあるラフォーレ白馬美術館で観たシャガールは特に良かった。いずれは南フランスにあるシャガール自身が設計したというシャガール美術館に行って見たいものだ。 |
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11/14 第59回 正倉院展 毎年秋に行われている奈良の「正倉院展」だが、今年初めて観に行くことができた。何しろ二週間あまりの期間しか開催されず、毎年20万人以上の人出という展覧会で、それだけの価値がある宝物にお目にかかれる機会なのである。 今から遡ること1200年以上前の756年、聖武天皇崩御の四十九日忌に光明皇后が聖武天皇ゆかりの品々を東大寺大仏に献納したことが正倉院宝物の起源である。宝庫には約9000点の宝物があり、聖武天皇の時代を中心に奈良時代(8世紀)に制作されたものが大半を占め、仏具法具、家具調度、武器武具、文房具、楽器、遊具など多岐にわたる。この中から今年出陳されるのは約70点、しかしこれだけでもなかなかのボリュームがあり、見応えは十分。今年の特徴は、絵画を表した宝物や文様表現の優れた宝物が充実しており、天平の美の世界が広がる。 これだけの歴史がある宝物が今もなお現存しているのは、正倉院の扉を開けるには勅許が必要とされたからであり、現在でもそれは変わらず毎年秋の調査・点検を行う際にも、「開封の儀」がとり行われているのである。歴史の重みをひしひしと感じずにはいられない。たいせつなものはたいせつなことを教えてくれる(ちなみにコレは今回の正倉院展のキャッチコピーですが)ことを実感した。 |
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10/28 ロートレック展 久しぶりに平日に休みが取れたので、美術館へ「芸術の秋」を満喫しに出かけた。サントリーミュージアムでは「ロートレック展」が行われている。 日本初出品となるオルセー美術館秘蔵のロートレック・コレクションや、各国から集められた油彩画、版画とポスターの代表作を集め、挿絵や素描、関連資料などとあわせて非常に興味深い内容である。私は彼の生い立ちを全く知らなかったが、ロートレックは、1864年に裕福な貴族の子として生まれ、生まれつき骨の弱い子供で12歳と13歳のとき足を骨折、以後下半身の成長が止まったまま大人になったという。14歳で絵画に興味を持ち、パリに移り住んだ。ロートレックはダンスホールや劇場、娼館など19世紀末パリの歓楽の世界に入りびたり、そこに暮らす人々の姿を卓越したデッサン力で描き出した。1891年、ナイトクラブの「ムーランルージュ」は彼に店のポスターを依頼、これがロートレックの人気を不動のものにした。しかし1901年、彼は37年に満たない短い生涯を閉じたのである。 ロートレックは常にスケッチブックを持ち歩き、人や情景の一瞬のしぐさや様子を描きとめたという。そのデッサン力で活き活きとした題材を大胆で斬新な画面構成で仕上げていった。およそ100年前とは思えないモダンな絵画は、今でも新鮮さをまったく失っていない。グラフィック・アーティストとしてのロートレックの魅力が満載の展覧会であった。 |
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10/8 Mr.Children "HOME"ツアーファイナル 先週、長居スタジアムで行われたミスチルのLIVEに出かけた。今年は7月に「ap bank fes2007」でもLIVEを観ているので2回目だが、全くの別物であった。長居スタジアムで音楽イベントが行われるというのは史上初であり、しかもツアーファイナルの日である。4万人以上の観客と一体となったLIVEは、最高の盛り上がりをみせた。「何がいちばんのHOMEか、と考えたところ自分達が作って、たくさん演奏してきた音楽がいちばんのHOMEではないか、と思っております」という桜井のMCがあったように、15年間、ファンと積み上げてきた集大成のような選曲であった。昔からのファンも満足の90年代の曲と、最近のヒット曲がバランスよく選曲され、ミスチルにしかできない映像、照明、花火によるスケールのデカいLIVEに仕上がっていた。 ミスチルの歌詞は、ときどきそのときの自分の気持ちにしっくり当てはまる魅力がある。「ことば」にチカラがあり、「うた」に励まされ、「こえ」を聴くと元気が湧いてくる。最近、職場の仲間とバンドを組んでいて、ミスチルのコピーもよくやっている。「口笛」や「終わりなき旅」といった普段、自分で演奏している曲がLIVEで観られて、思い入れもあって余計に感動してしまった。「今度会うときまで、頑張ってね〜」と桜井は手を振ってアンコールは終了。スタジアムを後にしたとき、爽やかな秋の夜風が吹いていた。 |
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9/30 北欧モダン デザイン&クラフト 京都市美術館で開催中の「北欧モダン デザイン&クラフト」展に行った。今回の展覧会で対象となる「北欧」とはデンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの4カ国で、それぞれ風土、産業、生活スタイルなど異なる点も多いが、これらの国々に共通するのが、優れた「ものづくり」なのである。その優れた「ものづくり」の技術を背景とする「デザイン」が世界的に高い水準にあり、今日、日本でも「北欧モダン」は根強い人気がある。 北欧におけるデザインとクラフトは、ヨーロッパ本土で展開された産業革命以降の新しいモノ作り産業、アーツアンドクラフツ運動をルーツとし、近代の造形理念が波及、遅れながらも華やかに開花させていったのである。地理的に中央ヨーロッパから離れていたために情報の伝達が遅れ、また資源や国力の問題があり、工業化の速度が急激ではなかったこと。また自然素材を多く使い、素材の質感を生かすという伝統、手仕事の良さという伝統が、北欧には近代になっても受け継がれたことが、「北欧モダン」を決定的に特徴づけたといえる。 近代デザインの基礎のひとつに挙げられるものとして、無駄なものを削ぎ落としたシンプルなフォルムと機能的な美しさがあるが、最も有名な北欧の椅子であるハンス・J・ウェグナーのY-Chair(写真)、The Chair、 Chineseなどは、まさに逸品。触れることはできないが、間近にまで近寄りそのフォルムをあらためて確認、そしてその美しさに感動すら覚えた。他にもアルネ・ヤコブセン、アルヴァ・アアルト・・・など北欧を語る上でハズせないデザイナーの作品が数多く展示されているので、これは見応えのある展覧会だった。 |
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9/2 恋するマドリ Francfrancがプロデュースした映画「恋するマドリ」を観に出かけた。 姉との些細なケンカから1人暮らしをすることになった美大生のユイ(新垣結衣)に、引越しをきっかけに素敵な出逢いが訪れる。忘れ物を取りにいった元の部屋の新しい住人は、いかにも大人な感じのカッコイイ女性、アツコ(菊地凛子)。二人は偶然にもお互いに元の部屋の住人同士、つまりユイがアツコの部屋に、アツコがユイの部屋に引越しして入れ替わってしまったことが判明する。そしてもう一人バイト先で知り合った物静かで一途な男性は、ユイの部屋のすぐ上の住人、タカシ(松田龍平)だった。 (このあたりでかなり無理があるなぁと思いつつ・・・) そんな出逢いの中でユイは次第にアツコには同性としての憧れと、タカシには異性への恋心を抱き始める。しかし、憧れのアツコとタカシにもそれぞれ忘れえぬ恋の悩みがあった。運命的な出逢いは一転、奇妙な三角関係へと発展。 (おいおい、いくら映画でもそれはないやろ・・・) 自分の恋を選ぶのか、大好きな二人の幸せを選ぶのか、運命の決断を迫られたユイ。 (そこまでいっちゃうか・・・) 確かにインテリアや中目黒あたりやオープニングのイラストはいい感じなのに、そのテイストが全般に行き渡ってなくてストーリーとのチグハグ感は否めない。ただ、ガッキーのカワイさは認めるけどね。 (ポッキー食べたくなってきた・・・) |
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8/26 イタリアデザイン界のマエストリ達 いよいよ「世界陸上2007」が始まったが、大阪市がその関連事業のひとつ、姉妹都市提携25周年を迎えたミラノ市との交流事業として「イタリアデザイン界のマエストリ達」展が大阪市立美術館で行われている。 私は残念ながら行ったことはないが、ミラノは中世の名残りを留めた美しい街並みで、最新流行のファッションを発信する、歴史と時代の最先端を同居させたまちである。芸術的なイタリアデザインを育んできたミラノという都市において活躍するデザイン界の巨匠たち(イタリア語で「マエストリ」)の作品を一同に集めたのが、今回の展覧会である。ミラノ市とラ・トリエンナーレ・ディ・ミラノ財団の全面協力を得て、同財団が所蔵する椅子やランプなど、世界的に評価の高いデザイナー24名(エットレ・ソットサス、マリオ・ベリーニ、エンツォ・マーリ・・・などそうそうたるデザイナー)によるプロダクト作品約110点が展示されている。ちなみに会場の構成もなかなかクールで格好いい。名前は知らなくても見たことのある作品と巡り会えるのである。 写真のスーパーレジェーラは、イタリアモダン建築の巨匠、ジオ・ポンティの代表作のひとつ。超軽量(1,3Kg)で、椅子の機能と美を極限まで追求した作品である。座の籐は、現在では貴重な技術とされる手編みで、フレームを組み立てた状態で工場から籐編み職人の工房まで移送し、籐の座をフレームに編み込んで再び工場へ戻すという手間のかかる工程を経て、ひとつひとつ丁寧に作られているまさに巨匠の逸品。 実用性、斬新な造形、機能性、新しい素材を採り入れた作品の数々を見ていると、世界のデザインをリードし続けてきたイタリアの豊かな創造力、奥深さを知ることができる。 |
![]() スーパーレジェーラ |
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8/15 直島 高松からフェリーに乗って50分、瀬戸内に浮かぶ「直島」に出かけた。この小さな島は云わずと知れた「現代アートの島」である。まずはフェリーから降りるとSANAA(妹島和代+西沢立衛)設計の海の駅「なおしま」がある。一枚の薄くて軽やかな屋根の下、ガラスが内と外を隔てる。まずはじめに本村地区の「家プロジェクト」に向かう。ノスタルジックな島の風情と現代アートの融合が鑑賞できるエリアである。角屋は200年前の家屋で宮島達男のデジタル数字をモチーフにした作品。護王神社は杉本博司が改築し、信仰とアートの融合を表現したもの。南寺は安藤忠雄設計の建築でジェームズ・タレル作の暗闇と静寂の空間を体験できる。「きんざ」は内藤礼の作品だがこれは数ヶ月前から予約しないと鑑賞できないもので、今回はパスした。そしていよいよ目玉の「地中美術館」へ。大半が地中に埋もれているが、館内は太陽光や風が取り込まれるように設計されており、季節・時間・天候で常に違う表情をみせる建築である。作品はクロード・モネの「睡蓮」が4点、ウォルター・デ・マリアの空間、ジェームズ・タレルの3つのスペースのみである。しかし安藤忠雄の建築がそれらにプラスされると、まさに人間の五感を刺激し、自然と人間の関係について考えさせるアートな空間となるのである。こんな贅沢な美術館は他にはない、まさに非日常の空間である。次に少し離れたところにある同じく安藤忠雄設計のベネッセハウスへ。こちらは瀬戸内海を見下ろす高台にあり、明るく開放的な美術館である。ブルース・ナウマンの「100生きて死ね」やアンディ・ウォーホル、リチャード・ロングらの作品が自然を感じながら鑑賞できる。また周辺には草間弥生、ジョージ・リッキーらの屋外アートも点在するので、海辺を散策するのも楽しい。 とても一日では回りきれない小さな島、やはりベネッセハウスに宿泊してゆったりと島の時間に身を任せてみたい・・・。自然、歴史、建築、アートに触れて過ごす時間は何ものにも代えがたい、そんなことを感じた夏の旅であった。 |
![]() 草間弥生「南瓜」 |
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7/28 ap bank fes '07 季節外れの台風4号が日本列島を通過した直後、私は静岡県のつま恋にいた。14日から16日まで開催される筈だった今年の「ap bank fes」だが、結局最終日の16日だけ辛うじて行われたのである。幸運にもその最終日のチケットが取れていたので、静岡県に向かった。 櫻井和寿と小林武史、多くのスタッフ、ボランティア、そしてこの場所に全国から集まった観客がこの二日間のモヤモヤを吹き飛ばそうと、何ともいえないパワーが充満した雰囲気で始まった。AI、KREVA、絢香、コブクロ・・・続々とメジャーどころが続く。また1日目に出演予定だったKAN、HOME MADE 家族、レミオロメンの藤巻亮太も特別参加、さらにサプライズで氷室京介が飛び入り。息つく間もなく終盤に入り、ウルフルズ、そしてMr.Childrenのステージが続く。最後は会場とステージの全員で「to U」を熱唱し、3日分の花火を打ち上げて締めくくった。 気がつけば予定終了時刻を大幅に過ぎていた。しかも最寄のJRの駅まで3時間以上の大渋滞。最終の新幹線に間に合わず名古屋で一泊、始発の新幹線に乗って出勤するというアクシデントに見舞われた。 しかし、このフェスはやっぱり凄い!単なる音楽イベントなら大混乱になるであろう事態でも、集まっている人間の志が異常に高い。ゴミは全く落ちていない、渋滞の長い列に誰一人文句を言わない、割り込まない・・・。大人のマナーが守られているのである。 環境問題について、意識はしているし、知識も多少ある。しかし、行動ができないというのが大半の人間だろう。自分の箸を持ち歩いてどれほどの割り箸が節約できるのだろう。アイドリングをストップしたところで、どれほどCO2排出が削減できるというのか・・・本当の正解は分からない。でも、少なくともここに集まった人間は、「ap bank」に賛同し、普段からゴミはキチンと分別し、マイ箸を持ち歩く人間で、音楽を通じて繋がっているような気がした。家族でもなく学校も職場も違う人間同士が、繋がることができる、それは何かとても大切で素敵なことで、喜びなんだとこのフェスは教えてくれた。素直に来年も行きたいと思わせてくれたすべての関係者に感謝したい。 |
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7/13 サイドカーに犬 映画「サイドカーに犬」の原作は芥川賞作家・長嶋有のデビュー作である。30歳になった薫は、20年前のひと夏を回想していた。突然、母が家出した後、ヨーコ(竹内結子)と名乗る若く美しい女性が夕飯を作りに現れた。ヨーコは、ドロップハンドルの自転車に乗り、タバコを吸い、豪快に笑い、自由奔放・・・でもどこかミステリアス。一方、10歳の薫(松本花奈)は、常に周囲の反応に敏感で、臆病で、親におねだりすらしたことがない。ヨーコと過ごす夏休み、型破りだが温かい心を持つ彼女に、薫はすっかり魅了されてしまう。 1980年代の夏を舞台にしているので、懐かしいアイテムが次々と出てくる。250ミリリットル缶のコーラ、コンピューターゲーム「パックマン」、駄菓子の「麦チョコ」、山口百恵やRCサクセション・・・。ファッションや家のなかのインテリアなども思い当たるようなモノがさりげなく登場する。ちょうどこの時代、私は中学生くらいだったので若干のズレはあるが、あの頃の長〜い夏休みが思い起こされる。30代にはノスタルジックに浸れる一本である。 |
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7/1 スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー 20世紀後半、そして21世紀の建築界の巨匠のひとり、フランク・ゲーリー。既成概念を吹き飛ばす独創的なデザインと伝統に縛られないその精神から、彼は建築家にして芸術家とも称される。直線と曲線の融合、異素材の組み合わせなどに特徴があり、それはまるで彫刻のようだ。今なお尽きることのない彼の壮大なアイデアはいったいどこから生まれるのか? 映画「スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー」は、そんな彼の製作現場に迫るドキュメンタリーである。建築好きで有名なブラッド・ピット、自宅の設計を依頼しているデニス・ホッパー、アーティストのジュリアン・シュナーベル、ミュージシャンのボブ・ゲルドフ、元ウォルト・ディズニー社CEOのマイケル・アイズナーなど、各界の早々たる面々が“証言者”として登場。メタリックな輝き、想像を超える曲線・・・これらが生まれる瞬間とはどのようなものか?彼独自の創作過程、そして知られざる彼の本音と人間性に迫る興味深い映画だった。 ちなみに日本で見られるゲーリー建築は神戸のCafe Fish(フィッシュダンスホール)だけである。はじめてこの巨大な魚を見たときの衝撃は今も忘れられない。もちろんそのときはゲーリーなんて名前をまったく知らなかったけど。 |
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6/11 大日本人 松本人志の企画・初監督・主演映画「大日本人」を観た。吉本興業の映画制作第1作、カンヌ出品、制作費10億円など話題が先行し、なおかつストーリーは「ヒーローもの」としか明かされていないなかで、果たしてこの映画はどうなのか・・・?これはもう自分で観て判断するしかないだろう。 随所に笑いのツボが隠されているので、それが分かるヒトには「たまらなく面白い」内容だが、映画とはこうあるべきとか批判的な目で見てしまうと「全く面白くない」映画になってしまう。せっかくお金を出して見に行くのなら楽しまないと損だと思うが、「ごっつええ感じ」的笑いに慣れていないと厳しいかもしれない。つまり「大佐藤さん」のキャラ設定で笑えたら大丈夫。そこでつまづくと「金返せ〜!」になってしまう。だからあえてオススメはしない。 松本ファンとしては、この映画制作をきっかけに監督自ら「さんまのまんま」や「いいとも」に出演しただけでも十分満足だ。興行収入もまずまずのようで次回作もほぼ確定。松本監督・ばんざい! |
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5/15 双子の子パンダ 一年ぶりに白浜アドベンチャーワールドに行ってきた。お目当てはもちろん昨年の12月23日生まれた双子のパンダ「愛浜(あいひん)」「明浜(めいひん)」である。生まれたばかりのパンダは全身ピンク色だが、一ヶ月もするとちゃんと白と黒のパンダカラーになる。3ヵ月くらいでハイハイができるようになり、5ヶ月目の今ではヨチヨチ歩きができるまでに成長した。観に行った日も双子のパンダは所狭しと走りまわり、ふたりで仲良く遊んでいた。そしてお母さんパンダの「梅梅(めいめい)」が写真のように子育てしているところを間近で見ることができるのである。 なんとも微笑ましいこんな姿が見られるのも今のうちである。というのもパンダの成長はとても早い。昨年観に行ったときに赤ちゃんだった「幸浜(こうひん)」はもう立派なパンダに成長していた。 ちなみにこの日、偶然にも日本パンダ保護協会名誉会長の黒柳徹子さんがTVの収録で来園しているところを目撃した。黒柳さんはかつて『わくわく動物ランド』のパンダ特集の回にゲスト出演したとき、5問全問正解したという逸話をもっているほどのパンダ好き。この場所に集まる人はみんな幸せそうな顔をしている。 |
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5/7 神童 「のだめ・・・」で俄かにクラシックがブームになっている。便乗したわけではないだろうが、さそうあきら原作のコミック「神童」が映画化されたので観に出かけた。ピアノの才能に恵まれた少女うた(成海璃子)は、神童として周囲の期待を背負いながらも自らの才能をもてあましていた。母親との関係や制約の多い窮屈な日常に嫌気がさしていたある日、落ちこぼれ音大受験生ワオ(松山ケンイチ)と出会う。彼と一緒に過ごすうちに音楽の真の喜び、人の心の温かさに目覚めてゆく・・・。 原作がコミックのせいかところどころ釈然としない展開があるものの、それらを淡々と描いたことで主役の成海璃子の存在感が圧倒的だ。目の動き、表情、しぐさのひとつひとつが少女の葛藤を演じている。最後にふたりで連弾をするシーンがあるが、いろんな想いが詰まっていてとても美しい。そして音楽の持つチカラ強さ、奥深さ、魅力が十分に感じ取れた映画である。 弱冠14歳、成海璃子の主演作が次々と公開される予定だが、これからの成長が楽しみな女優である。 |
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4/28 ダリ展 サントリーミュージアムで開催中の「ダリ展〜創造する多面体」を観に出かけた。ダリといえばグニャグニャの時計を思い浮かべるが、その表現は絵画だけでなくパビリオンでのインスタレーション、舞台芸術、文筆活動など多岐に渡ることを今回はじめて知った。 サルバドール・ダリは、1904年スペイン・カタルーニャで生まれた。独自の内面世界を写実的技法によって克明に描き出した20世紀を代表する画家である。画学生時代には印象派やキュビスムの影響を受けていたが、シュルレアリスムに自分の進む道を見出し、1929年に正式にシュルレアリスト・グループに参加。ダリは自分の制作方法を「偏執狂的批判的方法」と称し、写実的描法を用いながら、多重イメージなどを駆使して夢のような超現実的世界を描いた。また溶けた時計や群がる蟻といったモチーフを用いて夢と現実が白昼夢のように融合したような非日常の世界を描き、観る者を魅了してきた。 会場では、ダリの著書の中で最高傑作とされる自伝「わが秘められた生涯」の手書き原稿を壁面一面にプリントしたり、パビリオンのイメージを再現した逆さに吊り下げられた傘が並んでいたり、会場構成も楽しめるようになっている。まさにダリを多面的に捉えることができる。そして刺激に満ちた作品の数々に触れると、自分のなかの眠っていた何かを呼び覚ますような感覚を覚えた。 |
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4/6 山中千尋トリオLIVE 先週、大阪BlueNoteに山中千尋トリオのLIVEを観に出かけた。2003年の夏フェスで見かけて以来、その類まれなるテクニックにすっかり魅了され、今回はトリオで登場ということで楽しみにしていた。 山中千尋・・・米国バークリー音楽院を首席で卒業。在学中より幾多の賞を受賞し、数多くの有名アーティストと共演を重ねる。2001年10月に、ジャズピアノの名門レーベル「澤野工房」から第一作『Living Without Friday』を発表、直後に大手CDショップのジャズ・チャートで一躍トップセールスをマークし、新人としては異例のデビューをかざる。同時期から文化庁派遣芸術家在外研修員として一年間、アメリカでさらに研鑚を重ね、2002年12月にニューヨークの若手トップミュージシャンを従えた第二作『When October Goes』をリリースし、ジャズ・チャート初登場第1位を獲得。現在もニューヨークを中心に世界各地でライヴ活動を続けているジャズピアニストである。 以前観たときはしっとりと聴かせるピアノ、スピード感のある魅せるピアノだったのが、今回はドラマティックにノリのいいアレンジになっており、新しい一面を見せてくれた。山中千尋の華奢なカラダなのに上腕二頭筋だけは美しく盛り上がった汗だくのパフォーマンスは、これからも進化し続けていくことだろう。 |
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3/7 スノーボード 今年は記録的な暖冬で、ウィンタースポーツのシーズンもそろそろ終了となりそうだ。4年前からはじめたスノーボードも今シーズンは一日しか行けなかった。始めた当初の感想が2004年の2/29付のコラムで残っており、今になって読み返してみると、ずいぶん痛い目にあったことがわかる。なにしろ立つことさえ出来なかったのである。それが2年目でなんとなくコツをつかみ、3年目で思うように曲がったり止まったりできるようになり、今年は上級コースでなければコケずに滑ることができるまでになった。このレベルなら「趣味は?」と訊かれてスノボと答えても許されるだろうと自分では思っている。 年齢を重ねるにつれて、やはり新しいことや難しいそうなことにいわゆるチャレンジするということが億劫になってくる。体力的、精神的にきつい、忙しい・・・など言い訳はいくらでもできる。しかし、それでもやり遂げたときの達成感は、チャレンジしたものにしか得られない。始めるよりも続けるほうがはるかに難しい・・・。この当たり前を今一度、覚えておきたい。スノーボードは私にとってこの数年間で新しくチャレンジして「とりあえず」達成できたことのひとつである。トリッキーなパフォーマンスにも挑戦したいし、ターンのフォームも改善しないといけないし、もっと「上」を目指して続けていきたいと思う。 |
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1/24 それでもボクはやってない 周防正行監督の11年ぶりの映画「それでもボクはやってない」を観た。深刻な社会問題となっている“痴漢冤罪事件”をテーマにしたこの映画は、2009年に司法改革の一環として裁判員制度の導入が決まり、裁判そのものに注目が集まっている今、まさに観るべき映画であると強く感じた。 就職活動中の金子徹平(加瀬亮)は、会社面接へ向かう満員電車で痴漢に間違えられて、現行犯逮捕されてしまった。警察署での取調べで容疑を否認し無実を主張するが、担当刑事に自白を迫られ、留置場に勾留されてしまうことに。勾留生活の中で、孤独感と焦燥感に苛まれる徹平。検察庁での担当検事取調べでも無実の主張は認められず、ついに徹平は起訴されてしまった。 ここで私は恐ろしい事実を知る。刑事事件で起訴された場合、裁判での有罪率は99,9%と言われている。つまり起訴されれば無罪はほぼありえない。量刑をどの程度にするかその判断のために、裁判は延々と論議されているのである。 周防監督は、実際に30件・200回もの裁判を傍聴した経験と、元容疑者や元被告からの証言をもとに、実在の痴漢冤罪事件の忠実な取材に基づいたリアルを描いた。感動的なラストシーンは用意されていない。なぜならそれが現実だから。知っているようで知らない「裁判」について、この映画はドラマなしで教えてくれる。そしてもし自分が満員電車で痴漢に間違えられたとき、どう行動すべきか知っておく必要があることも・・・。 |
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12/31 ap bank fes '06 今年の夏に3日間にわたって行われた「ap bank fes '06」のDVDを購入した。ap bankとは、2003年、小林武史、櫻井和寿、坂本龍一の3名が自己責任のもとで拠出したお金をもとにして、「可能性ある新しい未来をつくろうとしている環境プロジェクトに融資を行う」という目的で設立された非営利組織である。みんなが地球のこと、自分たちの身の回りの社会のことを考えるようになれば、もっと暮らしやすい、居心地のいい未来が開けてくるという意識のもとに、各地の人々の行う小さな試みを支援することで、「自分たちの力で社会を変えていける」と思う人が増えていけば・・・そんな想いが込められている。そしてその想いに共鳴したアーティスト達が集い、野外音楽イベントが開催されたのが、「ap bank fes」である。2回目となる今年のフェスは3日間で6万人を動員し、その収益は全て融資とap bankの活動資金に充てられている。 何らかのカタチでこの活動に参加したいが、残念ながら静岡県のつま恋までフェスを観に行くことができない。よって私は昨年に引き続き、フェスのDVDを購入することで間接的に参加し、映像やブックレットで紹介されている環境プロジェクトを知る。そして自分にできることはないか?身の回りのこと、社会、環境、未来についてどう思うか?すこしの時間、考えてみる。 メジャーなアーティストが目白押しの音楽ソフトとして楽しめるだけでなく、肩ひじ張らずに環境について考えてみるいい機会を与えてくれる。大事なことは、この気持ちが継続すること、そして誰かに繋がっていくことだと思う。 |
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11/23 ガンバ大阪×ジェフユナイテッド千葉 Jリーグもいよいよ終盤、優勝争いから目が離せない。G大阪にとって首位・浦和にこれ以上勝ち点で離されると連覇は夢と消えてしまう、そんな厳しい状況が続いている先週の日曜日、万博でジェフ千葉との一戦を観戦した。 MF遠藤はウイルス性肝炎で療養中、FW播戸が左太もも裏痛で欠場、MF橋本も出場停止で、MF二川がボランチに入る苦しい布陣、攻撃的サッカーのガンバのスタイルは見ることができない。試合はホームでありながら千葉の猛攻を受け前半を終了、しかし後半9分にFWマグノ・アウベスの芸術的ゴールで先制、1点リードの終盤は防戦一方の展開を守り切り、1−0で競り勝った。とにかく勝ちたい!ガンバの気持ちが勝利を呼び込んだといえる。そして雨が降り止まない万博で16,950人のサポーターの気持ちもひとつになった。 首位・浦和と勝ち点差3で残り3試合。12月2日には浦和との直接対決が待っている。昨季は逃げるつらさを味わった宮本は「上にいるチームはとにかくプレッシャーを感じる」と、追うものの強みを強調した。逆転優勝に向けてドラマが起こりそうな予感がする。 (写真は試合後のガンバの選手、右端が宮本) |
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11/5 オルセー美術館展 芸術の秋、神戸市立博物館で行われている「オルセー美術館展」に出かけた。世界屈指の印象派コレクションで有名なオルセー美術館は、旧オルセー駅を改造した建物で、1900年当時の最先端建築である鉄とガラスがふんだんに使用されている。通常の美術館では考えられないほど天井高があり、開放的な空間でゆったりと19世紀後半期の美術を鑑賞することができる美術館である。セーヌ河をはさんで対岸に位置するルーヴル美術館とともに、私がもう一度訪れたい場所のひとつである。 今回のテーマは「19世紀 芸術家たちの楽園」と題し、19世紀の芸術家たちと彼らが愛し、希求した土地や人々、特定の環境との関係に焦点をあてている。創作活動に欠くことのできなかった世界、つまり芸術家たちの楽園を浮かび上がらせようとするものである。たとえばルノワールは、マネの弟ウジェーヌとベルト・モリゾ夫妻の一人娘、ジュリー・マネをモデルにした。ミレーやモネは、都会を離れ自然の生命力あふれる野趣豊かな土地を創作の場とした。ゴッホは浮世絵のように色彩鮮やかな国、日本を求めて南仏のアルルへ旅立ち、ゴーガンはタヒチへ、セザンヌも生涯、故郷の南仏エクス=アン=プロヴァンスに深い愛着を持っていたという。 美術の教科書のようなコレクション140点の出展作品は、オルセー美術館の常設展示を代表する名作だけでなく、絵画、彫刻、素描、写真、工芸品、建築デッサンなど多彩な分野を網羅している。あのオルセー独特の展示空間を想像しながら鑑賞してみるのもいいかもしれない。 |
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10/31 涙そうそう 古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた/いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ/晴れ渡る日も雨の日も 浮かぶあの笑顔/想い出遠くあせても おもかげ探して よみがえる日は 涙そうそう この名曲が実は歌手の森山良子が若くして他界した兄を思って書いた詩だったとは今まで知らなかった。映画「涙そうそう」はこの曲をモチーフにつくられた。那覇で自分の店を持つことを夢見て働く兄の洋太郎(妻夫木聡)のところへ、高校に合格した妹のカオル(長澤まさみ)がやって来て同居することになった。やがて資金が貯まり店が開店を迎えようとしたとき、洋太郎は詐欺に遭って莫大な借金を背負ってしまう。それでも洋太郎はカオルを大学に進学させるために必死に働くが…。 沖縄の街並み、ひとびとの暮らし、自然・・・そんな風景を舞台に描かれる血の繋がらない兄妹の物語。申し分のない主演ふたりの名演技。そしてバックで流れる「涙そうそう」や島唄とくれば、確かに涙そうそうの条件が揃っているのだが、私は涙そ止まりだった。観ている者は最初から泣くぞーって気持ちで構えているし、作り手は泣かせてやるって気持ちが前面に出過ぎているような気がして、私の中では少し噛み合わなかったようだ。 |
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9/24 DOCOMOMO100選展 大阪くらしの今昔館という大阪市の施設が天神橋筋六丁目にある。そこで昨日から開催されている「DOCOMOMO100選展in大阪」に早速出かけた。ドコモモ(DOCOMOMO=Documentation and Conservation of buildings, sites and neighbourhoods of the Modern Movement)は、モダン・ムーブメントにかかわる建物と環境形成の記録調査および保存のための国際組織である。1988年にオランダで設立され、近代建築が無造作に取り壊されていくことへの危機感と、その意味を次の世代へ伝えていきたいという共通の思いを持って、世界40カ国を超える国や地域が参加している。日本では2003年にDOCOMOMO Japanと日本建築学会によって100の近代建築が選定され、今回はその100選を図面、模型、写真などで紹介するものである。 開催初日にあわせてDOCOMOMO Japan代表の鈴木博之氏、関西のモダニズム建築に詳しい石田潤一郎氏、足立裕司氏の講演会が用意されていた。そもそもモダニズム建築とは?日本的モダニズムの特徴とは?調査、保存、再生の難しさなどについてレクチャーを受け、あらためて日本中の100選をじっくり鑑賞してみると、近代建築がもつかけがいのない存在意義が理解できた。 大阪では村野藤吾のそごう大阪店が2003年に経済的理由から解体された。ただ古くなったから、時代に合わなくなったから、何かと理由をつけて新しいものを求める時代はもう終わった。一度壊した「空間」は二度と再生できない。この問題はお役人や経済人に委ねておくとろくなことがないのは歴史が証明している。まずは市民ひとりひとりが建築や都市のあり方に関心を持つところからはじめていくしかなさそうだ。 |
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9/10 ラフ ROUGH 子供の頃からほとんど漫画を読まない私は、家には一冊も漫画はないし、マンガ喫茶というところに足を踏み入れたこともない。そんな私でもなぜか「あだち充」だけは人に借りたりしていくつかの作品を読んだことがある。あのワンパターンの青春モノが描かれた時代に、いまだに憧れてしまう30代は多いのではないだろうか。そんな30代をターゲットにしているのかどうかは不明だが、映画「ラフ ROUGH」を観に行った。 亜美(長澤まさみ)と圭介(速水もこみち)はそれぞれ実家が和菓子屋を営んでおり、昔からライバル同士。そんな二人が同じ高校に入学し、水泳部に入部した。はじめはいがみ合っていたが、やがて水泳の情熱を通じてお互い惹かれあうようになる。しかし亜美には、競泳日本記録保持者の恋人・弘樹(阿部力)がいて、圭介と弘樹は水泳、恋のライバルとしてお互いを意識するようになる。そして圭介と弘樹は、日本選手権で決着をつけようとするのだが、弘樹は試合会場に現れなかった・・・。 長澤まさみは「タッチ」で浅倉南を演じていたように、あだち充作品の原作にいちばん近いイメージで演じられる唯一の女優である。そんな長澤まさみが水着姿を披露する・・・それがこの映画の最大のウリで、それ以外の部分で作品としての評価を下すのはあまり意味がないように思う。夏の終わりにさわやかな映画を観て、みずみずしい気持ちになれればそれで十分・・・そんな作品である。 |
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9/1 ユナイテッド93 あの日、私はCNNの世界貿易センターから煙が上がっているという第一報からテレビの前に釘付けになっていた。何が起こっているのか・・・全く見当がつかないまま2機目の飛行機が突っ込み、まるで映画のCGのように二つのビルが崩れていく様子をリアルタイムで見ていた。遠く東の果てでニュースを見ている者でさえ頭の中が混乱していたそのとき、現地ではどれほどの混乱が起こっていただろう・・・。「ユナイテッド93」はその一部を再現した映画である。 2001年9月11日の朝、アメリカ東海岸で同時に4機の民間旅客機がハイジャックされた。ユナイテッド93便は、ツインタワーとペンタゴンに続き、ホワイトハウスへの自爆テロを目的としながら、唯一、到達することなく墜落した。機内での真実は、もはや誰にも知ることはできない。しかし乗客は墜落する寸前まで携帯電話で家族や知人と連絡を取りあっていた。一方、地上では東海岸の各管制センターがみるみる管制不能に陥り、旅客機が次々とレーダーから姿を消していた。その混乱ぶりがリアルに感じられるのは、管制内のキャストの多くがエンドロールで「as himself」とあるように、本人自らが演じているからである。 その時間に起きていた出来事を、できるだけ事実に即して再現しようと詳細なリサーチに基づいて制作されたドキュメンタリー。余計な脚色もないしメッセージもなく、ただ事実を伝えるのみである。テロに対する怒り、事故で犠牲になった家族の悲しみ、機内でテロリストと戦う乗客の恐怖、絶望・・・さまざまな感情が複雑に絡み合い、適当な言葉が見つからない。観る者がそれぞれ考え、感じればそれでいいし、ただこの9.11をいつまでも忘れないようにしなければと思う。満員の映画館では120分間、誰ひとり身動きひとつしなかった。それほど臨場感が館内を包んでいた。隣の人の息を呑む音が聞こえたほどである。 |
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8/22 伊根の舟屋 この夏、丹後半島を一周する旅に出かけた。天橋立から伊根の舟屋めぐり、経ケ岬から久美浜までずっと右手に海を見ながらのドライブである。このコースは雑誌やガイドブックでたびたび紹介される定番中の定番。途中、先月の大雨で道路が決壊し完全に通行止めになっている箇所があり、細い山道を迂回しなければならないハプニングがあったものの、天候にも恵まれリフレッシュすることができた。 伊根の舟屋とは、海に面した住居の1階部分に船の停泊場所を備えたこの地独特の建物である。かつてワラ葺きの平屋建てだった舟屋は、江戸時代に半2階となり、昭和にはいってから2階建てに変化したもので、現在でも約230軒が海と一体となって建ち並ぶ舟屋群は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。住居として使用されているため内部の見学はできないが、伊根湾内をめぐる遊覧船があり、海からこの舟屋群を眺めると、まるで家々が海に浮かんでいるように見えるのである。伊根の舟屋は1993年に放送されたNHK連続テレビ小説「ええにょぼ」の舞台になった場所ということもあり、私はその存在を知っていたが今回はじめて訪ねることができた。 伊根町観光協会が発行しているパンフレットには次のようなキャッチコピーが並ぶ。「さざ波と甍の波・・・暮らしがやさしく寄り添っています」「まるで旧い友人のように」そして極めつけは「ここにあるのは、ただ優しい時間だけです」とある。確かにここに来ると時間がゆっくりと流れているように感じる。美しい大自然でもないし、感動的な歴史があるわけでもない。今も漁で暮らしている人たちの生活の場がそこにあるだけなのに、なぜか心地よく感じる。それが「旧い友人のように」あるいは「優しさ」とたとえる所以なのだろう。この町にはコンビニもファミレスもない。私たち都会に住む者は、便利さと引き換えに「優しい時間」を失っているのである。 |
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8/17 アルベルト・ジャコメッティ展 ひょろひょろと細長い人物の彫刻作品を初めて見たのは、テレビでニューヨーク・グッゲンハイム美術館のプログラムを見たときだった。一度見ただけでその強烈な印象は私の脳裏に焼きついた。しばらくしてそれがアルベルト・ジャコメッティの作品であることを知った。兵庫県立美術館ではそのジャコメッティの展覧会が行われている。 アルベルト・ジャコメッティ(1901-1966)は後期印象派の画家ジョヴァンニ・ジャコメッティを父親に、スイス、グリゾン州の小村ボルゴノーヴォに生まれた。キュビスム、シュルレアリスムの時期を経て、空間と対象との関係、そして人間存在を極限まで追求した結果、あの独特の細長い身体像にたどりついたという。目に映るものを「見えるとおりに」表わす。簡単そうに思えて、実際には不可能なほど難しい、このただひとつのことをジャコメッティは生涯をかけて追求したのである。針のように細い彫刻像、灰色の画面から静かに現れてくる人物画。それらの作品は、20世紀美術のなかでもひときわ個性的で、ジャコメッティの存在を類例のない独自のものとしている。彫刻にしろ、絵画にしろ、ジャコメッティの作品は大きな力をもって見る人に強い印象を与えるのは、「見ることはどういうことか」「人は一体何を見ているのか」を問いかけているからなのであろう。 今回の展覧会は、モデルとしてジャコメッティの創作活動に深く関わった哲学者の矢内原伊作との交流に焦点をあてたものである。矢内原は、数度にわたりパリに招かれモデルとなり、ポーズをとり続けた日数は述べ二百数十日に及んだ。カフェなどの場所でもジャコメッティの手は休むことなく、新聞紙やチラシなどにも力強くおびただしい線で矢内原のデッサンを描き続け、集中力の途切れることのないこうした創作のプロセスを、矢内原は日々記録に書き残している。 作品はどれひとつ、ジャコメッティが考えるような意味で完成することはなかったという。しかし残された彫刻、油彩画、デッサンからは、その壮絶な創造の現場を感じ取ることができた。 |
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8/7 マスカレード 澤田知子展 サワダトモコというありふれた名前は知らなくても、リクルート活動をする女子学生やガングロギャルに扮したセルフポートレートを撮影する写真家といえば、ピンとくる人も多いのではないだろうか。その澤田知子の写真展がKPOキリンプラザ大阪で行われているので見に行った。 澤田知子は1977年神戸生まれで、成安造形大学デザイン科写真クラス研究生を修了し、2003年に発表した「Cosutume」とそれまでの活動が評価され木村伊兵衛写真賞を受賞。現在では海外での評価も高く、NY、ロンドン、ベルギー、ウィーンなど世界各地で展覧会を行う写真家である。 今回の展覧会では、10年前にセルフポートレートを撮り始めた初期の作品とあわせて、今もっとも興味があるという“顔”を中心としたシリーズで構成され、新作も発表。少しづつメイクをかえてパラパラマンガのように顔が変化していく作品や、顔の仮面をはぐような仕草で次々に新しい顔がでてくる映像作品にもチャレンジしている。また様々な人に扮して撮影されたお見合い写真のシリーズ「OMIAI」と、ホステスのいるお店での紹介写真の形を引用したセルフポートレート「MASUQUERADE」(右の写真はその一部)の人気投票に参加できるという企画まである。 この人気投票だが正直、美しいとは言い難い写真から何とかして気に入った一枚を選ぼうとするのだが、これがなかなかのクセもので、どの写真も甲乙付け難い・・・。こんな中から一番を選ばせるなんて、酷だと叫びながら、そのうち真剣にお見合い相手とホステスを選ぼうとしている自分に気付き、苦笑いが込み上げてくる。しまった!まんまと澤田知子の罠にハマってしまった。これは単なるコスプレ・アートではない。見る者を本気にさせる写真家の力量(戦略?)にただただ脱帽である。 |
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7/28 ガンバ大阪×名古屋グランパスエイト ワールドカップ・ドイツ大会の決勝トーナメントの試合はほとんどLIVEでテレビを見ていた。そこで誰もが感じたのは、日本代表の前に立ちはだかる世界との壁である。オシム新監督のもと、どのようなチームが出来上がるのか日本中が楽しみにしている。そしてわれわれサポーターに出来ること・・・それはとにかくJリーグを盛り上げていくしかない。選手ひとりひとりのレベルが上がり、一人でも多くの選手が海外のクラブチームに移籍できるような状況ができれば理想的だ。 久しぶりに万博に戻ってきたガンバ大阪の応援に出かけた。ガンバには、宮本、加地、遠藤の代表3人が揃い、グランパスにはあの玉田もいる。試合は、36分に遠藤が入れたクロスに山口のヘディングで先制。40分にはフェルナンジーニョが敵陣で相手ミスをカットし、二川へと繋ぎ2-0とした。後半の立ち上がり55分にFKを玉田に直接決められたものの、61分フェルナンジーニョ、85分に遠藤のアシストで播戸。さらに87分、FKから遠藤が蹴り、山口の頭でもう一点。結果は5-1の圧勝、この第14節終了時にガンバは首位に立った。(4日後には3位に転落したが・・・) 万博には今まで何度か足を運んでいるが、ガンバが勝利したのは実は初めてであった。何しろJリーグ発足から13年、昨年やっとリーグ優勝したチームである。梅雨の晴れ間だったこともあり、スタジアムを抜ける風がとても気持ちいい一日だった。 (写真は後半開始前に円陣を組むガンバ・イレブン) |
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7/20 ウィリアム・モリス展 「近代デザインの先駆者」として、その後の近代デザインに大きな影響を与えたウィリアム・モリスは、19世紀の英国で活躍した画家であり、工芸デザイナーであり、作家であり、詩人であり、会社経営者であり、社会主義運動家でもあった。そのウィリアム・モリスの展覧会がJR京都伊勢丹の美術館「えき」KYOTOで行われている。モリスは1834年に、ロンドンの北西のウォルサムストウのクレイ・ヒル、エルム・ハウスに生まれた。1859年にモリスはベクスリーヒースの自宅(通称レッドハウス)の新築に際して、設計を友人の建築家フィリップ・ウェッブに依頼し、赤レンガの素朴で住み心地のよい家と、そこにふさわしい家具も自分とその友人たちで製作することにした。これを契機に、1861年に「絵画・装飾彫刻・家具・金工の美術職人集団」として、「モリス・マーシャル・フォークナー商会」を設立。モリスは産業革命期の機械技術信仰の時代にあって大量生産による粗悪で粗雑な製品を非難した。そして専門の職人が手仕事で製作し、製造技術や材料の研究も怠りなく、良質で美しい製品を生み出すことで、大衆の生活をよりよいものにすることをめざしたのである。モリスのこの考えや行動によって、良質なデザインのもたらす生活の豊かさが理解されるようになり、やがて世界中の画家や建築家をクラフトやデザインに転向させる「アーツ・アンド・クラフト運動」となり、この動きはヨーロッパ大陸でのアール・ヌーボーの誕生へと続いていくことになる。 会場では、壁紙・テキスタイル・タペストリーをはじめ、バックライトフィルムによるステンドグラス、同時代の工芸品が展示されている。絵画や彫刻と言った「大芸術」ではなく、、「小芸術(Lesseer Arts)」もしくは「工芸(Crafts)」も芸術であり、日常生活の中で民衆に役立つ「モダンデザイン」の起源を知ることができた。 |
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7/13 藤田嗣治展 生誕120年を記念して開催中の「藤田嗣治展」を観に京都国立近代美術館まで出かけた。パリ時代から晩年にいたるまでの代表作約100点を、国内外から集めて展示される今までにない大規模な展覧会である。藤田嗣治(レオナール・フジタ)は、東京美術学校を卒業後、フランスに渡り、モディリアニらとともにエコール・ド・パリの代表的画家として活躍した。とくに裸婦に代表される“乳白色の肌”の美しさは、多くの人々の心をとらえた。その後中南米を旅行して日本に帰国するものの第二次大戦後はフランスに戻り、やがて帰化した。そして日本の土を踏むことは二度となかったのである。 全体を通して見てみると、波乱万丈の生涯を象徴するかのように、その作風もバラエティに富んでいることがわかる。パリに渡航直後にはキュビズムの静物画やモディリアニの影響を受けた作品が見受けられ、エコール・ド・パリ時代の乳白色の裸婦へと続いていく。戦前の中南米を旅行した後は一転して土着的な作品になり、第二次大戦中には従軍画家となり戦争画、戦後はフランス国籍を取得しカトリックの洗礼を受け宗教画にまで広がっていった。また晩年には「子供」をテーマに描き続け、思わず微笑んでしまうような作品を残している。 創作の足跡を時代ごとに辿っていくことで、藤田嗣治の心の内側の変遷を作品から読み取ることができる見応えのある展覧会だった。 |
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7/1 マイ・アーキテクト コルビュジエ、ライト、ミースと並ぶ20世紀建築の巨匠、ルイス・I・カーン。その伝説の建築家の死から30年が経つ。1974年3月、ニューヨーク・ペンシルヴェニア駅の男性用トイレで死体が発見された。所有していたパスポートからは住所が消されており、身元が判明するまでの3日間、死体安置所に保管されていたのである。その男の名はルイス・カーンであった。彼の息子、ナサニエル・カーンはこの時、わずか11歳。彼はやがて大人になり、父親を探す旅に出た。それがドキュメンタリー映画「マイ・アーキテクト」である。 ルイス・カーンの二番目の愛人の子であったナサニエルは、父親をよく乗せたタクシーの運転手、父親の仕事仲間、1番目の愛人、二番目の愛人である母、異母姉たち・・・に取材し、そして世界中に点在する建築物を旅していく。本当の父親を知らなかった息子が、父親探しの旅を通して、自らを見つめなおしていくのである。 日本で公開される前に英語字幕のDVDを見たのだが、哀しいかなセリフが半分ほどしか理解できなかったので、今回、満を持して映画館に足を運んだ。二回目であるにもかかわらず初めて見たかのような感動が押し寄せた。特に父親のクライアントとの再会シーンでは涙がとまらなかった。そして何よりもルイス・カーンの遺した建築の数々は時代を超越し、現代建築の不朽の名作であることを思い知らされる。 |
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6/24 KEN-Vi建築セミナー 兵庫県立美術館ギャラリーで先日、第1回KEN-Vi建築セミナーが2日間にわたって開催された。今年のテーマは「美術と建築の交流」として、建築家の青木淳、西沢大良、安藤忠雄、そして金沢21世紀美術館館長の蓑豊を迎えて、貴重な講演を聴くことができた。 青木淳は来月、いよいよ青森県立美術館が開館するにあたり、いま美術館に求められる空間とはどのようなものかを具体的に青森の例を挙げて語った。従来、美術館の空間といえばニュートラルなホワイトキューブが主流であったが、これは作家にとっては至れり尽くせりといえ、作品と空間が調和はすれど対立は起こらない。現代芸術においては、作家が空間あるいは建築に挑む必要があり、作家のクリエイティビティを触発させるチカラが建築には求められている。また美術館としての機能も多様化しており、美術、音楽、演劇、映画、ダンス等に対応できることも条件である。いわば室内化された街、広場的要素を盛り込む必要があり、空間の意味をなくすことが重要であると語った。 西沢大良は美術館の実作がないため当初、なぜこのテーマで自分が呼ばれたのか分からなかったという。弟の西沢立衛と間違えたのではないかと言って会場の笑いを誘った。美術と建築の交流は何も美術館においてのみ見られることではない。最近の活動としてミラノサローネでドアハンドルの企業の会場構成を手がけた実例を挙げて、建築とオブジェというテーマで語った。数千種類にも及ぶドアハンドルを分類、整理し、あたかもオブジェのごとくギャラリーの壁面に整然と並べた。また林業の町の体育館を設計したときには、木のトラス構造を露わにして町のシンボルとしての役目も与えた。日常あたりまえに目にするモノさえ配列を変えるだけでオブジェになる。これはまさしく建築のチカラであり、美術と建築の交流である。 安藤忠雄は会場の兵庫県立美術館をはじめフォートワース現代美術館、ピューリッツァー美術館など国内外に多数の美術館を手がけてきた。公共建築としてのハコだけでは美術館としては当然不十分であり、「美術館は人間(イキモノ)である」と語った。安藤自身が10代の頃から京都や奈良の古建築を見て周り、20歳で日本一周、その後、ナホトカ・モスクワ経由で西欧へ旅行した話は有名だ。若い頃から建築だけでなく、現代美術ではジャクソンポロックや吉原治良率いる具体美術協会など自らが影響を受けた芸術の数々を紹介した。今回、この建築セミナーの企画もそうだが、安藤は若い人にもっと芸術に触れる機会を与えたいと考えている。経済一辺倒の価値観ではなく、文化のチカラ、美しい自然、日本人としての民族度の高さをもういちど取り戻そうと何度も訴えた。 今回が第1回となるこのセミナーは今後も継続して開催される予定である。一方的に講師が講演するのではなく、参加者とテーマに沿って議論していくような方向性で考えているようなので、次回が待ち遠しいセミナーである。 |
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6/17 ダ・ヴィンチ・コード 話題の映画「ダ・ヴィンチ・コード」を見に行った。世界中でベストセラーになっているダン・ブラウンの同名小説を映画化したミステリー。レオナルド・ダ・ヴィンチの名画に秘められた謎を、トム・ハンクス演じるロバート・ラングドンが解き明かしていくというストーリーである。 ある夜、パリのルーヴル美術館において館長のジャック・ソニエールの死体が発見された。死体の周りには不可解な暗号が残されていた。暗号の中には館長がその日、会うことになっていたハーヴァード大学のラングドン(トム・ハンクス)の名前が含まれており、疑いを掛けられたラングドンは現場に呼び出されることになった・・・。 私はまだ原作を読んでいる最中なので、どちらがいいかは分からないが、おそらく映画だけを見ると人間関係が多少分かりづらいと思う。逆に原作を読了した人にとっては、2時間の映画にまとめられたら大いに不満が残る内容であろう。いずれにしても消化不良気味の後味の悪さが残る一本ではある。しかし、随所にでてくる暗号の解読や、普段馴染みの無いキリスト教の歴史的な説明には、丁寧過ぎるくらいに映像化がされているので、その点は十分楽しめるのでは・・・。そこまで不要という意見も多いが。 私がルーヴルを訪れたのは、もう10年以上も前になる。多くの観光客がそうであるように、I・M・ペイのガラスのピラミッドや美術館内を駆け足で見てまわった。残念ながら今となってはほとんど印象が薄れてしまっている。この映画を見て、やはりもう一度死ぬまでにパリに行ってみたくなった。 |
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6/9 ロバート・キャパ写真展 大丸神戸店では、「CAPA IN COLOR」と題したロバート・キャパの写真展が行われている。ロバート・キャパ・・・本名アンドレ・フリードマン。高等政治専門学校に学ぶ傍ら、写真エージェントで働き、コペンハーゲンで演説するトロツキーを撮影し写真の腕を認められる。1936年頃からロバート・キャパの名前で作品を発表し、スペイン内乱中に撮影した「崩れ落ちる兵士」の写真で一躍世界的に有名になる。第二次世界大戦勃発とともに、1945年まで『ライフ』の特派写真家としてヨーロッパ戦線の重要な場面を記録。特にノルマンディー上陸作戦の際撮影された一連の作品は第二次大戦中の最高傑作とされている。1954年5月25日『ライフ』の要請でインドシナ(現ベトナム)で撮影中、タイビンで地雷に触れ死亡、40年の生涯を閉じる。 キャパは、第二次世界大戦中からカメラを2台携え、それぞれにモノクロとカラーのフイルムを搭載し、同じシーンを両方のカメラで撮っており、この度未発表カラー写真が、大量に発見されたのである。半世紀以上経過しているとは思えない色鮮やかなキャパの世界。服装の質感や爆撃機のディテールまで伝えるカラー写真は、現実でありながら映画のワンカットのように思えてしまうから不思議だ。しかし、カラーの世界は当たり前だがキャパがファインダーからのぞいた世界そのものなのである。来日したときの日本各地のショットも興味深く、今まで知らなかったキャパを観ることができた。 |
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5/21 noon LIVE 先週、大阪ブルーノートにnoon(ヌーン)のライヴを観に行った。noonは大阪出身のジャズボーカリストで、2003年10月、アルバム『better than anything』でデビューを果たし、現在まで3枚のアルバムを発表。最近では住宅メーカーのTV-CMに起用され「Close to you」を耳にした人も多いはず。今回のツアーはその3枚目のアルバム「Smilin'」の楽曲を中心に、のびやかで耳に心地いい歌声を披露してくれた。たとえるなら、暖かな陽だまりのような心地よさといったところだ。私が今回のツアーをどうしても観たかったのは、バックのギターに小沼ようすけが参加していたからである。今や日本ジャズ界の若手ギタリストでは注目度ナンバーワン、その類まれなギターテクニックは、聴く者を魅了してやまない。 ブルーノートの席順は早いもの勝ちなので、開演5時間前から並び2番手につけた(1番手はnoonのオッカケらしきおじさんひとりだった)。で、おじさんはnoonの正面最前列の席を確保したので、私はそのとなりテーブル。憧れの小沼ようすけの目の前だ。その距離、わずか1メートル!思う存分、ギブソン・レスポールの上を華麗に踊る指を瞼に焼き付けたのだった。しかしあまりの近さに恥ずかしくて顔はほとんど見れなかった。ファン心理とはそういうものだ・・・。 前回、ブルーノートに行ったときはカジュアル席だったのでステージまで相当距離があり、少し悔しい思いをした。最前列なら目の前で繰り広げられるホンモノのジャズの、マイクが拾わない楽器の音や息遣い、ミュージシャン同士のアイコンタクトまで感じることができるのである。労を惜しんではいけない。必ず努力は報われることを知る。 |
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5/7 ホイットニー美術館コレクション アンディ・ウォーホル、ロイ・リキテンシュタイン、ジャン=ミシェル・バスキアといったポップアートの作品は、Tシャツのプリントやポスターなどで目にする機会は多いが、本物を見る機会はあまりない。それはポップアート自体が大衆消費社会を背景に登場し、純粋芸術とは相反するメディア・アートとしてのバックグラウンドがあるから当然といえる。兵庫県立美術館では、「アメリカ〜ホイットニー美術館コレクションに見るアメリカの素顔」と題した展覧会が現在行われており、それらポップアートの本物を見ることができる。 ホイットニー美術館の創設者ガートリュード・ヴァンダービルト・ホイットニーは、資産家であり彫刻家でもあった。彼女は同時代のアメリカの美術家たちの活動を支援するため、ホイットニー・スタジオなどの画廊を開設して彼らの作品を展示する場を提供し、その作品の収集に努めた。そして500点以上の同時代のアメリカ美術の作品を収集していたガートリュードは、これらのコレクションをメトロポリタン美術館に寄贈しようとしたが断られたため、自らの美術館の創設を決意。それが今日ではアメリカ美術の世界的コレクションとなったホイットニー美術館のはじまりであった。 アメリカという国の歴史に沿って「移民」「都市」「消費」「記憶」の4つのカテゴリーに分け、今日のアメリカの素顔に迫ろうとするアプローチは非常に分かりやすい。しかもすべての作品に一言解説が付いており、時代的背景や作品のポイントを理解した上で鑑賞できるのはありがたい。上記のポップアーティストの他にもエドワード・ホッパー、ジョージア・オキーフ、ジャクソン・ポロック、ジャスパー・ジョーンズなど、かつて多くの日本人が憧れたであろう輝いていた時代のアメリカの姿がそこにはあった。 |
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4/30 自給自邸 INAXのショールームが大阪・本町の伊藤忠ビルの1階に移転、オープンした。現在、そのショールーム内のギャラリーで開催されている「自給自邸展〜セルフビルド魂万歳」を見に行った。一般的な認識として、家というものは買うもの、借りるものであり、人生最大の買い物と言われる。商品としての「家」、つまりレディメイドに満足できず、自分の家は自分でつくる・・・それがセルフビルドである。 独創的な自分の家をつくっている事例が紹介されているのだが、いくつかの共通点がある。まず職業が陶芸家、写真家、彫刻家などのクリエイティヴな仕事に携わっていること。どのように暮らしたいのか自分の欲求が人一倍あること。資金的制約のため創意工夫を余儀なくせざるを得ないことや助けてくれる仲間の存在、土地の人たちの理解があったことなどである。そして、レディメイドとの最大の違いは、未だに未完成であるということである。建てながら考え、暮らしながら建てる・・・これがセルフビルドのダイナミックなところである。つまり家というものが、作り手・住み手の創造力が自由に表現される場であり、生き方や思想までも刻んでいるのである。 あるセルフビルダーは、セルフビルドについて連続し平行する未来に接続するための作業であると表現した。家に対するここまでの熱い想い、スピリッツを持ち合わせていなかった自分を大いに恥じた次第である。 |
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4/21 パンダの赤ちゃん 今年の春は例年になく不安定な天気が続いている。先日、暖かい気候を求めて南紀白浜へ行ったときも、冬のような寒さだった。白浜まで出かけたもうひとつの目的は、アドベンチャーワールドのパンダを見るためである。白浜には現在、6頭のパンダの家族がいる。野生のパンダはいま、約1600頭と絶滅の危機に瀕しており、アドベンチャーワールドはジャイアントパンダ繁殖研究の最前線なのである。お母さんパンダ「梅梅・メイメイ」から「良浜・ラウヒン」、中国へ旅行中の「雄浜・ユウヒン」、ふたごの兄弟「隆浜・リュウヒン」「秋浜・シュウヒン」、そして昨年の夏に生まれた「幸浜・コウヒン」の繁殖に成功している。 現在、パンダの赤ちゃん「幸浜」は、親パンダとは別のハロールームというところで公開されており、間近で見ることができる。(ちなみに親パンダは2頭とも観客に背を向けてひたすら笹を食べていた・・・。)お昼のミルクの時間になると、右の写真のように自分で哺乳瓶を手で持ってゴクゴク飲む姿を披露してくれるのである。なんとも可愛らしいこのパンダの赤ちゃん、これからも成長を見届けにときどき白浜へ行こうと思う。 パンダの活動時間はおもに午前中で、お昼からはゴロゴロ寝て過ごすらしい。遠めに見るとぬいぐるみみたいに全然動かないそうだ。よって前泊して翌日の朝、開園と同時にパンダを見に行くのが、パンダ通(ツウ)の中では常識だそうだ。 |
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4/2 好きだ、 3月末まで勤めていた神戸のオフィスには、同じビルの中に小さな映画館があった。現在、その映画館で上映されている「好きだ、」を、仕事を早く切り上げて観に行った。 17歳のユウ(宮崎あおい)とヨースケ(瑛太)はお互い相手に対して好意を持っているにもかかわらず、「好きだ」の一言が言えずにいた。二人の感情は、近づき、もつれ、すれ違い、また惹かれ・・・しているうちに、ある哀しい出来事をきっかけにして断ち切られてしまう。17年後、34歳になったヨースケ(西島秀俊)は東京で偶然、ユウ(永作博美)と再会した・・・。 現場では台本なし、キーワードだけが渡されるという独特の撮影方法で、俳優陣の自然な演技を導き出し、石川寛監督はこの作品で2005年ニュー・モントリオール国際映画祭最優秀監督賞を受賞。17歳の二人の俳優のセリフ(=会話)はいつも一言二言でプッツリ途切れ、ぎこちない時間が流れてしまう。それが、かけがえのない瞬間であることを、たぶん17歳では知る由もないだろう。音楽や効果音は一切なく、なんともいえない間が、空気感、透明感を伴って静かに伝わってくる不思議な映画である。その間に耐え切れず思わず緊張している自分に気付く。 監督のコメントにこのような一節がある。30代のある日、鏡に映った自分の姿が自分に見えなかったことがあった。鏡の中の自分が10代の頃の自分とどうしてもかさならない。目の前にいるこいつは、あの頃の自分と本当につながっているのだろうか・・・。 実は同じような経験は自分でもときどきある。時間が経ってしまったことに対して少し戸惑う自分に気付いたときは、この映画を観て静かに現実を受け入れるというのはどうだろう。 |
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3/26 ナルニア国物語 この手のファンタジーものってあまり観ないのだが、たまにはいいかと思い「ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女」を観た。1950年から現在に至るまで、「ナルニア国物語」シリーズ全7巻は、世界29か国で出版され、累計で約8,500万部もの発行部数を誇っているベストセラーであり、世代を超えて読み継がれてきた。ストーリーは、ドイツ軍の空爆が激化する第二次大戦下のイギリス。ペベンシー家の4人の兄妹、ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシーは、ロンドンの空襲を逃れるため、田舎に住むカーク教授に預けられる。古めかしく広大な教授の屋敷でかくれんぼをしているうちに、空き部屋で大きな古い衣装だんすを見つけた。見えない力に導かれるかのように衣装だんすに入り、毛皮のコートを押しのけて奥に進むと、そこは雪に覆われた森の中。そこは、ナルニア、言葉を話す不思議な生き物たちが暮らす魔法の国であった。かつて偉大なる王アスランが作ったこの素晴らしい国は、美しく冷酷な“白い魔女”によって、100年もの間、春の訪れない冬の世界に閉ざされていた。ナルニア国には古くから伝わる予言がある。それは4人の子どもがナルニア国を“白い魔女”の支配から解き放つ救世主になるという。ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシーの4人はその救世主になれるのか? 第1章ということで物語の導入が展開の中心になるので、物足りなさは否めない。ただCG技術に関しては驚きの140分間だった。上映中に「このシーン、お金と時間、かかってるなあ」と冷静に思わせる映画って、作品としては★★★☆☆です。 |
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3/5 山田脩二の軌跡 3月19日まで行われている兵庫県立美術館の「山田脩二の軌跡〜写真、瓦、炭...」展を観に行った。1939年兵庫県西宮生まれの山田脩二は60年代から独自の建築写真を手がけるフリーカメラマンとして活躍、高度経済成長期の日本を姿を撮影した「日本村1969-1979」は大きな反響を呼んだ。しかし1982年、カメラマンとしての生活に終止符を打ち、淡路島に移り住む。そこで伝統的な瓦を現代的なセンスで活かす「淡路瓦師(カワラマン)」となる。最近は各地の炭焼き小屋を訪ねては雑炭の世界へ傾倒するなど新境地を開きつつある。 会場では、写真と瓦の代表的な仕事の展示と映像ドキュメントで紹介されている。瓦の部屋と題されたコーナーでは会場いっぱいに瓦を積み上げ、御堂と炭の間を再現。自由奔放に生きると同時にその行動力をこれでもかと見せつけてくるような作家のパワーを感じた。私が会場を訪れた日、偶然にも山田脩二ご本人を見かけたが、パワーを感じたのはそのせいだったのだろうか。 (写真は明石海峡大橋の下にある敷瓦と瓦コバ立て・舞子海上プロムナード) |
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2/24 スパン・ハウジング マーガレット・ハウエルのメンズ神戸BAL店では、「SPAN HOUSING」展が行われている。マーガレット・ハウエルは2004年より「オープンハウス ロンドン」のスポンサーの一員となって、単なる金銭的サポートだけに留まらず、自らも関連したイベントを行うことでその存在を広めることに努めている。2005年は「スパン」の住宅をブリティッシュデザインの傑作の一例としてテーマに掲げている。 スパン・ハウジングはエリック・ライアンズと彼の建築家仲間のジェフリー・タウンゼントのクリエーションである。二人は専門学校の学生時代に出会い、共にモダン建築に対して強い興味を示し、1938年に共同で事務所を起こした。戦後から10年の間には希望的観測と新しいライフスタイルへの欲求が生まれていたが、英国民は未だモダン建築に対して消極的で、戦前の様式にこだわっていた。しかしエリック・ライアンズがデザインした家は一切の妥協なしにモダンで、フラットな屋根、大きな窓と簡素なファサードを用いた。外装を完璧にデザインし、厳格にそれを維持することで集合住宅としての一体感を実現しており、すべてのデザインがシンプルで機能的で時代を超える魅力を持っている。これらのこだわりによってスパンの集合住宅は独特なその土地の景観と交わった確固たる美しさを見せているのである。 かつて私は英国に短期間留学したことがある。英国人にとっては、シンプルで機能的、控えめで時代を超えるモノが当然のように身近に溢れていることを、思い知らされた。住宅、インテリア、あらゆる身の回りのモノに対して、いつまでも新鮮さ、モダンさを失わない優れたデザインのモノを選ぶ眼を持ち続けたいものであるが、それが結構難しいのである。 |
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1/30 山本理顕セミナー 大阪ガスが主催する「建築プロフェッショナルセミナー」に出席した。今年の講師は、建築家・山本理顕氏である。山本氏の講演を聞くのは二回目(2004/5/30付コラムを参照下さい)である。 今回はやはり耐震強度偽装事件について語り始めた。昨年の福知山線脱線事故とも共通するのは、働く人がシステムに組み込まれ部品として機能しているのではないかということ。姉歯氏はマンション販売会社や建設会社とグルになって構造設計を偽造せざるを得ない立場に追い込まれてしまった。また脱線事故の運転手はJRという組織内でのルール、時刻表通りに電車を走らせることしか頭になかったためにあのような事故につながってしまったのではないか。現代社会は働く人に対する敬意が失われ、尊重されることが亡くなりつつある。つまり社会全体のシステムが合理化一辺倒になりつつあるといえよう。 建築家にはシステムを変える力がある。しかし建築家が新しいことを試みようとしても行政、法律がついてこれないことが最近多い。建築=モノづくりに関わる人にもっと敬意を払うような社会になってほしいと山本氏は語った。そして建築家ももっと社会に関わっていくべきである。環境をどうとらえるか、社会をどうかえていくか・・・それが問われている。そうでなければ建築家もすぐにシステムに組み込まれてしまうと警鐘を鳴らした。 山本氏は建築家の中でも稀有な存在であると私は思う。技術的、芸術的アプローチだけでなく社会学的なアプローチができる建築家である。積極的に建築家以外と協働し、使う側の意見を取り入れ、それらを巧みに建築というカタチに置き換えることができる新しいタイプの建築家である。つまり、システム自体を造り出す「これから」の建築家なのである。 |
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1/14 東京タワー この本を読むまで正直、リリー・フランキーという人物が何者なのか知らなかった。ガイジンの作家かと思って本屋で手にとってみたくらいだ。リリー・フランキー・・・1963年福岡生まれ、武蔵美を出た自称、文章家、小説家、コラムニスト、絵本作家、イラストレーター、アートディレクター、デザイナー、作詞作曲家、構成演出家、ラジオナビゲーター、フォトグラファーである。 「オカンとボクと、時々、オトン」とサブタイトルにあるように、この小説は上京した息子と遠い故郷に残した母と父の物語である。福岡での幼少時代、ボクとオカンとオトンは一緒に暮らしていた。やがてオトンとオカンは別居、ボクは故郷を離れ東京に一人でやってきた。しかし、ボクは大学を卒業しても定職に就かず家賃は滞納し、自堕落な生活を送っていた。ある日、オカンがガンであることが発覚。オカンには身よりがなく、親類縁者に気兼ねして故郷で生活している。ボクはオカンを東京に呼び、「一緒に生活しよう」と決意する。そしてオカンは東京にやってきた・・・。ここから先は涙なくしては語れないストーリー展開。 家族という存在について、これほどまでに真正面から考えさせてくれる本に出会えた喜びは大きい。本文にこんなくだりがある。「五月にある人は言った。どれだけ仕事で成功するよりも、ちゃんとした家庭を持って、家族を幸せにすることの方が数段難しいのだと、言った。」この一節を理解し実行できている人はきっと幸せな顔をしていることだろう。 |
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