COLUMN

    2004-2005


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12/23 吉村順三建築展

建築家吉村順三の作品とその世界を紹介する建築展が、東京藝術大学大学美術館で行われているので観に行った。1997年に亡くなった吉村順三は生涯237件の住宅を設計した。戦後の疲弊した社会が次第に活力を取り戻し、やがて経済的に発展していく時代においても、「人の住む空間」に求めた形と質は一貫して変わらなかった。また生前には「建築の設計は住宅を基礎をする」とも語っていた。それぞれの生活や環境や現実に即して人びとの日々の経験を豊かに広げ、簡素なつくりの中に、気品のある生活の場を求めた空間を創造し続けたのである。
私は吉村順三の遺した「ことば」から多大な影響を受けた。そのうちの一つに「建築は、はじめに造形があるのではなく、はじめに人間の生活があり、心の豊かさを創り出すものでなければならない。そのために設計は、奇をてらわず単純明快でなければならない。」というものがある。今年の重大ニュースに挙げられる耐震強度偽造事件であるが、この事件に関わったすべての建築関係者には「心の豊かさ」などという発想は微塵もなかった。建築に携わる者は将来に責任を持つという大前提を裏切った罪は重い。


12/18 杉本博司:時間の終わり

六本木ヒルズの森美術館では1月9日まで、杉本博司の1975年から2005年までに制作された写真展が行われている。1948年生まれの杉本は1970年に渡米、ロサンジェルスのアート・センター・カレッジ・オブ・デザインで写真を学び、ニューヨークに移住。世界の著名美術館で個展を開き、1989年「毎日芸術賞」、2001年「ハッセルブラッド財団国際写真賞」を受賞するなど世界のアートシーンにおける有数のアーティストの地位を確立している。
彼の写真は物事の本質を追求する独自の視点で捉えられており、美として完成されているといえよう。それぞれのシリーズに応じた展示デザインも今回注目されている。たとえば「海景」シリーズの展示スペースには能舞台が配置され実際に能公演が行われていたり、またサウンドアートの池田亮司とのコラボレーションでサウンド・インスタレーションとしても楽しめるといった具合である。単なる写真展と思って会場に足を踏み入れると、その空間全体に流れる空気さえもアートにしてしまう杉本博司ワールドに軽いショックを受けることになる。
私個人的には20世紀の代表的な建築を無限大の倍の焦点で撮影された「建築」シリーズと「数学的形体」が非常に興味深かった。

12/5 Act Against AIDS 2005

毎年12月1日は「世界エイズデー」である。エイズに対しひとりでも多 くの人に関心を持ってもらうこと、正しい知識を知ってもらうことを目的に、エイズ啓発運動AAA(Act Against AIDS)が行われているが、その一環として今年もコンサートが開催された。大阪の会場に出演したのは、Char、DEPAPEPE、BEGIN、レミオロメン、Skoop On Somebody、BENNIE K といった豪華な面々。BEGINはこの春にLIVEに行ったばかりだし、神戸出身のギターデュオのDEPAPEPEは最近特にお気に入りのアーティストである。今年、ヒットチャートを賑わせたレミオロメンやBENNIE Kの登場で会場は大盛り上がりだった。LIVEの合間にはエイズに関するミニクイズ(例えばHIV感染者とAIDS患者の違いとは?答えはAAAホームページで)やFM802のDJによる現状報告などもあり、音楽を通じて集まった人々に対してエイズに関心を持ち、偏見を持たず、正しい知識を得る良いきっかけとなった。
http://www.actagainstaids.com/new_what.htm
こういった活動は人から人へ少しずつ広げていくしか方法がない。知らないことが原因でここまで世界的に問題になってしまっているのだから。

11/23 春の雪

大正時代の貴族社会を舞台に、禁断の恋に落ちた男女の悲劇的な運命を描いた三島由紀夫の同名小説を、行定勲監督、主演、妻夫木聡、竹内結子という豪華な顔ぶれで映画化した「春の雪」を観た。幼い頃、名門華族の綾倉家へ預けられた松枝清顕(妻夫木聡)は、綾倉家の令嬢、聡子(竹内結子)とともに育った。時が経ち、清顕は久しぶりに聡子に再会するが、聡子への恋心を素直に表せずにいた。やがて聡子に宮家との縁談が持ち上がるが、清顕は目を背けたまま。清顕が聡子への愛を自覚したのは、正式な婚約発表の後だった。天皇の勅許が降りた婚姻と知りながら、清顕は聡子に求愛し、聡子もまた、その愛を受け入れていく…。
こんな切ないストーリーが台湾の李屏賓によって丁寧に撮影され、三島文学の世界を見事に映像化した。日本の美しい四季、豪華な貴族社会、ゆったりと流れる時間、スクリーンの中で展開される男女の悲哀は、観ている者の心を浄化していくような美しさに満ち溢れている。
学生時代にいくつか読んだ三島由紀夫、ひさしぶりにもう一度読んでみようと思っている・・・。

11/13 土門拳・入江泰吉二人展

奈良市写真美術館では入江泰吉の生誕100年を記念して、大和路を愛した巨匠、「土門拳・入江泰吉二人展」を開催している。昭和の写真界を代表する二人の写真を同時に見られるまたとない機会である。
土門拳は明治42年山形県酒田市に生まれ、最初は報道写真家としてスタートした。昭和14年に初めて室生寺を訪れ優れた平安仏に感動し、以後40年間、大和路をはじめ全国の古寺の撮影に取り組み、日本と日本文化の追求に終始した。一方、入江泰吉は明治38年奈良市に生まれ、戦前は文楽の写真家として活躍していた。終戦後、奈良の古美術品が米軍に賠償として持ち去られるという噂を耳にし、仏像の撮影を始めたのがきっかけであった。以来、風景や伝統行事、万葉の花など約半世紀に渡り撮り続けた。
独自の視点で仏像に迫り、造仏の心を強調して表現した土門は「動」、対して静ひつな姿にこそ仏像の本質とする入江は「静」、対照的な二人の作品はそれぞれ独自の歴史観や美意識に基づいて表現されたものである。日頃、あまり接することの少ない仏像の写真を眺めていると、不思議と心が安らぐ自分に気付いた。もともと仏教系の大学を出ているせいか仏像には人一倍親しみが湧くのかもしれない。

11/3 半島を出よ

「毎日出版文化賞」の文学・芸術部門の受賞作に選ばれた村上龍の「半島を出よ」をいま読んでいる。選考理由は次のように紹介されている。村上氏は北朝鮮という「他者」の仮構によって日本という「システム」の機能的な弱点を徹底的に考え抜き、今日の時代状況を壮大な思考実験として提示している。長篇小説という「装置」に何が可能かを鮮烈に示す、今年度屈指の文学的成果と言うべきだろう。
ストーリーは、北朝鮮特殊戦部隊の精鋭が福岡ドームを占領し、三万人の野球観戦客を人質にして、福岡を日本国から独立させようと図る。特殊戦部隊の人質作戦に手をこまねいた日本政府は、テロの拡散を恐れて福岡を封鎖する。その間に、特殊戦部隊は住基ネットと納税者番号を駆使して、悪質な資産家を逮捕し、財産を没収して、その資産をもとに福岡内部の政治・経済を牛耳ってゆく・・・。
なんと恐ろしいストーリーだ。しかし、村上龍の卓越した調査力と構想力によってリアルで緊迫した近未来政治小説に仕立てあげられている。そのスピード感は読んでいて実に気持ちが良い。2011年という設定を忘れ、登場する総理大臣や官房長官が実在の人物とダブるほどリアリティがある。恐ろしいのは北朝鮮という国が攻めてきたことではなく、それに何ら対応できない日本という国そのものであることを徹底的に思い知らされる。
「状況をよく見極めて適切に判断する」というワンフレーズに安心してはいけない。あれは単に問題を先送りにしているだけでなく、最優先すべき問題が何かを判断することが出来ずに、すでに手遅れになっていると考えるべきだと思うようになった。

10/23 私の頭の中の消しゴム

昨日から全国公開となった韓国映画「私の頭の中の消しゴム」をさっそく観に行ってきた。ビル建設現場の現場監督を務めるチョルス(チョン・ウソン)と社長令嬢のスジン(ソン・イェジン)は運命的に出会い、やがて恋に落ち結婚。お嬢様育ちのスジンと、愛に懐疑的なチョルスはさまざまな困難を乗り越えて一層愛を深めていくが、幸せな日々はそう長くは続かなかった。スジンが若年性アルツハイマーの宣告を受け、徐々に記憶を失っていく・・・というストーリー。
それにしても韓国映画(ドラマ)って主人公が建築家という設定がホント好きですね。冬ソナのペ・ヨンジュンとチェ・ジウしかり、夏の香りのソン・スンソンなど・・・、そしてこの映画のチョン・ウソンも難関の建築士の試験に合格し、建築家として活動を始めるという設定。マリオ・ボッタの図面集を眺めるシーンや建築模型を作るシーンが興味深いが、劇中では設計した作品の構造が出来るまでしか登場せず未完で終わっている。
若年性アルツハイマーという重いテーマでありながら、さわやかに描いたラヴストーリー、私はほろっともこなかったので★★★☆☆。号泣必至の前評判、甘いムードの連続についていけなかった。でもソン・イェジンは文句なくかわいいと思う。

10/10 浜田省吾LIVE

ハマショーのLIVEに出かけたのは4年ぶりだ。浜田省吾、1952年生まれの52歳(!)、1975年にAIDOでデビューし、今年はデビュー30周年を迎える。私が初めてハマショーを聴いたのは1983年のことであるから私も20年以上、ひとりのアーティストを追いかけてきたことになる。LIVEでは恒例となっている年代別調査というものがある。ハマショーがステージから客席に向かって、10代から順番に手を挙げさせて、会場に来ているのはどの年代が多いかを調査するものだが、今回は20代がめっきり減り30代後半から40代が中心となった。つまりほとんどのファンが20年ちかく、ハマショーと共に歩んできたということである。古いナンバーが演奏されると、それを聴いていた時代がリアルによみがえる。音楽というものは、世間のヒット曲でその時代が思い出されたりするが、自分だけのダイアリーのような役目も果たしている。私のダイアリーにはいろんなジャンルのいろんなミュージシャンがいるが、ハマショーはずっと出ずっぱりである。
今回のLIVEでも50代とは思えぬパワフルなステージを見せてくれた。LIVEに行くといつも自分もあんなふうに歳を重ねられたらなあと思ってしまうし、おそらく会場のだれもがそう思っていることだろう。
ハマショーはまだしばらくは私と共に歩んでくれそうだ。

9/29 タイガース リーグ優勝

2年ぶりにセ・リーグを制覇した岡田阪神。今シーズンは開幕からいいスタートを切り、もしやと期待したものの5月に入りその勢いに陰りが見え始めたときは、数年前までのダメ虎を思い起こさせた。しかし、セパ交流戦で息を吹き返し首位に立ち、夏場の死のロードも勝ち越すといよいよ優勝も見えてきた・・・と思ったら中日の猛追でヤキモキ。観ているファンにとっても長くつらいシーズンだった。2年前のような盛り上がりが無いといわれるが、それは阪神の勝ち方と通じるところがある。タイムリーで点を取り、先発ピッチャーがきちんと仕事をして最強のリリーフ陣につなぎ逃げ切る試合運び。派手さがない。監督の采配も実に手堅い。今年は静かに優勝の喜びに浸ろう。そして今年はぜひ「日本一」になってもらいたい。
私の尼崎信用金庫の預金も確実に増えている。

8/29 金沢21世紀美術館

夏休みの旅行にどこに行こうかと思案して、真っ先に浮かんだのが金沢。目的は「金沢21世紀美術館」である。2004年10月9日に開館するやいなや全国から来館者が殺到し、開館からわずか8ヶ月余りの2005年6月12日に入館者が1,000,000人に到達した。建築的側面からまず注目されるのは、この美術館を設計した妹島和世と西沢立衛(SANAA)が、この建物でベネチアビエンナーレ第9回国際建築展の最高賞である金獅子賞を受賞したということである。。『まちに開かれた公園のような美術館』というコンセプトのもと、誰もが、気軽に、どこからでも入れるようにエントランスは四方に4箇所設けられており、この美術館にはいわゆる正面というものがない。周囲を囲むガラスは、内と外をつなぐ透明な壁でできており、まわりの景色のうつろいや時間の流れが建物の中にいても感じることができ、見事に周囲と調和している。壁に囲まれた閉鎖的な美術館しか知らない私たちにとってこれは画期的なことである。さらにこの美術館の凄いところはプログラムが従来のそれとは全く異なる点である。周囲のゾーンを無料にしてレストランやミュージアムショップ、アートライブラリー、キッズスタジオ、市民ギャラリーを散りばめ、さらに常設でジェームズ・タレルが鑑賞できるようにしてあったりもする。つまり芸術をもっと身近に感じてもらうために、気軽さ、楽しさ、使いやすさがキーワードになっているのである。
今までにない芸術との関わり方を提案した美術館、未来の文化を創り出す子どもたちがどうすれば芸術に親しむことが出来るか実によく考えられている。まさに「21世紀」と謳っているだけのことはある。

8/13 宇宙戦争

この夏いちばんの話題作、「宇宙戦争」を観た。H・G・ウェルズの人気小説をスティーヴン・スピルバーグ監督がトム・クルーズ主演で映画化したSF超大作で、スピルバーグ映画史上最高額の製作費1億3300万ドル(約138億円)をかけた豪華エンターテインメントである。しかし・・・!古典SFアドベンチャー・スリラーを原作としているせいか、あるいはスピルバーグ+トム・クルーズで期待しすぎたせいなのか、とにかくエンディングのオチには思わず椅子から落ちてしまった。まわりを見渡すとコケている人を多数目撃。あまりの終わり方に怒りよりも笑うしかない。確かにタイトルが「宇宙戦争」とくれば「インデペンデンス・デイ」のようなストーリー、そしてエンディングだと決め付けていた私も悪いが、それにしてももう少し何とかならなかったのだろうか。
公式HPではこう紹介されている。あるアメリカ人一家の視点から人類の未来への生き残りを賭けた愛と勇気の壮絶な闘いを描く、とある。
あくまで一家の視点であることを観る前に理解しておく必要がある。

8/6 谷口吉生のミュージアム展

香川県の丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で行われている「谷口吉生のミュージアム展」を観に行ってきた。谷口吉生は、MoMA(ニューヨーク近代美術館)新館の設計で、世界中の有名建築家とのコンペを競り勝ち、日本人建築家としてその名を轟かせた巨匠である。MoMAは、1939年のグッドウィン&ストーンによる水平線を強調したファサード、1951年および1964年のフィリップ・ジョンソンによるガラスと鉄骨の建築(彫刻庭園含む)、1984年のシーザー・ペリによるミュージアムタワーと、その時代に応じたモダニズム建築を取り入れてきた。今回、谷口は歴代のMoMA建築に敬意を払い、ファサードをそのまま残し、彫刻庭園と新しく作られた「光の庭」のように、新旧の要素を対にして並置し、時間的な変遷も含んだ次元で設計を行うという回答を示した。
会場構成は、そのMoMA新館プロジェクトの精密模型やコンペ用の資料、設計図面、完成写真、プロジェクターでの映像投影にマスメディアの反響などを集めたものなど、多角的に網羅している。さらに過去に手がけた建築物(会場の美術館も谷口の作品)の写真と模型の展示で、谷口らしい精緻で繊細で美しく優雅な建築作品の数々を堪能することができる。
「モダンの特徴のひとつは、機能的かつシンプルにすることであり、純粋化する過程であると思います。私の建築に見いだされる特徴です。」と谷口は語っている。派手さはなく決して主張しすぎない谷口のミュージアムを初めて体感したが、まさにその言葉を具現化したすばらしい内部空間であった。

7/23 遠藤秀平 建築展

大阪西天満の大江ビル1階にあるEarly Galleryでは開廊一周年を記念して「遠藤秀平 建築展2005」が開催されている。遠藤秀平は、ひとつの建築素材が持つ表現を最大限に引き出し、内部と外部、表面と内部空間、地面と屋根の境界をなくしてしまう大胆な造形空間を生み出してきた。湾曲し、渦を巻いたコルゲート鋼板などの金属から生み出される建築空間が遠藤の代名詞ともなっている。それは、床、壁、天井、といった要素を組み立てることで建物をつくる、という既存の建築とは異なる発想から生まれる遠藤独特の状態なのである。
「内部と外部の連続性」という観点から基づいて作られた作品を、遠藤の造語であるRooftecture:屋根と壁を連続してつくる建築空間、Springtecture:屋根、壁、床を連することによってつくる建築空間、Bubbletecture:大小さまざまなバブルの形状が積層することでつくられる建築空間で、さまざまな形状や空間の大きさの違いを獲得しながら、全体が連続するバブルとして成立する建築空間の3タイプに分けて、最新作を写真と模型で紹介している。
7/24から8/10の第二部では「Paramodern/ベネズエラの首都再生プロジェクト、カラカスの可能性」と題して、新しい都市づくりの提案が紹介される予定で、こちらも非常に興味深い。

7/16 ゴッホ展

今月18日までとなったが国立国際美術館では「ゴッホ展」が行われている。今回はオランダが誇るゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館の特別な協力によって実現したもので、開催前からずっと楽しみにしていた。ゴッホが影響を受け、また交流もあったミレー、モネ、セザンヌ、ゴーギャンの絵画や、日本の浮世絵などと併せて展示し、初期から晩年までの変遷を辿る内容である。初期の絵画では暗い色彩による写実的なものが多いが、やがてまばゆい色彩による晩年の絵画へと至るまでの様々な葛藤を知ることができる。短い活動期間に次々と変貌をとげたゴッホを、従来の狂気の画家というイメージは傍らにおき、純粋に作品を鑑賞できる今回、2002年の兵庫県立美術館のときとはまた違ったアプローチであった。
あいかわらずゴッホは老若男女問わず人気が高く、館内に入場するまで1時間待ち。ただし、入場制限のお陰で館内に入ると想像以上にスムーズに鑑賞することができた。さすが、新しく出来た美術館だけのことはある。

7/9 愛知万博

先月、愛知万博に行ってきた。仕事がらみだったので日帰り、しかも会場には3時間くらいしか居ることができなかった。関西ではイマイチ盛り上がっていない愛知万博だが、平日でもかなりの人出で冷凍マンモスはもちろんのこと企業パビリオンはどこも長蛇の列である。ここは基本に戻って万国博覧会なのだから、いろんな国のパビリオンをまわる事にした。
イタリア、スペイン、ギリシャ、北欧・・・それなりにお国自慢が並んでいる。しかし、海外旅行が珍しい時代でもあるまいし、インターネットで家に居ながらにして情報が手に入る時代に、これではあんまりだと思えるようなお粗末な印象。というわけで会場は中高年と遠足の小学生が大半なのも頷ける。環境に配慮している点は評価できるとしても全体として中途半端なのは、もはや万博自体が時代とそぐわなくなってきているのだろう。あくまでも「それなり」の楽しさしか実感できないので自腹で行くと後悔するところだった。

6/5 宮本佳明 「巨大建築模型ミュージアム」展

宮本佳明は、宝塚在住の主に関西圏で設計活動を続ける建築家である。阪神大震災から10年が過ぎた今、震災当時「全壊判定」を受けた長屋を鉄骨で補強した「ゼンカイ」ハウスが宮本の設計事務所なのである。そんなアトリエから生み出された数々のプロジェクトの建築模型を一同に展示しようとする試みが、KPOキリンプラザ大阪で行われている。
「巨大建築模型ミュージアム」展と名付けているとおり、とにかく模型がデカイ、そしてものすごい迫力である。思考の道具として設計途中に制作したスタディ模型から、コンペのためのプレゼンテーション模型まで、さまざまな種類の表現が含まれており、ときにはインスタレーションのように、会場をおおいつくしている。100以上の模型は見るだけではなく、まさに体験する模型といえよう。
会期は7月18日までだが、6月18日(日)は会場にて宮本と安藤忠雄とのトークイベントが予定されているので楽しみだ。

5/22 伊東豊雄講演会

某エネルギー会社のイベントで建築家・伊東豊雄の講演を聴く機会があった。伊東豊雄は1941年京城生まれ。東京大学工学部建築学科を卒業し、菊竹清訓建築設計事務所を経て1971年独立、現在は(株)伊東豊雄建築設計事務所代表取締役である。代表作は01年「せんだいメディアテーク」、03年「東雲キャナルコート2街区」「みなとみらい線元町・中華街駅」、04年「まつもと市民芸術館」「トッズ表参道店」など国内の大きな建築プロジェクトを手がける一方で、ベルギーの「ブルージュパビリオン」や、パリ市のホスピスなどヨーロッパでも活躍中である。今回の講演のテーマは「近代主義をこえる建築は可能か」というものである。建築における近代主義とは、単純でピュアな幾何学形態、極力抽象性を感じさせる面の強調、ミニマルな分節に基づく抽象的平面などである。つまり窓・壁・屋根・庇などの建築的要素を消し、コンクリートやガラスでキューブを表現しようとしたことをさす。今日では、素材の精度が飛躍的に向上したことやディテールに関わるテクノロジーの開発により、20世紀の幾何学とは異なる建築表現が可能になった。「せんだいメディアテーク」のスタディ過程や「トッズ表参道店」の施工技術の高さなど貴重な話を聴くことができた。これからの建築は、設計と施工の距離が徐々に無くなっていき、その場所でしかできない建築、自然と一体となった建築が求められてくるという。ひょうひょうとした風貌とは裏腹に時代の最先端をいく建築家のひと言ひと言にずっしり重みを感じた。

5/14 ドレスデン国立美術館展

3月から開催されていたにもかかわらず、忙しくてなかなか行けなかった兵庫県立美術館で行われている「ドレスデン国立美術館展〜世界の鏡」をやっと観に行くことができた。ドレスデンは、ゲルマン諸侯による最も古い国のひとつであるザクセン公国の栄光を今に伝えるドイツでも有数の芸術都市であり、第二次世界大戦の空襲、2002年の水害という度重なる災害で、建物や美術品が破壊された過去を持つ街である。しかし、「ドイツのフィレンツェ」と呼ばれたこの街は見事に修復、復興され、ドレスデンを中心としたエルベ河畔の景観はユネスコ世界文化遺産に登録されるまでになった。
ザクセン公国の歴代君主は、権勢を誇るため華麗な宮廷生活と旺盛な収集活動によりコレクションを築いた。絵画だけでなく宝飾品、家具、武具、工芸品などあらゆる芸術作品が、ドイツ、イタリア、フランス、オランダ、東アジアとエリアごとに分類されて展示されている。中でも注目すべきは、中国・日本の磁器コレクションで、強王と呼ばれたフリードリヒ・アウグスト1世は、錬金術師ベドガーを擁して、ヨーロッパ最初の磁器であるマイセン焼を完成させたのである。
そしてもう一つの目玉、アウグスト2世が購入したときにはレンブラントの作品とされていたヨハネス・フェルメールの「窓辺で手紙を読む若い女」である。この絵を目の前にすると吸い込まれていきそうな錯覚になるから不思議だ。静かに手紙を読んでいる女を影からそっと覗き見ており、思わず息を潜めてしまうような感覚である。

4/23 カメラ日和

数週間前、ある雑貨屋さんで偶然見つけた「カメラ日和」という雑誌がある。店先でパラパラとめくってみたもののその日は買わずにいた。後日やっぱり欲しくなり、数件の大きな本屋さんに行ったのだがどの店も置いていない。諦めきれず結局最初に見つけた雑貨屋さんにその雑誌を買いに行った。なぜ本屋さんで見つけられなかったというと実は「LiVES」という雑誌の増刊第1号で半年以上も前に発売されたものだったのだ。
この「カメラ日和」の編集コンセプトは従来のカメラ雑誌と全く異なる。カメラってもっと自由に使っていいんだよ・・・みたいな感じで誌面が構成されている。日常のありふれたシーンを写真に撮り、出来あがった写真を使って創作するアイデアなどが紹介されている。また登場するフォトグラファーも魅力的な方ばかりである。
そして昨日何の前触れも無く創刊第2号が発売された。これは現在本屋さんに並んでいる!今回も誌面を見ているだけで何だか楽しい気分になってきて、どこかに出かけたくなってきて、当然新しいカメラが欲しくなるような内容である。GW直前、まさしく「カメラ日和」があればカメラを持って出かけようと思う。

4/10 チャールズ&レイ・イームズ展 創造の遺産

時代は20世紀半ばのアメリカにおいて、工業技術が飛躍的に発達し、大量生産により大衆が豊かな生活を謳歌し始めた頃、イームズ夫妻は数々のモダンデザインを生み出した。1997年から世界各国を巡回しているイームズ夫妻の回顧展を大丸ミュージアムに見に行った。(梅田店は4/4で終了、4/14より京都店で開催)夫妻が率いるイームズ・オフィスの創造活動は、家具、建築、グラフィック、玩具にまで広がり、さらに後年は映像、展覧会レイアウトの分野にまでおよんだ。それらを「生涯」「家具」「空間」「文化」「科学」「美」の6つのセクションで紹介。展示は家具や椅子だけでなく、デザイン原画や試作品、映像作品、夫妻の愛蔵品、撮影した写真やメモ書きまで幅広い。映像作品の「パワーズ・オブ・テン」を数年前に初めて観たときはものすごいインパクトがあったが、今回、会場でも観ることができた。また抽象絵画のようなEames house(イームズ邸)の模型の展示も興味深かった。「最大多数の人に最高のものを最大個数、最低価格で」をコンセプトにしたモダンデザインは今もなお新鮮さを失っていない。
あらためて彼らの創造の遺産がいかに偉大であるかを知った。

4/4 BEGIN 15th ANNIVERSARY

当初はビギンが15年前にデビューした3月21日(祝・月)に予定されていた大阪城ホールでの記念すべきコンサートだった。しかし同じく15年前にデビューしたドリカムも大阪城ホールでコンサートを予定していたため、10日ほど延期になっていたのである。つまり主催者側の大失態、ダブルブッキング。さらに3月30日に予定されていた石垣島でのライヴはメンバーの比嘉栄昇(ひがえいしょう)の体調不良で延期されたばかりというからトラブルつづきのビギンである。
ビギンは1990年に「恋しくて」でデビュー。しかし私がビギンを本格的に聴き始めたのは、実は昨年の夏。沖縄からの帰りの飛行機の中でシングル「誓い」のPVを見て感動。こんなに心に染み入る歌がこの世にあるなんて。それ以来すっかりビギンのファンになってしまった。コンサートでは沖縄出身でもないのに「島人ぬ宝」で感動して涙を流し、「涙そうそう」を口ずさみ、「オジー自慢のオリオンビール」では知らず知らずのうちに踊っていた。
ビギンのコンサートは、音楽・・・まさに音を楽しませてくれる。ハッピーな気分にさせてくれるすばらしいバンドである。

3/21 オペラ座の怪人

世界中での観客動員数が8000万人を超える大ヒットミュージカルの映画化、「オペラ座の怪人」を観てきた。作曲を手がけた天才、アンドリュー・ロイド・ウェバーが、自分の最高傑作を永遠に残したいと企画して15年。紆余曲折を経て完成した映画である。19世紀のパリ、オペラ座で、そこに住む伝説の男ファントム(ジェラルド・パトラー)の仕業とされる怪事件が多発。醜いがゆえに孤独を強いられた音楽の天才、ファントムが抱く、若き歌姫クリスティーヌ(エミー・ロッサム)への絶望的な愛。それらの事件は、彼が見初めたクリスティーヌをプリマドンナにするために起こされたものだった。二枚目ラウルを愛しながら、ファントムの魅力にあらがうことのできないクリスティーヌ……。
この作品の魅力はなんといっても音楽の美しさ、力強さである。オペラ歌手役以外は吹き替えなし、という歌唱には、必ず心揺さぶられるはず。またスワロフスキー社が提供した豪華なシャンデリアがモノクロからカラーへ時代を遡っていくシーンや天井から崩れ落ちていくシーンは映画化ならではの迫力である。
ミュージカル版を観ていないので単純に比較ができないが、ほとんどミュージカルを観たことが無い私でも十分楽しむことができた。

3/13 「映画がいっぱい」

『映画がいっぱい』というテーマのもとで、映画を長い間観続け、映画について描いたり書いたりしてきたイラストレーター兼アートディレクターの和田誠。KPOキリンプラザ大阪では現在、「和田誠シネマランド」が繰り広げられている。
和田誠の創作活動である世界中の名作映画をもとに「キネマ旬報」で連載されていたコラム「お楽しみはこれからだ」のイラスト、映画ポスターが展示されており、題材の映画そのものを見たことがなくても充分楽しめる内容になっている。また監督を務めた映画「麻雀放浪記」「快盗ルビイ」「真夜中まで」の製作過程を台本、絵コンテなどで映画づくりの裏側を見せてくれる。入場は無料、5月8日まで開催されている。
和田誠のイラストのタッチは見ているものをほのぼのとした気分にし、優しい気持ちにさせてくれる。村上春樹との共著「ポートレイト・イン・ジャズ」は私のお気に入りの一冊である。

3/5 大阪ブルーノート

昨年の11月、西梅田のはずれにあった「大阪ブルーノート」がハービスエントの地下に移転した。今回の移転に伴いスペースも広くなり、なんといっても目玉はカジュアルエリアが設けられたことである。BOXシートと、テーブル席、カウンター席からなるサービスエリアでは食事やお酒を楽しみながらライヴを見ることができるが、どうしても割高になってしまう。その点、カジュアルエリアでは1ドリンクのセルフサービスのみで入場することが出来る。先週、小曽根真と塩谷哲という、現代を代表するふたりのピアニストが一週間通しでセッションをするというので、カジュアルエリアのチケットを取って見に行ってきた。ステージ上では向かい合わせにグランドピアノが並び、お互いが強く意識しながら競い合うようにピアノを奏でるすばらしいライヴだった。
ブルーノートは当日の開演4時間前に先着順で並んだ人から好きな席が選べるというシステムである。いちばんいい席を確保しようするなら半日いや一日がかりなのである。正直、煩わしい。同じ料金を払っていながらかなり不平等な世界である。それなら最初から割り切ってカジュアルエリアでいいのでは・・・ライヴのすばらしさは充分堪能できるはずだ。

2/26 オノデラユキ写真展

国立国際美術館では4月17日までオノデラユキの写真展が行われている。オノデラユキは1962年東京生まれ、パリを拠点に国際的に活躍する写真家である。第1回写真新世紀展で受賞後、93年にフランスに渡り、95年に開いた個展「DOWN」で一躍注目された。以来、代表作「古着のポートレート」をはじめ、ラベルの剥がれた缶詰が宙を舞う不思議な写真「C.V.N.I.」やカメラ内にビー玉を忍ばせて撮影した写真「真珠のつくり方」、あるいはどこか見覚えのある人型のシルエットの写真「transvest」などの連作を次々と発表。2003年には写真集『カメラキメラ』により、第28回木村伊兵衛賞を受賞した。
普段、見慣れたモノがオノデラの手にかかると全く別のモノに見えてしまう不思議な世界。それはちょっとした遊びゴコロから生まれたもので、作品を前にして思わずニヤけてしまう。右の作品も実は115×115角もある大きな写真で、こちらのスケール感も揺さぶってくる迫力がある。
同時に開催されている「中国国宝展」は満員だけれども、こちらはゆったりと見られたのもよかった。

2/20 アーキラボ展

先週、六本木ヒルズの森美術館で行われている「アーキラボ:建築・都市・アートの新たな実験展 1950-2005」を観てきた。「アーキラボ」とは、フランスのオルレアン市で1991年から「ユートピアと実験」をテーマに毎年開催されてきた建築の国際会議の名称であり、約90名の建築家、220のプロジェクトを、およそ500点の出品物で紹介する国内最大級の建築展である。会場構成を隈研吾が担当し、1950年代以後のユートピア的な建築、都市、アートのさまざまなアイデアと実験を多様な資料によってたどることができる。各時代の建築家たちが模索していた建築理論とその実践を模型やドローイングなどで紹介しながら、最新のダイナミックな造形、建築の未来の可能性を描いていく内容である。
建築史の教科書に載っているよりもはるかに難解でマニアックな展示物ではあるが、彫刻作品あるいはオブジェとして眺めてみるのも楽しみ方のひとつかもしれない。建築というものは私たちの生活にとって実は身近なものであると感じることができる見ごたえのある展覧会であった。

2/14 原広司展:ディスクリート・シティ

東京乃木坂にあるギャラリー・間(GALLERY・MA)はTOTOが運営する建築とインテリアデザインを主とした専門ギャラリーで、現在、建築家・原広司の展覧会をやっている。梅田スカイビル(1993)、JR京都駅ビル(1997)、札幌ドーム(2001)などを設計した原広司だが、70年代から世界中の集落調査を行っている。そこで追求してきたのがディスクリート(離散的な)または、ディスクリートネス(離散性)という概念である。この概念をいちばん分かりやすく表現するために<だれでもつくることができる実験住宅>の建設を実践したプロジェクトの紹介が今回の目玉である。2003年南米ウルグアイの首都モンテヴィデオに、住み手が自ら造ることができる3棟からなる実験住宅を学生の手で建設。離散性の試行プロジェクトとしてスタートした。そして第2弾として南米アルゼンチンの都市コルドバにおいてもプロジェクトは進行中である。
住み手が自分で造ることができる住宅とは、日本にいる限りそれはあまり実用的ではないし、必要性もない。しかし、今日世界の都市に溢れている、住む場所を持たない人々にとっては現実的な問題として直面している。2つのプロジェクトの模型、パネル展示、映像を見ながら地球の裏側で起こっている現実を知った。(2月19日まで開催)

2/5 Ray・レイ

第77回アカデミー賞のノミネート作品が発表され、作品賞、監督賞、主演男優賞、衣裳デザイン賞、編集賞、音響賞の6部門にノミネートされた「Ray/レイ」をさっそく観てきた。2004年6月11日に亡くなった“ソウルの神様”と呼ばれたレイ・チャールズが音楽で成功を収めるまでの心の葛藤を真実に基づいて描いた人間ドラマである。幼少の頃、盲目となったレイだが母親から施しは受けず自分の力で生きていくように厳しく育てられた。そんなレイは音楽に目覚め少しずつサクセスストーリーを駆け上がっていく。この時代のミュージシャンにつきもののドラッグ、カネ、女性関係とあらゆる困難が待ち受けているもののレイは走り続けた。レイを演じるのは、ジェイミー・フォックス。まるでレイ・チャールズが乗り移ったかのような熱演との触れ込みだったが、私には当時の映像が合成されているのではと思えるほどリアリティーがあった。
映画館の大音響で2時間半のあいだレイ・チャールズが聴けるだけでも価値がある。あらためてソウル・ミュージックのすばらしさを再確認した。家に帰ってずっと昔に買ったレイ・チャールズのCDをひっぱり出してきてもう一度聴いている。

1/23 近代日本文学選

先日、第132回芥川賞・直木賞が発表された。芥川賞は芥川龍之介の名を記念して、直木賞と同時に昭和10年に制定され、各新聞・雑誌に発表された純文学短編作品中最も優秀なるものに呈する賞であり、主に無名もしくは新進作家が対象である。直木賞は直木三十五の名を記念して短編および長編の大衆文芸作品中最も優秀なるものに呈する賞であり、無名・新進・中堅作家が対象となる。今でこそ毎年50冊近く本を読み、芥川賞や直木賞を受賞した作品もとりあえず図書館で読むようになった私だが、中学高校時代はほとんど本を読まずに過ごしてきた。特に近代の日本文学については受験勉強で作者と作品を暗記したものの読破したものは一冊もない有り様である。そんな私を救ってくれたのが、100円ショップ「ダイソー」の「今よみがえる名作・近代日本文学選・全30巻」である。これだけは読んでおきたいというだけあって厳選された不朽の名作がたったの100円である。さっそく夏目漱石の「坊っちゃん」と宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読み終えた。あらすじと用語解説がそのつど欄外にあり、作家・作品の解説も初心者にはありがたい。今年中とはいかないまでも30冊全部読破したいと思っている。それでもわずか3000円!

12/31 フィアット・プント

2004年も今日で終わり、今年も様々な人との出会いがあった。人との出会いと同じようにモノとの出会いもある。秋にクルマを買い換えたのだが、それがフィアット・プントとの出会いのドラマである。フィアットは学生時代にイタリアに旅行したときに強烈な印象がある。とにかくイタリアの街角にはフィアットがよく似合う。というよりはフィアットしか走っていない。当時の市場占有率は50%近かったというから当然である。カラフルな色あいでコンパクトなその姿は、まさにイタリアンデザインをギュっと凝縮したかのようですっかり魅了されてしまった。
日本に輸入されている車種はそれほど多くなく、プントがずっと欲しいと思っていた。初代プントはジウジアーロがデザインしたベストセラーで、2代目はさらに進化したカッコ良さであった。ところがこの春に発売された3代目は、日本車のようなデザインに落ち着いてしまい(本国イタリアではそのほうが売れるらしい)全く魅力が薄れてしまった。そこで急いで2代目をディーラーに見に行ったのだが考えることは皆同じで、新しく出た3代目プントには目もくれず在庫処分の2代目があっという間に売切れてしまったのである。それからの半年間、私はネットで毎日2代目プントを探し続けた・・・。そんなある日、神戸のディーラーが数台の2代目プントを隠し持っていることを突き止めた。それはアルファロメオを買いに来たお得意様の代車として使用されており、売り物ではなかった。なんとか売ってもらえないかとお願いしたら、相場より値段は高めだったがOKが出た。ということで我が家にやってきた中古のプント。乗るたびにイタリアの空と太陽のように陽気な気分にさせてくれる。まだ遠くまで走りに行っていないので来年はドライブに出かけようと思う。

12/18 マルセル・デュシャンと20世紀美術

11月に大阪中之島にオープンした国立国際美術館、その開館記念として「マルセル・デュシャンと20世紀美術」展が行われている。20世紀美術に多大な影響を与えた一人であるデュシャンは、”ダダイスムの巨匠”あるいは”現代美術の父”と呼ばれる。デュシャンは30歳代半ば以降の後半生にはほとんど作品らしい作品を残しておらず、手仕事の「絵画」らしい作品を描いていたのは1912年頃までで、以後は油絵を放棄。その後、通称「大ガラス」と呼ばれるガラスを支持体とした作品の制作を続けていたが、これも未完のままに放棄してしまう。以後数十年間は「レディメイド」と称する既製品(または既製品に少し手を加えたもの)による作品を散発的に発表するほか、ほとんど「芸術家」らしい仕事をせず、チェスに没頭していた。彼のこうした姿勢の根底には、芸術そのものへの懐疑があるとされている。
会場にはとにかく不思議なモノがいっぱい展示されている。中でも男子用の小便器に「R・マット (R. Mutt)」という署名をしただけの『泉』というタイトルを付けた作品は物議をかもし続けた問題作で、世界の芸術をリードする500人に最もインパクトのある現代芸術の作品を選んでもらうという調査の結果、ピカソの名作「アヴィニョンの娘たち」を抑えて堂々の1位を獲得している。
これがアート?なんて難しいことは考えずアタマを柔らかくする、素直に楽しむ、そして何かを感じることができたらラッキー・・・くらいの気持ちでちょうどいいかもしれない。

12/8 仮名手本忠臣蔵

先月、日本橋にある国立文楽劇場で「仮名手本忠臣蔵」を見てきた。歌舞伎や文楽といったいわゆる伝統芸術とは今まで無縁で、どちらかというと敬遠してきたが、実は結構身近で親しみやすいことが分かった。「仮名手本忠臣蔵」はだれもが知っている忠臣蔵の話を、元禄の時代に時の幕府をはばかり太平記の世界に移して語られた物語で、原作は十一段の時代物である。(ストーリーは日本芸術文化振興会のHPが非常に分かりやすい)これを全編上演すると12時間にも及ぶ。今回、私が鑑賞したのは第1部の「鶴ヶ岡兜改めの段」から「早野勘平腹切の段」まで。10時半から、4時までぶっ続けで上演され途中休憩は25分と10分の2回だけ。これは疲れる。眠くなる。しかし、人間国宝の芸を5時間も楽しめてたったの2300円なのである。華やかさでは歌舞伎に負けるが、人形遣いの業を堪能できる文楽の世界も「伝統」の名にふさわしい。
眠くなるのはストーリー展開についていけないせいなので、次回はイヤホンガイドを試してみようと思う。

11/28 モネ 〜光の賛歌

光の魔術師モネの展覧会が奈良県立美術館で行われている。1874年にパリで誕生した「印象派」は今年で130周年となる。北フランスのノルマンディ地方の港町ル・アーヴルで幼少期を過ごしたモネは、美しい自然の中で豊かな感性を育みながら風景画家としての道を歩み始め、青年期にはパリに出て友人たちとともに戸外制作に取り組む。その後、フランス各地や地中海沿岸、イギリスなど、ヨーロッパの国々を旅してその土地の風向を描き、後半生はジヴェルニーに居を構え、自宅の庭にある睡蓮の池を描いた一連の作品で集大成を迎えることとなる。ということでモネ=睡蓮のイメージが強い。しかし今回の展覧会では、その睡蓮の作品を写真で実物大に再現して展示なんてことをやっていた。いくら写真の技術が進歩しても、そんなことをして来場者が喜ぶとでも思っているのだろうか?まさに興ざめといったところだ。陳列方法も時代順になんとなく並べたようなメリハリの無さが気になる。う〜ん、モネってもっと魅力的なのになぁ。残念!

11/14 アトリエ・ワン「街の使い方」展

KPOキリンプラザ大阪では、12/5まで建築家ユニットであるアトリエ・ワンの初めての個展が開かれている。アトリエ・ワンは塚本由晴と貝島桃代の若手建築家2人組である。ポップな手法で、建築と都市にとり組む彼らは、都市を歩き、観察する。そして狭い敷地を逆手にとって、ユニークな形式の小住宅を発表している。『ミニハウス』は、各階をワンルームとしつつ、東西南北の四方向に対し、等価に開く。また『モカハウス』では、隣接する周囲の建築との小さな隙間を巧みに活用している。普通、日本の住宅はうさぎ小屋と非難され、悪い条件だと思われているが、それをポジティブに読みかえるのが、彼らのやり方だ。
今回、その「ミニハウス」を1/1スケールの蚊帳で会場に再現し、空間のボリューム感を体験させつつ、彼らの都市観察プロジェクトを紹介しようという試みである。
建築家のケンチク展というよりは、高校の文化祭的なノリで楽しめる展覧会。1/100の建築模型がくるくる回るインスタレーション「踊る建築」は見飽きることがなかった。「街の使い方」というのもアトリエ・ワンらしいタイトルである。

11/7 いま、会いにゆきます

秋穂巧(中村獅童)は妻の澪(竹内結子)に先立たれ、1人息子の佑司(武井証)とつつましく暮らしていた。梅雨のはじめのある雨の日、妻にそっくりの女性が現れるが、彼女は記憶喪失だという。三人の不思議な生活がはじまる。しかし、6週間後の雨の季節が終わりを告げるとともに、 澪はふたりの前から去っていく運命にあった・・・。ストーリーのいたるところに散りばめられた小さな不思議を伏せたまま、最後の最後にぜんぶ繋がるところではじめてなぜ「いま、会いにゆきます」というタイトルなのかが分かります。長野を舞台にした雨のシーン、息子役の武井証がとにかく可愛くて泣かせます。エンドロールにも仕掛けがあり、この映画、私は原作を読まずに行ったので感動は2倍の★★★★☆。☆ひとつ分はORANGE RANGEのエンディング曲に少し違和感が残った。
自分の命に限りがあることを普段は忘れているが、もしその期限を知ってしまったらどういう毎日を過ごすだろうか。おそらく誰もがまわりにいる人を大切にするだろうし、時間を無駄にしないようにもっと真剣に物事に取り組むだろう。生きる力の強い人はもしかして自分でその期限を決めているのではないだろうか。つまり命の限りを常に意識できているのでないだろうか。この映画を見終わってから生きることの意味みたいなものをあらためて考えている。

10/26 ルイ・ヴィトン 時空を超える意匠の旅

兵庫県立美術館では創業150周年を迎えるルイ・ヴィトンのルーツを探る美術展が行われている。ルイ・ヴィトンミュージアムが所蔵するアンティークのトランクやモノグラム・キャンバスの考案に関する貴重な資料が展示されている。星と花に似た文様に創業者の「L」と「V」をあわせたモノグラム柄は、言われてみれば納得、日本の家紋や文様といったジャポニズムから大いに影響を受けていたことが分かった。つまりデザインの成立の背景には東西文化の交流が存在したというわけである。そして現代においても、村上隆をはじめ現代アーティストとのコラボレーション作品が発表されているし、各地に展開するルイ・ヴィトンのショップは、青木淳や乾久美子といった建築家のデザインである。そして今回の美術展、会場デザインは安藤忠雄によるまさに「旅」をモチーフにした演出がされているのも興味深かった。
ちなみに私はルイ・ヴィトン、ひとつも持ってませんけどねぇ・・・。

10/11 スウィングガールズ

話題の「スウィングガールズ」、純粋にこの映画は面白かった。舞台は東北の片田舎の高校。夏休み返上で補習を受けている女子生徒たちが、サボりの口実としてビックバンドを始める。当然のごとくやる気はゼロでサボる気満々。しかし、楽器からすこしずつ音がでてくるにつれジャズの魅力にひきこまれ、ついには自分達だけでバンド結成を決意!とはいえ楽器はないし、お金もない。バイトをすれば大失敗。なんとか楽器を手に入れて、いざ練習!と思いきや、今度は練習場所もなく、ついにはバンド解散の危機!?・・・しかしそんなドタバタを吹っ飛ばし、ラストでは見事にスウィングしてみせる!!
「A列車で行こう」「ムーンライトセレナーデ」「シング・シング・シング」など往年のスタンダードジャズナンバーを出演者本人が演奏しているというエピソードが何よりも感動を呼ぶ。中高生のころにギターに夢中になっていた自分を見るようで、とにかく「音楽がしたい」とひたむきになる姿はよ〜くわかる。この映画を見終わっておそらく誰もが楽器を始めたくなるかジャズに目覚めるハズ。そして清々しい気持ちで映画館を後にできる作品である。

10/1 栄光のオランダ・フランドル絵画展

神戸市立博物館では10/11まで「栄光のオランダ・フランドル絵画展」が行われている。世界屈指の美術館として名高いウィーン美術史美術館から、16・17世紀に黄金時代を迎えたオランダとフランドルの絵画の至宝58点を選りすぐり、一堂に公開するもので、フェルメール「画家のアトリエ」、4点のルーベンス、3点のファン・ダイク、2点のレンブラントなどの名品が出品される。ウィーン美術史美術館は、ハプスブルク家一族によって収集された膨大な美術コレクションをもとにして創設され、歴史の古さと質の高さにおいてヨーロッパ屈指の美術館である。絵画コレクションは、ハプスブルク家が統治したヨーロッパ諸国から集められた美術品が多く、とりわけフランドル(南部ネーデルラント、現在のベルギーとほぼ同地域)絵画の充実ぶりは、傑出している。今回の注目はなんと言っても、ウィーン美術史美術館の至宝、作品が30数点しか知られていないフェルメールの作品中、最高傑作に位置づけられる世界的な名品、「画家のアトリエ(絵画芸術)」である。フェルメールが最後まで手元に残していた作品であり、ドイツのヒトラーが、第二次世界大戦中にナチスがヨーロッパ中から強引な手段でかき集めた美術品の中の代表的作品として知られている。当時の所有者であるウィーンのチェルニン伯爵家はユダヤ人でも敵国の人間でもなかったので、ヒトラーには没収する口実がなかったにもかかわらず、圧力をかけて破格の安値で買い取り、自身のコレクションに加えた。やがて終戦を迎え、オーストリア・ザルツブルク近郊の岩塩坑で連合国軍によって発見され、オーストリア政府に返還されたという。歴史の中で翻弄され、数奇な運命をたどって、ウィーン美術史美術館に収められた名画。これを見たとき、からだの奥底から感動が湧き上がってきた。おそらく一生に一度しか見られない名画、ホンモノは心を揺さぶる力を備えていることを実感した「芸術の秋」である。

9/25 infobar

携帯電話(以下ケータイ)を買い換えた。ケータイは腕時計やクルマと同じように持つヒトのそのヒトとなりを少なからず象徴しているし、表現できるアイテムであると思う。で、つまり私自身がどういうヒトに見られたいかという観点から今回選んだケータイがauのinfobarである。このケータイを人前に出すと必ず「おっ!」という反応が返ってくる。特に存在をあまり知らないドコモ愛用者から・・・。実はこのinfobar、サイクルの早いこの世界にデビューしてからだいぶ年月が経っている。にもかかわらずいまだ新鮮さを失っていないのはやはりデザインの秀逸さであろう。デザイナー・深澤直人氏によるスクエアなフォルムに配置されたケータイではじめてのタイルキーは、デザイン性だけでなく、快適なキー操作をも可能にしている。最近のケータイは機能てんこ盛りのパカパカタイプが主流で、どちらかというとデザインは二の次といった感じが否めない。本当に使う機能だけあれば多少不便なくらいのほうが実は愛着が沸くし、そこにヒトに見せたくなるほどのデザインが備わっていればいうことがない。ほとんど自己満足の世界ではあるが。同じ選ぶならそういうモノを選べる「眼」を持ち続けたいと思うし、そういう「眼」を持っているヒトに見られたいという潜在的な欲求があるということだろうか・・・などと考えている。(ちなみに色はいちばん左のanninだ)

9/11  2004 Jazz Style

先週、中之島公会堂で行われた「TOSHIBA 2004 Jazz Style」を観てきた。レトロな公会堂で大人のジャズライヴ、この組み合わせがなんともオシャレだ。しかもチケットはネットで申し込んだにもかかわらず、ステージ正面の前から2列目!トップに登場したのはakiko。「ムード・インディゴ」からの曲を中心にスインギーに"Straight No Chaser"、ブルーな感じで"Mood Indigo"などを歌った。鼻歌のようにスイングする歌い方が、CDで聴くよりもずっとカッコいい。続いて登場したのは矢野沙織。いま一番注目の若手アルト・プレイヤーだが、ステージの端から緊張した面持ちで出てきたときは観ているこっちまで心配したほどであったが、いざサックスを吹かせるとそのパワフルで滑らかな音色に驚愕、感動した。最後は、ケイコ・リーの登場でステージは一気に華やぐ。ケイコ・リーのステージを観るのはこれで3回目。ケイコならでは"Distance"の弾き語りや"We Will Rock You"など相変わらず観客をノセるのが上手い。アンコールでは3人のセッションが実現し、"Root66"を披露。
いま、日本ジャズ界で人気・実力ともトップクラスの女性3人が一同に会したこのイベント。大満足で中之島公会堂を後にした。

9/4  華氏911

第57回カンヌ国際映画祭パルムドール受賞の「華氏911」を見てきた。審査委員長のクエンティン・タランティーノは「単に映画として面白かったから賞を贈った」とコメントしているように、この映画は単なるブッシュ批判のドキュメンタリー映画ではない。そのような内容ならテレビで放送したほうがよほど多くの人の目に触れるだろうし効果も上がるだろう。多くの人が映画館に足を運び、お金を出してこの映画を見ることで、積極的に真実は何かを知ろうとし、「今」を考えることこそが大事なのである。こういう手法は異論反論もある。しかし、マスコミが伝えない、伝えようとしない真実が確かに存在していることを「知る」きっかけとなるので、ひとりでも多くの人にこの映画は見てほしい。
9月11日を前に、今、この映画を見て、何かを感じることの大切さを実感している。

8/25 OKINAWA

今年の夏休みは沖縄に旅してきた。はじめての沖縄・・・想像以上に「いいところ」です。何度も行ったことのある人なら離島に行ったり地元の人との交流を楽しんだりするそうだが、初心者なのであまり欲張らずに予定を立てた。とりあえず世界遺産の首里城を見学。そしてどのガイドマップを見てもオススメになっている美ら海水族館。あとはひたすらホテルのプールやビーチでノンビリ過ごしてきた。沖縄は日本だが島ゆえに外国のようなところがある。街並みが違うし、地元の人の顔が違う。文化とくに食文化が全然違う。ゴーヤチャンプルや沖縄そばを食べ、オリオンビールも呑んだ。下戸の私はさすがに泡盛はやめておいた。面白いのはクルマ事情。観光客のほとんどがレンタカーで移動するので「わ」ナンバーが多いのと、たぶん米軍の自家用車と思われる「Y」ナンバーを見た。国内で見るベンツやBMWといった外車は全く見られず、そのかわりレンタカーのヒュンダイがやたら走っている。クルマが足代わりなのでポンコツも多くこのあたりはグアムで見た光景に近い。こんな独特の文化を持つ沖縄は国内でありながらちょっと異国気分が味わえる。そしてどこまでも広がる青い空とエメラルドの海。これはクセになりそうだ。沖縄出身ミュージシャンの音楽って今まで少し敬遠していたが、さっそくBEGINにハマっているのは言うまでもない。

8/7 スチームボーイ

「AKIRA」で全世界に認められた大友克洋監督の「スチームボーイ」を観に行った。総作画枚数18万枚の緻密に描かれた映像とその迫力は必見、制作期間9年間の超大作という触れ込みだったが・・・。
舞台は産業革命後の19世紀半ば、万国博を控えたロンドン。発明一家に生まれた少年の元に、祖父が発明した金属の球体が届く。それは究極のパワーを秘めたスチームボール。研究を支援した財団は、少年の父を抱き込み、その発明品による兵器開発で私腹を肥やそうとたくらむ。少年は、科学は人類の進歩のためにあると信じる祖父の意志を守り、財団との間に争奪戦を繰り広げる。
確かにアニメならではスピード感は圧倒的であったし、メカニックな表現や背景は目を見張るものがある。しかし、ストーリーがどうもねぇ。驚異の発明をめぐる少年の勇気と希望の冒険物語ということなので、全体的にメリハリに欠け、ありきたりのエンディングに落ち着いてしまったところが残念。
久しぶりに観たアニメ映画。夏休み期間中にもかかわらず映画館には子どもは一人もおらず年齢層がバラバラの大人しか見受けられなかった。この映画のターゲットはいったい誰なんでしょうか?

7/4 村治佳織リサイタル

私の住む川西市に「みつなかホール」という音楽ホールがある。川西市が清和源氏発祥の地でありその由来となる源 満仲(みつなか)にちなんで、名付けられたのだが、今までこのホールに足を踏み入れる機会は一度もなかった。クラシックを聴く機会なんてほとんどない私でも村治佳織がやってくるとなると話は別だ。今年2月にデビュー10周年を記念してベスト盤が発売され、我が家にも数少ないクラシックの一枚としてCDがある。
今回はホセ・ガジャルドとのギターデュオとしてのステージであった。クラシックのコンサートなんてそういえば初体験である。ステージ上では動きもなくトークもなく淡々とプログラムが演奏されていく。ギターの心地いい響きが耳の奥でこだまして、寝入りそうになる寸前の状態が続く。クラシックのコンサートってこんな楽しみ方でいいのだろうか・・・疑問が湧いた。やはり曲目を事前に勉強していかないと聴きドコロが分からず困ってしまった。
これを機にギター文化発祥の地スペインの音楽、故ホアキン・ロドリゴが愛した美しいアランフェス宮殿、闘牛やフラメンコに在るスパニッシュ・パッション、そして、ドン・キホーテ・・・スペイン文化にまで興味が広がり、少し勉強しようと思った次第である。

6/28 世界の美術館

兵庫県立美術館では7月11日まで「世界の美術館〜未来への架け橋」展が行われている。世界中から25の優れた美術館建築を精選し、それらの建築模型、設計図、写真、スケッチ、ドローイング等を一堂に集めて展示されている。美術館は単なる美術品を鑑賞する場所ではない。今日、世界的に進行している美術館建設の動きは、アートという文化的資源が美術館と呼ばれる装置を介して有意義に人々の精神生活に資することが可能になるか、あるいはアートそのものにも貢献することができるかが問われている。たとえばフランク・O・ゲーリーによるグッゲンハイム美術館ビルバオは、工業都市ビルバオの起死回生の再生プロジェクトとして成功を収め、世界的な観光名所となった。ジャック・ヘルツォーク+ピエール・ド・ムーロンによるテート・モダンは、ロンドンの再開発地区の火力発電所を再利用したもので、建物の外観は控えめだが、内部の空間は広大で、タービンホールの巨大な空間を活かし、現代美術コレクションが一堂に集められたロンドンの新しいランドマークとなったのである。
こうして世界中の美術館に触れてみると国内の美術館がいかに常識的、平均値的に作られてきたかがよく分かる。それは行政が「ハコ」ものとしてプロジェクトをすすめてきたからであろう。しかし、日本の建築家が現在進めている美術館は今までに見たことがない美術館になる。ヨコミゾマコトが手がけている群馬県勢多郡東村の新富弘美術館、妹島和世+西沢立衛/SANAAが設計した金沢21世紀美術館、青木淳による青森県立美術館(仮称)などこれらのプロジェクトは会場で模型が展示されており、その完成が今から楽しみである。

6/21 シルミド

韓国発のエンターテイメントが大ブームである。「韓流」と称されるこの現象は日本だけでなく中国、台湾、シンガポールなどアジア全体で起こっている。韓国スターが来日すると空港はもう大変である。ヨン様フィーバーはメディアで大きく取り上げられたこともあり、記憶に新しい。
というわけで私も映画館ではじめて韓国映画を観た。それが現在公開中の「シルミド」である。ストーリーは30年以上も隠蔽されてきた実話に基づく「実尾島(シルミド)事件」である。韓国仁川沖のシルミ島に死刑囚など重い罪を犯し、すでに刑が確定している男たちが集められた。そこで彼らに告げられたのは金日成を暗殺するために厳しい訓練を受け、それを実行することだった。3年が経過し立派な特殊工作員となった彼らについに計画を遂行するときが来た。しかし、直前になって南北融和の機運が高まり計画は中止。それどころか事実の漏洩を恐れた政府から彼らを抹殺せよとの命が下された。存在すら奪われた自分たちの誇りを賭けて、生きた証しを求めて彼らが目指した場所は・・・。
前半は「ふ〜ん」って感じで観ていたのだが後半からテンポが上がってくるとストーリーにのめり込めた。そして最後はなんだかやるせない気分にさせる展開。
韓国国民の1/3が観たという空前のヒット作。ストーリーの歴史的背景や社会性の重みは日本映画にはない迫力、ところどころにベタな笑いを入れつつ、そして最後はちょっとうるっとさせる・・・これが韓流。

6/4 世界の中心で、愛をさけぶ

yahoo!の作品ユーザーレビューでは賛否両論のようだが、私は★★★★★をつけようと思う。今までに観た映画の中で間違いなくいちばん泣けた。冒頭からタイトルの現れる開始5分までにまずぽろり、あとは波のようにグッとくるシーンが散りばめられており、ラストの平井堅「瞳をとじて」が聴こえてきたときはまさに眼をとじて涙していました。
なぜそこまで感動できたのか・・・それはこの映画のキーポイント、80年代に私も高校時代を過ごしたからである。ウォークマン、深夜ラジオ、そこで流れる音楽、カセットテープ、スクーター、教室や主人公の部屋にあるさまざまなディテールがあまりにもよく出来ている。ストーリーに多少(?)の無理があっても充分、感情移入できる。さらにキャストの長澤まさみの生き生きとした演技は、確かにあのころ存在した高校生の姿そのもので、ノスタルジックな想いがこみ上げてくるはずである。
柴咲コウが語っているように、この映画は「ただ泣ける」映画ではなく、「泣きたい気持ちになる」映画である。特に30代前半の男性にはぜひ観ていただきたい。忘れかけているであろう「素直に感動」する気持ちが沸いてきます。

5/30 山本理顕講演会

大阪工業大学建築文化研究部主催の山本理顕の講演会に行った。山本は1945年、中国北京で生まれ、現在工学院大学の教授であり建築家である。熊本県営保田窪第一団地や公立はこだて大学などの作品があり、近年ではCODAN東雲第1街区や北京建外SOHOなどで注目を集めている。私がはじめて山本に注目したのは社会学者・上野千鶴子の著書「家族を容れるハコ 家族を超えるハコ」にある山本との対談とそこで展開されていた理論であった。以前は、住宅は「建築家」が、家族については「社会学者」「文学者」が考えていた。しかし「家族から住宅をみる」「住宅から家族をみる」という両方からのアプローチの越境があれば問題を分析するにも有効に作用する。山本が積極的に建築家以外の人物とコラボレーションしていることは、講演会の話の中でも特に印象的であった。
建築はラチス構造ですすめるべきという基本スタンスが山本にはある。つまりひとりの偉大な建築家がすべてを決めて進行させていくのではなく、さまざまな意見を取り入れて柔軟に変化させながら成立させていくほうが「いい建築」ができるという。そのときに必要なものは自分がどういう空間をつくりたいのか主張することと他人の意見に耳を貸すことである・・・コミュニケーションの必要性である。
山本の作品のひとつひとつを見てみると共通項が少なくまるで顔が違う。それは山本が計画段階からさまざまな人と意見を交わし、コラボレーションしてきた結果であるから当然なのであろう。

5/23 hhstyle.com

最近、自分専用の椅子を探している。ネットでいろいろなショップをながめているうちはまだ良かったのだが、やはり気に入った椅子が見つかると座ってみたくなる。椅子だけに座り心地は最重要課題である。そこでデザイナーズ家具のオンラインショップで 「hhstyle.com」というところがあるのだが、そういう声に応えるようにコンセプトショップなるものを展開している。大阪の本町にひっそりとあるその店は、オフィスビルの1階と中2階にある。まず目に飛び込んでくるのは、Eamesのラウンジチェア。サイドシェルチェアやDCWなど椅子好きにはたまらない名作椅子がずらり。もちろん試着席(?)も心ゆくまでできる。他にもデザインや建築関係の書物、グッズがディスプレイされており、しばし時間が経つのを忘れてしまうほど心地いい店内である。どの椅子にしようかまだ迷っているのだが、今はロン・アラッドのTomVacが無性に気になる。あの絶妙なラインが私の部屋で浮いてしまうのでは・・・いや間違いなく浮きそうだ。椅子選びは難しくもありまた楽しいものである。


5/8 東山魁夷展

兵庫県立美術館では5月23日まで東山魁夷の回顧展が行われている。1999年に逝去した日本画家、東山魁夷は1908(明治41)年横浜に生まれ、3歳から18歳までの15年間を神戸で過ごした。人生の中で最も多感な時期である青少年期を送った地が、その後の人格形成や思想に少なからず影響を与えることは想像に難くない。神戸はまさに東山魁夷がその時期を過ごした土地であり、画家の最初の随筆集「わが遍歴の山河」(1957年)によれば、派手好きで贅沢で楽天家であった父と、父の様々な所業に黙々と耐えた母という相反する性格の両親の下、特に母親の苦悩をより敏感に感じながら成長した東山の心を慰めたのが神戸の自然、六甲の山々や陽光明るい淡路島や須磨の海岸であったという。また、ドイツ留学から帰国後の初めての個展を開いたのも神戸であった。。神戸は、画家自身が心の故郷を回想しているように、青春期の苦しみも喜びも送った懐かしい土地として終生画家の心中にありつづけたようである。
今回の目玉は東山芸術の集大成であり、戦後の日本画史上の大きな成果と評されている唐招提寺御影堂の障壁画が展示されていることである。この障壁画の迫力を言葉で表現するのはなかなか難しい。御影堂を再現した会場構成は見ごたえ充分であり、ぜひ会場で体感していただきたい。


4/23  赤い月

2月から公開されていた「赤い月」が宝塚のミニシアターで一週間だけ上映されていたので観に行った。常盤貴子の初主演映画であり、監督は日本映画界が誇る名匠・降旗康男。撮影監督には数々の名作を降旗監督とのコンビで撮り続けてきた木村大作。脚本はテレビドラマでおなじみの井上由美子が降旗監督とともに手掛けた。これほどのスタッフとキャストなら日本映画といえども期待できよう。激動の時代を生きぬいた一人の女性の強じんな生命力と圧倒的な愛を、繊細な演出、壮大な映像と音楽でドラマティックな感動大作に仕上ったとの評判。「生きるためには愛し合う人が必要 ・・・」なんてセリフ、なかなかクサいですが、それらをかき消すに十分な中国東北部ロケによるシーンは見ものである。常盤貴子はやはりテレビドラマの印象が強すぎて、過去のドラマ作品がときどき脳裏をかすめるのは仕方ないのか・・・。


4/4  新選組事典

今さらと言われそうだが、私の中で初めて「新選組」のブームがやってきた。きっかけはもちろんNHK大河である。1月にはじまったときから三谷幸喜の脚本には戸惑いがあり、以来3ヶ月12回分の放送を我慢して見てきた。これではいけないと図書館で「新選組事典」なる本を借りてきて読破してみると、今まで面白くなかった理由がよくわかった。ドラマで演じられている近藤や土方はごく一部でしかなくその人間像はもっと奥が深い。また後々新選組が辿る歴史を前もって知ることで京都に入る前のエピソードはもっと興味深くなるのである。つまり知らないから面白くなかったのである。
建築的興味から昨年、京都の角屋(すみや)を見学したが、そこにかつて新選組隊士がたびたび訪れ、また芹沢鴨が大暴れした場所だと知っていればもっと歴史の重さを感じることができたであろう。この本を読んでドラマの展開が断然面白くなってきたし、京都の史跡をもう一度尋ねてみようと思う。


3/13 ジャン・ヌーベル展

パリ・ポンピドーセンターからはじまった「ジャン・ヌーベル展」の世界巡回がついに大阪・サントリーミュージアムにやってきてそのフィナーレを飾る。哲学的言説を駆使し、詩的建築を生み出すフランス建築界最高の知性といわれるだけに従来の建築展とは一味違う。図面、模型をいっさい排し、CGのプリントやスライド、そしてヌーベルの詩的な文字の数々だけで構成されたこの展覧会は、まるで絵画を鑑賞するかのようであると同時に、ヌーベルのデザインのエッセンスと活動の全体像を体感できる。ガラスなどの透過性の高い素材を多用し、そこに映り込む周囲の風景やまた見る位置によって刻々と変化し続けるヌーベルの作品は、「映像的な建築」あるいは「消失する建築」といわれる。「建築はイメージの創出である」と語るヌーベル。その建築に向けられた人々の視線に捧げられる知的かつ官能的な姿態は、これまでの建築を超えたひとつの美学を示唆する。
日本国内には東京の電通本社ビルしか実現していない。実物をなかなか体感できないだけに、見ごたえのある内容だった。

2/29 スノボ

スキー歴は20年以上ある私がこの冬、ついにスノーボードに挑戦した。スキー場にボーダーが出没するようになったのは10年近くまえである。以来、毎年その数は増え続け最近はどこのスキー場に行ってもスキーヤーはマイノリティとなっている。やってみたいと思いつつ、道具が揃っていてしかもある程度滑ることのできるスキーを捨ててまで、やり始めることがどうしてもできなかった。しかし今年はその重い腰を上げてみた。両足が固定されるボードは、見ている以上にバランスをとるのが難しく、緩斜面はもちろんのこと平地でさえすぐ転んでしまう。バランスを失うと支えるものがないので、手を着くか尻もちをつくかとにかく痛い思いをすることになり、結局ボード初挑戦の一日目はスクールに入って転び方、歩き方、リフトの乗り方から始めなければならなかった。これは今までスキーでスイスイ出来ていた者からすれば屈辱的ですらある。
スキーとスノボは全く異なるスポーツであり、どうやら甘く見ていたようである。スクールに入る前に我流で少し滑った時に転び、肋骨にヒビが入ってしまった。スノボは非常に危険なスポーツであることを強く認識した。

2/15 牛丼

私はどちらかというと肉より野菜のほうである。しかし、今回のBSE騒動、アメリカ産牛の輸入禁止、牛丼チェーン店の販売中止は他人事ではない。牛丼チェーンは週に一度はお世話になっていた。時間がなくてサイフに余裕のないサラリーマンにとってこれほどの強い味方はない、まさに国民食である。今回の騒動では、牛丼がないことに腹を立て暴れる者がいたり、最後の一杯を食べ納めと称して店内に拍手が起こったりと「たかが牛丼」に連日過熱報道がされている。私も出遅れまいと出先で牛丼が食べたくなり、「吉野家」と思って入った店が実は「すき家」ですでに販売中止になっていたり、「松屋」ではまだ牛丼があったにもかかわらずチキンカレーを頼んでしまったり失態を繰り返してしまった。そして「吉野家」にもついに販売中止の日がやってきた。前日に客が殺到し、私は2/11、午前中から3軒ハシゴしてもついに牛丼にありつけなかった。ショックである。一刻も早い輸入再開を切に希望する「されど牛丼」の日々である。

1/18 「この先の建築」展

東京・乃木坂にあるギャラリー・間(MA)は建築とデザインの専門ギャラリーでその100回記念の展覧会として企画されたのが今回の「この先の建築」である。その全国巡回が京都にやってきたので観に行った。45p角の土台の上の敷地に対して、ギャラリー・間から建築家たちに提案されたのは、「<この先の建築>を模型で表現してください」というものである。 「過去は平等には存在していないが、これから先の未来は、どの世代の建築家にも平等に存在するから、やはり<この先>を表現してもらおう」というのが狙いであるが、ただ<この先>の解釈は、建築家によってさまざまで、数年先の表現もあれば、遠い先もある。具体的な建築物の未来もあれば、建築という概念の未来を探った表現もある。
日本を代表する建築家たちが45cm角のステージで何を表現し、ビデオメッセージで何を語るか・・・非常に興味深い「この先」を見せてくれた。
2004年2月1日まで京都造形芸術大学・ディーズギャラリーにて開催中。ちなみに一般の方でも入場無料なのでお気軽に。

1/12 押尾コータローLIVE

昨日、尼崎アルカイックホールで行われた押尾コータローのLIVEに行った。以前、CD紹介の欄でも書いたが本当にアコースティックギター一本でこんなことができるなんてショッキングである。そしてLIVEで見ると、それはもうマジックとしか言えない。オープンチューニングやタッピング奏法を駆使し、「一人でしかも一度に弾いているとは思えない」と言われるテクニックやパーカッシブで迫力ある演奏。そして繊細であたたかい音色を醸し出すステージをぜひ一度ご覧いただきたい(右のDVDは\3980!)。年末の紅白、島谷ひとみのバックでちょろっと弾いていたのは単なるお遊びであることがお分かりいただけると思う。
LIVEではラジオパーソナリティ風のコーナーで笑いをこれでもかと取り、客席を弾きながら一周する(全員集合のオープニング!)サービスぶり。しかもLIVE終了後にはサイン&握手会!かのBBキングも絶賛するほどのギタリストがこんなに身近で親しみやすくていいのか!大阪・吹田市出身の押尾コータローから世界のKotaro Oshioへ・・・今後も目が離せない。