人をけなせば、自分もドツボ


 今は昔、かつて一条摂政藤原伊尹(これただ)卿の住んでおられた『桃薗(ももぞの)』は、現在の世尊寺にあたる。その桃薗で、摂政殿が季の御読経(年に春秋二回、四日間に渡って諸寺の僧たちを集め、大般若経・仁王経などを転読する法会)を開催なさったことがあった。延暦寺・三井寺・興福寺などの錚々たる学僧たちを招かれ、皆参上した。僧たちは、朝夕二回の法会のうち夕方行われる『夕座』を、ある者は経を読み、ある者は雑談をして待っていたが、そのときの事‥‥‥。

 寝殿造りの南側、庭に臨む縁の部分を御読経所に当てていたので、僧たちはそこにずらっと並んで座っていた。南側の池や中島の築山のようすがたいそう趣き深いのを見て、興福寺の若手の学僧として有名だった僧中算(ちゅうざん)が、こんなことを言った。
「ああ、ここのお屋敷のキダチは他のところとはまるで違いますな。ま、何とすばらしいものだ。」
ところが、傍にいた木寺(きでら)の基増(きぞう)という叡山の僧が、これを聞いて、「いやいや、奈良の法師はずいぶんと物を知らん。何とまあみっともない言葉遣いじゃ。コダチとは言うがキダチとは。ああ、何ともはや、情けないことで。」
いかにもあざけるように、爪をパチパチ鳴らしながら言ったものだ。
中算はあわてず、
「おやおや、これは言い間違いをしましたな。では、あなた様の事も小寺(こでら)の小僧(こぞう)と申し上げなければなりませんな。」
とニヤリと笑って見せた。
中算の言葉を聞いた満座の僧たちは、口々に
「小寺の小僧、小寺の小僧とな! これは、これは」
と、ギャハハハハと腹を抱えて大笑い!

 さて、この大騒ぎを別室で聞いた摂政殿は、何事かと聞きにやらせると、僧たちがその場のようすをかくかくしかじかと説明したので、摂政殿は
「やれやれ、これは中算がこんな風に言ってやろうと、わざわざ基増の前で言って見せたのじゃ。それを何にも気付かずに基増がまんまと引っかかってしまったのだろう。愚かな奴じゃのう。」
これを聞いて僧たちは、ますます大笑い。その後、基増には『小寺の小僧』という実にありがたくないあだ名がついてしまったので、
「ああ、下手にとがめだてして、いらんあだ名を付けられてしまったわい。」
と、基増は後々まで悔しがった。

 この基増は比叡山の幹部の一人で、木寺というところに住んでいたために「木寺」と呼ばれるようになったのである。一方の中算は興福寺きっての俊英だけに、こうした物言いも上手であったと、語り伝えられている。

「木寺の基増、物咎に依りて異名の付くこと。」(巻二十八第八)

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