江戸時代の警察制度

(主に半七捕物帳1−2『石燈籠』,1−5『お化け師匠』,1−6『半鐘の怪』,「マイペディア98」(C)株式会社日立デジタル平凡社によります。)

警 察 機 構 図 ↓

町奉行所

江戸時代の警察機構図  武家地,寺社地を除いた江戸市中の行政,司法,警察,消防などをつかさどり、現在で言えば都庁の役割を果していました。ご存じの通り、北町奉行所・南町奉行所の2つが1ヶ月交代で分担します。その長官である町奉行としては、大岡越前守忠相,遠山金四郎景元,根岸肥前守鎮衛などが有名人です。寺社奉行,勘定奉行と並んで三奉行と呼ばれました。1666年には役料1000俵,1723年には役高3000石,1867年には役金2500両ですから、今で言えば億単位の年収があったということになります。両町奉行配下には与力50騎,同心200人(のち280人)が属し職務を分担しました。

与力

 警察組織の中核になる存在で、4・5人の同心を指揮、捜査活動・治安維持活動に当たるようです。与力という職名は、町奉行の支配下だけでなく、遠国奉行・所司代・大番頭などに付属し,警察,庶務,裁判事務などを担当しましたが、何といっても有名なのは。町奉行支配下の町方与力です。町与力は八丁堀(現在東京都中央区)に組屋敷を与えられ、1719年以降南北各25騎の計50騎で、200石の役高でした。

同心

 与力の下に置かれて、2・3人の岡っ引を指揮、捜査活動・治安維持活動に当たりました。与力と同様、遠国奉行・所司代・大番頭などに付属し,警察,庶務,裁判事務などを担当しましたが、こちらも町奉行支配下の町方同心が有名です。与力と同じく八丁堀に組屋敷を与えられ,定員は江戸中期には南北各100人,幕末には各140人に増員され、通常30俵2人扶持でした。また、与力・同心ともに、抱席(かかえせき=一代限り)を原則としましたが、多くは世襲であったようです。

岡っ引

 正式には小者といい、そのほか御用聞き・目明しともいうこともあります。町奉行所や火付盗賊改などの与力・同心の配下で、実際の犯罪捜査と犯人逮捕のために働きました。実は犯罪人を釈放して目明しとした場合が多いようで、警察機構の末端で権力を濫用することが目立ち、一般庶民には人気がなかったようです。
 「半七捕物帳」によると、岡っ匹は同心から月に1分から1分2朱の金を貰いましたが、これでは到底生活できません。おまけに手先の面倒も見なければなりません。そこでたいていは女房の名前などで、湯屋・小料理屋などの別の商売をやっていました。しかし、先に書いたように「世間からは蝮扱いにされる」ことも、ままありました。
 小説の世界では、我らが三河町の半七のほかに、銭形平次(野村胡堂作),人形佐七(横溝正史作)が有名です。

手先

 岡っ匹の部下として、聞き込み・下調べなどに当たります。半七の手先としては、熊蔵(湯屋熊),松吉(ひょろ松),馬道の庄太などが有名です。

下っ引

 「半七捕物帳」によれば、手先の下を働く人間で、桶職人の源次がそうです。(『お化け師匠』) 何かしら商売を持っていますが、その商売の合間に何か種を上げてくるようです。蔭の人間ですから,決して捕物には出ないそうです。

自身番

 「半七捕物帳」によれば、『自身番』というのは、今の派出所を大きくしたようなものです。各町内に1ヶ所ずつあって、屋敷町にあるのは武家持ちで辻番、商人町にあるのは町人持ちで自身番、俗に番屋です。昔は地主が自身で詰めたことから自身番、後にはそれが1つの株になり、自身番の親方がそれを預かって、他に店番の男が2・3人詰めていたようです。自身番の屋根の上には、火の見梯子・半鐘などがつけられていました。

 

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