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   四国虚無僧行脚

行脚の決心 
2007年、鳥取県鹿野町での町おこし「虚無僧50人行脚」に参加させていただきました。その折虚無僧姿で全国を行脚シておられる先輩諸師のお話を聴き、小生も機会があればと思っていました。過去には明暗寺導師T氏に同行3日間の四国巡礼を経験いたしましたが、殆ど車での参拝でした。又、 ヨーロッパ・ニュージーランド ・ニューヨーク等も虚無僧すがたでしたが、修行と言う意味合いでの行脚ではありませんでした。「いつか本式に」の思いと年齢とのことをこうりょいたしますと、65歳がとりあえず、ラストチャンスかもしれぬと思い、計画をたてていきました。又決心する大きな動機は吹奏法「佛心月影」に巡り合えたことが、一生懸命努力することにより神仏から頂いたご褒美と思われ、そのお礼を兼ねて、又より以上の完成を求めての行脚なのです。

準備に着手
  
 
先ず、奥さんの許可を得るのが先決です。が、いたって簡単に許可がおりました。?・・・・・・
インターネットで巡礼のことを調べると、「四国巡礼一人旅同行二人」という歩き巡礼の案内本があるとのことで、購入。3月暖かくなってから「歩き」の練習をはじめました。もうかれこれ64年も歩いてるので歩き上手だと思ってはいたのですが・・・
先ずは、1日8KMを目安に隔日で気楽にはじめました。今回は1番札所から1ヶ月で行ける所まで・全行程を徒歩で通し、野宿・托鉢・自炊は原則とする、かなりきつい行脚となるよていです。お金はないが、時間はたっぷりということです。虚無僧行脚というよりも、菰僧行脚が妥当かもしれません。
リュックに背負う荷物は10KGを目標としました。これでも2時間歩くとかなりキツクかんじます。1番のネックは「ベッド」です。野宿で地面には寝たくないのです。キャンプ用の簡易ベッドの重量が3.2KGと悩みの種です。そのうちに10KG担ぎ、10KMの歩きは苦にならなくなってきました。ただリュックがカメラ用ですので、登山用のリュックと、運動靴を買いに高槻から大阪本町まで25KMの歩きに挑戦してみました。所要時間5時間で行けましたので、荷物を背負って1日20KMの行程は書く確保できるのではないかとおもえるのです。大阪に住みながら淀川を歩行で渡ったのは初めてでした。このようにトレーニングを続けていたところ、仕事仲間から忙しいので、手伝ってもらえないか?との声がかかり、トレーニング代わりの体力増強と旅費稼ぎの1石2鳥ねらったのですが、4月4日ギックリ腰に!ほんの少しの旅費稼ぎでした。その仲間から4月28日夜から、四国鳴門へ、へら鮒釣りに行かないかと誘われたのです。
之で、出発日が決定いたしました。29日は釣りをして、夜民宿に送ってもらい、釣具等の不要荷物は持ち帰ってもらい、30日から行脚のスタートです。

       
この姿でリュックを担ぎます。安全のために浪人笠か深編み笠にしたいと思っているのですが、
意外と、かさ張り、重たいのです。
京都で会議があるので、歩き の訓練のため朝7時半に自宅を出て京都に向かいました。大山崎から淀の方にでるコースで急ぎ足で12時に中書島に着きましたが、会議に遅れるのでここから電車に乗りました。4時間半で20KM、帰りも6KMほど歩きだんだんと自信をつけてきたのですが、膝の調子に異変を感じたり、腰痛・痛風・足親指の痛みと心配事もでてまいります。4月24日衣装の寸法直しを家内にしてもらい、荷物の最終詰め込みをして計量いたしますと、なんと、17KGもあるのです。これに食料、雑品が追加されると・・・・・・
泣く泣くベッドを諦めることにしました

いよいよ出立
今回の四国巡礼は、入梅まで、あるいは足摺岬までときめての出立です。願掛け
が目的ではなく、「佛心月影」のお礼参りです。もとより、完成してはいませんから、
途中での切り上げは、いかにも相応しいことでもあるのです。

4月28日
へら釣り仲間4人で夕刻6時に夙川を出発!目指すは香川県のダム湖。29日は1日
ヘラブナ釣りをして、帰り道で鳴門1番霊山寺前まで送ってもらうことになっています。
奇しくも、29日は小生65歳の誕生日!仲間から、お祝い・餞別にとエグティヴ鳴門の宿泊・その他もろもろの御接待を受けて幸先良いスタートとなりました。
  
いざ へら鮒釣りに! 

4月30日     1番ー6番 徒歩距離 16.3KM

朝6時30分民宿阿波屋を出立にあたり、虚無僧姿でお礼の演奏「手向」を
今回は「手向」1曲にこだわる修行の旅です。
丁度、韓国の旅行誌取材班が同宿だったようで、音を聞きつけて慌てての取材・撮影と
なりましたが、7時には霊山寺にと心は急ぎます。
   1番 霊山寺
本堂・大師堂での最初の献曲です。間違わずに吹くことの難しさを改めて痛感しました。
雑念が間違いを呼び、無想が間違いを呼び難しいものです。それでも、納経所へ参りますと、ここで、もう一度吹いて頂きたいとアンコールされて1000円の喜捨を受けました。
    
2番 極楽寺       3番 金泉寺        4番 大日寺

  6番 安楽寺  5番を写していなかったようです。ズルした
わけではないのです。多分疲れて、ヘトヘト、歩数も数えてなどと思っていたのですが、
そんな余裕など・・・・・17キロの荷物を担ぎ初日は 16.3KM
納経所は7時から17時まで、なぜかキチンと守られているのです。7番まで近いのですが、宿泊が写真山門2階の鐘楼で無料通夜堂となり、又帰ってこなければなりません。
6500円出せば、宿坊に泊まり温泉(温泉山と別名がある)に入れるのですが、修行・修行と・・・・温泉には宿泊しないと入れてくれないのです。山門内の写真は下に
    内部
今夜の同宿は3人です。老人は小生だけ、2名は若者です。3人が寝るには1人が鐘の
下に寝なくてはなりません。左の青年が京都の整体士S.M君(まさか、この時はこれから10日ばかり行動を共にするとは思いませんでした)所持金16000円で88箇所巡りを
しようというのですから、無謀です。無謀 と、人のことは言えません。小生もクタクタで、
足には早くも豆が出来て、食事を買いに行く気力・体力・余力がないのです。とりあえず、
手持ちの食料で夕食・明朝食を賄う事にしました。もう一人の北海道の青年が、予備食は食パンが良いですよと、教えてくれました。「軽くて、型崩れしても味は変わらない」と
そうそう、すぐ近くに「和三盆」の立派な本社・工場がありました。本日の托鉢2350円

5月1日     7番ー10番ー   徒歩距離 18,9KM
7番十楽寺まで1,2KM、約20分ですが、受付5時までに入らなければお札をおさめられないのです。
いや、印をいただけないのです。どの寺も全くに商業主義に侵されているのです。当然なことですが、
なにもしないでも、努力無しで、馬鹿なお遍路さんがお金を運んで来てくれるのですから、堕落しない方が
難しいことなのです。堕落して当然でしょう。歩き遍路さんは、野宿する遍路さんは、宿坊に泊まらない
遍路さんはみな、お寺の商売に繋がらないから、ありがたくないのです。民宿よりも高いお酒を飲んでくれるお遍路さんがいいのです。歩いて見えるのはそんな坊主の浅ましさだけでした。ついつい横道に逸れましたが、歩き遍路さんの大方の感想でしたので、間違いないでしょう。
    
7番 十楽寺           8番 熊谷寺            9番 法輪寺
昨夜一緒だったS.M君とは今日同じ目的地「鴨の湯」なのですが、お互い歩く速度が違うので
別行動で落ち合うことにして出発!昨夜は蚊に悩まされ、ひょっとしてダニ?かも知れぬ湿疹は古道の草むらで?
    
道中のタバコ葉畑          10番                きゃー333段?
             
7月には友人と鮎釣りの予定 吉野川 下流域          「鴨の湯」善根宿
古道は渡し舟でしたが、今は橋を迂回して             禁酒・禁煙です

「鴨の湯」は町営の温泉ですが建物に隣接して「歩き遍路」のために「善根宿」が設けられています。
写真のように、寝るには充分の無料宿泊施設なのです。これが気に入らないお寺もあるのです。
どこのお寺かは申しませんが、歩き遍路である小生に不満タラタラなのですから・・・お寺の名前
云いましょうか? 有難いのは市井の篤徳家であり、悪徳坊主ではありません。
吉野川あたりで雨にあい、ポンチョの中は汗ずく、足は痛いし、本当に有難いお湯でした。そうそう
入浴料は「歩き遍路」さんは120円値引きの480円なのです。有料ですが、洗濯機・炊飯器もあるのですよ、でも、居心地がいいからと、連泊はできないのですよ。居付かれても困りますものね。
SM君も足を痛めていて明日は歩けないと、泣き が入ります。写真の部屋に3名・隣の小屋に
車遍路の2名が今日のおとまりさんです。金無しのSM君の食事の面倒は小生が引き受けることにしました。虚無僧での喜捨で人様の巡礼の手助けが出来るなら、之もお大師さまの導きです。
その代わり宿の自転車でコンビにまで買い物はSM君のおしごとです。小生は荷物番です。
この、荷物番というのは非常に有難いのです。居なければ、少しの移動でも担いで行かないと危ないのですから、「遍路狩」と言うのが横行しているそうです。なんか江戸時代みたいでしょ。
さて、落ち着いたのですが、明日はかなりの雨が降るとのこと、連泊はできないのですが、SM君の
故障で歩けないということで、今夜予防線を張っておこうと・・・・

5月2日 11番ー12番ー         徒歩距離 17・0KM
S君は朝になって、昨夜の温泉が効いたのか「歩けます」と嬉しい声をあげました。今日は最大の難所「遍路ころがし」といって、ここの歩きで遍路を断念する人が多いことから呼ばれている関門なのです。実は昨夜少々びびりまして、余分な荷物を宅急便で送り返したのです。白地下足袋・楽譜・コッフェルの一部・黒紋付等、少しでも軽くしようと思うぐらいに重量が応えるのです。納経帳も2冊になると意外と重いし、大袈裟も、餉箱もリュック入れなければなりません。(歩いているときは、正式な虚無僧姿ではトテモトテモ、袈裟をはずし、下箱をリュック内に、天蓋は手持ちでないと危険ですし、)山門の前で身づくろいをしてから
となるのです 
先ずは11番、藤井寺は、ほんの1KM先ですから、7時に入ります。ここで、驚くべきことが起こったのです。本堂での献曲が済んで、大師堂での献曲中に閉まっていたお大師様の扉が、ゆっくり、ゆっくり開く出したのです。ゆっくり、ゆっくりと、・・・・遂には、お大師様のお顔の見える幅まで開いたのです。信じられない本当のはなしなのです。最初扉が閉まっていたので、「ここのお寺さんは、お大師さんの扉をあけないで
もったいぶっているな」と思いながら吹き出したのですから、まちがいないのです。念のため先にお参りしたS君にも確認したら、閉まっていましたとの返事を頂きました。でもお寺さんは「あさ全部開きました」とのこと「今日は霊験あらたかで、良いことがありますよ」と喜んでくれました。
 11番 藤井寺
藤井寺を出ますと、裏手からいきなり険しい山道です。ワアー・荷物を送り返して正解。足の痛いS
君は、登りは小生を置いてきぼりで、下りで小生が追いつくの繰り返しです。標高700M・13KMですから
本来ならば、ハイキング程度なんでしょうが、着物・手に天蓋・となると、この、谷・峰・谷・峰がまさに「遍路ころがし」なのです。今までの平地での歩行距離と同じ程度の距離の山道です。なんとしても、5時までに焼山寺に着かなければ、山中での野宿となります。

はるか吉野川流域を望む

焼山寺途中の柳水庵

12番 焼山寺


「遍路転がし」を征服、歩きの自信ができました。これ以上に厳しいところはないそうですから、・・・
杖は皆さんお持ちの杖「同行二人」ではなく、ただの青竹です。昨日、今日を予測して、吉野川でてきとうなのがあったので拾っていました。虚無僧に「杖」は似合いませんからね。少し長かったので切ろうかと思いましたが、下山したときには、1尺も短くなっていました。
焼山寺を出たのは5時半を過ぎていました。まだ、明るいですが、山道の暮れるのは早いと思うと気が焦ります。1時間ほどで最初の人里に出られるというので、強硬に下り始めました。足の痛いS君にとっての下りはかなりキツイようでしたが、想像もつかぬ頑張りです。やがて、薄暗くなる頃に鍋岩地区にたどり着きました。トボトボト歩いていますと、「こんな時間に!食事はもっているのか?」と声を掛けてくれたご婦人が、当然「ノー」です。「待っといで!炊き込みご飯があるから」と2人分のご飯をパックに入れて下さったのが、民宿・食堂の奥さんでした。「野宿できる場所はありますか?」と聞いたら、「今はないが、以前の善根宿の軒下なら、持ち主に声を掛けて」と教えてくれました。お礼に1曲をと、日暮れの中での吹奏・娘さんも出てきて、二人が泣いてくれました。さらにお菓子を持ってきて喜捨を、離れて待っていたS君も大泣きしています。心細い足で、日暮れまで歩き、食事とネグラの目途が立ったところでの「名演奏」ですから、歓極まったのでしょう。実際自分でも最高の吹奏が出来たと思いました。各お寺での献曲でも、お遍路さんから「涙が出ました」と声をかけていただいてましたので・・・ついつい悪乗りして「S君、これからは、四国の女性を泣かして歩くからな、」「何人泣かそうか」などと余裕のふりして、実は自分も泣けてしまったのです。
善根宿の持ち主にお断りを入れるのに「同じことなら中で眠れるよう頼み込もう」と虚無僧姿を整え、持ち主の門前で吹奏、「今は手入れもしていないので、布団にカビがはえているかも?・・・維持費に1000円頂いている・・・・」話は成立 蚊に悩まされないだけでも  と言うのも贅沢なんでしょうが・・・
「S君、タバコを買いにいくから、食事の準備頼むね」と農協前の自販機まで来ると、5月からはタスポの入ることとなっているのです。大阪は6月からなのに!隣の食堂に
置きタバコか、タスポを貸してもらうかと、飛び込むと、ご主人が「7−8本もあれば明朝まで持つだろう」と
下さるのです。お母さんが「お茶飲め、お菓子食べろ」と勧めて下さるのを辞退して、お礼に「明朝、早いですが出立のとき 献曲させていただきたいが、ご迷惑ではないか」と聴いたら「5時には起きているから」
とのこと、宿に帰ると、S君が、持ち主さんが、「笛を吹いていただいたお礼にうどんを届ける}といって来られました。・・・・・・熱々のうどんに、炊き込みご飯、 こんなに美味しい食事を摂れるなんて・・・と、大感激

5月3日  −13番ー14番       徒歩距離  19.7KM
今日は下りがメインですから、小生は楽勝ムードですが、S君には気の毒かも?出立に先立ち先ずは
昨夜のお礼に1曲、お母さんが出てきて、「朝からお腹が痛くて、お大師様にお祈りしていたんだが、一向に良くならないところに、笛の音が聞こえてきて、痛みがスーと抜けていった」と感謝され、お米を丼鉢に一杯「何かに入れましょうか?」「お断りしてはいけないのですが、持ち歩く体力が・・・・・」「ジャー、店の軽いもので、適当なのを持っていきなさい」  昼食のカップ麺を2個有難く頂き「いざ!出立」
前から2人連れの女性が、「どちらへ?」「13番です」「道、間違っていますよ」「えっ!」ほんの5Mほどでしたが行き過ぎていました。多分女性に気を取られ見過ごしたのでしょう。「同方向ですから、ご一緒しましょう」と、有難い申し出を、「我々は、この荷物に、足を痛めた者が・・・」女性が、「私たちは、途中の休憩が長いから、又会いましょう」と先導役に、下りと思いきや、いきなりの登り道に、でも、下りがメインなのだから、と慰めて、・・・休憩中の女性に追いついては、離され、追いついては、離され、・・・・・鮎喰川の沈下橋を渡ったところで、昨日 すれ違ったアベックさんや、他の人達が清流に足を浸けてのんびりと。足の遅い我々が残り9KMの道を5時までに13番に着けるだろうか?否かの瀬都際になるとは!女性の一人は登山家で「遍路ころがし」が如何なるものかと、昨日・今日だけのコースをもう一人に同行したんだそうです。
道理で、健脚!なんと住まいは同じ「摂津富田」!帰ったら皆で富田の飲み屋で乾杯しようと言うことに。
と言うことで、電話連絡がとれる状態での歩き、「今、13番お参りして、彼女は帰りました、ここに泊まるので、到着待っていま〜す。」なんと彼女たちは4時に着いたそうです。我々は5時にも危ないのでは?という
状況なのに、・・・・・・・・でも、なんとか着きました。やっと「遍路転がし」を征服した感じです。
13番  大日寺
でも、今日の我々の目的の善根宿はまだ8KM先なのです。我々の時速は3KM、時間経過とともに遅くなるので、4時間はかかります。その間に14・15・16・17番と4寺も素通りしなければならないのです。
もう5時は過ぎています。ですから、14番まで歩き、明朝7時に14番ということで、14番から善根宿まで
タクシー、明朝、善根宿から14番まで又タクシーで、という苦肉の策、S君は、「それでは、歩きとしての抵抗があります。「臨機応変・臨機応変・・願掛けしているわけでもなし・・日暮れの、野宿探しをするのかえ?」「タクシー代が・・・」「すでに、食事の面倒をみてもらって、余計な心配無用!・・」と妙案に決定
S嬢の見送りを背に14番へと急ぎます。無銭宿にタクシーで乗り付けるのも変なはなしですが、宿の経営はタクシー会社なのです。お礼のご利用?も変ですね、S君の足の養生?も変ですか?いずれにしても
善意にすがることにいたしました。小生は無銭ではないのですよ。楽をしようと思えば出来るのです。が、それでは、「歩き」の意義が、「行脚」の意義がないのではと、極力、原始的にシンプルに行動をしているのです。とりあえずは、14番まで、歩きます。
5時を過ぎたら知らぬ顔の14番
5時を過ぎての献曲にも全く無視・知らぬ顔の14番
栄タクシー善根宿
同宿の写真のお方は、自転車での遍路で、今回は、お不動様だけの33箇所巡礼だそうです。少ない分
次への距離が長くて道案内が不十分で、なかなか、大変だとのこと、身代わり不動のお守りを頂きました。宿の着けば、先ずは洗濯です。一晩で乾かさなければ、湿った着物を歩きながら乾かす物干しにならなければなりません。