2009年2月1日  第121話
       混迷の時代の道標      
                 
     この世のすべてのものは、生滅して、同じ姿をとどめるものはありません、無常です
      この世のすべてのものは、互いに関係しあって、因果にもとずき、縁により存在しています
      この世のすべてのものは、煩悩を滅除し、執着を放れるならば、悩み苦しみのない寂静の境地にいたる
       
        

この世のすべてのものは、みな生滅して、同じ姿をとどめるものなし、無常である

一年は365日、一日は24時間、一時間は60分です。
 時の流れは昔も今も変わらないけれど、最近はなぜか時の過ぎゆくのが速くなったような気がします。アメリカ発の金融不安がまたたくまに全世界に経済不況の嵐として吹き荒れています。情報や物流システムの発達は時間と空間を限りなく縮小させていきます。人間社会で起こっているさまざまな事柄の変化の速度があまりにも速く感じられます。混迷の時代に生きる道標がなければ、人は自分の歩むべき方向を見失ってしまいそうです。

万物は生滅するものです。
 宇宙の無数の星も生滅して存在しています。地球に生きるあらゆる生き物も、微生物も人も生滅して存在しています。人の体をつくっている細胞の一つ一つも生滅しているから、片時も同じ姿をとどめていない、昨日の私と今日の私、明日の私はちがう私です。昨日も今日も明日も変わらない私と思っていても、この世のものはことごとくが移り変わっていきます。瞬時であっても同じ姿をとどめているものは何一つとしてありません、この世はみな無常です。


いつどこで果ててしまうかわからないおたがいの命です。
 大切な伴侶が、子供が、親が、姉妹が、友達が、大好きな人が、大切な人が突然に去っていくかもしれません。明日かも、今日かもしれません。だからこそお互いに大切にしあっていなければいけないのでしょう。日ごろからお互いを大切にしなければ、という心がけが必要です。わかっているけれど、なかなかそういう態度がとれないのです。 
 愛しい人が、信頼し頼りとする人が、ある日突然に亡くなる、現実はそういうものです。だから、いつも愛しいと思い、大切にと、思いやる気持ちを忘れないことです。

命はいつつきるかわからない光陰は矢よりも速やかなり、身命は露よりももろしです。
 日常生活においては、人々は命の儚いことを忘れています。人は死を恐れるから、死がおとずれることなど考えたくもないのです。ところが、いつどこで災難にあって命つきるかわからないのです。病が進行しており、ある日、死の予告を受けることだってありうるのです。これが生きているものの宿命です。
 時の経つのは速く、人の一生は短い。人は誕生の時、この世の空気をはじめて吸って、オギャーと泣き、そして末期に息を吐き終わる、人生は一呼吸、一瞬の如しです。
        
この世のすべてのものは、互いに関係しあって、生かしあって、縁により存在している

この世のものでただ一つだけで存在しているものは、何一つとしてありません。
 宇宙の星も、すべてが関係しあっている。身近な月と地球も引力の関係にあり、潮の満ち引きは月の引力によりおこっている。人は生理的に月の引力に左右されているという。生き物は太陽の光や月の満ち欠けのもとに生きています。そしてすべての生き物も、お互いに何らかの関係があります、たった一つで存在しているものは何一つとしてありません。


生き物のすべてが互いに生かしあっています。
 私たちの地球には三千万種を超える生き物が生存しており、その生き物のすべてがお互いの種の存在を支え合って、互いに生かしあっています。人間も何万年に及ぶ長い人類の軌跡をたどれば民族、宗教、国境などのない地球人であったはずです。自然界の道理にしたがえば、60数億の人類はすべて地球人であり、互いに生かし生かされあわなければいけないのです。


人は植物に生かされ、植物とともに生きています。
 植物は太陽の光で空気中の二酸化炭素(炭酸ガス)と根から吸収した水を使って自分で養分をつくって酸素をはき出します、光合成です。この光合成によってできた酸素を人は呼吸によって体内に吸収し、そして炭酸ガスをはき出します。人は植物に生かされている、植物とともに生きているという関係にあります。
 人も地球生物の一つなのに、人類の欲望が地球環境を破壊し続けています。環境破壊は絶妙な生き物の生態バランスを狂わせ、食物連鎖の環を壊し、循環型の自然を破壊します。とりわけ気候変動をもたらす温暖化対策に人類共通の努力が払われるべきです。

生き方を変えてみませんか。
 
日本人の寿命はのびて、今や人生50年ではなく、人生80年の時代になりました。日数では三万日を生きるようになったのです。人生80年、三万日生きるとすると人間一生、9万食100トンの食料を食べて、水が50bプール四杯半必要です、これが人生です。これは自分の力だけではぜったいに生きられないことをあらわしています。
 人は生かされているから、ことさらに呼吸を意識しませんが、
「いただきます」と空気を吸って酸素をもらい、「ありがとう」と息吐いて、炭酸ガスを返しましょう。何ごとにつけても、
「いただきます」、「ありがとう」の謙虚さが、人生を楽しいものにするでしょう。


この世のすべてのものは、みな因果(原因と結果)の法則によって成り立っている

ごとごとくが原因と結果により成り立っています。
 ものごとの事象に原因のないものはなく、同じく結果のないものもない、原因はかならず結果をもたらし、結果にはかならず原因がある。善きことをすれば善き結果が、悪いことをすれば悪い結果がでる、これはものごとの道理です。悪い結果を嘆き悲しみたくなければ、善き原因をつくることです。善き結果を望むならば、悪しきことをしなければいいのです。これは因果の道理で、この世の法則です。

善き種をまけば、よりよく生きられます。
 
善き結果を望んでいても、時として悪に手を染てしまうことがあります。人間の欲望はとかく目先のことしか理解しようとしません、先のことなど考えないで欲望のおもむくままに行動してしまうから、結果として悲劇を味わうことになるのです。したがってよりよく生きようと思うならば、よりよき結果の芽が出るように、善き種をまくことです。

この世は、みな因果の法則によっています。
 
人の生き方、行動、行為のことを業(ごう)といいますが、その人の生きざま、すなわち業は消えることはありません。その結果である報も、今すぐ出るもの、ずっと後で出るもの、ずっとずっと後で出るもの等、さまざまです。
 最近、凶悪な犯罪が多発しています、世の中の規範となっていた善因善果、悪因悪果という意識が希薄になってきたようです。善悪の判断を軽んじて、ゲーム感覚で悪事をくりかえす若者が多いようですが、子供に善悪を礼儀作法として教えない親が多いからでしょう。因果の道理をしっかり教えることは子育ての基本です。

人は自然の道理にかなった生き方をすべきです。
 人間は天地創造の神を存在させて、この世のことを理解しようとしがちです。ところが人間が現れる以前からこの世は存在していますから、人間の認識で理解しないで自然の道理をそのままに受けとめて、自然の道理にかなった生き方をすべきです。科学技術の発展も、文化も、経済活動も、すべからく自然の道理にあったものでなければ、矛盾が生じます。

混迷の時代の道標・・・道理をわきまえて、生きる喜びを感じる人は、幸せです

孫悟空は自分の愚かさに気づいた時、心の乱れが静まり、生きる希望と勇気を得たのです。
 自意識過剰で自尊心に凝り固まった孫悟空が自己顕示のさまざまなポーズをとって見せるのですが、そのことごとくが三蔵法師の手のひらで動き回っているにすぎないことを知って、自分自身の愚かさに気づくのです。そして孫悟空は三蔵法師の遊行の旅につきそうことになりました。
 自然の道理こそ仏教の神髄です。人間は孫悟空のように万能の力をそなえていると思いこんでいても、しょせん自然の道理によって生かされている生き物の一つにすぎないのです。
 ものごとは常に変化しており、また、それ自体で存在し続けるものはないのに、ずっとあり続けると錯覚し、執着するから、人生は思い通りにならないと悩み苦しんでしまいます。

諸行無常 この世のすべてのものは、生滅して、同じ姿をとどめるものなし、無常である 
諸法無我 この世のすべてのものは、互いに関係し、因果にもとずき、縁により存在している 
涅槃寂静 この世のすべてのものは、執着を放れると、悩み苦しみのない寂静の境地に入る
 私たちは、自然の道理にかなった生き方をしないで、人間の認識で生きていこうとするから、自分のこともわからなくなり、自分の位置も、自分の進むべき方向も見失ってしまうのです。
 人は煩悩による錯覚や執着を放れることができれば、悩み苦しむことなく生きられるお釈迦さまは、自然の道理をわきまえて、生きる喜びを感じる人は、幸せであると説かれました。


自然の道理にかなった生き方こそが生きる道標です。
 ヒト(人)、モノ(物)、カネ(金)が善循環して価値を創造し、経済の実体がかたちづくられます。これらが悪循環して、モノ(物)が極度に不足したり、溢れかえったりして、時には経済が混乱することがありました。ところが近年はカネ(金)が質的に変化し、肥大化した金融が経済を左右するようになると、経済の実体が虚像と化して、泡銭
あぶくぜにが経済をまたたくまに混乱の渦に巻き込んでしまいます。
 今、地球的規模の混乱の渦の中で人々は右往左往しています。現下の経済不況は百年に一度あるかどうかという深刻なものといわれていますが、20世紀の経済恐慌や経済循環とは全く状況が異なります。深刻な世情ですから、人間の認識をもってこの現実を理解しょうとすれば、混迷の世に自分自身の存在までも見失ってしまいそうです。

今生きているから楽しいのです。
 お釈迦さまはご自分の命のほどなくつきることを感じられて、「この世はすばらしい、人生は甘美なものだ」と弟子たちに笑顔で感謝の言葉をかけられたそうです。人間の認識で生きれば、この世は混迷の時代と映る。自然の道理にかなった生き方をすれば、この世はすばらしいところ、人生は甘美なものとなる。
 お釈迦さまは2500年前に80歳という驚異的なご長寿でした。命つきる今際の際まで人々に悩み苦しみのない生き方を説かれました。2月15日はお釈迦さまのご命日です。

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