第119話   2008年12月1日

        
             両忘(りょうぼう)

             心とて 人に見すべき 色ぞなき
                 ただ露霜の 結ぶのみ見て 
道元禅師

     心とはこれであると、人に見せることのできるような、美しいかたちのあるものではない
      霜や露のようにいつとはなしに凝固し、また消え去る、心とはそういうものである



悩みぬいて強くなる

 人はいかに生きるべきなのか、と、だれでも悩むものです。これは生涯の課題であり、生きている限り、人は悩むでしょう。政治学、政治思想史がご専門の姜尚中(カン サンジュン)さんの近著の「悩む力」がベストセラーになっていますが、その悩む力は夏目漱石を通じて養ったと姜さんは語っています。

 姜さんが書いた「悩む力」をテーマにして、NHK教育テレビのETV特集(11月9日)が放送されました。在日コリアンとして常に自己矛盾を抱えて生きてきた姜さんは、夏目漱石に大きな影響を受けられました。漱石を通じて培った“悩む力”の大切さを語る番組で、混沌とした今の時代に生きる私達の心にせまる内容であり、大きな反響があったようです。
 
 現代社会における情報のネットワークや市場経済圏は地球的規模で拡大し、そのスピードは著しく早く感じます。それにともない急激な生活環境の変化が生じて、多くの人々がストレスを感じています。格差は広がり、自殺者も多く、人々の悩みは深刻です。でも、こうした人々の悩み苦しむ姿は100年前の漱石と同じだと姜さんは語っています。

 姜さんの人生のかたわらには、いつも夏目漱石の本があり、漱石の文学に内在するメッセージは、姜さん自身の生き方に大きな影響を与えてきたようです。漱石の作品を通じて培った“悩む力”の大切さを、姜さんは、NHK教育テレビの番組を通じて静かに深く語っていました。そして“悩む力”を手放すことなく真の強さを掴み取る生き方を提唱されています。

悩んでいる間はいいのですが、迷い始めると・・・

 だれでも道がわからず、どうしたものかと、悩んだことがあるでしょう。悩んでいる間はいいのですが、道をたずねる人もなければ、あちこち探し回って、そのうち北も南も東も西も、どちらがどうなのか、自分の今いる場所さえもわからなくなってしまう、そういう経験はどなたにも一度や二度はあるものです。

 道がわからず、どうすればいいだろうかと悩んでいると、頭の思考力まで混乱してしまい、何がどうなのかわからなくなる、こうなるともう悩んでいる程度ではありません。なすすべもわからなくなってしまう、これが迷いというものでしょう。

 青春とは悩み多きものです、恋に悩むのは自分にとって最良の異性を求めようという気持ちがあるからです。よりよき人生を生きようと思うからさまざまなことに悩むのです。でも、人生経験が未熟であるからその場の思いに流れてしまうことも多いのです。流されても、失敗してもそれが学習ですが、青春時代にはそういう心の余裕も、人を見抜く洞察力もまだ身についていないから、青年は悩むのです。

 悩むというのはつらいことですが、それは自己形成をする上で、とても大切なことです。姜さんは、真に知性的な人というのは、物知りな人や情報通の人のことではなく、悩みぬく中で自らの生き方を見出した人だと言っています。


悩むのは生きているからです

 お腹に子供が宿りどんどん成長していくとともに、母親はお腹の子の成長を願い母子一体の幸せ感に満たされます。腹の中で動く子の存在を感じるようになれば、我が子を育てる愛情も深くなっていくものです。やがて臨月をむかえて子を産み、我が子を抱くと、育てる喜びはいっそう強くなり、母親は自分の血を乳にかえて子にあたえ、すくすくと育つことを願うのです。

 でも、子がぐずったり、泣きわめいたりすると母親は気持ちが落ち着かず、また、自分の行動が子のために束縛されると感じると、子の存在がじゃまだとさえ思うようになる。母親の子への虐待が始まることもあり、母子一体の幸せ感がいつしか子の成長とともにしだいに対立したものとなってしまうこともあります。

 人はさまざまな苦の種を宿して生まれてきます。それは、生まれることの苦しみ、老いねばならぬ苦しみ、病むことの苦しみ、死なねばならないという苦しみ、すなわち生老病死の四苦です。そしてまた、愛別離苦・・愛するものとの別離の苦しみ、怨憎会苦・・怨み憎むものとも会わねばならない苦しみ、求不得苦・・得られない苦しみ、五蘊苦・・心身の機能が活発なために起こる苦しみ 。これらを生老病死に加えて四苦八苦ともいいます。悩みは四苦八苦がその根源だとされています。

 悩み苦しみはこの四苦八苦から生じるとしても、この苦というものは生まれながらのものであり、母親のお腹に宿った時からすでに具わっています。この苦とともに生まれて、この苦とともに生きていくことがあたりまえのことなのに、この世に誕生して成長していくとともに、この苦からのがれようとして悩み苦しむのです。ちょうど母親が自分の生んだ子の存在がじゃまに感じるようになり、母子一体の幸せ感を忘れて対立したものとなっていくのと同様です。

悩まなくてもいい

 古来、日本では自然を自ずからと表現したそうで、自然という言葉は古の日本では使われなかったそうです。西洋の文化が日本に入ってくると、人間と自然を対立した見方で理解するようになり、自然という言葉が使われるようになった。
 この世は自然すなわち自ずからの世界であるから、この世に存在するもので対立するものはもともと一切ないはずです。

 対立していると見るのは人間の浅はかな認識によるからです。地位、財産、好き嫌い、捨てるもの、拾うもの、自他のちがいも、この世には存在しないものばかりですから、本来は悩む対象でも何でもないはずです。悩みの対象にならないものまでも自意識すなわち心の働きが、ことごとくを対立したものとしてとらえてしまうのです。

 自然すなわち自ずからの世界に生きているから悩む対象など、もともとないのに、生老病死の四苦をも悩みの対象にしてしまい、自分で悩んで苦しんでしまうのです。人は生きているから悩むのです。四苦はあたりまえのことで、この世は自ずからであると諦めることができれば苦から脱却できる。お釈迦さまは12月8日、明けの明星の輝きとともにこのことわりをお悟りになりました。

 時には心意識の働きをやめて、自分の中心軸をしっかりさせてみましょう。背筋伸ばして耳と肩と鼻と臍が一直線になるように真っ直ぐに坐り、呼吸を整える。坐禅の時は我が儘な自己も、対立する心意識の働きもない、坐禅が坐禅をしているだけです。本来は自分の悩みも悩む自分もないのです。
 大晦日には煩悩の数といわれる108声を打ち鳴らす除夜の鐘があちこちの寺院から聞こえてくるでしょう。来る年が幸せに満たされて、穏やかな歳であって欲しいと願う。

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