「鐘の音」   和尚の一口話              1999年8月1日   

       第七話
         

       
この目の前の現実世界こそが真実です
 

 五百人もの乗員・乗客が乗り合わせたジャンボ機にあわや墜落という危機が迫っていたとは、7月23日羽田発の全日空機が一人の男にハイジャックされた。男は機長を刺殺し、同機の操縦桿を握っていたというからおどろきです。飛行機操縦のシミュレーションゲームの感覚で本物の飛行機を操縦してみたかったというのが事件に至る動機であったのか、用意周到な計画的な犯行だったそうです。

 これは特異な行動をとった男の引き起こした事件にすぎないと言い切れないものがある。そして幼稚くさい大人の犯行だとも片づけられないものがありそうだ。飛行機のみならず船や列車、バスや自動車など、乗物操縦のシミュレーションゲームで自信を持った子供が実際の運転を試みたくなることはごく身近に起こりそうな問題だからです。

 現代の戦争においても、コソボで展開されたNATO軍の攻撃、イラク軍のクエート侵略に端を発した湾岸戦争における米軍を中心とした連合軍の攻撃、いずれも爆撃のシミュレーションが実戦化されたもので、コンピューターの前には命がみえてこないけれども多くの人命が失われていった。

 昨今はシミュレーションばやり、株式投資、金融市場、経営戦略等、そこには生身の人間の生活、汗と涙、喜びや悲しみ、生と死、生きとし生けるものの命など無視された、殺伐とした競争原理があるのみです。これが二十世紀に人間が得た文明でしょうか。

 人類は高度な文明を発展させた。けれども文明の迷路にはまり込んでしまう人も多い。大都市に生活する人々は自然の中に生きているとは言い難く、太陽が沈んだ夜も人の行動は止むことがない。 空調のきいた室内は、外気と都市の喧噪から隔離され、流れる音楽やテレビの画像は一時、現前の世界を忘れさせる。都市交通や通信は時間と空間を限りなく小さくし、現代人の生活空間とライフスタイルの変化は人々の生き方を多様化し、日常、時に実虚像の区別がつかない錯覚を生む。子供は感受性が強いからこのような錯覚にはまりやすい。

 お釈迦様はいつも人々に、今を幸せに他と共に生きよ、そして他を幸せにすることができたならば、自分自身もしあわせである、とも説かれた。人も自然の生き物の一つにすぎないから、この他とは生きとし生けるもののすべてであり、それらを生かしている山河大地、空も海もすべてをさしている。

 この世のあるがままありのままの自然の姿こそが真実でありあるがままとは生き死にの姿であり、ありのままとは一切のものはすべて繋がりをもちしかも、常に変わる、同じ姿をとどめずということです。この道理をわきまえ現前の世界に逆らわずに生きていくことが、正しい生き方に通じると説かれた。

 デジタル情報の進展により虚像の世界に迷い込み、それが現実の世界と見誤る人が多くなるでしょう。あくまでも、この目の前の現実世界こそが真実であり、あるがままありのまま の姿を理解することの大切さがより強く語られなければいけない時代、それが21世紀です。


 山ずみの 友とはならじ 峰の月
      かれも浮世を めぐる身なれば   道元禅師

  厳しい修行の山住まいの身なれば、俗塵をきらうので、
  浮世をめぐる彼の月を友とすることができない。
  けれども観月のこころを詠めば、
  この世をめぐり普く世間を照らす彼の月は、本当に美しい。

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