「鐘の音」   和尚の一口話          20002年12月1日  
         第47話  めざめよう
   
        自分自身の仏心を呼び覚まさずして、幸せを探し求めても、空虚
         なものを追いかけているにすぎない。自分自身の仏心を呼び覚ま
         そうと努力するところに、人生は楽しいものとなるでしょう



 人生には浮き沈みがあります、 喜びがあれば悲しみがある、夢中になれることがあれば、また失望と倦怠感にさいなまれることもある。災難に遭遇することや、大切な人を失い失意に打ちひしがれること、失業の憂き目にあったり 将来に不安を感じることなど、自分をとりまく環境が激変することもあります。

 バブル経済の大波の中で老いも若きも、金を頼りに人々の心は揺れ動きました、そして今、未曾有の長く厳しい経済不況下において、世
の中、金次第、金を頼りに人々の心は揺れ動ごいています。
 人はなんのために生まれてきて、なんのために生きているのだろうか、 執着による迷いの人生から、生き甲斐が感じられる人生へと自覚したいものです。


 人は夢の彼方から生まれてきて、夢の彼方に帰る、 だから人生のことを人と夢とを合わせて儚いという字であらわすのでしょう。人生が一瞬の儚いものであるからこそ、ぼーとして、日おくりをしているとすぐに老いてしまう、 それでしっかりと目を見開いて自分の脚下を照顧せよ、 現前の世界をしっかりと見据えなさい、物事のほんとうのところを見失わないように、いつも眼を見開くこと、すなはち目覚めよとお釈迦様は教えられました。

 おおよそ2500年前 12月8日、成道すなはち大いなる悟りの完成をなされたお釈迦様は、人々に悟りの体験を教えられました。
 姿勢を正して、しっかりと大地に自分の身を整えて、息を整えて、心を整えよ、お釈迦様はご自分の悟りの体験と同じことを教えられました。良く整えし我が身こそ仏なり、人間なりと、お示しになられました。

 
夢の彼方から生まれてきて、物心がついて自分の存在を知る、 そしてやがて夢の彼方へ去っていく、長寿の人であっても振り返ればほんの短い時の流れであったと思うでしょう。 若くして命尽きた人はなおさらでありますが、人生はほんの一瞬かも知れません。 時に喜び、時に嘆き悲しむ、今のこの時を しっかりと我がものとして、過ごしているでしょうか、 時の流れに流されて 無為にすごしていませんか、いずれにしても、時を戻すことはできないのです。

 人生の幸福は、困難に出会い克服することだと言う人がいますが、 苦悩ほど人間の骨を刻り、肉を裂くものはない、 しかし、 この苦悩を乗り越えて生きると
ころに人格のたかまりがあるということでしょうか。苦悩も悠然として受けとめて、楽しみと喜びに変えてしまう、泰然自若の根性を養うことができればよいのですが。

 人の一生は
夢の如き儚いものです、毎日がはじめての今日、初めての私ですから、いつも真実をもとめようと努力する生き方こそが、目覚めであります。この上もなき幸せとは、今、人生に目覚めることです。
 人生、一生修行であり、修行こそが悟りすなはち目覚めであり幸せであります。目覚めようとする心を発すか否かが、人生の幸不幸の分岐点となるでしょう。

    
 
この三昧に遊化ゆげするに、端坐参禅を正門とせり。この法は、人人の分上にゆたかにそなはれりといえども、いまだ修せざるにはあらはれず、証せざるにはうることなし、はなてばてにみてり、一多のきはならんや、かたればくちにみつ、縦横きはまりなし。 
                     
 「道元禅師・弁道話」
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