「鐘の音」   和尚の一口話  20001年7月1日

  第三十話  人と夢、そして   
人は夢の世界から生まれてきて、夢の世界へ帰っていく、
夢路を出て、夢路に至る、人生の旅、
だから、人と夢を合わせて、儚い(はかない)という字がある。
今、心静かに、心豊かに生きる、愉快な人生にしたいものです。
  Remember 生まれた時だれでも言われた筈
   耳をすまして思い出して 最初に聞いた Welcome
  Remember けれどもしも思い出せないなら 
   私いつでもあなたに言う 生まれてくれて Welcome

     ーーー 中島みゆき「誕生」よりーーー 



 だれでも生まれた時 「お誕生おめでとう、よくぞ生まれてきたね」と、喜びの祝福の言葉でむかえられたはずです。でも生まれた時のことなど、 だれも知りません、夢の世界から生まれてきて、オギャアという産声を出した自分を知らないのです、そしてまた、自分の死を自分で知ることもなく、夢の世界へ帰っていく。

 生まれた時のことを知らない自分、自分の死を知ることがない自分があるそんな自分こそが 本当の自分・自分の姿・仏性であると、そして人の一生は儚い夢の如きものだから、今、自己に具わる仏性、真実の自己に目覚めよう、そこに幸せがあると仏教は説きます。


 
成長し物心がついてくるのにつれて、自分そして他人という認識をするようになると、我見でものを見たり判断するようになり、自分の姿や生き方を気にするようになります。そしてこの我見は、生まれた時の自分・本当の姿・仏性とはかなり違った自分に自らを変えていく。

 この我見すなはち自分のあらゆるこだわり・執着心が、自分で自分自身を苦しめ悩ませる、これを煩悩といいます。煩という字は火と頭という字を合わせたものです、燃えさかっているのです、苦しみと悩の根源です。いつも満たされない思いが不安な心・行動となっていきます。


 生きる目標が持てない、人が信じられない、何のために生きているのかを相談する人もいない、現代人の悩みは深刻です。
 苦しみと悩の根源である自分自身の煩悩を良く知り、燃えさかっている煩悩の炎を、自ら消せるかどうかが、幸せの分かれ道です。


 この世に生を受けたことこそ最高の幸せ喜びであります、人の一生は儚い夢のようなものですから、本当の自分・自分の姿に目覚めて幸せに生きることを仏教は説きます。

 世相がいかに混迷したものであろうとも、現在の生活状況が苦しく、心も乱れようとも、真実の生き方に努力し、真実の道を歩いている人を仏という。
心静かに、心豊かに生きる、愉快な人生にしたいものです。
 

  「仏となるにいとやすきみちあり。もろもろの悪をつくらず、生死に
  着するこころなく、一切衆生のために、あわれみふかくして、かみを
  うやまい、しもをあわれみ、よろずをいとふこころなく、ねがふこころ
  なくて、心におもふことなく、うれふる
ことなき、これを仏となずく。
  またほかにたずぬることなかれ。」
 

                      
道元禅師「正法眼蔵 生死」 

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