「鐘の音」   和尚の一口話   2001年6月1日

 第二十九話
  
主人公    

人の一生は、とかくあてにならないことばかりです、それで、
 いつも、満ち足りない思いに心は乱れ、迷い苦しんでいます。
 迷夢を覚ますことこそ、本当の生き方だとさとれば、人生は
 百倍楽しくなる。

   

 
昔、中国に瑞巌師彦という僧がいました、坐禅している時に、自分自身に独り言で「主人公」と呼んでは、「はい」と自分で答えていたそうです。
    「目をさませよ (惺惺著 せせいじゃく)」
    「はい (諾諾 だくだく、目が覚めているよ)」
そして「いつどんなときでも、他にだまされるな」 
    「はい、こころえました」 と自問自答していたそうです。

 この主人公とは、自分自身ではあるが、自分自身たらしめているところの根源、すなはち、仏心・仏のいのち、本来の面目・もともと具わっている真実のすがたのことを「主人公」といいます、だから「自己に目覚めた人」ということになります。自己や我にこだわっている時は、まだまだ主人公があらわれてきません。また、しっかりとした自我をもっていても、それは小さな自分にすぎないので、自我の存在を認めるということは、もうそこに、さまざまな限界を自分自身がつくっていることになります、それで、自由自在に生きられなくしているのです。寝ぼけ眼でなく、真実に目覚めた自己、天地いっぱいの自己こそが主人公です。

 
生まれながらにして、本来、人間には自我というものなどないはずですがないはずの自我が、おのれ自身の自我に固執したり、こだわったりするところから、悩んだり苦しんだり、安心したり、喜んだり、悲しんだり、悲喜こもごもの生活を繰りかえしています。だから時に、争ったり、殺し合ったり、傷つけたり、脅したり、ものの道理が理解できていないから、自分本位に行動してしまいます。
 そして、常に心身が満たされなくて、満足できないことばかりだといっては欲望と不平不満から、苦しみが次の苦しみを生み、またまた次々と苦しみの迷い道にはまりこんでしまい、出口も進むべき道すら見失ってしまう人がいます。


 
人の一生は、そもそもあてにならないことばかりです、それで、いつも満ち足りない思いを抱き、心は乱れ、煩悩に迷い苦しんでいます。
 おのれ自身の自我に迷い、悩み苦しんでいるのが自分自身です、だからいつも「主人公」を呼び覚まし、迷いの根本が何であるかをよく知ることです迷い苦しむ自分自身こそが、本当の自分の姿だとさとることができたならば人生は百倍楽しくなるでしょう。


 この法は、人人の分上に、ゆたかにそなはりといえども、
 いまだ修せざるにはあらはれず、証せざるにはうることなし

                  道元禅師(正法眼蔵・弁道話)

この法とは無上の真実なるさとりであり、もともと具わっている真実の姿
自己にそなわる仏性であるが、何人も、もともと豊かに十二分に具わって
  いる。それにもかかわらず自分にそなわっている自分の仏があらわれない。
 端坐参禅(正しい姿勢で坐る)しないと、それがあらわれない、この身のうえ
     に全分にあらわれたことを証という、実証してみなければ、自分の身につかない。
 
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