「鐘の音」   和尚の一口話   999年12月1日

    第十一話
   坐り直そう   

息を整え、坐り直した時、真実のすがた、仏の道が現れる


 
人の思いは何処へおもむくこともできる、

 されど何処へおもむこうとも、人は自己よりも愛しきものを

 
見いだすことはできぬ、
 
それと同じく、他の人にもすべて自己はこのうえもなく愛しい、
 
されば、自己の愛しいことを知るものは、他のものにも
  慈しみをかけねばならぬ、
  
     (お釈迦さま)


 これは、昔インドのコーサラ国の王パセーナディに、お釈迦さまが道を説かれた言葉です。人の生き方において最高の人間像があるとすれば、それはお釈迦さまでしょう。今を去る二千六百年の昔、ヒマラヤの南、カピラ国に生まれ、仏陀といわれる人間のあり方にまで到達された、この人のことを思う時とても感銘ぶかいことです。

 伝えられているところによると、人生のさまざまな矛盾や苦悶、世の中の有り様において、真実の姿が見出せない苦しみの増す日々であった、遂に大決心されてお釈迦さまは二十九歳にして出家されたそうです。

 六年にわたる苦行により、お身体も枯木のようになり、呼吸も絶え絶えになられた、たどり着かれたガヤの町の風清き菩提樹の下に、柔らかい草を敷いてここに坐禅し「われもし解脱の道を得ずんば此の座を去らず」と決心されて、寂然として内観静思されました。

 あけの明星がまたたきはじめた 12月8日の暁、清く澄み透った瞳をお開きになり ”ああわたしは目が覚めた” お釈迦さまは、目の覚めた自分自身をご覧になりますと、実にすばらしい智慧そのもの、慈悲そのもの、光輝いていました。  

 そしてこの時更に感動されたことは、世の中の誰も彼も男も女も、大人も子供も、そして天地一切のもの、生きとし生けるもののみならず、瓦礫から木っ端にいたるまでも、皆悉く光り輝いていることに感動されたのでしたお釈迦さまは歓喜の中に、じっと坐禅しておられた、お釈迦さま三十五歳の時のことでした。


 お釈迦さまが到達された人間のあり方の高さを仰ぐと、わたくしたちも向上しょうとする勇気がわいてきます。愚かなそして心貧しい生きざまをさらしているわたくしたちも、せめてほんの少しでも向上したいと願い、日々をおくっていきたいものです。

 1999年が終わろうとしている、12月8日はお釈迦さま成道(おさとり)の日です。 (12月8日は、日本が悲しい歴史を残した太平洋戦争へと戦火が拡大する始まりの日でもありました。今世紀の出来事としてこのことも忘れ去られてはなりません) 明けて来年は西暦2000年、急速に変化する時代の始まりデジタル情報時代の到来を前にして、コンピュータの誤作動2000年問題が心配されているとは皮肉なことです。

 変化の急速なる時代になろうとも、地球環境と生きとし生けるもののすべてが、安らぎ、おだやかでありますように、地球人類みんな「心」さわやかで、すこやかに生活できますようにと、この世紀末の12月は、忙中なれど時に坐り直して、願いの日々としたいものです。


 
   
世の中にはやかましい所もあれば、静かな所もある
   自分の心も静かな時とさわがしい時とがある
   息をととのえ坐り直した時、真実のすがた、仏の道が現れる


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