第98話   2007年3月1日
                 
                
智慧

      
摩訶般若波羅蜜多心経は、観自在菩薩の修行と悟りの体験を
      お釈迦さまの弟子である智慧第一と伝えられている舎利子に
      お話しされるというかたちで説かれています。


                                             

摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五
蘊皆空 度一切苦厄
舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是

 観自在菩薩は般若波羅蜜多(悟りの岸に至る智慧)を行じていた時に、この世の現象と心の働きである五蘊
ごうん)は、すべて実体がないもの空(くう)であると見きわめて、あらゆる苦しみや災いを取り除くことができました。
 舎利子よ、この世の現象としてあらわれている肉体および物質的なもの色
(しき)は、ほんとうは実体がないもの空です、この世に存在するもろもろのものを実体のあるものだと思いこんでいますが、実体のない空にほかならないのです。
 空はそのまま色であり、色はそのまま空です、同様に受(感覚)も想(表象)も行(意思)も識(認識)もまたかくのごとくです。


 
水(H2O)は酸素と水素との出会いにより生まれたこのようにすべてのものが出会いによって形あるもの「色」として存在しています。どんなものでも、それ一つだけで存在しているというものはなく、他との何らかの関係において存在しています。
 人がこの世に生まれてきたのは父母の存在があり、父母が出会ったことによるからです。私たちはまた他との関係なくして生きていけません、このように因と縁によってすべてのものは存在しています。

 この世には永遠不変というものはないから、一切のものはみな同じ形を止めない、したがって実体としては仮のもの「空」です、形あるもの「色」は、また、すべて壊れてゆくものですから、したがって「色」は即ち是「空」です。
 私たちは父母のもとに生まれてきたのですが、夢の彼方から生まれて来たようなものです、そしてまた夢の彼方に去っていく。それで左に人、右に夢、合わせて儚いという字にして、人生は儚いという、儚くも夢のような一瞬が人生です。空しいということも宇宙の真実です、これを無常という。

 人体は生滅する60兆個の細胞よりなり、その一つ一つの細胞は宇宙の原子の出会いによって形ずくられている。人体「色」はすなわち、生滅する細胞により形成されていますから「空」です。人は物心ついてはじめてこの世界を認識するのですが、本来は「空」であるから、人はものごとに執着しないものですが、自我の心に執着してものごとを認識しょうとするから、悩み苦しみの元を自分でどんどん生み出してしまうのです、それで苦しみや災いを取り除くことができないのです。
 宇宙の広がりの中にあるこの地球の何処で、どのように生きていけばいいのでしょうか。人生は泣き笑いです、悩み苦しみながらも、また喜び楽しんで生きています。さまざまな人々と関わり、生きとし生けるものともどもに命を子孫につなげていく、人生とはそういうものでしょうか。

舎利子是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減
是故空中 無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意 
無色声香味触法 無眼界乃至無意識界
 
 舎利子よ、この世のすべてのものには実体がない、空という特徴があります、だから新たに生まれるということもなく、滅することもない、生まれながらに汚れていることもなく、生まれながらに浄らかであるということもない、増すこともなく減ることもない。
 このように実体がないのだから受も想も行も識もない。六種の知覚・感覚のもとである六根(眼耳鼻舌身意)もなく、認識作用の対象である六境(色声香味触法)もない。
六識である眼識もなく、意識すなわち、ものごとを見分ける心の本体もない。
                            
 人は自分の力で生きているようですが、ほんとうは生かされているのです、寝ている時にも臓器は動いているから、自分の意思にかかわらず腹も空くし、爪も毛も伸びる。生かされていると思えばよいのですが、自分の意思のおもむくままに生きようとするから、貪り、怒り、愚かさという欲が頭をもたげる。

 ものごとの認識においても、自分にとって都合のよい、自分勝手な受けとめをしてしまいますから、ありのままの実体として認識していない、ものごとの本質が理解できていないのです。
 自分という生命体に素直な生き方をすべきところ、私たちは自我の欲望のおもむくままに利己的な生き方をしているから、自分自身で悩み苦しんでしまいます。悩み苦しみが解消されずに重なり蓄積していくと心身の不調をきたします。生かされている自分の本性である(仏性)に気づき、悩み苦しみを払拭した生き方をしたいものです。

 人は生かされているから、ことさらに姿勢や呼吸を意識しない、けれども欲のおもむくままに生きているからつまずきます。真っ直ぐ背筋伸ばして、呼吸を整えますと、人生いかに生きるべきか、周りや、すすむべき方向がよく見えてきます。
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無無明亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道
無智亦無得 以無所得故 菩提薩捶 衣般若波羅蜜多故
心無罣礙
 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃
三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提

 迷いの根本である無明(無知)もなく、また無明の尽きることもない。老いて死ぬという最大の苦しみもなく、老いて死ぬ苦しみが尽きてなくなることもない。苦しみも、苦しみの原因である欲望も、苦しみを滅することも、苦しみを滅する方法もない(苦集滅道)。
 般若波羅蜜多(悟りの岸に至る智慧)の実践は、得るところを求めたり願ったりするのでなく、無所得無所期の行であるから、得るとか得ないとかの執着もなければ、悟りの智慧も、また正しい解脱を得ることにも執らわれない。
 悟りを求める求道者・人生にめざめた人は般若波羅蜜多によって心を束縛するものがない、心に束縛がないから恐怖がない、あらゆるものをさかさまに見たり、ないことをあると思ったりしないから、妄想を離れて悟りの世界にある。
 過去現在未来のすべての仏たちも般若波羅蜜多によって、最高の正しい悟りを得られたのです。
  

 人は健康で長生きであることを願うから、すこしでも効果があればと「納豆を食べると血栓が溶けて血液がサラサラになり若返る、ダイエット効果まである」と聞けば嫌いな人でも買って食べようとする。マイナスイオンが体にいいと電気製品にその効果を認めて満足する。彼と彼女が出会ったことも、好きも嫌いも、血液型性格判断で判定しょうとします。
 これらは科学的になんの効果も認められていないのに、人々は何ごとにつけてもこういうことに、つい心動かされてしまうのです。

 いたずらに過ぎた歳月を悔やみ、また老いを嘆くけれど、老いてはじめてわかることも多い。孔子の言葉に「吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑はず、五十にして天命を知る、六十にして耳順ふ、七十にして心の欲する所に従いて、矩を踰えず」とありますが、年齢を重ねるほどに味わい深いものもある。清貧の生活に美を識り、少欲知足に満ち足りた楽しさを味わい、損を吸って得を吐く、そういう生き方に安らぎを感じることができるのです。

 人生が一瞬の儚いものであるからこそ、ぼーとして日おくりをしていると、すぐに老いてしまいます。人生の最後に至ってもなを、この世に人に生まれてきた勝縁を喜べないならば、それはつまらない人生です。今、目を見開いて現前の世界をしっかりと見据えて、とらわれず、こだわらずに、目覚めよと、お釈迦様は教えられました。

故知般若波羅蜜多 是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多咒 即説咒曰
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経


 それゆえに悟りの岸に至る智慧であるところの般若波羅蜜多は大いなる悟りの真言です、無上の真言はあらゆる苦しみや迷いを取り除くものであり、真実で偽りがない。その真言は次のように説いています。
 「自らも苦しみと悩みの海を渡って、悟りの岸にわたり、他の人々をも渡らしめ、この世のすべての人を彼の岸に渡し、ともどもに正しきめざめの道を成しとげんことを」
 観自在菩薩は般若波羅蜜多の修行と悟りの体験を舎利子に、このように語り聞かされたのです。
                                

 日々悩み苦しみのある生き方をしている私たちだからこそ、悩み苦しみのないところがあちらの岸、悟りの岸だということが、おぼろげながらも理解できそうです。すなわちこの上もなき幸せとは、悩み苦しみのない生き方であり、今そのことに目覚めることです。
 自分自身の仏心に目覚めなくして、他に幸せを探し求めても、空虚なものを追いかけているにすぎません。

 永遠不変というものはないから、ものごとのありさまは、ことごとくが「空」です。実体としては無であり、しかも仮のものだから、とらわれたり、こだわったりする対象も本来は存在しないのです。けれども凡夫の私たちは何ごとにつけても、とらわれたり、こだわったりして、ものごとの本質を離れて迷うのが常です、般若心経の「空」とはその迷いを離れることです。
 そしてまた、自らが幸せになろうと思うならば、他を幸せにすることです、他を幸せにしなければ自らの幸せもない、これも真実です。

 この世は美しい、人生は甘美なものです、生きていることはなんと楽しいことでしょう。
ものごとをありのままに見、あるがままに生きる智慧は、より良き生き方をしようとする修行の一つです。般若心経は本文が漢字で、わずか262字という短い教典ですから、人生の道標として唱え続けたいものです。
 



青色文字は摩訶般若波羅蜜多心経の意訳

摩訶 
量り知り極めることのできない大きさ・深さ・広さ
般若 
仏菩薩の智慧
波羅蜜多 
悟りの岸に至る智慧
五蘊
 存在するものの五つの要素、色・受・想・行・識
六根
 知覚、感覚のもと、眼・耳・鼻・舌・身・意
六境
 認識作用の対象、色・声・香・味・触・法
六識 
眼・耳・鼻・舌・身・意の6種の識・根・境・識の和合によって認識される
十二因縁
 無明(迷いの根本の無知)、行(無明からなした善悪あらゆる行動)、
    識(それの識別作用)、名色(識別作用を行う心と身体)、六入(眼・耳・鼻・舌・身・意)、
    触(感覚を触発する刺激)、受(色・声・香・味・触・法)、愛(強い欲望)、
    取(欲するものへの執着)、有(生存)、老死(老いて死ぬ)の十二
苦集滅道
苦」苦の認識・「集」苦の起源を知る・「滅」苦の消滅・「道」苦の離別の方法

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