第61話   2004年2月1日

     何が、幸せ

 益なき 千の言葉より
 心の安らぎを得る 一言こそ
  命の言葉なれ
      〈ダンマパダ・100〉


ホー  ホケキョウ!
”法・・・・法華経”
                                           
       人生を、百倍楽しく生きるために・・・日常の心得


 雪や氷がとけたら春になる、もうすぐウグイスの声も聞かれるでしょう、ホーホケキョウは、
”法・・・・法華経”とも聞こえるでしょうか。
 人は誰でも孤独です、愛する人がいる、頼れる人がある、信頼できるパートナーがいる、
家族がいるからといっても、所詮、人は誰でも自分一人だけ、一人ぼっちです。
 愛と希望があれば人は生きていけるというけれど、自分で自分を見失ってしまいそうな時
がありませんか、幸せな人生を生きる道標として、何をよりどころとして生きていけばよいの
か、進むべき方向さえも見つけられずに、不安な日々を過ごすこともあるでしょう。
 人は何が幸せであり、どのような時に幸せだと感じるのでしょうか。はっきりいえることは、
だれでも絶対に死ぬということです、だから自分が生き甲斐を感じる時が、幸せでしょうか。
 お釈迦さまの教えるところは、人は救われる仏から、救う仏になれ、ということですから、
仏教は仏の教えであるとともに、仏となる教えです。成仏することが無上の幸せであり、どう
すれば幸せになれるのかという教えです。
 お釈迦さまは人々に、幸せな生き方ができるよう戒を授けられました、人の生き方の基本
を説かれたのです。しかし今日ではこの戒を授かり、仏教帰依者である自覚を持って、人生
を歩もうとする人が少ないようです。
 「上来三帰、三聚浄戒、十重禁戒、是れ諸仏の受持したまう所なり」 と、道元禅師はお説
きになっています。戒とは良い習慣のことですから、日常生活において三帰戒、三聚浄戒、
十重禁戒を日常の心得
良い習慣として身につけ、仏に目覚めることが無上の幸せである
この願いを発
(おこ)し、安心の生き方をしたいものです。


     お釈迦さまの教えが語られた古い教典である、スッタニパータ(経集)と、
     ダンマパダ(法句経)より、懺悔文、三帰戒、三聚浄戒、十重禁戒の意味を
     あらわしているであろう ”ことば” を、選んでみました。


 
     人の生を受るは難く、やがて死すべきものの、今、生命あるはありがたし、
    正法を耳にするは難く、諸仏の世に出ずるも、ありがたし。 〈ダンマパダ・182〉



    おのれ悪しきを作さば、おのれけがる、おのれ悪しきを作さざれば、おのれ清し、けがれと清浄とは、
    すなわちおのれにあり、いかなる人も、他人をば清むる能わず。  
〈ダンマパダ・165〉

                        さんげもん
   
               懺悔文  

          我、昔より造りしところの諸々の悪業
(罪、悪いわざ)
         
皆、無始の貧瞋癡(むさぼり、いかり、おろかさ)による
         
身口意(からだ、くち、こころ)よりの生ずるところなり
         
一切、我、今、懺悔したてまつる


       

  
経文(みおしえ)を口にそらんじ、まこと少分(わずか)なりとも、身に行うこと法(のり)にかない、貧瞋癡
(むさぼり、いかり、おろかさ)
をすて、智恵は正しく、心よくほどけとき、この世にも著
(じゃく)せず、かの世
にも執
(しゅう)せざるもの、彼こそは沙門(ひじり)の列に入らん。  〈ダンマパダ・20〉

 口
ことばをつつしみ、意(おもい)をととのえ、身(からだ)は不善(あしき)を作さず、この 三つの形式
(かたち)によりて、おのれをきよむべし、かくして、ひじりの説ける道を得ん。  〈ダンマパダ・281〉

    
さんきかい
     三つの帰依の信仰  

 仏(さとれるもの)と、真理(まこと)の法(のり)と、和合(ひじり)の集(あつま)りとに、帰依するものは、
正しい智慧
(ちえ)をもって、四つの聖なる真理(しんり)を見る。 
〈ダンマパダ・190〉

南無帰依仏(なむきえぶつ)・・・最高の人格である仏に帰依し、真理を求め生きる
     ・・・ 仏は是れ大師・・・・・・・ならびなき無上のみ仏に帰依します
南無帰依法(なむきえほう)・・・まことの法に帰依し、真理の教えに生きる
     ・・・ 法は良薬・・・・・・・・・・・あやまりなき清浄のみ教えに帰依します
南無帰依僧(なむきえそう)・・・道を求める僧に帰依し、和合して生きる
     ・・・ 僧は勝友・・・・・・・・・・・争いなき和合のみ弟子に帰依します

 おのれこそ、おのれのよるべ、おのれをおきて、だれによるべき、よくととのへられし、おのれこそ、まことえ
がたき、よるべをぞ得ん。
  〈ダンマパダ・160〉

 
善くなさるべき法を修めよ、悪しくなさるべき法をやめよ、法に従いて行ずる人は、この世においても、また
ほかの世においても、こころよく休らわん。
 〈ダンマパダ・169〉

 悪しき友と交わるなかれ、いやしき人をも侶
(とも)とせざれ、こころ清き友と交わるべし、上士(まされる)を侶
とせよ。
  〈ダンマパダ・78〉

    さんじゅじょうかい
三聚浄戒   
  三つの清らかな誓願

   もろもろの悪しきをなさず、もろもろの善きを行なう、おのれの心を浄くす、これ諸仏の教えなり。
                                                     〈ダンマパダ・183〉

しょうりつぎかい
第一摂律儀戒・・・すべての不善を為さない・・・・・悪いことは誓っていたしません

 悪しきことを作す者は、ここに憂いかしこに憂い、ふたつながら共に憂う、おのれのけがれたる業
ふるまい
を見て、彼は憂い、彼はなやむ。  〈ダンマパダ・15〉


 
たとえ、悪をなしたりとも、ふたたびこれを、なすことなかれ、悪のなかに、たのしみをもつなかれ。悪、積も
りなば、耐えがたき苦しみとならん。  
〈ダンマパダ・117〉

しょうぜんぼうかい
第二摂善法戒・・・あらゆる善行に励む・・・・・・・・・良いことは誓っていたします

 善きことを作す者は、こころによろこび、かしこによろこび、ふたつながら共によろこぶ、おのれの、きよら
なる業(ふるまい)を見て、彼はたのしみ、彼はよろこぶ。  〈ダンマパダ・16〉

 もしひと善きことをなさば、これをまたまたなすべし、善きことをなすに、たのしみをもつべし、善根をつむは、
幸いなればなり。 
 〈ダンマパダ・118〉

しょうしゅじょうかい
第三摂衆生戒・・世のため人のために尽くそうと誓う・これ仏の教え、人の生き方なり

 あたかも母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、
無量の慈しみの心を起こすべし。
  〈スッタニパータ・149〉

 
全世界に対して無量の慈しみの意を起こすべし。上に下にまた横に、障礙なく怨みなく敵意なき慈しみを
行うべし。  
〈スッタニパータ・150〉

    じゅうじゅうきんかい
    
十条の戒めの実行

   まこと、いろうるわしく、あでやかに咲く花に、香りなきがごとく、善く説かれたる語(ことば)も、身に行わ
   ざれば、その果実(このみ)なかるべし
〈ダンマパダ・51〉

第一不殺生戒・・・・・生命あるものをことさらに殺すことなかるべし
 ふせっしょうかい     生きとし生けるものの命は互いを生かしめるから尊い

 
生きものを(みずから)殺してはならぬ。また(他人をして)殺さしめてはならぬ。また他の人が殺害するの
を容認してはならぬ。世の中の強剛な者どもでも、またおびえている者どもでも、すべての生きものに対す
る暴力を抑えて。  〈スッタニパータ・394〉


 「かれらもわたくしと同様であり、わたくしもかれらと同様である」と思って、わが身に引きくらべて(生きもの
を)
殺してはならぬ。また他人をして殺させてはならぬ。  〈スッタニパータ・705〉


第二不偸盗戒・・・・・与えられないものを手にすることなかるべし
  ふちゅうとうかい     盗んではいけないと思う自分の心までも、なくしてはいけない

 
次に教えを聞く人は、与えられていないものは、何ものであっても、またどこにあっても、知ってこれを取る
ことを避けよ。また(他人をして)取らせることなく、(他人が)取り去るのを認めるな。なんでも与えられていな
いものを取ってはならぬ。   〈スッタニパータ・395〉

 盗みを行ってはならぬ。虚言を語ってはならぬ。弱いものでも強いものでも(あらゆる生きものに)慈しみを
以て接せよ。心の乱れを感ずるときには「悪魔の仲間」であると思って、これを除き去れ。
〈スッタニパータ・967〉

第三不邪婬戒・・・・・道ならざる愛欲を犯すことなかるべし
 ふじゃいんかい      (邪)よこしまな、(婬)みだらな行いはつつしむべき

 
邪婬の人は悪しき名を得、おもむくところは悪処なり、他(ひと)の婦と娯(たのし)むなかれ、畏(おそ)れ
つつたのしむは何のよろこびぞ、さらに王は重罰を加うるなり。  〈ダンマパダ・310〉

 女に溺れ、酒にひたり、賭博に耽り、得るにしたがって得たものをその度ごとに失う人がいる、おのが妻に
満足せず、遊女に交わり、他人の妻に交わる、これは破滅への門である。  
〈スッタニパータ・106〉

第四不妄語戒・・・・・・いつわりの言葉を口にすることなかるべし             
 ふもうごかい        (妄り)みだりになることは、うそいつわりの言葉からなり

 
立派な人々は説いた、最上の善いことばを語れ、これが第一である。正しい理(ことわり)を語れ、理に反
することを語るな、これが第二である。好ましいことばを語れ、好ましからぬことばを語るな、これが第三であ
る。真実を語れ、偽りを語るな、これが第四である。  〈スッタニパータ・450〉

 自分を苦しめず、また他人を害しないことばのみを語れ。これこそ実に善く説かれたことばなのである。
 安らぎに達するために、苦しみを終滅させるために、仏の説きたもうおだやかなことばは、実に諸々のこと
ばのうちで最上のものである。  〈スッタニパータ・451,454〉

第五不酉古酒戒・・・・酒に溺れて生業(なりわい)を怠ることなかるべし         
 ふこしゅかい       自身で溺れたり、他に翻弄されたりして自分を見失なわない 

 
また飲酒を行ってはならぬ。この(不飲酒の)教えを喜ぶ在家者は、他人をして飲ませてもならぬ。他人が
酒を飲むのを容認してもならぬ。これはついに人を狂酔せしめるものであると知って。
 けだし諸々の愚者は酔いのために悪事を行い、また他の人々をして怠惰ならしめ、(悪事を)なさせる。この
禍いの起こるもとを回避せよ。それは愚人の愛好するところであるが、しかし人を狂酔せしめ迷わせるもので
ある。
  〈スッタニパータ・398,399〉

 さらにまた、スラー酒、メーラヤ酒に、ふけりおぼれなば、彼はこの世にて、おのれの根を掘るものなり。
                                                    〈ダンマパダ・247〉

第六不説過戒・・・・・他人の過(あやまち)を責めたてることなかるべし
 ふせっかかい       自分のことはさておいて、他人の(過ち)あやまちをとがめな

 
他人の過失は見やすいけれども、自分の過失は見がたい。人は他人の過失を籾殻のように吹き散らすが、
自分の過失は、隠してしまう、悪賢い賭博師が不利な骰(さい)の目をかくしてしまうように。 〈ダンマパダ・252〉

 他人の過失をみるなかれ、他人のしたこと、しなかったことを見るな。ただ、自分のしたこと、しなかったこと
だけをみよ。  
〈ダンマパダ・50〉

第七不自讃毀佗戒・己を誇り他の人を傷つけることなかるべし                   
 ふじさんきたかい    慢心は人間関係を(毀)こわすなり

 
自分をほめたたえ、他人を軽蔑し、みずからの慢心のために卑しくなった人、彼を賤しい人であると知れ。
                                                    〈スッタニパータ・132〉


等しいとかすぐれているとか、あるいは劣っているとか考える人、かれはその思いによって論争する
であろう。しかしそれらの三種に関して動揺しない人
かれには等しいとかすぐれているとか、あるいは
劣っているという思いは存在しない。  〈スッタニパータ・842〉 

第八不慳法財戒・・・物でも心でも施すことを惜しむことなかるべし
 ふけんほうざいかい   財や物、心でも(慳)おしむことなく他に施したい

 今の人々は自分の利益のために交わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益をめざさない友は、得難
い。自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。犀の角のようにただ独り歩め。  
〈スッタニパータ・75〉

 人が「これはわがものである」と考える物・・・それは(その人の)死によって失われる。われに従う人は、賢明
にこの理(ことわり)を知って、わがものという観念に屈してはならない。
 わがものとして執着したものを貪
(むさぼり)り求める人々は、憂いと悲しみと慳(ものおしみ)とを捨てることが
ない。それ故に諸々の聖者は、所有を捨てて行って安穏を見たのである。  
〈スッタニパータ・806,809〉

第九不瞋恚戒・・・・・怒りに燃えて自らを失うことなかるべし
 ふしんいかい      (瞋)目でいかり、(恚)心でいかることなく、やさしくありたい

 
怒りを捨てよ、慢心を除き去れ、いかなる束縛をも超越せよ、名称と形にこだわらず無一物となった者は
苦悩に追われることがない。  〈ダンマパダ・221〉

 その身をつつしみ、そのことばをつつしみ、その意(おもい)をつつしむ、これらの人こそ、おのれを護る賢者
とはいう。〈ダンマパダ・234〉

第十不謗三宝戒・・・仏法僧の三宝を謗(そし)り不信の念を起こすことなかるべし 
 ふぼうさんぼうかい    仏法僧の三宝を(謗)そしることなかれ

 諸仏のあらわれ給うはたのし、正法を説くもたのし、僧衆(ひじり)のこころ一つなるもたのし、和合衆(こころ
かなうもの)の道にいそしむも、またたのし。  
〈ダンマパダ・194〉

 浄戒
(いましめ)と、正見(ただしさ)をそなえ、法(のり)に依りて生活(くら)し、真実(まこと)をかたり、自らそ
の業(わざ)をなす人、世は、かかる人をこそ、愛するなり。  〈ダンマパダ・217〉


      前には、放逸なりし人も、やがて後に、はげみ深き人は、
     まこと雲を離れたる月のごとく、この世間を照らさん 
〈ダンマパダ・172〉

  (スッタニパータは中村 元訳、ダンマパダは友松圓諦・松原泰道・藤吉慈海各老師の著書を参照)
   

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