集中講義に関する一考察



井川 信孝




第1章 はじめに

 本稿は、集中講義とはなにかという質問に対しての回答の一部になればというところから出発したものである。ただ、いろいろと書物にあたり、調べれば調べるほど、抜け出せなくなるのは、世の常である。それを承知で、余計なことは考えずに、法学部出身の私らしく、集中講義についての教育法学的考察を進めていくことにする。




第2章 集中講義とは

第1節 授業期間

 大学設置基準第22条で、「1年間の授業を行う期間は、定期試験等の期間を含め、35週にわたることを原則とする。」と定められている。後述するが、単位認定には、30週を満たせばよいことになるが、前期末、学年末に行う定期試験、追試験、再試験や休講に対する補講、学園祭等の期間を含めて、35週を原則としている。

 各授業科目の授業期間については、「各授業科目の授業は、10週または15週にわたる期間を単位として行うものとする。」(同23条前段)と定められている。10週を単位とするのは、3学期制を念頭におき、15週にわたる期間を単位とするのは、前期・後期の2学期制を念頭においている。

 ただし、「教育上特別の必要があると認められる場合は、これらの期間より短い特定の期間において授業を行うことができる。」(同23条後段)と定めている。これは、例外規定であり、外国語の演習、体育実技、芸術における個人指導における実技指導など短期間の履修で高い効果が期待できる授業について、集中講義や実技合宿など短期間での授業の実施を可能とするための規定であるとされている。つまり、集中講義については、大学設置基準23条後段に基づく形態である。


  
  

第2節 単位

 単位については、「各授業科目の単位数は、大学において定めるものとする。」(同21条1項)と定められている。つまり、各授業科目の単位数は、大学に委ねられている。

 というものの、各大学が各授業科目の単位数を決める基準として、「単位数を定めるにあたっては、1単位の授業科目を45時間の学修を必要とする内容をもって構成することを標準とし、授業の方法に応じ、当該授業による教育効果、授業時間外に必要な学修等を考慮し」(同条2項)て、「講義及び演習については、15時間から30時間までの範囲で大学が定める時間の授業を持って1単位」(同条同項1号)とし、「実験、実習及び実技については、30時間から45時間までの範囲で大学が定める時間の授業をもって1単位とする。ただし、芸術等の分野における個人指導による実技の授業については、大学が定める時間の授業をもって1単位とすることができる。」(同条同項2号)という規定が存在する。ただし、「前項の規定にかかわらず、卒業論文、卒業研究、卒業制作等の授業科目については、これらの学修の成果を評価して単位を授与することが適切と認められる場合には、これらに必要な学修等を考慮して、単位数を定めることができる。」(同条同項3号)と定め、卒業研究等の授業科目については、各大学に委ねている。

 大学設置基準第21条より、講義及び演習については、1コマ・2時間・30週で4単位、1コマ・2時間・15週であれば、2単位を認定、実験、実習及び実技については、1コマ・2時間・30週で2単位を認定するのが一般的となっている。


 
  

第3節 集中講義

 集中講義とは、毎週講義をするのではなく、夏期休暇期間を利用して、一定期間の間に、集中して講義を行う授業形態をいう。4単位の講義を集中講義の形態で行おうとすれば、一定期間の間に、30コマ程度の時間数が必要となることは言うまでもない。30コマというのは、1日5コマをこなしたとして、6日間を必要とする。つまり、朝9時から夕方の6時までに講義を1週間ということである。教員・学生ともに非常にしんどいのは言うまでもないであろう。

 毎週講義をするという講義形態が基本であり、集中講義が例外的な講義形態である。毎週講義をするという基本的な講義形態でなく、集中講義という例外的な講義形態で行う理由としては、科目の特質等によるものというよりは、教員の都合がほとんどであろう。集中講義が行われる理由のほとんどは、非常勤教員が本務校での業務が忙しく、毎週講義に来ることができないことか、住所地が遠方で、毎週講義に来ることができないかのどちらかである。立地条件の悪い大学では、無理にお願いしている兼務教員も多く、集中講義を避けることが難しいのが現状である。



  

第3章 おわりに

 第1節でも述べたが、あくまでも、集中講義は、教育効果を目的とした講義形態であり、教員の便宜を図る趣旨で設けられた講義形態でない。これは、特筆すべきことである。現状としては、大学設置基準第23条が拡大解釈されているといえる。

 立地条件等をかんがみると、教員の都合によるものであるが、集中講義となる科目が存在することは、仕方がないと考えざるをえない。教員の都合による集中講義を否定すれば、立地条件の悪い大学では、不開講科目が増えるだけである。それは、明らかに、学生のためにはならない。ただし、本来の集中講義を認める理由を充分理解しておくことは必要である。

 集中講義についての考察が充分できたかは、甚だ不安であるが、私自身、一歩前進できたことは確かである。これを機会にその他の問題についても考察を試みたいと思う。


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