(1991年8月)
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京都クラブ(JA3YAQ)の行事としてトンガから運用しました。私にとっては、初 めての海外からの運用です。 トンガへの道のりはトラブル続きでした。深夜、京都から成田空港へ向かう我々 を迎えていたのは名神高速道路の事故渋滞。岐阜県内で約2時間の立ち往生 でした。ようやく成田に到着した我々は、のんびりとチェックインの時間を待っていた のですが、いざ搭乗手続きが始まると機内預け荷物の重量オーバーが発覚。1 人あたり20kgのところを7人で計200Kgを超えており、当然のことながら超過 料金を請求されました。そんなお金を持ち合わせていない私たちは、急きょロビー で荷物をほどき、余分な無線機を京都に送り返しました。みんな汗だくでした。 フィジー経由で何とかトンガまでたどり着いたわれわれは、早速手分けして運 用の準備に取りかかりました。 |
トンガの首都ヌクァロファで見かけた 新阪急タクシー
コンディションは決して良いとは言えませんでしたが、時にはアメリカ東海 岸やヨーロッパからのパイルアップを受けることができました。また誰も運用 経験のないRTTYも何とかクリアしました。50MHzでは幸運にもJAがオー プンしました。 宿泊先のセーラーズ・ゲストハウスは海岸から離れた街外れにあります。 決して無線の運用に適した宿ではありませんでしたが、セーラーおばさんを はじめとする宿のご家族は非常に親切で、まさに「フレンドリーアイランド」を 実感することができました。 帰国途中、フィジーから成田への飛行機でもトラブルが・・・。リコンファーム してあるにも関わらず、パシフィックエアの空港カウンターでは、コンピュータ のディスプレイに私の名前がありません。困惑した私に係員が搭乗券を発 券してくれましたが、他のメンバーとはずいぶん離れた座席でした。しかし、 この搭乗券に書かれていた座席は、何とビジネスクラスのものでした。 こ の飛行機は成田への直行便のはずでしたが、機体のトラブルで途中グァム に立ち寄りました。結局10時間以上も遅れて成田に到着しましたが、ビジ ネスクラスの私は快適に過ごすことができました。エコノミーのみなさんは、 散々だったようです。 |
![]() トンガの女子高校生と… ![]() フィジーの砂糖きび列車 |
A35LIのQSLカード