・2006/10/06-10/15 収穫の秋、巨大低気圧と共に北上してきました
夫婦揃って2年3ヶ月ぶりに北海道に行ってきました。
太平洋側に台風が接近していたので、日本海側は影響が無いだろうと安心していたのに、乗船手続き窓口で到着港が小樽から苫小牧東に変更されたと聞き、旅の始めから思いやられます。
以前、年末年始の年越しや2月の流氷のシーズンは荒れ狂う日本海は当たり前で真っ黒な海と空、船尾を見ると海が見え隠れするほどの ウネリ は山ほど経験しているので船酔いすることは無いのですが、乗り物酔いに弱い奥さんが心配です。
沖合いに出ると、更に波や ウネリ が激しくなりました。
乗船中にすることと言えば、
1.ひたすら寝る
2.延々食べる
3.朝から酒を飲む
4.風呂に入る
5.船内で知り合った見知らぬ人と北海道談義の後、持ち寄った酒と肴で大宴会
に尽きますが、今回の船旅では風呂は閉鎖で写真のようにエレベーターも動かず、レストランも営業中止です。
数年前から全ての船が高速船に変わってから、ロビーやデッキなどの船内の共有スペースも狭くなり、先述の 5 の見知らぬ人と意気投合して話をすることも無くなってきました。
本来なら20時30分に小樽港に着く筈が、大幅なスケジュール変更で23時45分に苫小牧東港に到着しました。
フェリーの旅で入港1時間ほど前になると車両甲板から車止めを外す『ゴン!ゴロン!!』と鈍い金属の響く音が聞こえ始めると、『いよいよ上陸なんだなぁ〜』とワクワクします。船内に持って入った荷物を抱えて車に戻り、重油や排気ガス臭い匂いを嗅ぐと更にいよいよ旅の始まりを感じます。
到着がこんな深夜。しかも港の周囲は何にも無い苫小牧東港。とにかく初日は道北が目的地となるので眠くなるまで走るつもりですが当然陸地は暴風雨でやや不安が付きまといます。
小樽港に21時前に到着する予定が、天候の影響で苫小牧東港に深夜の0時前に着いたものの、閑散とした街外れで国道に出ても真っ暗。 かなりの雨量と風ですが道北を目指して北上です。日高まで海沿いを南下して富良野に抜ける国道237号線をひたすら走ります。 路面は見たことも無いような落ち葉や小枝が落ちていて風雨がただ事ではない事を感じさせます。 休憩も無いままひたすら走り続けて富良野駅前に着いた頃には午前2時過ぎでした。 2時間ほど仮眠してあまりに寒いので市内のコンビニで暖かいカップ豚汁をすすって生き返りました。 この深夜にトラックがたくさん走ってきたなぁと見てみれば、すぐ横を自衛隊の戦車隊の一行が通り過ぎていきました。 さすがに北海道!!
明るくなってきて小雨が降る中、早朝の上富良野と美瑛を少し廻ってみました。 丘を見るのは久しぶりです。 やはりなだらかな丘陵は何度見ても気持ち良いものです。 私が14年前に初めて北海道に行きたくなったルーツがここにあります。 前田真三の風景写真に憧れて何度このあたりを訪れたか数えられませんが、もうあの頃のように真剣にファインダーを覗き込むことはありませんが、いつまでも農業で営む丘の風景であってほしいものです。
美瑛から旭川、上川を通って滝上の知人に挨拶をしたあと、そのまま紋別に抜けてオホーツク海沿いの国道238号線を北上するつもりでしたが、海沿いの道は危ないらしいと聞き、内陸の国道40号線を北上することにしました。 滝上町内を流れる川も溢れんばかり。 天北峠を越える国道239に繋がる道も、途中アスファルトの割れ目から水が噴き出して土砂崩れと倒木で行く先を阻まれて引きかえし、かなりの遠回りですが岩尾内湖を通って士別から国道40号線に入りました。
結局、宿泊地の浜頓別には日も落ちた18時過ぎに到着。 翌朝オホーツク海を見ればご覧の通り。
浜頓別から宗谷岬を越えて稚内で昼食のあと、今度は南下です。
稚内から日本海を40キロほど南にある 『 サロベツ原野 』 にある民宿、 『 あしたの城 』 に泊まりました。 数年前まではお盆とお正月は必ずここで過ごしていました。
1階のバルコニーですが高い丘の上に建っているため、原野や牧草地を見下ろせます。 もともと原野だったのですがどんどん牧草地に変わり、原野ははるか先に遠ざかってしまいました。 それでも視界をさえぎるものが無いのは気持ちが良いものです。
ちょうど朝日が昇る頃は薄っすらとモヤがたちこめて霜が降りています。
散歩がてら、カメラ片手に宿から牧草地に歩いてみました。
1年間に2〜4回ほど牧草を育てて刈り取るのですが、あと1ヶ月もすれば初雪も降るのでこの刈り取りが今年最後なのでしょう。 しっかりと巻かれた牧草ロールは 『 バームクーヘン 』 のようです。 昔は牧草を牧場のシンボルとも言える塔のような 『 サイロ 』 に入れて熟成させ乳牛の飼料としていましたが、今では牧草ロールを黒やら白のビニールをぐるぐる巻きにして倉庫に積み上げるだけ。 機械などの設備投資は必要ですが作業は随分楽になったのでしょう。
牧草ロールが北海道の代名詞となっていますが、実際にはそんなに昔から有ったものでは無いのです。
おととい北上した国道40号線を今度は真直ぐ南下して、比布から上川までは最近出来たらしい無料区間の高速道路を利用して国道39号線で層雲峡を横目に見ながら大雪ダム、273号線分岐から十勝に向かいます。 山の頂近くは薄っすらと雪景色でした。
三国トンネルを抜けると小さな食堂を備えた売店のあるパーキングエリアがあって、はるか先まで原生林を見下ろせます。 休憩がてら、先を急がない車の殆んどはここで休憩しています。 広葉樹やカラマツが茂り、ほとんど葉を落とした白樺の幹がモノトーンの北の風景を引き立てます。
10年くらい前まではこの国道も未舗装で、オートバイで抜けるのも四苦八苦でした。 三菱自動車のランサー・エボリューションがダートをハイスピードで走るイメージビデオの撮影ロケに偶然ここで出くわしたことがあります。
『 美人の湯 』 『 モール泉 』 で知られる十勝川温泉の目印となる十勝中央大橋の北岸に何が植わっているのか定かではないのですが整列に植えられた作物がありました。 案外既に刈り取った跡なのかも知れませんが・・・
十勝中央大橋の袂には、冬になるとたくさんの白鳥や鴨などが飛来してきます。 河川敷の観察舎には 『 渡り鳥の餌 』 が売られ温泉客の目を楽しませてくれます。
最近、温泉街にある 『 十勝ネイチャーセンター 』 の裏に無料の 『 足湯 』 が出来ました。 15分も足先を浸けているだけで全身がホッカホカになります。
ちなみに、うちの奥さんはこの 『 美人の湯 』 には、もう何百回も数え切れないほど利用しています。
十勝管内で3泊したあと、距離と土地勘が無いのでやや無謀ではありましたが、一気に道南ニセコまで足を伸ばしました。
数年前までオホーツク海に面する網走駅近くで喫茶店を営んでいたマスターがこちらに移り住んでB&Bを始めました。 『 HOURGLASS 』 というピザ&カレーの喫茶店が宿をやっていると言った感じの気の遣わない雰囲気の宿です。 ビール好きには嬉しい、北海道内限定ビール 『 サッポロ・クラシック 』 を生で飲めるのもとっても有り難いことです。
翌朝、喫茶店兼、宿の食堂の大窓から見える羊蹄山はなかなか圧巻でした。
北上の船から台風なり爆弾低気圧の影響をモロに受けてきました。道東や道北では風で飛ばされたバス停にベンチだけが残っていたり、森の中の広葉樹が風で倒れていたりと風の怖さが印象的でした。
ニセコの宿の斜め前にあった防風柵もご覧の通りです。相当な強風に対して耐えるよう設計、施工しているはずですが、パネルは飛ばされ支柱もグニャリと曲がっていました。
この記事を書いている数日前にも佐呂間町の内陸側で竜巻が起こり9人の犠牲者が出たそうです。
自然災害の怖さをあらためて身を持って感じました。
ニセコをあとにし、白老、苫小牧、支笏湖を走って札幌に向かう途中に信号待ちでふと横を見ると生まれて初めて見る薬局に目が釘付けになりました。
何と 『 院外処方箋薬局ドライブスルー 』 です。 最近は病院で薬を処方してもらわず、病院近くの薬局か自宅近くの薬局で薬を受け取ることが多くなりましたが、どこへ行くにも 『 くるま 』 の北海道らしいアイディアです。 冬に車からの乗り降りが面倒で待っているのが寒いという
お客へのサービスと地価が安いこともあるのでしょう。 さすがに内地の都会では見た事がありません。
道内5泊の旅もあっという間です。 殆んどがあいさつ回りになってしまい慌ただしく走るだけなのですがやはり自分達にとって故郷と同じなので 『 北海道に旅に出る 』 と言うより 『 北海道に帰る 』 イメージがあります。
フェリーでの船旅も往路と違って帰りは快晴で波やうねりの無い快適な船旅でした。
途中必ず下り便とすれ違うのですが今回はやけに近く、またいつもは進行方向に向かって左側を通過 ( 右側通行 ) なのですが、いつもと逆の位置でした。
次はいつ行けるんでしょうかね?