スーパースター 偉関 晴光選手が引退 |
![]() |
偉関選手(右)と陳龍燦選手、1988年ソウル五輪ダブルス優勝の表彰台で |
2007年10月4日の夜、今年で45歳になる偉関 晴光選手の現役引退会見が東京で行われた。 中国および日本各地から数百名もの過去のチームメイトやコーチが集まり、偉関選手は万感胸にこみ上げ、何度も目を赤くし、 “30年間にも及ぶ選手生活に別れを告げるのは本当に辛い”と、記者に語った。 偉関 晴光の競技生活を振り返ってみると、8歳の時に卓球を始め、15歳で広西地方の代表チーム入りし、 24歳の時には中国ナショナルチームに昇格。翌年の1987年世界卓球選手権で、陳龍燦選手とペアを組み、 ダブルスで優勝を果たしでいる。また、1988年のソウル五輪では再度陳龍燦選手と組んでダブルスの金メダルを獲得した。 その後1991年に中国ナショナルチームを離れ、新天地を日本に求めて来日。2001年まで熊本寿屋に所属。 一方私生活では1997年に日本に帰化し、名前を偉関晴光に改名している。30年間の長い選手生活において、 数々の優勝や素晴らしい成績を残した。中国代表としては世界選手権男子ダブルス優勝1回、五輪男子ダブルス優勝1回、 アジア大会混合ダブルス優勝1回、日本代表になってからは1998年アジア卓球選手権男子シングルス準優勝、 1998年アジア大会男子団体3位及び2000年世界選手権男子団体3位という成績で選手生活にピリオドを打つことになった。 1991年から2006年までの15年間の滞日期間中、偉関晴光選手は日本卓球選手権男子シングルス優勝4回、 全日本トップ12優勝5回、全日本社会人男子シングルス優勝2回、日本リーグトップ32シングルス優勝3回、 また、42歳の時には全日本男子シングル部門での最高齢優勝を成し遂げている。 偉関晴光の引退会見の席上には、前男子世界チャンピオン伊藤繁雄さん、野平孝雄、前原正浩、 日本男子チームヘッドコーチ宮崎義仁及び日本ナショナルチーム現役の松下浩二などが出席。 中国からは中国卓球協会新聞委員会主任夏娃、前世界チャンピオン王輝、前アジアチャンピオン劉陽および前中国ナショナル選手李雁、 高志亮、周宏などが駆けつけ、偉関選手の引退を惜しんだ。 また、中国卓球協会主席の徐寅生はこのようなメッセージを贈っている。 :“長い選手生活において、偉関晴光は中国および日本の代表として素晴らしい成績を残した。 今後も引き続き卓球界の発展や日中間の卓球交流に貢献してもらいたい” 偉関晴光の引退で、かつてペアを組んでいた陳龍燦は最も寂しさを感じた人の一人といえるだろう。 陳選手は、[偉関選手ははまだまだ活躍できる余力を持っているが、しかし45歳という年齢を考えると、 緊迫した日々の連続である選手生活から開放されるのもいい決断かも知れない]と語った。 偉関晴光のプレースタイルはペンホールター、裏面ドライブ形であり、強烈なフォアードライブと岩盤ブロック、 加えて試合時の闘争心あふれる表情がとても印象的な選手である。 しかし一歩試合を離れると、普段は謙遜で優しい性格の持ち主だったと、日本男子ナショナルチームの宮崎義仁ヘッドコーチは 偉関選手についてこのように語っている。 また、前世界チャンピオンの伊藤繁雄さんは“彼のように完全燃焼してプレイする選手はなかなかいない、 天才である上に勤勉さをも兼ね備えた選手であり、彼の日本選手への影響は大変大きいものがあった。 今後は彼の豊富な経験を後身のために活かして生きたいと述べた。 |
JC Table Tennis |