アヤックスとは?

アヤックス・アムステルダム、オランダの首都アムステルダムをホームタウンとするプロサッカーチーム。
1900年にアムステルダムのカフェからチームが誕生。チーム名の由来はトロイ戦争に登場する英雄
アイアス(大、小二人おり、アキレウスに次ぐ英雄と言われています)に由来しています。


オランダ国内ではそこそこの強豪でしたがヨーロッパレベルで見るとまだまだ弱小チームでした。
しかしオランダリーグが1960年代にプロ化されると共に力をつけていきます。
そして転機は一人の英雄と共に訪れます。


トータルフットボールを完成させ、アヤックスをヨーロッパ、
そして世界の強豪に押し上げた背番号14の男。
それがヨハン・クライフです。17歳でトップチームにデビューし、
目覚しい活躍を見せ、69年にはチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)決勝に進みます。
残念ながらこの試合は負けてしまいますが、その後71年から同カップを三連覇。
ニースケンス(現NEC監督)、クロル(現アヤックスコーチ)、カイザー(現アヤックススタッフ)、
フルスホフ、ハーンといった逸材達と黄金期を築きます。


結局クライフの移籍と共に黄金期は終わりを迎えますが、
国内リーグでは強さを保っていました。しかし80年代に主力選手引き留めのために
裏金を支給したというスキャンダルが発覚し、クラブの権威は失墜します。


しかし、この危機を救ったのはまたもクライフでした。
80年代前半に選手として復帰した彼でしたが、引退後はテクニカルディレクター
(彼自身は監督としてのライセンスを持っていません)としてチームを率い
ファン・バステンやライカールト(現スパルタ監督)といった若手選手を起用し
チームに再び活気を取り戻させカップ・ウィナーズカップ獲得という栄誉を持たらします。
またユースシステムの構築をし、後のデ・ブール兄弟
(フランク、現バルセロナ、ロナルド、現グラスゴーレンジャーズ)やベルカンプ(現アーセナル)、
ダービッツ(現ユベントス)やクライファート(現バルセロナ)といった名選手を生み出す礎を築きました。


彼自身は88年にバルセロナの監督に就任したためにチームを去りますが、
チーム自体は主力を放出しつつも若手選手が伸び始めていきます。
1992年にはUEFAカップを制しヨーロッパ3大カップ全てを獲得しました。
そして95年には実に22年ぶりとなるチャンピオンズカップ優勝を果たします。
この年の冬にはトヨタカップで来日し世界一にも輝きました。


しかし、この第2次黄金期もボスマン判決という悪魔の悪戯によって
現有戦力以外に有望な若手までを財力の豊富な他国のクラブチームに奪い取られ
世代交代が上手くいかなくなります。
98年からは低迷期に入り国内リーグでもトップ3に入れないこともありましたが、
00−01シーズンにはトップ3に入り、次の世代の選手が育ってきました。
そして01−02シーズン途中にかつて在籍していた名選手クーマンが監督に就任し
再びオランダリーグの覇者に返り咲いたのです。
そして今シーズンは95年以来のヨーロッパ制覇を目指します!


簡単なデータを…
設立:1900年3月18日 本拠地:アムステルダム(オランダ) 
ホームスタジアム:アムステルダム・アレーナ
獲得タイトル
国内リーグ優勝:28回
国内カップ:14回
UEFAチャンピオンズカップ:4回
UEFAカップ:1回
カップ・ウィナーズカップ:1回
欧州スーパーカップ:3回
トヨタカップ:2回

この業績によりUEFA(欧州サッカー連盟)から
レアル・マドリーやACミランと共に「エリート」の称号を与えられました。


上記の文章に出てこなかった主なOB達を別記しておきます。
名前の後のカッコは現在の所属チーム名です。
マルク・オーフェルマルス(バルセロナ)、クラレンスセードルフ(ACミラン)
エドウィン・ファン・デル・サール(フルハム)ヌワンコ・カヌー(アーセナル)
ミカエル・ライジハー(バルセロナ)、ウィンストン・ボハルデ(チェルシー)
イェスパー・グロンキア(チェルシー)、マリオ・メルキオット(チェルシー)
サンデイ・オリセー(ボルシア・ドルトムント)、ショタ・アルフェラーゼ(グラスゴー・レンジャーズ)
ミカエル・ラウドルップ(ブレンビー監督)、ブライアン・ラウドルップ
ダニー・ブリント(アヤックススタッフ)、ヤン・ボウタース(現グラスゴー・レンジャーズコーチ)

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