新世界

ドヴォルザークではありません。
姿月あさとさんのソロ・コンサート『THE PRAYER』を見てきました。
とてもよかったです。満足しました。
前回のソロ・コンサートには確か「わたしだけの音楽(セカイ)が誕生する」という副題がついてましたが、今回は「わたしだけの輪舞(セカイ)が誕生する」ということで、歌だけでなく、ダンスでもふんだんに魅せていただきました。宝塚の生のステージは見たことないですが、トップをつとめていた力量というのはやはり計り知れないんだな(宝塚ってスゴイかも。。。)と思いました。
そして何よりも満足したのは、
「台詞がなくても物語をつくることはできる」ということを姿月さんが体現なさっていた点でした。
おそらく、姿月さんは、宝塚で学んだ「歌、ダンス、演技」のスキルの上に、石井さんとのコラボレーションを通して触発された
「表現者=クリエイターとして喜び」に目覚めたのかもしれません。クリエイター姿月あさとの誕生を、今回のステージに見ました。
まさに、新しい世界が開いた印象でした。大いなる喜びをもって迎えましょう。
これからの姿月さんが、ますます楽しみになりました。

・・・ということでですねー、これだけで事足りちゃうんですけども、それじゃ、あまりにあまりかもしれないので、もうちょっと書き加えることにしませうかね。いつものお笑い要素も加えて(笑)

『SUN』の感想で
「天使の羽(肩甲骨)がキレイだっ!」と書いたんですが、今回は初っぱなから、文字通りの天使の羽(つくりもの)を背負ってご登場。「本物の天使の羽を見せろ〜!」とも思いましたが、映画やTVドラマの映像作品ならCG合成でいくらでも可能なんだろーけど、生の舞台ですから、そんなこたぁできませんやね。そこで、姿月さんの美しい肩甲骨からスーッと白い羽が伸びている様を勝手に脳内変換妄想ともゆー)して、ハイビジョン映像で(爆)堪能。ほんと、にんげんの脳って便利やねー(大笑)
そんで、清浄で美しい天使の役なんですかね〜?と思って見ていると、やがて黒天使たちに誘惑され?
むちゃカッコいい堕天使に変身。「おおっ!」と思ったのは、4人の黒天使たちを従えるようにして踊り歌う姿月さんの姿。ちょっとトート閣下がかぶったのは、わたしが『エリザベート』好きだからでせうか?
んで、堕天使のときに歌ってた『TORN APART』(だったと記憶してるけど)では、わたしが最も好きだと思うデス声(笑)入りのシャウトが聴けて、もー大満足! いやー、これですよ、これっ! 
もっとブって! 叩いて! 張り倒して!(爆)

なんかね、この歌声を聴いて、目覚めた人の強さを感じたりもしました。目覚めた人は強いしブレない。もともと強くてブレにくい人なんじゃないかなー?と思っておりましたが、迷ってた時期はあったんじゃないかな、、、と想像します。宝塚の男役からの脱皮に縛られてるところがあったように感じたので。
でも、そんなこたぁ、もうどーでもよい。
自分の音楽(世界)を表現するうえでは女声も男声も関係ない、ってとこに行き着けたんじゃないでしょーかね?
そこまで行っちゃったんだから、もはや後戻りはないでしょう。男性を感じさせるスーツ姿にも抵抗なくなっているんじゃないかな〜?
前に「アニー・レノックスみたいな男でも女でもないミューズって線はないのかな?」とも書いたことがありますけど、姿月さんはアニー・レノックスともまた違う姿月さんならではの音楽のミューズを見せてくれました。とても大きな器の、その分、共鳴の幅も大きな女神なんじゃないかと思います。やっぱ
「デカイ!」ですよ、この方は。背が大きいだけじゃなく(笑)その才能は底知れず、その可能性は計り知れず、って感じです。

ジーニアス(天才)ってのは、神に祝福された人のことですよね? ギフト(天資)をもらって生まれてきて、人々に豊かな贈り物を与えることができる人たち。
芸術家は神に祝福された人たちだと思いますが、中でも、とりわけ音楽家は最も神に近いところに位置するのではないか、、、と思います。絵画は情感に訴える力が弱い(特に日本では。感じるのではなく理解するという教育をしてるから、、、)けど音楽には情感をもろに刺激し、心を震わせる力がある。人間の五感のうち情報伝達効果としては視覚が最ももっとも有効であると言われますが、心に直結したところでは聴覚、触覚が大きいのではないか、と思っちゃいます。
ところで、上で、音楽家は最も神に近いところに位置するのではないか、、、と書きましたが、わたしは無神論者の日本人なので、唯一絶対無二の存在というよりも、どっちかっつーと八百万の神々なんですけどね(笑)要するに、大いなる自然ですね。そういう点では、音楽家はシャーマン的な存在なのかもしれませんですねー。
今回、宝石箱みたいなものが象徴的に使われていましたが、あれをあけたとき、鳥のさえずりや樹々をわたる風の音のようなのが聞こえました。
音楽とは、大いなる自然をいつくしむ心が奏でる音なのかもしれません。
「すべての芸術は音楽に憧れる」って言葉が、なんか、よくわかります。
で、姿月さんにとっては、音楽は空気みたいなものなのかも。。。音楽によって呼吸し、音楽によって生かされている、音楽によって満たされている。うらやましすぎるぜ。。。と凡人は思ふばかりなりけり(苦笑)

ところで、わたしたちが生きていくために必要不可欠な空気(酸素)は、一方で、わたしたちを確実に死へと導く有害物質でもあるんですよね。生きるために空気を吸うことで、確実に器(カラダ)は老化(酸化)していく。オギャー!と生まれ落ちた瞬間から死へ向かって歩きだしているようなもんですね。
いのちのゆりかごと言われる地球、そこに生きるものたち、すべてが最初からアンビバレンスな存在なんですよね。。。生と死、善と悪、愛と憎しみ、、、、等々の両面価値をもつ存在。けれど、いいんだよ、ここに在るというだけで祝福されているのだから。。。
と、まぁ、そういうことを表現したのが今回のステージだと思いました。
最後は、善が悪に勝ったみたいに見えますが、そんな単純な物語じゃないはずです。
テーマとしては、とてつもなく大きく、とてつもなく深い。
そして、心を大きく揺さぶられました。
背後のセットに青い地球が出現したとき、はからずも涙がこぼれたんです。
生まれてきてよかったね、生きててよかったね、と思いました。
これが、姿月さんの言うところの「癒し」なんだ、と感動。
すべての生をいつくしみ、すべての存在を肯定する
ほんとうに、いい舞台でした。

*あぁ。やっぱシリアスになりましたね・・・(苦笑)
 ま、ツッコミどころなし、ということですよ。
 あえて言うなら、天使の羽根、堕天使(黒天使)、十字架みたいな紋章、
 ステンドグラス等々の視覚的なものが、お耽美系の型にはまりすぎてるかな、、、
 ってことだけです。 でも、姿月さんは正統(似非でなく)ビジュアル系なんで、
 まったくもって問題なーし!(笑)


2003.12.24


追記:
再び観に行ってきました。千秋楽の夜の部。
これで最後になるから全力を出しきって歌おう、という姿月さんの気概がビンビン伝わってくる素晴らしいステージでした。
特に、鳥肌が立ったのは、上にも書いた『TORN APART』、青い地球をバックに全身全霊を傾けて「われらに愛を」と力強く歌い上げていた曲、そして、もはや姿月さんといえばこの曲という感のある『祈り』。
MCで「歌を歌うと、実はとっても疲れて、もうフラフラなんですよ」とかおっしゃってましたけど、あれだけ全身全霊を傾けて歌ったら、そりゃクタクタになっちゃうだろうな、、、と思います。口先だけじゃないですもん、姿月さんの歌は。なのに、アンコールで、『祈り』をもう一度歌ってくれました。
またまた
鳥肌、そして。。。
涙にはストレスなどを洗い流してくれる浄化の作用があるんですよね。
悲しみの涙ではなく、素晴らしい歌声に触れて思わず涙し、浄化されるなんて
なんと幸せなことでしょうか。。。
「来てくださって、ありがとうございます」とおっしゃってましたけど、感謝の言葉を言うのはこっちの方だ、と思いました。
「ありがとう」と言いたくなる舞台に出あうことは、めったにないことです。
姿月さん、こんなにも素晴らしいステージを、ほんとうにありがとうございました

*わたしはプログラムを買うことはめったにないんですが、今回は買ってしまいました。
 なにしろ、あまりにも素晴らしいステージだったから。。。
 で、読んでたら、「天使」ではなく「精霊」となっていました。白の精霊と黒の精霊。
 神の使徒ではなく、大自然のスピリットだったんですね〜。納得です。
 プログラムの中の写真も、とても美しいものでした。


2003.12.29


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