おぼっちゃまくん卒業。




・・・って、どないなタイトルやねん!と思われた方もいらっしゃるでしょうが、文字通りなんすけども。。。『エリザベート・ガラコンサート』を観ての感想であります。おいらが行ったのは、1/27と1/29の2回です。キャストはルドルフ役が異なってただけかな・・・?

いよっ! 闇の若頭っ!
今回、待ちこがれていた姿月トートがつひに生で観られる!!というので、そりゃもう勢い込んで、胸躍らせてコンサート会場に出向いたのですよ。27日の座席は最後列でしかも端っこだったから「双眼鏡は必須」との知人からのアドバイスを素直に聞いて、双眼鏡も用意して準備は万全。はじまる前は
ワクワクテカテカ状態で、心臓はドックンドックンと高鳴って、うひゃ〜、これで幕があがったらどうなっちゃうのかね?と要らぬ心配をしていたのですが、いざ幕があがったら、かな〜り沈着冷静に〜♪観ている自分がいました。はじめのうちはせっかく持ってきたのだからと双眼鏡を覗き込んだりもしたのですが、やはり一度に複数の感覚器官を働かせるのには無理があるため、結局「ジャマくさい!」となってしまって、いつも通り裸眼で観ることに。それでも姿月トートが美しくカッコいいのは十分わかりました。
で、生まれてはじめて、ずん生トートを観ての率直な感想が、タイトルの
「おぼっちゃまくん卒業」。おいらが見たことのある姿月トートは宙組のビデオしかないから、それと比べてのことですが、ビデオの頃より痩せていらっしゃったせいか、憂いなぞをもカラダから発しておりましたし、何より、ビデオの中の姿月トートは「ウブで不器用な少年」だったのに、それが感じられなくなっていて、余裕の構えすら見受けられたんですねぇ。「あ〜、トート閣下も大人になるんだなぁ。。。」と思いました。
ただ、27日のトート閣下は、大人は大人でも「闇の帝王」と言うより
「闇の若頭」って感じだったかなぁ。なんつーか、チンピラよりは上だけどドンじゃない、闇組織の2代目って感じでしたかね〜。。。いや、批判じゃないっす。位取りとしてはできてないかもしれないけど、このトート閣下もすげー好きだーーーっ、大好きだーーーっ!!と思いましたもん。たぶん「最後のダンス」「ミルク」での、めちゃめちゃロックしてるやんけ!な歌いっぷりを聴いてそう感じたんだろうなぁ。。。と思いますけどね。激しくツボ!でした。エルマーたちに「行けー!」と言う声、エリザベートに「死ねばいい!」と言う声が声ヲタとしても「来たーーーっ!」って感じで(笑)グリグリグリっとツボ押されまくりんぐ。唯一残念だったのは「闇が広がる」の途中でルドルフ役の方との呼吸が乱れたのか、ちょっと詰まったこと。「おまえだ!」のデス声が相手の方の声質と若干かぶるせいか際立たなかったことぐらいでせうか。。。あ、あと姿月さんに張り倒されたい!と思ってるマゾっ子としての欲を言わせていただくならば(爆)黒天使を従えたトート閣下がルドルフを足蹴にしてコロコロ転がすシーンを生で観たかったぁぁあああ!! ルドルフが死ぬところもトートが連れ去る感じが欲しかったっす。。。この27日の舞台は観客席から指笛がヒューヒュー!飛んでましたが(楽日とは客層が異なってた?)おいらも吹けるなら吹きたい!と思うくらいロックなトートでした。ヒューヒュー!
それが楽日になったらロック・スピリットを抑えた
「楷書のトート」になっていました。どうやら喉を痛められたらしい、というのは掲示板の書き込みで知りましたが。。。確かに「最後のダンス」は最後のいちばん高い音が出せなかったし、喉を無意識にもかばおうとしてなのかマイクを離して歌ってるとこもありましたね。全体を通して抑えめだったような。。。楽日には全てを吐き出してくれるんじゃないかと期待していた分、ちょっと残念でしたが、でも、この抑えたトーンが位取り的には有利に働いていたようにも思います。「闇の若頭」が「闇の帝王」に近づいてるような感じがしましたから。。。楽日は「闇が広がる」も詰まることなく、絵的にも美しくてウットリさせていただきましたが、しかーし、個人的には27日のロック・スピリットあふれた「闇の若頭」が大好きじゃーーーっ!! あぁ、あの日に行けて良かった!

素晴らしい音楽、素晴らしい歌声
ところで、今回は「ガラコンサート」という名前ではありましたが、大道具・小道具がないだけで、ミュージカルと言ってもいいくらいでしたね。まぁ、元々が歌で物語が進行していく「エリザベート」ですから、お芝居部分をカットしても話がブチ切れたりもしないですし、ね。
それにしても出演者のみなさん、歌がお上手で、ほんと堪能しました!
ルキーニ役の樹里咲穂さんは以前に生で拝見したことがありますが、今回も素晴らしい歌を聴かせてくれました。役としてはちょっと可愛いすぎるかな?な感じがしないでもなかったですけど、ね。ルキーニって狂言まわしですが、エリザベート殺害の実行犯でもあるので、内に秘めたる陰鬱な狂気も必要な役なんだろうなぁ。。。と思ってます。自慢じゃねーが、お天道さまの下は大手を振っちゃ歩けないぜ、みたいな。。。そこいくと樹里さんは明るいヒマワリみたいな方なので、お天道さまの方を常に向いていらっしゃる。つまりニンじゃないかも、、、と。でも、まぁ、今回はお芝居じゃないので、歌が素晴らしければ最高です。樹里さん、最高でした。
同様な印象を持ったのが皇太后役の美々杏里さん。この方は宙組版ではロッテンマイヤーさん、、、じゃハイジだから、、、えーと、そう、リヒテンシュタインを演じてましたよね? おそらく与えられた役割はキチンとこなそうとする厳格さをもつリヒテンシュタインの方がニンで、皇太后の側近をあごで使うような図太さや剛胆さ、裏で画策するような腹黒さには欠けるところがあるというか。。。素でいい人なんじゃ?とか思ったりしました。歌は文句なく素晴らしかったと思います。歌詞もハッキリ聴き取れましたし。
今回ははじめて拝見した方もけっこういらっしゃいましたが、本当にみなさん歌が上手くて聴き惚れました。皇太子ルドルフは香寿たつきさんよりは絵麻緒ゆうさんの方がニンかなぁ〜。。。と思いましたが、稔幸さんは「うわっ、フランツ〜〜〜!」って感じで、皇帝陛下の位取りもキッチリ、おいらの抱いてたフランツのイメージぴったりでした。
で、こうした素晴らしい共演者の中において、おいらとしては誰よりも感慨深かったのがエリザベート役の大鳥れいさん。この方については、感想をきちんとまとめた方がいいな、と思ったので別枠で(笑)

したたかなエリザベート
今回はエリザベート役で3人の方がいらっしゃったんですが、入手できたチケットの関係で、観られたのは2日とも大鳥れいさんでした。この方の歌声はおいらの耳に心地よい振動数で聴きやすく、安定感もあって上手いなぁと思いましたが、幾分かの余白を残して歌い演じていらっしゃるようにも感じられました。段取り型とでも言うのかな〜? 計算された上手さとしても、その計算がちらちらと見え隠れするような、そういう印象を受けたんですね。その分、感情の起伏には乏しい感じもあったのですが、感情を押し殺し胸に秘めているようにも受け取れ、そのせいでしょうか、エリザベートがすごく
「大人の女」「したたかな女」に見えたんですねー。。。宙組ビデオの花總まりさんが、引きつった女雛みたいに見えて(あ、この形容、酷いっすかね? すんません)、常に「いっぱいいっぱい」なエリザベートに感じられたのに比べると全然違うなぁ・・・と。。。(花總さんが「いっぱいいっぱい」というのではなく、花總シシィが「いっぱいいっぱい」に見・え・る、ということです、念のため。)
花總さんの場合は、自分のことが自分でもよくわからない、けれど頭ごなしに抑えられてるのはわかるから反発したり、自分の要求が受け入れられないと知るやジタバタしたり、運命に対しても何とか抵抗しようと試みる、どこか小娘のような側面のあるエリザベート
一方、大鳥さんの場合は、十分ひとりで行きて行ける、とゆーか、支えなど必要としない自立した大人の女を感じさせるエリザベート。皇太后の上をもいく誰よりも強いエリザベート。運命に対しても抗う姿勢はあまりなくて、むしろ、逃れられない運命であるならば、その中で自分に最も有利な選択肢を選び取ろう、みたいな。したたかすぎるぜ、なエリザベート
どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、役者によって演目の印象がガラリと異なるのは歌舞伎ではよくあることなので、特に驚きも違和感もなかったんですね。むしろ、この違いがとーっても面白かった。「エリザベート」ってのは、ひとりの強い女性のために、トート閣下をも含む周囲の男達、人間達が翻弄されたという物語でもあるのだねぇ、、、と改めて思ったりして。
タイトルロールは伊達じゃないってのがなーんかわかったやうな気が。。。けれど、エリザベートがすべての人の運命を握っているわけでは決してないのだから、そうなると、はるか高みからすべてを見下してニヤニヤほくそ笑んでいるヤツの姿が見えてきそうな気すらして・・・闇の世界も含めた天上界は天上界で何らかの抗争や確執があったりなんかしてね・・・というやうな妄想モードに突入できそうな、そんな幅広さや奥行きを感じたりもしたんですね〜。。。って、乙女モード炸裂?(爆)しかし、こういう妄想の余地がいっぱいあるのは楽しいじゃーないっすか(あはは)
それと、役者ってのは相手によって演技が変わったりするもんだと思うので、したたかなエリザベートと対峙することによって姿月トートも大人の色が濃くなったのかなぁ・・・とも思ってみたり。。。もちろん、姿月さん自身が変わったからであろうというのが大きいと思いますけどね。常にいっぱいいっぱいな少女のようなエリザベートと彼女に粘着する少年ようなトートを描いた宙組版は胸キュンもので大好きですが、こういう大人同士の駆け引きみたいなのもえーなぁ。。。
他のエリザベートと対峙した姿月トートも見比べてみたかったなぁ!と思いました。

さようなら、だけど、こんにちは
以下の文章は蛇足であります。ま、おいらの駄文はすべからく要らんこと書き書きなので、あえて注意書きする必要はないのですが。。。(なはははは、、、)
今回、会場で、まわりから漏れ聴こえてくる声に耳を澄ませていたら「懐かしいわぁ」「あの頃に戻ったみたい」というような感想が多く聞かれました。おいらは当時をリアルタイムでは経験していないので、まるでピンとこない感じ方なんですが、当時の姿月トートに心を鷲づかみされた方にとっては本当に懐かしいものだったのかもしれません。でも「ずんちゃん、宝塚に戻って来てくれたのねぇ〜」というのはちょっと違うんじゃ?と思いました。
おいらは姿月さんの在団当時を知りません。知ったのは宝塚を去ってしばらくしてから。「ずん生」を追いかけるようになったのは厳密には石井さんとのコラボ「MOON」からなので、退団後の姿月さんも途中からしか知りません。ですが、いろいろな記事等の発言から、いっときまでは「宝塚の男役からの脱皮」に腐心している様子をうかがい知ることはできました。で、脱皮中の姿月さんを注視してきた者として感じたことですが、今回、宝塚の同窓会みたいな「エリザベート」に出演されることになったのは、もう完全に宝塚から卒業できたと思っているからなのではないのかなぁ・・・ということ。もちろん姿月さん本人じゃないからどこまでも推測の域を出ないけど、なーんとなく、ね。。。だってヤでしょ、脱皮したいと思ってる皮を再び着ることになるのって。ましてや姿月さん頑固そうだし(笑)脱皮の途中だったら、意地でも着たりするもんかー!とか思ったはず。たぶん、脱皮できたと思っていらっしゃるんじゃないかと推測したというわけですぅ。ま、お芝居ではなくコンサートなんだということも決めてだったのだろうなとは思いますけどね。
ターニング・ポイントがあったとすれば、おそらく「私だけの輪舞が誕生する」ではないでしょうかね? あの舞台を創ることで脱皮の手応えを感じたというか、自分が創って行きたいモノが何であるかがハッキリわかったというか。。。その後の活動経緯を見てるとそんな風に感じます。
脱皮できると信じられないくらいに自由になれるもんなんですよね。こだわりがあった部分に立ち返ることも難なくできるようになる。とらわれることが無くなるから。カラダを縛る時間は未来に向かってしか進まなくて決して巻き戻ることはないけれど、縛られない心は時空をも超えてどこにでも飛んで行ける。
さようなら、だけど、こんにちは。また会えたね。会えてうれしいよ。

こういう「エリザベート」のガラコンサートをまた企画してくださいねぇ、宝塚歌劇団さん! だって、
やっぱし、ずん生トートはカッコいいですもん。もっともっと観たいですぅ! よろしくお願いするですぅ〜!

2005.02.04



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