実は、某サッカー系掲示板で、
「サッカーのスキルとは何ぞや? はたまた、テクニックとは何ぞや?」
という話題が出ていたのですね。
わっちはサッカーを実際にやったことはないので、具体的な話はできない。
もちろん歌舞伎役者の経験もないんだけど(笑)
イメージとして歌舞伎になぞらえて考えることはできるので、
歌舞伎役者のスキルとテクニックについて、つらつら考えてみたりしたんですな。
それを、ここにまとめさせてもらいまする。歌舞伎ってのは文字通り歌にあわせて舞いと技を見せる芸術なんだけど、
歌(音楽)にあわせて舞うのが基本的なスキルだと思っています。
それは、歌がない場面にも、身のこなしとなっておのずと現れてくるもので、
ちょっと着物の裾をさばくにも、身のこなしが美しく修練されていないと見苦しいものになるから。
つまり、身のこなし=基本スキルを、役者さんは物心つかない頃から、
舞踊の稽古を通して身につけていくんだろうと思うわけです。
踊りがうまい役者は、立ち姿からして違うんですよね。惚れ惚れするくらい美しい。
ムダがない、とも見える。遊びはしてもムダがない。
余分なものをもたないことほど美しいものはない、と、わっちなんかは思うのですが、
そういう余分なものをそぎ落としていくのが歌舞伎のスキルなのかな、と。
で、テクニックというのは、まさに技ですね。
女形なら肩をなで肩に見せる技、女らしい指先に見せる技、女らしい物腰を表現する技。
役柄によって声の調子を操るのも技。感情を表現するのも技の範疇かもしれない。
こういうテクニックというのは、とうぜんながら加えていくものです。
余分なものを限りなくそぎ落としていったうえで、
多くのものを加えて加えていって表現するのが役者なのかな?ってのが、わっちのイメージ。だから、役者の家に生まれた者とそうでない者とが決定的に違うのは、
基本スキルが十分であるかないか、ということのような気がします。身のこなし、ですね。
それが無意識にできないとダメなんじゃないか、ってことです。
意識しなくちゃできないのはスキルが身についているとは言えないんで。
技はあとあと磨くことが可能だと思うんですけど、
身のこなしは小さな頃からの積み重ねが大事な気がいたしやす。
(ってことは、要するに部外者には厳しい世界ってことになるわけね・・・。なはは・・・。)ところで、歌舞伎の場合、個性を発揮するというのはどういうことでしょうか?
サッカー選手の場合は、テクニックを磨くことが
個性を発揮することに通じるところが大だと思うのですが、
歌舞伎の場合になると、個性というのはまったくの別物かなぁ・・・と思います。
スキルとかテクニック以前に、むしろ、もって生まれた個人のもちもの、
その多くは肉体的なものによるところが大きい、とわっちは見てます。
歌舞伎の世界には「ニン」って言葉があるんですが、
役者の個性が演じる役の「ニンにあってる」とか「ニンにあってない」とか言うのですね。
これは要するに、似合う、似合わねぇ、ってことなんだけど、
多分に肉体的な制約(顔、声、姿かたち)から発せられることが多いのね。
でも、そこをテクニックで補って、本来ニンではない役柄をじぶんのものにできる人もいる。
そういう意味では、テクニックで新たな個性をつくりあげていくことは可能。
でも基本的に、歌舞伎役者の場合、基本スキル(ほとんど余白はない)のうえに
テクニック(まだまだ余白あり)をつけないとダメよ、
でも個性は別物だから、努力してもダメな場合もあるけどね、ってな感じで。
そう書くと、なんだか身もふたもない世界だなぁ、なんですけどね・・・(苦笑)(2001・1・14)