かるかやどうしんつくしのいえずと
苅萱桑門筑紫車榮

【別の名前】
             いもりざけ  こうやさん
上演される段の通称として 守宮酒 高野山
※本外題の最後、車榮の字は本来一字。うちの漢字辞書にないんですよ(泣)

【見どころ】
「高野山」の方は見ていないので、「守宮酒」の方だけ。
神につかえる巫女が催淫酒を飲まされて処女でなくなるという話ですが、
エロチックかというと、さほどでもなし。そこは期待しないよーに(笑)
基本的には、恋する女の表現が見もの、って感じですかね〜。
毅然とした夕しでが、女之助を一目見たとたんに恋に落ちてしまう。
酒を飲むうちに、しだいに砕けていく様子が感じられて面白いです。
(夕しでが酒を飲むときに薄ドロが入るのが、何やらありそな雰囲気を醸して効果的)
で、自ら手負いになったあとの、父親とのやりとりも見もの。
いもり酒によって乱れる前から女之助に惚れて、心が汚れていたのよ、
と告白するあたり、切ない娘心が切々と伝わってくる。
が、なぁんか、死ぬ直前がいちばん輝いてる感じがするのは、いとあわれ。

【あらすじ】
いちおー、基本は御家物ですかね〜(そこは、やっぱり歌舞伎だから)
九州の大名加藤家の当主繁氏は、妻と妾が昼間は仲良くしているのに、
夜寝てから、ふたりの髪が蛇となって互いに激しく争うのを見て
嫌気がさして(妾なんか持たなきゃよかったんぢゃ?苦笑)出家してしまった。
その後、九州一円に威を張る大内義弘から家宝夜明珠を引き渡せと
命じられた加藤家は、苦肉の策を弄して家宝を守ろうとする。
その策というのが、二十歳を過ぎても処女である女でないと渡せない、
なぜなら、男を知った女が触れると珠はたちまち光りを失ってしまうから、
というもの(詭弁だ〜。んじゃ、男を使者に立てればいいじゃん?苦笑)
それを真に受けて、新洞左衛門の娘で神のお座子(巫女)夕しで
使者としてやってくる。という前段があって「守宮酒」がはじまります。

「守宮酒」
加藤家家老の監物太郎は、何とか宝珠を渡さずにすむ方法はないものかと
妻の橋立に相談する。で、思案の末に思いついたのが、
色仕掛けで誘惑してしまえ、というもの。その適任者として選ばれたのが、
監物の弟である桑原女之助。放蕩者なれど、その名の通りの美男子だ。
やがて、夕しでが父親の新洞左衛門とともにやってきた。
父親は別間に残し、夕しでひとりが女之助と橋立の接待を受けることに。
まずは御神酒で不浄を清めてと言われるままに酒を飲む。すると、
どうしたことか、夕しでは急に心が乱れてしまい、女之助にしなだれかかった。
してやったり!と、ほくそ笑んで、橋立は、ふたりを別室へ入れていまう。
が、ひとり待たされていた左衛門が、検分が遅い、と踏み込んでくる。
橋立が時間をかせごうと躍起になっているところへ、宝珠を抱えた夕しでが。
蓋をあけてみると、珠は真っ黒な塊。こりゃ偽物!と怒る左衛門。
不浄の女が受け取ったから黒くなったのだ、と主張する橋立。
夕しではいたたまれず、髪に差していた白羽の鏑矢で自らの胸を突くと、
処女を失った自分の罪を詫びた。いきさつを聞いた左衛門は徳利を叩き割った。
すると、中にはいもりが。さては媚酒を飲ませたなと怒り狂い、
女之助を斬ろうとする父親に、夕しでは「いもり酒を飲む前から心は汚れていた」と
一目惚れした女心を語り、苦しい息の下で女之助の命を助けてくれと哀願する。
左衛門は、行き場のない恨みを偽りの宝珠にぶつけるが、
誠の宝珠は結納代わりと加藤家に残し、ひとり帰っていくのだった。

この後、女の真心にふれて改心した女之助は放蕩三昧をやめ、
御台と若君の石童丸を守って、繁氏が出家した高野山へと出発する。
「高野山」は見たことがないので、概略を。
御台と石童丸を守るはずの女之助は、夢の中で御台を襲った自分を恥じて自殺。
高野山は女人禁制なので、御台はふもとに残り、石童丸ひとりが父親を尋ねる。
が、仏との誓いがあるため、父親と名乗ることができず、
繁氏は石童丸を帰すのだった。あわれ石童丸、っつーストーリーらしい。

【うんちく】
享保二十年(1735年)、人形浄瑠璃として初演。並木宗輔、並木丈輔の合作。
「守宮酒」は内容が内容なんで、明治以降の上演が極端に少なくなったとか。
戦後になって、復活上演されたも同然らしいでやんす。
ところで、これ、本外題がまず読めないのだが(苦笑)“苅萱道心”って言えば
「あれ、なんか聞いたことあるぞ」と思う人がいるかもしれない。
かくいうわっちがそうでやんした(笑)
ダンナが高野山近辺出身っつーのもあって、高野山に行けば、
軒を連ねる珠数屋なにがし(とゆー名前が店名になった土産物屋)の看板に混じって
“かるかや”だの“石どう丸”だのの文字がいっぱい。
「なぁんだぁ、これ?」と不思議に思っていたら、
むかしの人には有名な(今の人にゃ何がなにやらの)物語があったんでやんすね。
謡曲に「苅萱」ってのもあるらしい。それと、浄瑠璃とが広く流布して
“有名な物語”として認識されるようになったのかもしれないなぁ。
そういえば、苅萱道心が出家する原因となった逸話は
「北条九代記」とやらが出自ではないか、っつー話もどっかで見たっけ。
いずれが卵か鶏か???なんですけども・・・。