かんじんちょう
勧進帳



【見どころ】
はっきり言って「な〜に言ってんだか」ではある(苦笑)
それでも「面白い!」と思うのは構成美のたまものなり。美しいんである、よ。
特に、双方詰め寄りの場面は、ぜひ正面からご覧あれ。
もちろん型の美しさだけじゃぁない。言葉がわからなくても(っても日本語だが;汗)
これぞ危機一髪ってところを脱出せんとする
主従の緊迫感がひしひしと感じられるのは、やはり役者の力あればこそ。
最後の、弁慶の引込み飛び六法も見ものです。

【あらすじ】
頼朝に追われ、人目を忍ぶため山伏と強力に身をやつし奥州を目指す義経一行。
彼らを捕えろという命令が、当然ながら全国の関所に出ている。
安宅(あたか)の関にさしかかった一行を、関守の富樫(とがし)が止めた。
疑惑を晴らそうと臨機応変、知恵をふり絞る弁慶(べんけい)
(勧進帳の読み上げ、山伏問答など見どころが続くらしいが詳しいこたぁ分からん。←ヲイ!)
いったんは通過できるかとほっとしたのもつかの間、
今度は強力(実は義経が「判官に似ている」と止められた。
すると弁慶、こともあろうか主人の義経をさんざんに打ち据えた(あ〜れ〜)
そこまでするか。と、悲痛な主従の様子に感じ入った富樫は、
義経一行と知ったうえで逃がしてやるのだった(ええ人や〜)

【うんちく】
市川團十郎の家の芸「歌舞伎十八番」のひとつ。
能の「安宅(あたか)」を歌舞伎化した作品で、松羽目物の傑作。
初演は天保十一年(1840年)、作者は三世並木五瓶だが、
明治期に九代目團十郎が今日のような洗練されたカタチで完成させた。
歌舞伎演目中屈指の当り狂言。あまりに上演回数が多いので、
「安宅の関」をもじって「またかの関」とか言われちゃうらしいけど、
なんかなぁ、その言い方が古くさ(苦笑)
またか、でもいいじゃん面白ければ。と、我思ふ。
※ところで、
江戸期代、庶民は能を見る機会を与えられてなかったそうな。
じゃあ、どうやって並木五瓶は能の「安宅」を知ったのか? 不思議である。
知ってる方、教えてくだされたし。

という質問をしてましたら、お答えがありました!

江戸時代は確かに能が式楽とされ、一般庶民には見る機会がありませんでしたが、特別な場合(徳川家の祝事など)には「町入能(まちいりのう)」と称する能の会が催され、裕福な町人が千人単位で招かれました。
その他、町人が自宅に能役者を招き「稽古能」という名目で能を見ることもできたようです。
しかしこれらは裕福な町人に限られ、中・下層の町人は「辻能」といわれる大衆向けの能を見ていました。
このころの史料によると能はかなり大衆に流行っていたようです。(大半は見栄のようですけどね)
この状況から考えると並木五瓶が「安宅」を知っていても不思議はないのではないでしょうか?


というものです。なるほどー。doraさん、ありがとうございました!