ごしょざくらほりかわようち
御所桜堀川夜討

【別の名前】
            べんけいじょうし
上演される段の名前が 「弁慶上使」 「藤弥太物語」

【見どころ】
原作は全五段の時代物だが、現在上演されるのは三段目と四段目だけらしい。
わっちは三段目にあたる「弁慶上使」の方しか見ていないので、
そっちを説明いたしまする。「藤弥太物語」については見たら追加しますね。

「弁慶上使」
っつーぐらいだから弁慶が主人公ざんす。
でもね、「勧進帳」の弁慶と違って、変テコなの、見た目が
鳥居隈と呼ばれる隈取りをしてるから口からアゴにかけて青々してんのよ。
髪は天ぱーが爆発した感じだし。の長袴をつけてるんだけど、下に、真っ赤
じゅばんを着込んでいるのね。しかも、その片袖が振袖(つまり長〜い!)なのだー。
この妙な格好のおっさん(失礼!)が可愛いお稚児さんだったと言われたら、
そらもー目が点になるですよぅ(爆)ってぇのが、わっちの見た印象。わはは。
あんまし気にせんでくだされ(笑)。でぇ、その弁慶が我が子を手にかけてしまい、
泣かぬ男のはずが大泣きに泣くというのが、この芝居のポイントなんですねー。
さて、この芝居にはもうひとりの主人公がいるんですが、それがおわさ
おしゃべりでしっかり者で、いかにも女房役という印象なんだけど、
短い中で喜怒哀楽のさまざまな感情を表現しなきゃいけない大変な役って感じ。
特に、弁慶の振袖を見て「そんならお前が・・・」と嬉しげに歩み寄り、
でも刺された娘をハッと思い出して涙にくれるとこなんて難しそー。
それだけに、やりがいのある役なんだろうなぁ、と思いまする。
おわさがしのぶを生んだいきさつを語るとこはくどきと言われ、見せ場です。

「藤弥太物語」
は、なんでも藤弥太人形振りをするらしいので、見てみたいでする〜。

【あらすじ】
「弁慶上使」
ここは侍従太郎の館。義経の正室卿の君が身重のため静養に来ていた。
ある日のこと、鎌倉の頼朝の使者として武蔵坊弁慶がやってくる。
館の主侍従太郎と奥方の花の井が弁慶を出迎え、卿の君も元気な姿を見せた。
しかし内密の話があるというので、皆で奥へと入っていった。
さて、この館にはしのぶという若い腰元が仕えているが、その母親のおわさ
久々に娘に会いに来て、母子はなつかしく話に興じるのだった。
と、そこへ侍従夫婦が戻ってきて、突然、しのぶの命をくれと言いだした。
実は、平時忠の娘である卿の君の首を討って差し出すなら、
反逆の疑いを晴らしてやろう、と頼朝から難題をふっかけられたというのだ。
主人の身替わりならと、しのぶはけなげにも承知するが、母親のおわさが許さない。
この世にいるはずの父親に会わせるまで死なせるにはいかないのだ、と。
おわさは夫を尋ねる印としていじゅばんの片袖を見せると、
しのぶを生んだいきさつを語りはじめた(ここがくどきと言われるとこでんな)
本陣の娘だったおわさは、18年前、16〜7歳の稚児姿の泊まり客と肌を合わせた。
そのときの相手の振袖が片方ちぎれて手に残ったというのだ。
顔も名前も知らないが、たった一度の契りで子どもをもうけた深い縁の夫を、
片袖を頼りに尋ね歩きながら苦労して娘を育ててきたのだ・・・、と。
しかし、ふすま越しにしのぶを刺した者がいた。弁慶であった。
泣きわめくおわさを制し、弁慶が片肌を脱ぐと、おわさが持つ片袖と同じ振袖!
「そんならお前が、あのときのお稚児さんかいなぁ」と
驚くおわさ(わっちもビックラ!でんがな。だってー、お稚児さんて可愛いんじゃないのぉ?)
長年尋ね歩いてきた夫に出会えた喜びと、娘を手にかけられた悲しみが交叉する。
しのぶはやがて息絶えた。おわさは娘の死骸を抱きしめ泣き崩れる。
ついに泣かぬ弁慶も、我が子を我が手で殺した因果に、大泣きに泣くのだった。
しかし、弁慶には主人義経の窮地を救うという使命がある。
威厳を正すと、侍従太郎に「卿の君の首討って渡されよ」と申し渡す。
侍従太郎はしのぶの首を斬り落とすと、返す刀をおのが腹に突き立てた(あらま!)
偽首とさとられぬよう、自分の首も討って出せという配慮であった。
嘆くおわさ、花の井をあとに、弁慶はふたつの首を抱えて館を去っていく。

「藤弥太物語」
見ていないので、簡単に紹介しておきますねー。
その後、卿の君義経の住む堀川御所にかくまわれていたが、
それを知った静御前の兄の藤弥太という悪党が鎌倉方に注進しようとする。
しかし、実の母親磯の禅司に刺され、非を悟って善心に戻った藤弥太は、
死の間際に「今宵、鎌倉勢の夜討がある」と告げると息絶えた。
その夜、押し寄せる鎌倉方の軍勢を見事に追い返し、義経方が勝利する。
・・・とゆーお話らしいでする。
ここの段が本外題「御所桜堀川夜討」につながるのねー、なるほどぉ。

【うんちく】
元文二年(1737年)人形浄瑠璃で初演。文耕堂・三好松洛の合作。
歌舞伎では、宝暦五年(1755年)が初演と言われている。