きわめつきばんずいちょうべえ
極付幡随長兵衛

【別の名前】
   ゆどののちょうべえ
通称 湯殿の長兵衛

【見どころ】
この芝居、幕が開くと、劇中劇からはじまるの。他にはちょっとない趣向。
歌舞伎の芝居の中で歌舞伎を演じてるのが、まず面白い。
で、芝居を妨害しようとする輩が花道の方で暴れたりして、それを止めるのに
長兵衛役者がなんと客席の方から舞台に上がっていくのさー。あれま!って驚くよ。
だから、見てるこっちも、江戸時代の観客のひとり。エキストラって感じ(笑)
長兵衛の家での芝居は、いわゆる愁嘆場。涙なくしては・・・ってとこなんだけど、
舞台上で長兵衛が着替えをするのね。つい、それに見入ったりして(笑)
はぁ〜、やっぱり手慣れたもんだなぁ〜、なんてね(笑)
命を捨てる覚悟の長兵衛の「人は一代、名は末代」という聞かせぜりふもあるので、
みなさん、なるべくお芝居に集中しましょうね!
あと、最後に長兵衛が殺されるのは湯殿(風呂場ですね)だから、
「湯殿の長兵衛」という通称で呼ばれたりするわけなんですねー。

【あらすじ】
「村山座舞台」
村山座の舞台では、坂田金平が悪上人と法の問答をするという荒唐無稽な荒事の一幕
「公平法問諍(きんぴらほうもんあらそい)」が演じられていたが、
芝居も佳境に入ったとき、旗本奴の白柄組の侍が芝居を壊しにやってきた。
こうゆー無法は見過ごせねぇと客席から立ち上がったのは町奴の頭領、幡随長兵衛
斬りつけてくる相手を反対に打ちすえた。無法侍はほうほうの体で逃げていく。
その一部始終を、白柄組の頭領水野十郎左衛門が桟敷から見ていたのだった。

「花川戸長兵衛内」
長兵衛の家では、女房のお時をはじめ子分達も、いつ白柄組が仕返しに来るかと
不安で仕方がない。そこへ、水野の家来がやって来た。
「酒宴を催すことになったから、ぜひ長兵衛にも来てほしい」とのこと。
当然ワナだと察しはつくが、長兵衛はこの誘いを平然と受けた
後へは引かない長兵衛のことだからと、お時は観念して、出かける支度を調える。
が、弟分の唐犬権兵衛が駆けつけて「自分が先陣に」と言うものだから、
他の子分達もこぞって「自分が身替りに」と言いだし、一粒種の長松までもが
長兵衛を止めようとする(よよよ、と、ここらが愁嘆場)
が、恐れて逃げたとは言われたくない、と男意気地の長兵衛の決意は変わらない。
子分達に早桶(要は棺桶ですな)の用意を言いつけると、死を覚悟で出かけるのだった。

「水野邸座敷」
単身やって来た長兵衛を、水野十郎左衛門は機嫌よく迎えた。
友人達を交えて酒を酌み交わすうち、これを縁に仲直りしようなどとうそぶく。
そして、十郎左衛門は、長兵衛が以前は武士だったことを話に出し、
剣術のお手並み拝見といきたいと言いだす。断りきれず立ちあう長兵衛。
その腕は実に確かなものだった。まともに立ちあっては勝ち目がないと見た
十郎左衛門は、今度は酒を無理強いして、わざと酒をこぼす。
そして、濡れた袴を乾かす間、ひと風呂あびるようにと強引にすすめる

「水野邸湯殿」
長兵衛が浴衣に着替えて湯船に入ろうとしたとき、十郎左衛門の家来達が
襲いかかった。丸腰では風呂場の柄杓(ひしゃく)で応戦するしかない。
すでに覚悟を決めている長兵衛は、潔く刀にかかろうとする。
そして、ついに十郎左衛門の槍が、グサリ!と長兵衛の脇腹を深く突き通した。
そのとき、長兵衛の子分達が早桶をかついでやって来る。
死を覚悟の心意気に、十郎左衛門は「殺すも惜しい」とつぶやくのだった。
(って、アンタ! もっと早いうちに気づけよーーーー!)

【うんちく】
明治十四年(1881年)、九代目團十郎によって初演。河竹黙阿弥の作品。
その後、明治二十四年(1891年)に改訂されたとき、三世河竹新七によって
序幕部分に「公平法問諍(きんぴらほうもんあらそい)」が加えられた。
現在上演されているのは、このときのものによっているという。

ところで、この芝居に描かれている“旗本奴と町奴の対立”は江戸初期の頃の話です。
旗本奴とは、広辞苑によれば「旗本の不平の徒で男伊達の行いをしたもの」だって。
「男伊達の行い」って? これじゃ、さっぱしわかりまへんがな(笑)
男伊達というのは“傾き(かぶき)者”ですね。要は、ツッパリでもって、
やたらと人目を引く派手な服装をしていた人らのことを指します。
そういうのを、旗本の御子息らがしてたのが旗本奴。
同じ趣味の者同士が徒党を組んで、乱暴狼藉をはたらいていたみたい。
その代表格が、この芝居にも出てくる水野十郎左衛門。白柄組の頭領です。
あ、実在した人物ですよー。なんでも父親もバリバリの旗本奴だったみたいだから、
どうやらかぶき者の血は親譲りだったわけですね。そりゃぁもう傍若無人で、
手のつけられない不良だったから、江戸の人らは疫病神のように毛嫌いしてたとか。
で、そうした旗本奴に対抗したのが町奴で、その首領が幡随長兵衛なんですね。
長兵衛は、この芝居にもあるように元は武士。でも、人を殺して、
死罪になるべきところを命拾いしてから町人になって、口入れ家業をしたそう。
武家が行う土木工事やなんかの人足を集めるのが仕事だから、
今で言ったら人材派遣業? ま、人足代のピンハネをしてたんでしょうねー。
でも、江戸の人らって、お金が少しでもあれば働かない人種だったらしいんですよ。
だから、求められるだけの人足を集めようとしたら、
高い金を払うのはもちろんだけど、入った金を吐き出させないといけない。
てんで、“飲む・打つ・買う”の斡旋もしてたっつーことですわ。
つまり、侠客といえども、強きをくじき弱きを助けるばかりじゃないっつーこって。
ところで、この十郎左衛門と長兵衛、実は仲良しだったというのが史実。
片や、お仕事を出す方、片や、それを受ける方ということで。
だから、酒の席での喧嘩がもとで、侍の十郎左衛門が町人の長兵衛を無礼打ちにした、
というのが本当のところらしいです。もちろん、おとがめはなし、ね。
なんですけど、十郎左衛門の行状にはお上も手を焼いてたみたいで、
長兵衛殺しから七年後には「不作法至極」によって切腹を命じられて死んでいます。
で、その後、旗本奴の風潮は下火となって消えていき、
一方、町奴はただのゴロツキになっていったということでありんす。