えどえりょうごくはっけい
江戸絵両国八景

【別の名前】
あらかわのさきち
荒川の佐吉

【見どころ】
子ども絡みの話だけに泣けるのよ、これ。新歌舞伎って泣かせるものが多いなぁ、
泣かせりゃいいってもんでもないけどなぁ・・・とか頭の片隅で思いつつ、
でも、しこたま泣いちゃう(ハンカチ必須。笑)。そんでも、見終わったあと、
からだの中を風が吹き抜けていったような、妙に爽やかさの残る作品でもありんす。

【あらすじ】
荒川の佐吉は腕の立つ大工だったが、やくざの世界にあこがれて、
両国界隈を縄張りにする仁兵衛親分の三下奴として雑用をこなしていた。
その仁兵衛親分が喧嘩を売られ肩先を斬られるという一大事が起きた。
斬ったのは成川という浪人で「縄張りはもらった」と言い放ち、仁兵衛の子分で
親分の次女お八重の恋人でもある清五郎も斬り捨てると悠然と去っていった。
体が不自由になった仁兵衛一家は解散、大半の子分は成川にくら替えしたが、
佐吉はいつまでも仁兵衛を親分と思い仕えていた。
そんなある日のこと、仁兵衛が、長女お新の生んだ卯之吉を抱いて帰って来た。
お新は日本橋の大店丸総の妾になっていたが、生まれた子どもが盲目だったために、
世間体を考えた丸総によって子どももろとも離縁されそうになっていた。
そこを仁兵衛が養育費をもらって、子どもだけを引き取って来たのだ。
しかし、次女のお八重は、実は金目当てじゃないのかと父親を非難したあげく、
佐吉と夫婦になって卯之吉を育ててくれと言われたことも頭に来て、家を出ちゃった
(自尊心が強いんだなー、三下奴風情とは一緒になりたかぁないやい!って飛びだしちゃうわけよ)
心すさんだ仁兵衛は佐吉が止めるのも聞かずにイカサマ賭博をしに出かけ、
殺されちゃう。盲目の卯之吉を抱えて、佐吉は悄然とするばかり・・・。

それから6〜7年後。大工仲間の辰五郎の家に身を寄せていた佐吉は、
まさに父親となって利発な卯之吉を可愛がっていた。
実は、ここに来て、丸総が卯之吉を返してくれと言ってきているのだが、
自分の都合で手放しておきながら何を今さら、と佐吉は取りあおうとしない。
そこで丸総から頼まれた者たちが、卯之吉を無理やり奪いにやって来る。
取られてなるものかと必死で闘ううちに、佐吉は相手の一人を手斧で切り倒していた。
人間、捨て身になれば恐いものなんかない
佐吉は卯之吉を辰五郎に託すと、仁兵衛親分の敵討ちに出かけていく。
江戸の大親分相模屋政五郎の後ろ盾も得たおかげで、見事に成川を討ったのだった。

そして一年、仁兵衛親分の縄張りを継いだ佐吉は、すっかり貫録が身についていた。
(ありゃ〜、人ふたりは殺してんじゃねーのかい?その罪は?とゆー疑問は残るが・・・ま、いっか)
その佐吉のもとに、政五郎が丸総の正妻におさまったお新をつれてやってくる。
今は芸者をしているお八重と夫婦になって仁兵衛の二代目を継いじゃくれねぇか、
また卯之吉は丸総に返してやっちゃくんねぇか、と頼む政五郎。
お新も、大病で明日をもしれぬ主人のために、卯之吉を引き取らせてくれと懇願する。
そりゃぁ虫が良すぎるってもんだ。佐吉は、何としても承知しないつもりで、
骨身を削る思いで育てた卯之吉をもぎ取られる苦しみを切々と訴える(泣けるー!)
だが「子どもの将来のため」と政五郎に言われ、辛い別れを決心するのだった。
翌日。佐吉は一生を旅人で過ごすつもりだと、二代目を継ぐことも断り、
政五郎と別れの盃を交わすと、ひとり旅立って行くのだった。

【うんちく】
真山青果作の新歌舞伎。昭和7年(1932年)、歌舞伎と新国劇で同時期に初演。
歌舞伎では15代目羽左衛門が佐吉を演じた。15代目羽左衛門っつーたら、
どえらー美男子なんでするが、ま、それはとりあえず置いといて(笑)
その羽左衛門、「最初はみすぼらしくて、哀れで、最後にパァっと花の咲くような
潔い男の芝居がしたい」と青果に本を書いてくれと頼んでいたらしいんですねー。
で、書かれたのが、この芝居だとか。15代目はたいそう喜んで、工夫を凝らして
佐吉を演じ喝さいを浴びたらしいでする。それを見た六代目菊五郎が、
ぜひ自分にも何か書いてくれと青果をせっついたという話もあるみたい。
ところで、わっちゃぁ青果とゆーと「元禄忠臣蔵」の歴史時代劇のイメージがあって
どっちかっつーと堅っ苦しいのが得意な人なのかな、と思っていたんですが、
これは違いました。それでも、同時期に股旅物を書いてた長谷川伸と比べると、
お行儀がいいとゆーか、育ちがいいとゆーか、そんな印象があります。