浄土真宗の概要 |
浄土真宗の教えを一言で言うと、「阿弥陀仏の本願を信じ念仏を申せば、この愚かな身が救われて仏に成る」という教えです。親鸞聖人は私達凡夫の実態を深く見つめられ、本願念仏でしか私達凡夫はどん底から救われないという事を顕彰されたのであります。
更に、細かく見ていくと、1.他力本願 2.悪人正機 3.報恩念仏が浄土真宗の教義の特質であると言えます。
1. 他力本願
他力というと「他人まかせ」という意味で誤解されてしまいがちですが、そうではありません。他力とは阿弥陀仏の本願のことをいうのであります。
本願とは、真宗の根本聖典である『仏説無量寿経』に説かれているもので、阿弥陀仏が悟りを開く前、まだ法蔵菩薩という菩薩のときに起こした四十八願をさすのであります。
その中でも、特に第十八願は、「私が仏となった時、あらゆる衆生が、私のまごころを受けとって、疑いなく信じ、私の国(浄土)に生まれようと願って、南無阿弥陀仏と私の名前をとなえるであろう。もし、生まれることができないのなら、私は仏とならない」と誓っている。この誓いを、長期間の修行によって成し遂げ、悟りを開いたのが阿弥陀仏である。
しばしば、他人まかせで何もしないという意味で「他力本願」と誤用されることがありますが、本当は、阿弥陀様の方より智慧と慈悲を恵まれることによって、力強く、明るく、精一杯生きぬく人生が開かれてくるのであります。
2. 悪人正機
「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」(『歎異抄』第3章)という言葉が、悪人正機を語るものとしてよく知られております。この文言を聞いて「悪人でも往生できる」と誤解なされている方がいらっしゃるかもしれません。
しかし、この文言を正確に現代語訳いたしますと「善人でさえ、浄土に往生できるのだから、善人はもちろん往生できないはずはない」となります。この現代語訳を聞いて、素直になるほどと思われる方は少ないと思います。一般的な考え方だと、「悪人が往生できるのだから善人はもちろん往生できる」となると思います。
しかし、親鸞聖人は「善人が往生できるのだから、悪人はもちろん往生できる」とおっしゃっております。これは私達が考えている善と悪と、親鸞聖人の考えている善と悪が違うからなのであります。
私達の考える善人とは、法律や道徳を守る人間の事を指し、悪人とはそれらを守らない犯罪などに手を染める人間の事を指します。しかし、親鸞聖人はそういう区分けも、もちろんあったはずですが、ここでの善人とは戒律を守り、修行を積み、自らの力で成仏、つまり、仏になれると信じている人を指し、悪人とは、戒律を守ることも、修行を積むこともできず、欲望や煩悩が渦巻く人、私達凡夫の事を指しているのです。
このような私の姿に気付かせ、同時にそのまま救い取ってくださるのが阿弥陀如来の慈悲であり、そのこころを表すのが「悪人正機」という言葉なのであります。
3. 報恩念仏
浄土真宗においての念仏は、『歎異抄』の第1章に「念仏もうさんと思いたつ心のおこるとき」とあるように、自然と口からほとばしる念仏であるから、何かをお願いする念仏でもなければ、行(=修行)としての念仏でもなく、しなければ救われない、といった念仏でもないのであります。
すなわち、阿弥陀仏の本願によって救われるという事を知り、思わず称える報恩感謝の表現としての念仏であり、現代的に解釈すれば、『南無阿弥陀仏』=『ありがとうございます』という意味であるといえます。
№ | 氏 名 | 正信念仏偈 | 主要著書 Wikipedia | 特記事項 | 浄土真宗聖典註釈版浄信会 |
0 | 釈迦如来 | ブッダ最後の旅 | 無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経 | ||
1 | 龍樹菩薩 | 龍樹菩薩讃嘆 | 空論 |
八宗の祖師 | |
2 | 天親菩薩 | 龍樹菩薩讃嘆 | 唯識論、浄土論 | 唯識三十頌 (HIRO'S HOME PAGE) ~唯識の世界~ 無想庵 | 浄土論 |
3 | 曇鸞大師 | 往生論註 巻上 巻下 | |||
4 | 道綽禅師 | ||||
5 | 善導和尚 | ||||
6 | 源信僧都 | 往生要集 | |||
7 | 源空上人 | 選択集 | |||
8 | 親鸞聖人 | 教行信証、正信念仏偈 | |||
9 | 聖徳太子 | 十七条憲法 | 十七条憲法 | ||
しょうしんねんぶつげ 正信念仏偈
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◆大まかな意味 正信偈の内容は前半(依経段)と後半(依釈段)に分けて理解されます。前半は、阿弥陀如来をたたえ、阿弥陀如来への絶対帰依が表されています。そして、後半ではインド・中国・日本の七高僧への帰依が表明されます。七高僧とは、インドの龍樹・天親(世親)、中国の曇鸞・道綽・善導、日本の源信・源空(法然)のことで、最後の句にいう「唯可信斯高僧説(ただ、この高僧の説を信ずべし)」の高僧とはこの七高僧のことです。(*正信偈は浄土真宗で拝読されます。正しい意味については門徒の方は菩提寺に、それ以外の方は浄土真宗の寺院にお聞きするのがよいでしょう) ◆正信念仏偈とは? 『正信念仏偈』は七言を一句とした百二十の句からなる偈(詩)です。『正信偈』と言っても間違いではありません。『正信念仏偈』は親鸞聖人の著書『教行信証』六巻のうち行巻の末尾にでてくるもので、『教行信証』のエッセンスとされ、親鸞聖人はこの中に浄土真宗の教えの要点をまとめていると言われています。 第七世の存如により『正信念仏偈』として『教行信証』から独立して書写され、第八世の蓮如によって印刷されて日常の勤行用に門徒に広められました。それ以後、浄土真宗の門徒の方々に読誦され親しまれています。浄土真宗では葬儀においても、『正信偈』を念仏・和讃とともに読誦します。 |
正依の経典は浄土三部経。また経典では無いが、七高僧の著作についても重んじる。中でも天親の『浄土論』は、師である法然が「三経一論」と呼び、浄土三部経と並べて特に重んじた。親鸞は、『仏説無量寿経』を『大無量寿経』『大経』と呼び特に重んじた。
浄土三部経
『仏説無量寿経』 曹魏康僧鎧(こうそうがい)訳
『仏説観無量寿経』 劉宋畺良耶舎(きょうりょうやしゃ)訳
『仏説阿弥陀経』 姚秦鳩摩羅什(くまらじゅう)訳
七高僧の論釈
龍樹造
『十住毘婆沙論』全十七巻の内、巻第五の「易行品第九」 姚秦鳩摩羅什訳
天親造(婆藪般豆菩薩造)
『無量寿経優婆提舎願生偈(浄土論・往生論)』
後魏菩提留支(ぼだいるし)訳
曇鸞撰
『無量寿経優婆提舎願生偈註(浄土論註・往生論註)』
『讃阿弥陀仏偈』
道綽撰
『安楽集』
善導撰
『観無量寿経疏(観経疏・観経四帖疏)』
『往生礼讃偈(往生礼讃)』
『転経行道願往生浄土法事讃(法事讃)』
『依観経等明般舟三昧行道往生讃(般舟讃)』
『観念阿弥陀仏相海三昧功徳法門(観念法門)』
源信撰
『往生要集』
源空撰
『選択本願念仏集』
親鸞撰
『顕浄土真実教行証文類(教行信証)』
『浄土文類聚鈔』
『愚禿鈔』
『入出二門偈頌(入出二門偈)』
『浄土三経往生文類(三経往生文類)』
『如来二種回向文』
『尊号真像銘文』
『一念多念文意』
『唯信鈔文意』
「三帖和讃」
『浄土和讃』
『高僧和讃』
『正像末和讃』
なお蓮如の『御文(御文章)』は、本願寺派・大谷派などでは正依の聖教に準じて重んじるが、高田派・佛光寺派など宗派によっては用いない。(蓮如は、本願寺の血脈である為、宗祖親鸞からの法脈を重んずる宗派では用いない。また蓮如の本願寺と高田派は、争いが起き対立した歴史がある。)
四十八願 (しじゅうはちがん)とは、浄土教の根本経典である『仏説無量寿経』(康僧鎧訳)「正宗分」に説かれる、法蔵菩薩[1] が仏に成るための修行に先立って立てた48の願のこと。
『仏説無量寿経』のサンスクリット原典[2]である『スカーバティービューハ』には異訳があり、願の数に相違がある。二十四願系統と四十八願系統とに大別できる。前者は初期の浄土教思想、後者は後期の発展した浄土教思想を示すとされる。
浄土宗、浄土真宗などの浄土教系仏教諸宗では、特に「第十八願」を重要視する。
中国の慧遠と憬興(きょうごう)は3つに分類している。其々の名と分類は以下の通り。
日本の親鸞は、48の願を真実と権仮(ごんけ)に区分する。
真実+-往相+--教----佛説無量寿経 | |--行----諸仏称名の願(第十七願) | |--信----至心信楽の願(第十八願) | |--証----必至減度の願(第十一願) | +真仏土+---光明無量の願(第十二願) | +---寿命無量の願(第十三願) +-還相--------還相廻向の願(第二十二願) 権仮-----化身土+要門-至心発願の願(第十九願) +真門-至心廻向の願(第二十願) |
これらの願は、すべて衆生の悲しみ苦しみをすべて観察した上で立てられたものであり、その解決としてある。本当の意味での「苦」の解決は、衆生が仏になることですべて解決されるから、往生浄土の上で仏となることが四十八願のもっとも重要な部分となる。