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右方の舞の2



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写真提供 四天王寺樂所・雅亮会

壱越調

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貴徳
きとく
一人舞
貴徳(きとく)
 渤海地方(現在のシベリア地方)から伝えられた右方の曲である。その昔、漢の帝王に降伏して帰徳候と名乗った王将が匈奴にいたが、この王はすこぶる勇将であった。その勇姿を模したものという。
眼光鋭く鼻高き勇猛な面をつけ、番子を従えて、するどく鉾を打ちすえる舞振りは、よく勇将の面影をしのばせるものがある。番舞(つがいまい)である左方の「散手」(さんじゅ)とともに、気品の高い王舞とされている。
曲はまず、、小乱声、高麗乱声(こまらんじょう)、小音取と続き、高麗壱越調の「貴徳破」で舞われる。
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狛桙
こまぼこ
四人舞
狛桙(こまぼこ)
 高麗から日本へ渡来する船人の姿を模して、わが国で作られたものと思われる。五色に彩色した長い棹を、四人の舞人が巧みに揃えて舞う姿は、まことに優美であるとともに、舞楽には珍しいジオメトリックな美を構成する。

 装束は武官裲襠(ぶかんりょうとう)という萌葱色の別装束をつけ、抹額(まっこう=額に赤色の布を巻く)のついた巻纓(けんえい)の冠をかぶる。ただし天王寺では抹額は用いない。左方太平楽の番舞(つがいまい)としての右方の大曲である。
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埴破
はんなり
四人舞
 
 
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胡徳楽
ことくらく
四人舞
胡徳楽(ことくらく)
 この舞こそは舞楽のレパートリーの内で、まさに特異中の特異なものとでもいうべきで、舞というよりも仮面をつけたパントマイムといったほうがいいかも知れません。仮面舞踊といえば、七世紀にわが国にもたらされ、平安時代にはすでに廃絶し、今ではもうその内容がわからず、仮面のみが正倉院に残されている幻の芸能である「伎楽」もあるいはこのような内容ではなかったかと推察されます。しかもこの舞は酒宴をテーマにして、登場人物がそれぞれにユーモラスなしぐさをするなど、この点においてもユニークな舞楽と言えます。この曲は現在高麗楽、壱越調に属していますが、鎌倉時代の楽書「教訓抄」によれば、この曲はもともと唐楽曲で仁明天皇の承和年間に高麗楽曲に改作されたことが記されております。さすればこの曲も唐伝の、しかも民間に行われた散楽の一つではなかったかと推察されます。
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胡徳楽
 右方楽舎より意調子(篳篥と高麗笛の主管者による短い曲)が奏されますと、左方より亭主役の勧杯(けんぱい)とその下僕で酌人の瓶子取(へいしとり)が登場し、舞台の正面に座を占めます。勧杯は、襲装束に太刀を佩き、人面を象徴化した紙の雑面(ぞうめん)をかぶり頭には唐冠(とうかん)と称する冠を着けています。まさに異様な中にも威厳のある風体といえます。一方瓶子取は枹を脱いだ襲装束に老爺の仮面をつけ、右手に盃左手に瓶子を抱えて現れます。この老爺の仮面には二之舞の「咲面(えみめん)」が流用されることになっています。

 やがて当曲が奏されますと、六人の客人が順次登場し舞台上に三人ずつ向かい合って座ります。客人は瓶子取と同様枹を脱いだ襲装束を着て、いかにも酔顔を表わす赤い仮面をつけています。客人達が座につく間、瓶子取は舞台の隅で瓶子から酒を盗み飲みします。客人達が全て揃うと瓶子取は盃と瓶子をもって客人達に盃を勧め酌をして回ります。充分に酒が回った客人達は、やがて立ちあがると両手を左右に打ち振って舞い始めます。六人が輪をなして舞い終わり、順次退出しますと、後に残ったのは度々の盗み酒すっかり出来上がった瓶子取、客人達と同様に舞いながら退出しようとしますが、歩みが思うようにはかどらず、よろけながらもしかし舞の基本的な形は崩さずに舞台を去って行こうとします。この部分は舞人としての瓶子取の演技の最も難しいところであり、この部分について雅楽書「教訓抄」には「天王寺ニハ、方ヲ違エテ アチコチ マトヒ歩クト申スナリ ソレモアマリ侍ル」と記され、この所作が四天王寺に伝承されいてる胡徳楽の独特の舞ぶりであることを示唆しています。最後に瓶子取は懐中より盃を取りだし、舞台に投げつけて退出します。

胡徳楽(ことくらく)

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崑崙八仙
こんろんはっせん
四人舞
八仙(はっせん)
 「崑崙八仙」(ころばせ)ともいう。崑崙山に住む八羽の仙禽ということで、仙禽とは鶴のことを言う。くちばしの先端に小さな鈴のついた変わった面をつけ、扇形の兜をかぶる。
枹に大きな鯉の模様がある。枹の上から網をかぶった変わった装束である。袖を取り合って輪をつくって舞う姿は、大空に舞い遊ぶ鶴の姿にふさわしい。舞うたびに鳴る鈴の音は、鶴の鳴声を模したもの、舞は冠鶴を表したものとであるといわれる。
-G-
 
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仁和楽
にんならく
 光孝天皇の御代に(仁和年中に)百済眞雄という楽人によって作られた。
これは高麗楽の形式によっており、この曲が恐らく雅楽による日本における最初の作品であろうと云われている。
 
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蘇志摩利
そしまり
此樂今者絶

六人舞
 


仁和楽 


平調

林歌・四天王寺聖霊会

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林歌
りむか
四人舞
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雙調


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登天楽
とうてんらく
六人舞
 登天楽 この曲の解説をいろいろ調べてみても、名著『雅楽鑑賞』に書かれてある内容以上のものは見あたりません。
 高麗双調(こまそうじょう)の小曲。四拍子、拍子九、新楽。日本で作られた曲らしい。誰の作かは不明。登殿楽とも記されます。右方蛮絵装束(うほうばんえしょうぞく)を着用する四人舞で、子供が舞う童舞(わらべまい)らしいのですが、近来は大人が舞っています。番舞(つがいまい)は「五常楽(ごしょうらく)」。また、「桃李花(とうりか)」の番舞として「皇仁庭(おうにんてい)」またはこの曲「登天楽」があげられています。
【曲名について】
 上記のとおり曲の由来などはわかりません。曲名からすると天(超越的な空間?)に登るというような意味か、それとも「殿」の字義からすると、「殿(宮中)に登る」の意かも知れません。「天」「殿」の両方の字で書き換えられる曲は、ほかにも「越天(殿)
楽(えてんらく)」「応天(殿)楽(おうてんらく)」などがあります。その他「天」を含む曲名には、「三壹塩(さんだいえん)」の別称である「天寿楽(てんじゅらく)・十天楽(じってんらく)・天人楽」などがあります。

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白濱
はうひん
四人舞
白浜(ほうひん)
 一名栄円楽とも呼ばれ、白浜の名は朝鮮の地名から起こったものらしい。
舞人は右方の蛮絵装束を用いる。楽は最初高麗笛と篳篥の主管だけによる「序吹」と呼ばれる無拍節の部分から始まる。合奏になると四人の舞人が舞台に上がり舞が始まる。中程になると舞人が左右に向き合って跪き片肩袒となり、今度は四人が輪を作って舞う。この辺が一番華やかな手振りで美麗な袖を翻しながら舞台の四面四隅を背合わせに、あるいは向き合って一周する態は殊に趣が深く、栄円楽の名は恐らくこの輪を作って舞う華やかな姿から起こったものではないだろうか
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地久
ちきゅう
六人舞
 



白濱とその舞台

於 フェスティバルホール


その他添舞楽

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一曲
いつきょく
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一鼓
いっこ