膳夫町の名前について


      膳夫町 (かしわてちょう)

町名のいわれは、奈良県地名大辞典によると、次のようである。

 膳夫は米川流域、大和三山の1つ天の香具山の東北麓に位置する。
 律令官制では宮内省被官に大膳職と内膳司があり、前者は主として臣下に対する膳を造り、後者は天皇の膳を調進する官司であった。こうした官司で食事の調進を行う下級官人を
膳夫と言った。また我が国では古くから食物を木の葉に盛り、その葉をかしわと言い、今の柏葉を用いた。
 また履中紀3年11月辛末条に、膳臣余磯が履中天皇の磐余稚桜宮に仕えていたとあり、膳氏は磐余に含まれる当地を早くから根拠地としていたらしい。
膳氏の氏寺と称する膳夫寺も残る。今は保寿院がその後に建てられている
 聖徳太子が当村を通った時、病に伏した母親のために芹を摘む娘に心を打たれ、妃としたと云う
芹摘姫の伝承がある。今も貰田家には膳部夫人像や絵像が伝えられている。
 
膳夫寺は江戸期の「和州寺社記」によると、聖徳太子の妃膳夫姫がその養母巨勢女の菩提のために仁階堂を建立したのが始まりと伝え、「大和上代寺院志」では膳氏の氏寺かと推定している。
 膳氏は天皇の供御の料理、供饌の事を司る氏族で、欽明朝に活躍した膳臣傾子の娘菩岐々美郎女は聖徳太子の妃として著名



膳夫姫の掛け図 膳夫姫の木像 貰田家で奉られている膳夫姫


      保寿院  
膳夫寺後に建つ保寿院は虚空蔵菩薩を本尊として牛・虎の守り神で、膳夫町全部が檀家のような
ものである。虚空蔵講があり、古くから村人に慕われ、4月1日がお祭りで下の写真のように
護摩焚きや餅撒きで賑わう。


保寿院本尊の虚空蔵菩薩像 聖徳太子2歳像
護摩焚き 餅撒き
虚空蔵さんのお祭り 膳夫寺跡の石標
膳夫寺の柱石2基    大きさ直径約100cm, 柱穴約20cm