★穂高〜立山100kmスキー縦走★・・・1978.2.27〜3.17・・・

 [メンバー]   降旗 厚(26)、山本 一夫(32)
 [期  間]   1978.2.27出発、20日間の予定
 [行  程]   第1区:沢渡〜槍ヶ岳

  第2区:槍ヶ岳〜太郎平

  第3区:太郎平〜千寿ケ原

 [食料計画]   予備食を含め20日分を携帯

  非常食と合わせ25日分を確保

 [装備計画]   通常の装備+8ミリ、カメラ、高度計。

  行程の半分以上が雪洞のため大型

  スコップ。暖かさ最優先のシュラフ。

 

<行動記録>

2月27日(晴のち曇時々雪) 6:15沢渡を出発。スキーを着ける。17:20木村小屋着。
2月28日(雪のち吹雪) 7:15木村小屋発。登攀用具をデポ。15:00徳沢着。
3月1日(吹雪) 9:00徳沢発。パノラマコース分岐点下部着15:30雪洞。
3月2日(快晴) 7:15雪洞発。スキーを担ぐ。八峰着17:00雪洞泊。
3月3日(吹雪) 7:00八峰雪洞発。待望の北尾根の登り。スキーをザックに付ける。3・4のコル着15:30雪洞。
3月4日(吹雪・停滞) 三峰に取り付くが吹雪の為、一ピッチ登りザイルを固定し雪洞に戻る。
3月5日(快晴) 前穂11:30。スキーを担ぐ。吊り尾根に緊張、奥穂15:30。奥穂冬期小屋16:30着。
3月6日(快晴) 8:15冬期小屋発。北穂12:25。大キレット最低コル着16:20。雪洞。
3月7日(快晴) 7:00雪洞発。南岳8:00。スキーは使えず。槍岳山荘12:30。硫黄乗越手前着16:00。雪洞。
3月8日(晴れ) 7:20発。双六小屋10:45スキーを履く。三俣蓮華岳14:00大滑降〜黒部五郎小屋着15:15。
3月9日(晴れのち曇) 8:20発。スキーとアイゼンを交互に駆使、黒部五郎岳11:20。北ノ俣岳13:30太郎小屋15:20。

太郎山〜太郎平(良雪に恵まれ楽しいスキー)〜薬師平16:30。雪洞。

3月10日〜11日(吹雪・停滞) 4:30起床、出発の準備に取りかかるも吹雪のため停滞。
3月12日(吹雪) 8:00発。地図、コンパス、高度計を頼りに北薬師、間山へと進む。強風、深いラッセル、ホワイト

アウトに苦しみ途中雪洞準備中、突然の僅かな晴れ間にスキーを着けスゴ小屋着18:00。

3月13日(吹雪) 8:00発がルートミスでスゴ小屋に戻り再出発11:00。猛吹雪で前進不可能。

2350m地点にて雪洞14:30。

3月14日(吹雪・停滞) 長期戦に備え燃料、食料の節約に入る。厳冬期を身に持って感じる最中、ラジオから流れる

春の声を聞く。

3月15日(雪のち曇時々晴) 2350m雪洞7:00発。空腹に耐え兼ね節約のパンを詰め込むとピッチが上がる。五色ケ原で視界

ゼロに苦しみ一時間ほど待機する。一瞬の晴れ間に100m先の小屋を確認。五色小屋16:00着。

3月16日(雪)

入山18日目、大日岳への縦走は時間切れとなり中止。獅子岳の下りで遭難者のザックを発見。

五色小屋発8:00、一ノ越12:30、弥陀ヶ原着16:00。

3月17日(曇時々晴) 弥陀ヶ原発8:00、美女平14:00、やっとここまで来たと実感する。千寿ケ原15:00着。

登山研修所の好意で風呂に入る。

<あとがき> 当初の計画であった継続登攀と、後半の大日岳への縦走を中止にしたのは残念であったが、

ここまでやれたことには充分過ぎるほど満足している。穂高の岩稜通過時に非常に天候に

恵まれたことも幸いしているが、何よりも二人のチームワークが良かったことだ。