★酷寒のアンナプルナ・U南西壁★(7937m) 


1987.9〜10月  隊員:近藤邦彦(42)、山本一夫(42)・・・なんと本厄年!2人だけの超アルパイン・スタイル

★アンナプルナ氷河より見上げるアンナプルナU南壁★

 私の古き岳友、岡山在住の近藤邦彦氏との10年来の約束であった二人だけで8000m峰を、それも40歳代までにやってやろうじゃないかという一つの課題が、ひょんなことから実現することになった。当初、狙っていたマカルーの許可がなかなか下りず、アンナプルナ・Uなら空いてるし、我々の希望と妥協できるのではないかということで、リック・リッジウェイの「ちょっとエベレストまで」と気取るわけじゃないが、近くの山に気軽に出かけるように、二人で8000m峰の岩壁登攀となったのである。

1987年9月2日、いよいよ日本を出発する。ポカラより総数20名のミニ・キャラバン隊は、一週間後には、標高2500mのベースキャンプに到着する。ヒマラヤのベースキャンプとしては極端に高度が低く、頂上までの高度差が5500mもあるので、このルートの困難さを改めて覚悟する。

★標高1950mのシクリス村★

ベースキャンプまで行く途中、現地の言葉でズガ、
つまり”ヒル”がいっぱいの道を開けるためにこの村
で3泊することになる。。。

 


★ABCキャンプ地にて★
これで全員。シェルパ1名、キッチン1名、ポーター2名


★食事を用意してくれるキッチン・ボーイ★

9月18日、ポーター5名とA.B.Cに向けて出発する。途中、120mの岩壁と氷河を越えて9月20日に標高4500mのA.B.Cに到着する。ポーター達が下山すると、いよいよ二人きりの世界である。

★ABCキャンプ地上部より眺めるアンナプルナU★

アンナプルナ・Uとラムジュン・ヒマールに押し出されて流れる氷河を越えて、更に300mの岩壁を突破すると、10月2日、標高6800mの南西壁の基部に達した。来る日も来る日も快晴が続くが、気温が異常に低く、寒暖計は、日中でマイナス25度〜30度を常に指している。突風が吹き荒れ、我々の行き先を阻む。二人の両手両足の指先はすでに感覚がなくなってきている。凍傷が進行しているようだ。頂上まであと400mであるが、一日かけても100mしかロープを伸ばせない。このまま進めば必ず凍傷で手足の一部を失うことになる。親からもらったこの身体の一部を失うようなことになれば、二人の山への取り組み方の姿勢に反する。

 10月13日、天候快晴。13時30分頃の二人の会話。
 「これ以上は、命あっての物種やでェ・・・」
 「おれもそう思う」
 「下りようか・・・」
 「下りよう、下りよう」

下山中、標高4700mの氷河の中でアクシデントが発生する。私が、10mほどクレバスに墜落して右足首と左膝を捻挫してしまったためで、後1日でベースキャンプという所から4日間も掛けて下山するはめとなってしまったのである。また、10月19日には、ヒマラヤ全山を襲う悪天候と異常な大雪に追い討ちをかけられ、散々な目に遭いながら我々の山行は、終わることとなった。
 だが、快晴の天候の中、大寒波に7530mより追い返された悔しさはなく、むしろ、本当に大きな山行を成し遂げた充実感に酔いしれているのである。