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《1987年 第1回大会》 歴史的な第1回大会には陸上部の源流とも言える2チームが参加。 このあとみんなで福知山城の見物とか、とにかく駅伝よりもレクリエーション優先のよき時代でした。 |
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《1989年 第2回大会》 川端選手が彗星の如くデビューした第2回大会。 もちろん舞鶴市職区間賞受賞第1号です。 東山選手の持つBOXの中にはビールが入っていました。 一杯飲みながら走った豪傑たちです。 |
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《1990年 第3回大会》 初めて舞鶴市職精鋭チームが挑んだ第3会大会。 2区以降の一般区間全員区間賞という衝撃的な初優勝。 去年までの「楽しそうな表情」が「嬉しそうな表情」に変っています。 |
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《1991年 第4回大会》 3チームを編成し参加者も増えました。 圧倒的な強さを発揮して連続優勝。 独自の計時係を同行してやる気まんまん。 レース後はみんなで五老ヶ岳の簡保へ入浴に行きました。 |
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《1992年 第5回大会》 もっとも熱く燃え上がった第5回大会。 強豪宇治市職労の追撃も軽くかわして3連覇達成。 舞鶴へ帰っての慰労会兼祝勝会は深夜まで盛り上りました。 この頃は選手に“付け人”がついていたんですね。 |
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《1993年 第6回大会》 川端選手の負傷欠場等があって宇治市職に完敗の銅メダル。 しかし、1区20位からの脅威的な追い上げで、アンカー長尾選手が3位で帰ってきた時は感動の嵐でした。 この年から野球部独自チームの参加が始まりました。 |
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《1994年 第7回大会》 1区木下選手の加入と川端選手の復帰で雪辱の優勝。 でも、内容はアンカーでようやく逆転しての辛勝。 これが以後何年にもわたる大山崎町職との果てしない死闘の始まりでした。 |
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《1996年 第9回大会》 震災により8回大会が中止され、2年ぶりの大会。 大山崎との激しいシーソーゲームの末、ついにその後塵を拝しました。ベストメンバーによる初めての敗戦です。 |
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《1997年 第10回大会》 3大会連続のアンカー勝負。今回は大山崎を振り切り優勝。 それにしても、アンカー長尾選手、毎年毎年お疲れ様でした。 第10回の記念大会で、連続出場の小島・中西両選手が表彰されました。 |
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《1998年 第11回大会》 突然参加チームが激減。好評だったブタ汁もなくなってしまいました。選手宣誓もなく、今思えばこのあたりから、この大会は崩れてきました。 レースは、またしても大山崎町職に敗れ銀メダルです。 |
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《1999年 第12回大会》 雨の中の大会。8チーム中3チームが舞鶴市職というちょっと異様な雰囲気。 秘密兵器・鈴木雅教選手を出場させ雪辱に万全を期したものの、ライバル大山崎は不参加。 |
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《2000年 第13回大会》 自治労連駅伝唯一の春の大会。 会場もグリーンランド瑞穂です。 春の陽気が満ち溢れた大会で、レース後全員でオリエンテーションを楽しみました。みんな表情がとても穏やかですね。 |
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《2001年 第14回大会》 舞鶴市職労悲願の1区区間賞を疋田選手が受賞。 勢いに乗って全区間で区間優勝する「ハイパー完全優勝」を達成しました。野球部チームも準優勝です。 でも、参加9チーム中5チームが舞鶴市職・・・。お楽しみ抽選会も舞鶴ばかり目立っていました。 |
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《2002年 第15回大会》 写真には写っていませんが、小島選手が15年連続出場を果たしました。 チームは初の4連覇達成。第2次黄金時代の到来・・・? 1区からトップを譲らない完全優勝でしたが、区間賞は1区のみとちょっと不漁。氷雨の中の大会でした。 |
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《2003年 第16回大会》 2区瀧澤選手が実に13年ぶりの区間賞でトップに立つと、そのまま1位をキープして今年も優勝。 1区を勤めた坂根選手は、瀧澤選手を上回る好タイムでしたが、今年から採用された1区の「40歳以上男性可」ルールによって無念の区間2位でした。 |
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