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名所案内

この案内と逆のコースで行きますので逆さまに読み替えて下さい。

〜滝坂の道〜
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■近鉄奈良駅の改札を出てすぐに数十種類の「てくてくまっぷ」が用意されているので, 「柳生街道(滝坂の道)コース」を貰うこと。
このマップを使って,近鉄奈良駅から柳生の里までを通して歩く。

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〜柳生街道入口〜
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■柳生街道の始まり
若草山と高円山の間の渓流に沿って柳生街道は始まる。 高円山の中腹にある白毫寺は,天智天皇の皇子である志貴皇子が都が飛鳥から平城京へ移ったときに建てた別邸跡と云われている 志貴皇子が春を歌った万葉集の一首は有名。
石走(いわばし)る垂水の上のさわらびの萌え出る春になりにけるかも(志貴皇子)
皇子の死を悼む歌にはこの地の山の名が織り込まれている。
高円の野辺の秋萩いたずらに咲きか散るらむ見る人なしに(笠朝臣金村)

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〜石畳の柳生街道〜
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■石畳の柳生街道
右手に高円山を見ながら,姿のままの石畳の柳生街道を歩く。 落葉に覆われた渓流沿いの道。
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大石には寝仏が彫ってある。 (室町前期の作)

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〜柳生への道〜
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■柳生への道
倒木が街道に架かっている場所が2,3カ所あった。 行き交う人もほとんどない寂しい道に初めは石畳の道に感動していた興奮も徐々に冷めていく。

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〜首切地蔵〜
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■首切地蔵
荒木又右衛門が試し斬りしたと伝えられる首切地蔵です。 彫刻の手法から鎌倉時代の作と思われます。 谷川沿いに上ってきたこの道は滝坂道と呼ばれ,江戸中期に奈良奉行により敷かれた石畳の道は, 昭和のはじめまで柳生方面から奈良へ米や薪炭を牛馬の背につけて下り,日用品を積んで帰って行くに使われたものです。

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〜道しるべ〜
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■道標
晴れた日の午前中でさえ,多少心細い感じがするが,これが夕方とか雨や曇天だったりすると誰も出会わない街道は一層心細いだろう。 自然の中での孤独感は,歩くものを卑小にし,対して自然への畏敬の念を抱かせる原始的な感情ではないだろうか。 東海自然歩道ということで,要所要所には木の道しるべが設けてある。

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〜峠の茶屋〜
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山の曲線に沿った杉林の道を歩いていると,何の前触れもなく峠の茶屋がいきなり現れる。 草餅が一個\130円,しかもお茶付き。ポットからお茶を注ぎ自由に飲める。 旅の武芸者が食事代の形に置いていった槍などがさりげなく掛けてある。

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〜円成寺近辺〜
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忍辱山(にんにく)円成寺のバス停から30mほど下ると細い脇道があり,これを下っていく。 柿の実の朱色と秋空の青がほどよいコントラストを見せる。竹林の道を進んでいくと柿の木を植えている家々もとぎれ,また寂しい山道の様相を呈する。

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〜円成寺〜
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■円成寺到着。
駅からは3時間弱の距離。
円成寺は天平勝宝八年(756),聖武・孝謙両天皇の勅願により開創と伝えられるが,史実的には平安初期に起源をもつ。 応仁の乱の兵火で主要伽藍を焼かれたが,程なく再興し,その後江戸期には寺中二十三寺,寺領二百三十五石を有する寺院となった。 しかし,明治維新後,寺領を失い現在の寺域となった。
楼門:室町時代(重要文化財)入母屋桧皮葺
庭園:平安時代。浄土式と舟遊式を兼備した寝殿造系庭園。
多宝塔には,運慶作の大日如来座像(寄木作り・平安時代・国宝)が拝観できる。

直線上に配置
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